2024年11月9日土曜日

11月書評の2

◼️八木荘司「古代からの伝言 日出づる国」

聖徳太子、推古天皇の飛鳥時代。蘇我馬子ら群臣と、大国隋の絡む半島情勢。古代LOVE👍

たまたま続きものらしい3冊を入手、史書に基づいて歴史を物語化していくシリーズのようだ。592年の蘇我馬子による崇峻天皇殺害から628年、推古天皇の薨去までが語られる。

異国の宗教として仏教を排撃した物部守屋を退け、蘇我氏が勢力を伸長、初の女性天皇である推古天皇、摂政の聖徳太子のもと仏教が興隆した飛鳥時代の話。

国内的には動乱はなかったものの、大陸と朝鮮半島は激動の時期だった。中華を統一した隋が南下を窺い、半島では北部の高句麗、西部の新羅、東部の百済が激しく争っていた。隋が直接の勢力圏を拡大すると日本の安全保障にかかわるため、朝廷は九州北東部沿岸の防備を固め、さらに万余の軍勢で攻め入ったりもしていた。

この巻では複雑な情勢のもと、実際に高句麗や百済との交渉に当たった大伴咋(おおとものくい)という大将軍の動きを中心にドラマが展開され、聖徳太子が隋の煬帝に贈った「日出る処の天子・・」という親書で1つのハイライトを迎えるようになっている。

やはり古代は好きで、集中して読める。

崇峻天皇殺害の実行犯・東漢駒(やまとのあやのこま)と馬子の娘河上娘(かわかみのいらつめ)との不倫がひとつの軸になっていて、これは推古天皇と武官の三輪逆(みわのさかう)とのメロドラマも来るかな、と危惧した。しかし推古天皇は一貫して英邁かつ意思の強い帝として捉えられており、好感を持った。聖徳太子については、当時の国際情勢を的確に掴み、大国隋と対等の関係を明確にした親書の件を高評価しつつ、理想主義に走るきらいがあったという側面も記している。

聖徳太子は、大阪府の南部、いまの太子町の磯長の寺に墓所がある。母の間人皇后らと埋葬されているという。数年前に訪れ、近隣にある父用明天皇の墓所や、ひときわ目立つ推古天皇陵も見て回った。古代から平安から戦国以降も大人気の聖徳太子。こうして物語を読んで磯長を訪うと想像が飛んで不思議な気分になる。公共交通はめっちゃ不便だったけど。

このシリーズ、新聞に掲載された年月を確認して順番にと最初にこれを手に取ったものの、実は掲載順は必ずしも時代順ではなく、この巻が最も年代が進んでいた笑。

史上唯一の臣下による天皇殺害というショッキングな出来事から始まっている。しかしながらそもそも推古天皇はその前に政敵穴穂部皇子(あなほべのみこ)の誅殺を命じていて、これが物部氏と蘇我氏との大戦争に繋がった経緯がある。このお話はまもなく読めそうだ。楽しみ。

古代は黒くて、激動、混乱、内憂外患の時期。やはり好きだな。

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