◼️八木荘司「古代からの伝言 悠久の大和」
武断主義の大伴氏を謀略により失脚させた蘇我稲目。しかし文人閣僚・蘇我の三韓政策は迷走する。苛烈な権力争いは内戦へー。
507年、武烈帝の子や孫に男子の皇子がおらず、大連(おおむらじ)であり最高権力者の大伴金村(おおとものかねむら)や物部麁鹿火(もののべのあらかひ)らは越の国、いまの福井にいた遠縁の男大迹王(おおどのきみ)を迎え、第二十六代継体天皇が即位する。このへん議論が多いらしい。実は地方豪族が取って替わって天皇と称したとか?ただ継体天皇から後は実在が疑われる帝はおらず、現代に至るまで繋がっているとされているらしい。
大阪府高槻市の、継体天皇陵と目されている公園には行ったことがある。私も福岡は須玖岡本遺跡のそばで育ち、公園に小山があって池があって、という構造は懐かしかった。なので少し継体天皇にシンパシー。
皇統問題は落ち着いた。しかしまたぞろ三韓問題がこじれ、国内では古代最大の反乱、磐井の乱が起きる。金村は物部麁鹿火を派遣して反乱を鎮め、その後半島には我が子狭手彦を将軍として行かせ、新羅を破って任那を回復、高句麗とも戦って百済の信用を取り戻した。
国内政策では税収を増やす政策を取り、天皇の信任を得て全盛を迎えた老大伴金村だったが、若くして台頭してきた蘇我稲目の謀略により過去の半島政策の瑕疵を咎められ失脚する。稲目は娘を妃として天皇の外戚になるべく動く。
蘇我稲目は経済には明るいものの武人ではなく、軍事豪族だった大伴氏のこれまでの政策を古い、と大きく変更、朝鮮には兵を送らず政略により利を得ようとした。ところが百済の暴走もあり、ついに任那は新羅により滅亡させられる。
この頃仏教が伝来、新しい宗教に蘇我稲目は信仰を深め、天皇も興味を持つが、物部氏、神職の中臣氏は、稲目が建てた信仰施設を焼くなど仏教を蕃神として排撃の活動を強める。稲目は天然痘の流行で天皇が空位になり、穴穂部皇子が帝の地位を狙ったタイミングで中臣勝海を暗殺、敏達帝の皇后である姪の炊屋姫(かしきやひめ)の命を得て穴穂部皇子を誅殺した。さらに大伴氏を味方に引き入れ、軍事氏族、物部守屋との全面戦争に踏み切った。
滅びるか滅ぼすかの戦に勝ったのは蘇我氏サイドだった。やがて炊屋姫は推古天皇として即位し、長い在位期間、厩戸皇子、聖徳太子とともに統治に及び平和な時代を創出するー。
前の巻から出ていた、蘇我氏は軍事的な才はなく、文官的な閣僚だ、というのに少し驚いた。中臣氏が神職というのはどこかで読んだ。どうにもこうにも強くて逆らえない独裁の時代を築いた蘇我氏にしては武力はなかったんだなと。対外政策もうまくやりそうに見えて現実に沿っておらず、蘇我稲目が一時勢力を落とすというのは興味深い。
穴穂部皇子が炊屋姫をモノにしようとして敏達天皇の殯の宮に押し掛けた際、姫を守った三輪逆(みわのさかう)は悪役穴穂部皇子ー物部氏に殺される。そのことを姫が決して許さず穴穂部皇子を誅したくだりはやはり印象的だ。もう少しメロドラマチックな小説でも読んだことがある。いつか秋晴れの日に訪ねた推古天皇陵をも思い出しつつ浸った。
まだまだ時代は激動、聖徳太子が活躍し、乙巳の変が起き、百済が滅亡、壬申の乱がある。とはいえ、今回の古代の旅はこれでおしまい。やっぱり、おもしろい。
飛鳥、また大阪の太子町へ行くと、時がゆっくり流れている気がする。悠久、という雰囲気を感じられる。蘇我氏が建立した飛鳥寺には乙巳の変の際、中大兄皇子や中臣鎌足ら正規軍が集結し、向かい合う甘樫丘(あまかしのおか)の蘇我氏の屋敷に集まった兵士と対峙したという。甘樫丘に登った後、飛鳥寺から丘を眺めて、心にじわっと何かが湧いてきたのを憶えている。
最近スマホ病でゆっくり本を読む時間が減り、思うように進まない時もあり、読書がやや嫌になっていたと思う。そこへ食いつくように読める本書シリーズを偶然手にして救われた気がする。読め、と?うまく回ってる感じがする。
まあまあ、本好きを取り戻し、また興味ある本を読もうかな。
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