2026年2月7日土曜日

2月書評の2

◼️ 砥上裕將「一線の湖」

映画化もされた「線は僕を描く」続編。水墨画の表現がうなる。ホロリが何度も。

両親を失ったショックから立ち直れていない大学生が、水墨画でそのきっかけをつかむ、というドラマ。なにせ本職の方が著者なので、制作過程が本格的、心構えまで詳しい、また、やはり絵を言葉で表す引き出しが豊富だと思う。

水墨画界の巨匠、篠田湖山門下となった大学生の青山はテレビも入り注目度の高い揮毫イベントで大失敗をしてしまう。湖山からは筆を置くべき時期、と諭されるが、納得できない。話題の人となった青山は湖山の一番弟子、西濱湖峰の手伝いで小学校に水墨画を教えに行く。そこは、亡くなった母が4年前まで勤めていた学校だったー。

筆を置くべき、というのは破門、という意味ではなく、休養して離れてみることが必要、という意味だったのだが、大学3年生の進路の問題にも絡み、だんだん別れへとつながっていくようだ。

映画では青山くんは横浜流星、湖山の孫娘で青山くんと同年代、美貌の絵師として露出も多い千瑛(ちあき)は清原果耶、搬入、展示などを行う実務担当で、かつ抜群の腕前を持つ西濱湖峰が江口洋介、巨匠・湖山が三浦友和だった。青山くんはもなぜかひとつイメージに合わないけどもやはり頭に浮かべながら読んでしまう。

さて、実はそれなりに小説を読んできた身としては細部に、ん?と思うところもあったし「線は僕を描く」から時間が経っていることもあってか、どうして青山くんの精神と肉体はこんなにまで疲弊しているのだろうと、その点が作品の全体からは分かりにくかった。ともすれば繊細すぎる状態を演出しているようにもとれた。

だがしかしけれども・・圧倒された。まずは母親が勤めていた学校で、小学1年生たち、校長先生、後を引き継いだ同僚の先生たちとの触れ合いでほのかな光が射してくる部分にはもう、ホロホロの涙。肉親を失った身を切るような哀しさ、そして目を輝かせる子供たち。青山くんがイベントで絵を描いて、そこに子供たちが・・とてもジンとくる場面だった。

「線は僕を描く」でもそうだったが、なにせ作画中の表現が的確で豊富で小粋。またとても詳細で、つぶさに追いながら想像するので読むのに時間がかかる。筆の状態、水の含ませ方や手順まで、呑みこめないながら心中に絵を浮かべてしまう。ここまで表現がうなり吠え、像を結ぶのは本当になかなか巡り会えない筆致だと思う。

湖山のメモリアルなイベント、そして青山くんの進路。先読みする人はできるのかもだが、やはり深い感慨が押し寄せ、またホロリ。結は書いてきたものに見事に結合している。

完結編?もっと読みたいと思わせる作品です。

2月書評の1

◼️ 岡田鯱彦「薫大将と匂の宮」

宇治十帖のヒロイン・浮舟が死体で発見された。紫式部と清少納言が推理で競う。国文学者の源氏物語ミステリー。

昭和25年の作品と読んだ後で知って少し合点がいった気がする。まずワールドの構築、原点の設定を利用した、矛盾する「謎」の提示、捜査の不自由さなどふむ、と思いながら読み進めた。また冗長さも「紫式部日記」によく出ている、才気はあるが煮え切らない性格を表しているような。

薫大将の妻・浮舟の死体が宇治川の橋の近くで見つかった。水は飲んでおらず、額は鋭い刃物で割りつけられたような深い傷跡があった。この運命は自分のせいではないかと苦悩する薫大将は紫式部に胸の内を訴える。そして、匂の宮の妻・中君の変死体が全く同じ状況で発見される。自殺か、他殺か、犯人は薫大将では、と世間が噂するー。

薫は表向き光源氏とその妻の1人女三の宮の子とされているが、実は光の盟友・頭中将の長男柏木が女三の宮との間に設けた子で、何もつけていないのにえもいわれぬ香りを持つ美男子で性格はカタめ。匂の宮は源氏物語本編で天皇の息子のプレイボーイ。この2人は宇治で浮舟という皇統の娘を巡り恋の鞘当てを繰り広げ、思い悩んだ浮舟は宇治川に身を投げたが助けられ、人知れず暮らすー。ここで原典は終わっている。この推理小説は出家していた浮舟を還俗させ、薫が妻にしたという設定からスタートしている。

世界観は、物語中の登場人物である薫と匂の宮、浮舟らがいる世界に作者たる紫式部がいる、という不思議な設定でスタートする。式部さんは源氏物語の執筆者としてすっかり有名人で薫からも匂の宮からも胸中を吐露される。心根は薫びいきである。

行くところどころに香りを残す薫、そして香を調合して、薫に対抗して焚きしめており、嗅覚が異常に発達した恋のライバル匂の宮。互いの妻が変死体となり、さらなる悲劇も起きる。そして紫式部のライバル・清少納言がまた薫が間接的に犯人なのではないかという論を展開する。式部は薫を信じたい。そして清少納言にも負けたくない。やがてエウレカ!の時が訪れる。

まず、紫式部探偵が謎を解く、というけれども、式部さんは表立って自分が動くような捜査などできないんだな、とつくづく実感。いまの推理ものとのギャップにはその点が大いに関係していて、新鮮だ。だから、謎解きが楽しみになる。

しかしながら、個人的にオチは、もうひとつ。確かに意表は突かれた。でもなぁ〜。いくつも突っ込みどころがあるなと。昭和25年の作品にして現代でも新鮮。

作者さんは国文学者で、その学術的によく理解されているのだろう筆致に渋みを感じさせる。やたら紫式部の考えがややこしく情緒的であるのは紫式部日記、で煮え切らない態度をとる本人をパロっているのだろうか。そして清少納言から厳しい条件を突きつけられる。切羽詰まり、真相にふと気づくー。

他収録の短編も収録されているが、清少納言のパロディや原典の六条の御息所の謎、などなかなか王朝文学マニアックだ。まあなんか、謎におもしろい。

願わくばやはり皆が待っているオチを採用して欲しかったかな。どうも論理も足りない気がするし。まあ、いいか。源氏物語になぞらえてよくここまで書いてくれました。

秋に京都へ行った時、香の店で商品をぶらぶらと見回っていたら、宇治十帖ゆかりの香があったけども「匂の宮」という商品しかなかったので、つい、「薫はないんですか?」と訊くと「あります」とのお返事。その場はやっぱりあるんですね、そうですよね、で終わったけども、店を出てすぐ、店員さんが追いかけてきて、いま薫の香出しましたんでぜひ体験していってください、とのこと。これが薫の香りの創造か、とちょっと感慨深かった。京都での出来事でした。ややこい客?ご対応ホンマに感謝です。
m(*_ _)m

2026年2月1日日曜日

衣笠の美術館

堂本印象美術館に行ってきました。

京都北区、金閣寺にも近く、立命館大学の斜め対面。ずっと気にかかってたので嬉しい😆。マルチな才能の印象が自宅敷地に自らデザインして設立したとか。昭和41年の開館。

今回は京都七条の智積院宸殿に描いた襖絵の展示がメイン。宗教活動は時勢に無縁であってはならない、という寺側の意を汲んでモダンな女性がテーブルで野点を楽しんでいる様子をカラフルに描いてみせた。こんなん見たことないですね😎訪れた関係者からも寺院に似つかわしくない、という声が上がったとか。

襖絵は3つの間に描かれているようで、1つはこのモダンな絵、1つはデフォルメされた松や桜の華やかな絵、そして1つは、本格的な水墨画。襖絵の展示は撮影不可だったので、アップした写真はチラシを撮ったものです。実物はもう、このバリエーションの組み合わせが一つの部屋にあって、楽しかった。

例えば上村松園なら美人画、東山魁夷なら碧の風景画に白馬と、見て分かるものがあるけども、一般的に堂本印象のインパクトは薄いかも知れない。

日本画家で仏教や古事記・日本書紀関連の絵を細い線とヴヴィッドな色遣いで描き、水墨画にも秀で、ヨーロッパに遊学してからは構図や色遣い、デフォルメ、そして後年はキュビズムも取り入れた作品も残した。

要するになんでもできる画家。小磯良平のような女性画もある。私はその変幻自在さや、個々のジャンルの作品それぞれに魅力を感じている。

ひとつ目標達成😆

金閣寺は、京都駅から地下鉄で7駅めの北大路からさらにバス🚌に乗ります。その近くの堂本印象美術館もちょっと市街地中心からは北に離れているわけでやや寒いかも。

行きは地下鉄で北大路から金閣寺方面のバス🚌に乗り、わら天神というバス停で降りて、歩いて7〜8分。美術館のすぐ前に立命館大学前の大きめバス停があるけども、北大路発はこちらに来ない。自然北大路行きのバスもなく?(未確認)、京都駅など交通量に左右されそう、時間かかりそうな行先。

帰りは天気も良くないし、手前のバス停から乗ろうかなと思ったけども、人がけっこう多かったのと、行きと同じルートの方が間違いがない、というこだわりがあって、美術館前から🚌乗るのではなく、わら天神へ戻ってしまったのが間違い。

見事に迷ってしまい、みぞれが降って寒い中をしばしウロウロ。1回戻ってリカバリー、わら天神に着いてすぐ来た四条河原町方面行きが空いてたのでパッと乗って座って安楽に40分。四条河原町は市街地中心地で阪急京都線の終点&始発駅。

素直に大学前から京都駅なり四条河原町まで乗っておけば濡れずに済んだんだなバス停は屋根付きだったしと反省。まあいいか、と特急に座るころには忘れてたけど。

京都は月イチくらいは行ってて方角も分かるし慣れてたつもりが、まだ修行不足と実感したというお出かけでした。

2026年1月31日土曜日

1月書評の13

◼️ 津村記久子「ポトスライムの舟」

芥川賞。小説らしい作品だな、と。読みやすく展開は、把握しやすい。

たまたまではあるけど、最近芥川賞を読むことが多い。中には、博多弁で言うといっちょん分からんやったり、やたら理屈が多かもんもあるとばい。しかしながら、この作品は平易な言葉で、設定も展開もオチも分かりやすい。ただ、そこに含まれている意味を言葉でうまく表現できない。

長瀬由起子29歳は、工場でベルトコンベアの乳液のキャップをチェックする仕事をし、夕方からは友人のヨシカが経営するカフェで働き、夜は入力の内職をしている上、土曜日はパソコン教室でお年寄り相手にメールの送り方などを教えている。ある日、工場に貼ってあるポスターの163万円で世界一周、というふれ込みに、この金額は自分の工場の年収と同じ、と気づき、節約を始める。そんな折、母親と住む4LDKの古い持ち家に大学の同級生・りつ子が幼い娘を連れて、ほぼ無一文で家出してくるー。

「ポトスライムの舟」自体は100ページくらいの作品。主人公ナガセの前日譚「十二月の窓辺」も収録されている。

離婚した母に、離婚協議をしているりつ子、離婚を考え始めた、工場でともに働く岡田さん。回りがいろいろと動く中、目標である貯金に向けて働く、細かくカネの計算をしては心を痛めるナガセ。止まらず働く女に、束の間の休息が訪れる。そして心境の変化が・・?

最近意図せず関西ものに当たる気がしている。ポトスライムの舟」は奈良が舞台で関西弁も多い。そしてそちこちに奈良の細かいあるある、が散りばめられる。さて、この作品はお金の算段を中心にストーリーが進む。周囲に影響されて、働いて、エアポケットが生じて、というわかりやすい展開だと思う。

では、何を掴み、どう変わっのか。成長したり、自信を取り戻したり、というのはわかる気がする。ただそれを、えも言われぬグネグネしたような感情、変化の度合いと瞬間をどう表現していいのが、ホントにむずかしい。分かる気はするけど、この胸の中のもの、これがこの作品を読んだ時残るものでは、という気もした。

タトゥー、百科事典が好きなりつ子の娘・恵奈との触れ合い、自転車で走る、など印象的で計算されてそうな要素が織り込まれていていて非常にテクニカルだなと思えてしまう。

等身大の物語、平易な文章とあまり波のない展開。しかし何かある、という確信、あまり言葉にしたくないような気もすふ。様々な知識。小説らしい作品だな、と思ったりした。

モーツァルトの🎹コンチェルト20番

週末はオケ。ソリスト髙木竜馬さんでモーツァルトピアノ協奏曲20番。一度聴きたいと思っていた。モーツァルトはピアノコンチェルトを27曲も作曲しているけども、コンサートでの演奏のされ方を見ていると、20番は人気曲のようだ。

弾むようなイメージのモーツァルト曲とは異なり、デモーニッシュで不穏なメロディであること、だから刺さるようなフレーズも多いと思う。時に緊張感を込めて、硬く、またクールに。楽しめた。聴けて良かった。

近くのオジサマが熟睡、ずっといびきが聞こえてた。寝るのはいいけど静かにね、ってなとこかな。

ショパンコンクール出場者リサイタル

ショパンコンクール本大会に出場した東海林茉奈さん。大会後初の国内リサイタルは地元で。

モーツァルトソナタ5番、グリーグ抒情小曲集より7曲、そしてとても好きな曲、シューベルトソナタ13番。柔らかく、希望と未来の予感に溢れるようなタッチ。

後半はオールショパン。ノクターン、大会でも多くの奏者が弾いていた木枯らしのエチュード、バラード4番に英雄ポロネーズ 、ラ・チ・ダレム変奏曲と盛りだくさん。

MCは苦手だと言われましたが説得力が備わり、演奏は・・ポーランドで学び、ショパンコンクールに向けても弾き込んだであろう、その積み上げてきたものを感じた気がしました。表情も引き締まり、音は柔らかく粒が立ち、しっかりして揺るがない印象。

東海林さんは予備予選で惹かれたピアニストの1人。丸い音、アクセントの付け方がとても良かった。私の好きな内田光子さんに少し似てる感じがしました。

アンコールのプレリュードを弾いた後、お見送りに出てきてくれました。芦屋の子、今後も応援してます😊

1月書評の12

◼️ ロバート・シーゲル「白いクジラ」
 
壮大で芳醇な、地球規模のネイチャー・ファンタジー。3部作2作め。

興味深いザトウクジラの生態をもとにして、人間目線とはまるで違う独特のファンタジーを創作している。可愛らしく微笑ましく、しかし時事的な出来事を取り入れ、深刻な事態が強調される。そしてその中で、荘厳な生への賛美、をクジラ社会の歌や伝説・神話的な、海底での奇跡体験を交えて見事に描き出している。

真っ白なクジラ、雄クジラのフラレカナは同じ群れ(ポッド)の雌クジラ・アリーアとともに沈没船を探検する。そこには大型で肉食の、とんでもない生き物が住んでいた。2人はいきなり襲われるー。

オキアミの大漁場、<世界の果ての氷>への旅。シャチやアホウドリの仲間との付き合い、滋養を蓄えた仔クジラは大きく成長し、「幻視」に遭い「孤独の巡航」へと旅立つ。歌を作り、歌い、耳を澄ます。セイレーンのような危険な生物や石油の流出に遭い、閉じ込められて人間に襲撃される。

私が最も印象的だったのは、治癒の効能がある<炎の泉>への潜航。冷たく水圧の強い深海へ、潜ってゆく。プレートテクトニクスの始点、巨大な陸塊がじりじりとお互いから遠ざかっている場所。地球の裂け目からは赤いマグマが見える。マグマは海水で冷やされて蒸気を発している。心に話しかけてくる声。そして、幻視のような体験。

3部作の最初の作品「歌うクジラ」はフラレカナの父親フルナの物語だった。この2つめは10年後に出版された。次の世代の成長記。石油の流出や捕鯨に反対する団体の活動、核実験で海が死んだエリアなどジャーナリスティックな要素とも大いに取り込んでいる。軸のひとつが人間との触れ合いだ。

もちろんクジラ目線。だからこそおもしろい。昨秋「パトリックとクジラ」というドキュメンタリーっぽい映画を見て大いに刺激を受けた。人間との邂逅、ドローンの導入で自然相手の撮影でも様々なアングルから撮れはする。しかしクジラ目線はほとんどない。ましてや、クジラの生態をよく分かった上で、行動を物語にしてしまう、という描き方には感嘆のあまり唸る。

歌を作り、歌うフラレカナ。海底洞窟その他の情景描写はとどまるところを知らず、表現のキャパが非常に豊かで深い。

完結編の「世界の果ての氷」も読む。独特のファンタジー&ネイチャーストーリーは心地よい。

ザトウクジラのブリーチング(ジャンプ)を見てみたいなあ。