2026年2月15日日曜日

養生の週末

週末も映画見に出ようかな、なんて思ってたけども、先日の大転倒でまだ手の指が痛い上、当日風呂入る時に膝外側に腫れと擦過傷など身体あちこちに痛みや傷を認識。おまけに翌日はギックリ気味に背筋がピキッといって悶絶。週末はおとなしく過ごす。

風は冷たい、しかし気温的にはだいぶ暖かくなり、お気に入りのライダーズジャケット着て古本12冊くらい持って古書店。売ったお金でおすすめの本を買う。ふむふむ、店主さんのお話は刺激に富んでいて楽しい。

さて、オリンピック。フィギュアスケート男子は波乱の展開。佐藤駿がほぼ完璧な演技で大逆転の銅メダル、鍵山は勝負をかけたジャンプが決まりきらず、しかしゴテンと転んだわけではなく、着氷が乱れただけに抑え、スピンとステップはレベル4の美しい出来で銀メダル。

誰もが絶対王者と見做していたイリア・マリニンは4回転フリップと4回転ルッツは決めたものの、クワッドアクセルは抜けて1回転半となり、ほか2つのジャンプで転倒するなど技術点TESが伸びず、まさかの8位。金メダルはコンビネーションジャンプの後の方に4回転を入れ🫢また予定にない4回転フリップを決めてみせたミハイル・シャイドロフ。カザフスタン🇰🇿初の金メダル🥇

早起きしてLIVEで観てて言葉を失う。筆舌に尽くしがたい、という言葉を思い出す。誰もがマリニンの成功と優勝を考えていたと思う。大舞台の持つ魔力ということか。それにしても、ある意味スポーツの暗黒面であり面白みでもある。ドラスティックだった。

鍵山優真🥈佐藤駿🥉おめでとう🎉さあ、ペアとフリーだ

3月書評の7

◼️ 「スーホの白い馬」

ここのところよく見かけていたので、読んでみた。モンゴルのお話らしい?

そんなに長い話でも、入り組んだ話でもない。
モンゴルの民族楽器、モリンホール、馬頭琴はどうして出来たか、を説くものだ。馬頭琴、というのは中国の訳し方で、日本でもよく使われる気がする。私的には木琴、鉄琴などを想像して叩く楽器か、なんて最初は勝手に思ってしまうけれども、琴と同じ弦楽器。大雑把にいえばギターをスリム化したような、共鳴盤がついた二弦で、弓を使って弾く楽器だ。

モンゴルの草原で羊飼いのスーホは倒れてもがいていた白い仔馬を見つける。周りを見渡しても飼い主も親馬も見当たらず、放っておいたら夜が来て狼の餌食になってしまうと、スーホは連れ帰り、大事に育てる。2人の間には、分かち難い絆が育つ。

数年後、殿様が競馬大会を開く。優勝した者は殿様の娘御と結婚させる、と。スーホは成長した白駒でぶっちぎり1位になる。が、殿様は貧しい羊飼いのスーホに娘をやるつもりなどなく、銀貨3枚で白い馬を譲るよう申し付け、スーホが拒むと、部下に暴行させて奪い取る。

白い馬は乗った殿様を振り落とし、スーホの元へ駆ける。追っ手の矢がいくつも背に刺さって・・やがて心で白駒と会話を交わしたスーホは馬が行った通り、その身体を使って楽器を作ったー。

なじみの古書店で読んだ後「教科書で読まれました?」と聞かれた。これって教科書に載ってたんだね。私の時代は、多分なかったと思う。で、どうもバージョンがいくつかありそうで、物語をさまざまなものの象徴と見る向きもあるようだが、そこからは離れたいねやっぱり。

絵は武骨。スーホは赤く長い上衣で腰紐を結んでいる。赤の帽子、厳しい表情。全体として刹那的で不穏な雰囲気があるような気がする。

モンゴルへ行った人は風景だけでお金になると思います、という人もいた。「何もない、というのを味わいたいんですよ!」とロマンに目を輝かせていた卒業旅行の大学生は帰った後「ホンマに草原以外、何もありませんでしたわー(苦笑)」と報告した。

白い馬に乗って、広い広い草原を風を切って駆ける、という姿が、この物語の象徴的な姿かもしれない。

優勝者には娘をやる、という条件で先が読めてしまうかな。けっこうストレートな話で、古い民話にありがちな、矛盾とか不思議なパートがない。まあこんなものか、だけども。

最近よく見るよね図書館とかSNSとかで、と言うと古書店主さん「それは午年だからですよ」

なるほどそうだったか。

2月書評の6

◼️ 上橋菜穂子「明日は、いずこの空の下」

良かったなあと読後感。うん、なんかカチッとはまるものがある。味わい深い海外旅のエピソード、思い出エッセイ。

言わずと知れた国際アンデルセン賞の上橋氏。文化人類学者の視点のみならず、広く豊かな想像力が詰まった「守り人」シリーズは私も完読した。氏の旅エッセイは、女学校の英国研修旅行、宮古島や名峰・祖母山で地元の方に親切にしてもらったことから、研究者時代のオーストラリア・アボリジニについての長期フィールドワーク体験でその筆致に想いを馳せる。そして老いた母親さんと行く、年に1度の海外旅行が心にハマる。

女学校時代はバグパイプが欲しくてエディンバラで買い物し、ケンブリッジでは憧れの「グリーン・ノウの子どもたち」の作者ルーシー・M・ボストンさんに手紙を出して会いに行ったくだりには、その好奇心旺盛さに微笑ましく感心。面白い本を読んでこれがしたい、あれが欲しい、となるティーンを好ましく感じる。

アボリジニはカンガルーやエミューを狩る民族で、衛生のため切り落とす子羊の尻尾の肉、また狩ったカンガルーの尻尾の肉も大好物だとか。上橋さんには美味しいとは思えなかったらしい。そんな彼らは、日本人が鮎に串を刺して焼くのは残酷で気持ち悪い、と思うそうだ。なかなか面白い。

シドニーと対角線上にあるような北インド洋に面した北部の港町ブルームは真珠の養殖が盛んで、移住してアボリジニの女性と家庭を持った日本人がドラム缶の風呂を毎日沸かして入ったり、新年には手製の門松を作っていたとか。

当地で久しぶりに和食に触れる悦び、その新鮮さと価値は外に出ないと分からないかもしれない。筑紫の国出身の私は、食べられるものなら、関西でかしわおにぎりを食べたい、なんて読みながら思うが、切実さが違うな、とすぐ本に戻る笑

合間にエアーズロック、茫漠とした砂漠の黄昏時の色の変化、圧倒的な月光などの光景描写が入る。オリオン座が北半球と逆さまに見えるオーストラリアの満点の星空って、憧れるな。

なぜ母親さんと毎年海外旅行へ行っていたのか、その理由は「単純に楽しいから」だそうだ。こちら側から見れば、母娘よく似て好奇心旺盛で無鉄砲。でも多分、興味の方向が合うんだろうなと思う。

イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド、ブリテン島の4カントリーの旅、アーサー王の墓があるとされるグラストンベリー修道院、ゴッホ終焉の地、オーヴェル・シュル・オワーズの麦畑、イランでの好奇心あらわな少女たちとの交流、また古都イスファハンの美しさの中に2人。

イランはかつてサッカージャーナリストさんがワールドカップアジア予選で訪れた際、脚を延ばした旅日記を読んで以来興味を持っている。イラン英語大好きだし、ペルシャは歴史的にも惹かれる部分もある。

私の友人の女性も色々なところに母親さんを連れて行く。私も同席したことがある。闊達で積極的、興味の範囲が広そうな方だった。今回のエッセイを通じて、どこか理解が進んだ気がしている。うん、こういう親子関係、いいな、と。

ローズマリー・サトクリフ「闇の女王にささげる歌」を読んだばかりで、序盤にサトクリフへの言及があった。なるほどと思いつつ、なんかまた、この流れに導きを感じたりする。

上橋さんのエッセイは、興味深く、かわいらしく、単純におもしろく、考えさせる。穏やかで、だからなのか深みを感じさせる。この人、やっぱり超人だ。

2月書評の5

◼️ 標野凪「ネコシェフと海辺のお店」

悩める女性に効能豊か。サバトラ猫の魚料理。

例えるなら最後に元気がでるタイプの15分ドラマみたいだ。魚ってほんとニッポン人に訴えかけるなと。人生、生活で弱った心を抱く時、ネコシェフの世界へと誘われる女たち。

千晶は40歳の専業主婦。かつてアナウンサーを目指したが失敗、勤めた生花店の客だった涼太と結婚した。高校生になる娘・梨央もまたアナになりたいと母を喜ばせ、色々とアドバイスしている。ただ、最近涼太には明らかに浮気の兆候が見え、また同窓生の雛菊が今も独身でデザインの仕事をしているのを見て、社会に置いて行かれたような感覚を受けるー。
(ネコにも居場所)

千晶、梨央、千晶の母・比呂乃や雛菊、世代・年代がバラバラな、関係性のある女性たちそれぞれの目線から、その生活と鬱屈を描き、想い行き詰まったとき、主人公はネコシェフの店がある海辺の夢幻空間へと転移する。

鱈のプランタード、ホッキ貝のクラムチャウダー、鯛めし、潮汁、アジフライにタルタルソース、鰹ぶしの猫まんまと鰹のたたき、鯖寿司・・

品書きの鱈といふ字ぞうつくしや
目には青葉山郭公(ほともぎす)初鰹

海洋生物の解説と、なぜか俳句や和歌を必ずのたまうネコシェフの料理は実に美味そう。味わいたい気持ちがそそられる。じんわりと身体と心に沁みわたる擬似体験。何かを読むとよくあることではあるが、やっぱり心地よい。

読み物としてはライトな印象だけども、女性たちの、自分が拠って立つ人生上の成り行きや立場、その関係性も実にうまく考えられていると思い感心する。人は大なり小なり常に物事を考え感じている。セルフィッシュ、また自分でも嫌になるような感情を抱くことはよくあり、口や態度に出ることは極端に少ない。そんな、いわば生きにくさと付き合っていくのもふつう。今作のシチュエーションの作り方は共感というよりは読み手に考えさせる方向だったかなと。心が軽くなるくだりはまたちょっと考えちゃったとこはあったけども。

ネコシェフ、おもしろくて気持ち良い。けっこうこういうの好きです。伸びやかな発想もまたニッポンの底力、なんて思っちゃったりする。

2026年2月11日水曜日

なんと!痛い・・

インド映画「ツーリストファミリー」を観に梅田から歩いてしばらくのスカイビルはテアトル梅田へ。

なにか映画観に行きたいな・・と思ってたところ、よく行っていたイスラーム映画祭関連の情報を前夜に観て、興味を持って調べてみたら前日にもかかわらずチケットが△になってて、1つだけ端席💺が空いてたのを即ゲット。行ってみたらなんと完売!

テアトルは「カメラを止めるな」それから数年前の年末休みの「ケイコ、眼をすまして」でほぼ満員を経験してるけども、開始30分も前に完売してしまったのを見たのって初めてじゃないかな・・テアトルはキャパが大きいとは言えない。でもロフトの下にあった頃から単館系各国作品が好きな人が集まってくる傾向にあったから、うなずけないことはない。まあ快適な席に入れたからよし。

経済破綻したスリランカからインドに密入国した一家は父ダースとその妻、大学を出た長男にと小学生の次男。上陸してすぐ警察に捕まるが護送の途中、次男の機転で警察官の情に訴え放免となる。かつて密入国して当地に住んでいる妻の兄が手配してくれた借家に住まうことに。スリランカ人であることを隠すため、近所付き合いはするな、と、妻の兄にはキツく釘を刺されたものの・・陰にこもるような、そんな家族ではなかったのだった🤗

笑いあり、涙あり。ちょっと流れやオチがアメリカンだな、エンタメ天国インドらしいな、なんて思ったけども、元来ノセられやすい性格、声出して笑って、涙をハンカチで拭いた。

実はクライマックス近くでトイレ。焦って走った瞬間段差につまずいて激しく転倒。一瞬意識が飛んだため近くのお客さんに心配された気配があったが、こんなことしてる場合じゃないとすぐ起きてダッシュ💨で済ませて、なんとかいちばんいい場面に間に合った。右手を激しく地面について、痺れていたからやべ、指折れた?なんて思った、でもやっぱ頑丈。多少痛むがぜんぜん大丈夫みたい。人差し指の爪が一時的にめくれてしまったらしく多少血が出て赤暗さが残っている。まあこんなんで済めば御の字だ。

帰りは特急にバスとつながりが良く、早めに帰って来れた。昼にあっレトロ風でいいかもと入ったカフェのナポリタンにちょっとがっかりしたくらいで、まあ結局いい日だった。冒険好きだが、冒険がすべて良いとは限らない。実績も信用すべし。

さて週末はまだ先、あすお仕事だ。

2月書評の4

(写真は泉鏡花「日本橋」の装丁表紙絵・小村雪岱)

◼️ 泉鏡花「茸の舞姫」

えらいもんを読んでしまった感覚。幻想世界が炸裂する。怪し、蛇、そして鏡花らしく色気もチラリ。

お決まりの、そろそろ読みたいな、と思った時の泉鏡花短編@青空文庫。しかし唸る。この才気に触れるのが楽しくてたまらない。

杢若は町中で面倒を見ている、天涯孤独、子供のような変わり者。お祭りの日、神社の境内に蜘蛛の巣を広げて「綺麗な衣服だよう」と言って商品のように見せている。杢若は幼き頃、何日も姿を見せなかったことがあり、天狗に攫われたと言われた。その後もよく人間界からいなくなり、どこへ、と聞かれても「実家だよう」と言って詳しくは答えない。

蜘蛛の巣には薄紅、浅葱色、黄色の蝶、金亀虫(こがねむし)、蒼蠅、赤蠅の艶々とした怪しい彩り、そして水銀の散ったような露がきらめく。

夜更けに向かい、天狗、般若、狐の面をつけた不思議な3人の山伏が神社を訪れ、緩く舞う。山伏は杢若の蜘蛛の巣を見て「えら美しい衣服じゃろがな」とのたまい、神官が、誰が着るというのだ蜘蛛の巣を、と訊くと「綺麗なのう、若い婦人じゃい」と答える。杢若は神官に「実家」のことを語り、やがて山伏たちが衣服を脱ぐと・・

始めの奇矯なシーンからどんどんと内情を語っていって怪異をにじませ、一気にファンタジーの世界に引き込む。どこかで結がつくとは思っていたが、こんなにも異質な形態とは思わずで、少しく驚いた。キーワードはタイトルにある通りの茸。しかし、特殊な妖しさと危険さを漂わせるこれを、ここまで仕立てて魅せるのはすごいと思う。

色彩感も素晴らしく、あやかしの情景を現出している。で、鏡花が好きな蛇も出演、そして女肌。

バラに短編をかじっているので、もうどれを読んだかもひとつ覚えていない。今回のチョイスもほぼ偶然だけれど、まざまざと、切れるような鬼才を見せつけられた気がした。

先日小村雪岱展で「日本橋」の表紙を見てきたこともあり、次は紙の本で読んでみようかな。

2月書評の3

◼️ ローズマリー・サトクリフ
  「闇の女王にささげる歌」

イギリスでは知らぬ者のない、ケルト伝説の女王・ブーディカ。紀元60年、帝国ローマに対し大反乱を巻き起こしたー。

どこかで書評を目にして、内容もあまり知らずに、読みたいと思っていた。女性の歴史小説家として名を馳せるローズマリー・サトクリフの作品に触れて、また読書の世界が広がったようで嬉しくもある。

紀元前後から数百年間、ローマ帝国はグレートブリテン島を支配していた。島には地域ごとの部族がそれぞれの領土を保持していた。東部、ケルト地域の馬の民であるイケニ族は、王女の夫に選ばれたものが王となるしきたりだった。

王の娘、金髪に紺碧の目のブーディカは友好部族パリシの勇士・プラスタグスを夫に迎える。赤い羽根を兜につけたローマ人たちの侵攻が近隣に及び、ブリテン島の諸部族は戦うことなく従う道を選んだ。やがてプラスタグスが亡くなると、女王を認めないローマはイケニを直轄の属州にする。兵を連れた無礼な使者団の1人がブーディカの娘の姫に手をかけた時、幼なじみの男が相手の喉を掻き切り、それを合図にローマ人たちは暴虐の限りを尽くした。

ブーディカと馬の民に、復讐の炎が燃える。

遥か遠いブリテン島やアイルランドにはほのかな憧れがある。「マクベス」のスコットランド、神秘的な響きのケルト、アイルランド映画も多く観た。行ったことはないが、だからよけいに想像が働く。

時代も古く、決して世界史の表舞台には出てこない戦い。日本でも古代が好きな身には魅力的だ。ちょっとジブリっぽくもある。王女に婿して王となる、一族は女系で支える、女家長制は鉄器時代にしばしば見られるとか。

物語は女王付きの竪琴弾き、歴史を歌にして歌う男、カドワンの回想モノローグで哀しげに進む。凛として勇壮、どこか人ならぬものが憑いたようなブーディカは反乱軍の長として、周囲の引き止めを入れず、常に馬が引く戦車に乗って突撃する。

イケニ族の風習やその周囲の部族たちの状況、ロンドンはロンディニウム、などどこか北海道のアイヌ語源地名を思わせるような地名もおもしろい。

古来より戦は残酷だが、ローマ兵も、復讐に燃えるブーディカも残虐で無慈悲な面がある。負けたらとにかく終わり、槍を投げ、剣で突撃する白兵戦、戦士は血に飢えている。

ブーディカの人間性もほの見える前半の描写と、迫力と魔性を漂わせ、底深い恨みの心を胸に強く抱き、最後の砦としてバラバラの部族をまとめあげるカリスマ性に惹き込まれる。そして無駄がなく、よく分かる最後の決戦シーンには止めようのない、不可逆的な奔流を感じ、やがて喪失感に打ちのめされる。ぽっかりと空いたような、絶望的な未来。

テムズ河畔には戦車に乗ったブーディカの大きな像があるそうだ。世界的にはあまり知られてないがかの国内では知らない者のいない古代の気高き女王。圧倒された。

サトクリフには有名な児童文学の古典的存在「第九軍団のワシ」「銀の枝」「ともしびをかかげて」というのがあるとか。古代らしいし、こりゃいつか読まなくちゃ。