シリーズ第3作。編集者の娘が持ってくる謎を国語教師のお父さんが解く。人情あふれるリテラリー・デテクティヴもの。
けっこう久しぶりの北村薫。「空飛ぶ馬」からスタートする、探偵役の落語家、ワトスン役の女子大学生の「円紫さんと私」シリーズでミステリ好き、小説好きをうならせ、「スキップ」「ターン」「リセット」の「時と人三部作」で話題を呼んだ。そして1930年代の令嬢と女性運転手の物語「街の灯」「玻璃の天」「鷺と雪」の「ベッキーさんシリーズ」最終作で直木賞を受賞した。
日常の謎、文学や落語、その他知的好奇心を刺激する要素が絡む豊かな下地、ストーリーは清潔感があり、語り口は明瞭、小粋。人情の絡ませ方も絶妙だ。
前説が長くなった笑。このシリーズはある出版社で小説雑誌の担当編集者、大学の体育会系出身の田川美希が作家先生や周囲の編集者らと過ごす日常の中で湧いてくる、文学史上などの細かい謎を、中野に住む国語教師のお父さんに解いてもらう話、と今日、北村薫好きでまだこのシリーズを読んでない本友に説明したら、「円紫さんと私」と基本一緒やな、とひと言。まあ、まあ、そうかな。
今作では大岡昇平「武蔵野夫人」は後でタイトルに「夫人」がついたその経緯、また古今亭志ん生の、詐欺師が蚊帳を売りにくるエピソードの出典、「原作 里見弴」と字幕が出る小津安二郎の映画が小説とまるっきり違っているのはなぜなのか、ロス・マクドナルドの小説を映画化した「動く標的」のラストは、どうして学生評論家が書いたキレの良い評論と違うのか。ほか、文豪と将棋にまつわる話、そして落語に戻り、志ん生の息子、古今亭志ん朝を巡る謎と続く。
先に書いたように、本筋のほか、お父さんが栽培する白菜に味噌をつけて食べる場面、ソフトボール、おせち、内田百閒「サラサーテの盤」など彩る要素が鮮やかでまた気持ちいい、父娘関係も距離感が微笑ましくユーモラス。おまけにコロナ時期の社会の特徴も散らしている。豊穣な文章を読んでいる実感を味わう。
やはり「動く標的」の章、ヴィデオが出てきて何でも録画録音ができるようになると、イマジネーションが膨らむということがない、との見方が述べられていて、心に響く。
私は社会人になった時期、地上波ではまずやらないであろう、あまり人の入っていない単館系の映画ばかり映画館に観に行っていた。ビデオはもちろん、CSの映画チャンネルも普及していたが、全部録画して見るわけでなし、映画館に行った方があまり考えずに済んだことが大きく、大画面で雰囲気を含め楽しんでいたあの頃を思い出した。アメリカ映画ではない、イギリスやフランス、ギリシャやアジアの作品。確かに一期一会だったかも知れない。
最近また、DECCAが出した、内田光子のショパンコンクール1970年大会の演奏のCDを聴いた。一部の曲はいまの弾き方とかなり違っていて少し驚いた。今年のコンクールの際、YouTubeを見て覚えたような演奏が多い、というような審査員の意見も出た。内田光子が2位に入ったこの時代も音源は限られていたはずで、であれば弾き方も違ってくるのかもしれないな、などと考えた。リサイタルもほとんどは今もその時限り、先日行った内田光子リサイタルも1回限りの触れ合い。とても良かった。
だいぶ自分のことに脱線してしまった。
好きな作家はと聞かれれば北村薫を挙げることも多い。今回難を言えば、ちょっともう、著者の好みに特化しすぎているところかも苦笑。私としては、もう1回、著者の大作が読みたいな。
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