2026年2月1日日曜日

衣笠の美術館

堂本印象美術館に行ってきました。

京都北区、金閣寺にも近く、立命館大学の斜め対面。ずっと気にかかってたので嬉しい😆。マルチな才能の印象が自宅敷地に自らデザインして設立したとか。昭和41年の開館。

今回は京都七条の智積院宸殿に描いた襖絵の展示がメイン。宗教活動は時勢に無縁であってはならない、という寺側の意を汲んでモダンな女性がテーブルで野点を楽しんでいる様子をカラフルに描いてみせた。こんなん見たことないですね😎訪れた関係者からも寺院に似つかわしくない、という声が上がったとか。

襖絵は3つの間に描かれているようで、1つはこのモダンな絵、1つはデフォルメされた松や桜の華やかな絵、そして1つは、本格的な水墨画。襖絵の展示は撮影不可だったので、アップした写真はチラシを撮ったものです。実物はもう、このバリエーションの組み合わせが一つの部屋にあって、楽しかった。

例えば上村松園なら美人画、東山魁夷なら碧の風景画に白馬と、見て分かるものがあるけども、一般的に堂本印象のインパクトは薄いかも知れない。

日本画家で仏教や古事記・日本書紀関連の絵を細い線とヴヴィッドな色遣いで描き、水墨画にも秀で、ヨーロッパに遊学してからは構図や色遣い、デフォルメ、そして後年はキュビズムも取り入れた作品も残した。

要するになんでもできる画家。小磯良平のような女性画もある。私はその変幻自在さや、個々のジャンルの作品それぞれに魅力を感じている。

ひとつ目標達成😆

金閣寺は、京都駅から地下鉄で7駅めの北大路からさらにバス🚌に乗ります。その近くの堂本印象美術館もちょっと市街地中心からは北に離れているわけでやや寒いかも。

行きは地下鉄で北大路から金閣寺方面のバス🚌に乗り、わら天神というバス停で降りて、歩いて7〜8分。美術館のすぐ前に立命館大学前の大きめバス停があるけども、北大路発はこちらに来ない。自然北大路行きのバスもなく?(未確認)、京都駅など交通量に左右されそう、時間かかりそうな行先。

帰りは天気も良くないし、手前のバス停から乗ろうかなと思ったけども、人がけっこう多かったのと、行きと同じルートの方が間違いがない、というこだわりがあって、美術館前から🚌乗るのではなく、わら天神へ戻ってしまったのが間違い。

見事に迷ってしまい、みぞれが降って寒い中をしばしウロウロ。1回戻ってリカバリー、わら天神に着いてすぐ来た四条河原町方面行きが空いてたのでパッと乗って座って安楽に40分。四条河原町は市街地中心地で阪急京都線の終点&始発駅。

素直に大学前から京都駅なり四条河原町まで乗っておけば濡れずに済んだんだなバス停は屋根付きだったしと反省。まあいいか、と特急に座るころには忘れてたけど。

京都は月イチくらいは行ってて方角も分かるし慣れてたつもりが、まだ修行不足と実感したというお出かけでした。

2026年1月31日土曜日

1月書評の13

◼️ 津村記久子「ポトスライムの舟」

芥川賞。小説らしい作品だな、と。読みやすく展開は、把握しやすい。

たまたまではあるけど、最近芥川賞を読むことが多い。中には、博多弁で言うといっちょん分からんやったり、やたら理屈が多かもんもあるとばい。しかしながら、この作品は平易な言葉で、設定も展開もオチも分かりやすい。ただ、そこに含まれている意味を言葉でうまく表現できない。

長瀬由起子29歳は、工場でベルトコンベアの乳液のキャップをチェックする仕事をし、夕方からは友人のヨシカが経営するカフェで働き、夜は入力の内職をしている上、土曜日はパソコン教室でお年寄り相手にメールの送り方などを教えている。ある日、工場に貼ってあるポスターの163万円で世界一周、というふれ込みに、この金額は自分の工場の年収と同じ、と気づき、節約を始める。そんな折、母親と住む4LDKの古い持ち家に大学の同級生・りつ子が幼い娘を連れて、ほぼ無一文で家出してくるー。

「ポトスライムの舟」自体は100ページくらいの作品。主人公ナガセの前日譚「十二月の窓辺」も収録されている。

離婚した母に、離婚協議をしているりつ子、離婚を考え始めた、工場でともに働く岡田さん。回りがいろいろと動く中、目標である貯金に向けて働く、細かくカネの計算をしては心を痛めるナガセ。止まらず働く女に、束の間の休息が訪れる。そして心境の変化が・・?

最近意図せず関西ものに当たる気がしている。ポトスライムの舟」は奈良が舞台で関西弁も多い。そしてそちこちに奈良の細かいあるある、が散りばめられる。さて、この作品はお金の算段を中心にストーリーが進む。周囲に影響されて、働いて、エアポケットが生じて、というわかりやすい展開だと思う。

では、何を掴み、どう変わっのか。成長したり、自信を取り戻したり、というのはわかる気がする。ただそれを、えも言われぬグネグネしたような感情、変化の度合いと瞬間をどう表現していいのが、ホントにむずかしい。分かる気はするけど、この胸の中のもの、これがこの作品を読んだ時残るものでは、という気もした。

タトゥー、百科事典が好きなりつ子の娘・恵奈との触れ合い、自転車で走る、など印象的で計算されてそうな要素が織り込まれていていて非常にテクニカルだなと思えてしまう。

等身大の物語、平易な文章とあまり波のない展開。しかし何かある、という確信、あまり言葉にしたくないような気もすふ。様々な知識。小説らしい作品だな、と思ったりした。

モーツァルトの🎹コンチェルト20番

週末はオケ。ソリスト髙木竜馬さんでモーツァルトピアノ協奏曲20番。一度聴きたいと思っていた。モーツァルトはピアノコンチェルトを27曲も作曲しているけども、コンサートでの演奏のされ方を見ていると、20番は人気曲のようだ。

弾むようなイメージのモーツァルト曲とは異なり、デモーニッシュで不穏なメロディであること、だから刺さるようなフレーズも多いと思う。時に緊張感を込めて、硬く、またクールに。楽しめた。聴けて良かった。

近くのオジサマが熟睡、ずっといびきが聞こえてた。寝るのはいいけど静かにね、ってなとこかな。

ショパンコンクール出場者リサイタル

ショパンコンクール本大会に出場した東海林茉奈さん。大会後初の国内リサイタルは地元で。

モーツァルトソナタ5番、グリーグ抒情小曲集より7曲、そしてとても好きな曲、シューベルトソナタ13番。柔らかく、希望と未来の予感に溢れるようなタッチ。

後半はオールショパン。ノクターン、大会でも多くの奏者が弾いていた木枯らしのエチュード、バラード4番に英雄ポロネーズ 、ラ・チ・ダレム変奏曲と盛りだくさん。

MCは苦手だと言われましたが説得力が備わり、演奏は・・ポーランドで学び、ショパンコンクールに向けても弾き込んだであろう、その積み上げてきたものを感じた気がしました。表情も引き締まり、音は柔らかく粒が立ち、しっかりして揺るがない印象。

東海林さんは予備予選で惹かれたピアニストの1人。丸い音、アクセントの付け方がとても良かった。私の好きな内田光子さんに少し似てる感じがしました。

アンコールのプレリュードを弾いた後、お見送りに出てきてくれました。芦屋の子、今後も応援してます😊

1月書評の12

◼️ ロバート・シーゲル「白いクジラ」
 
壮大で芳醇な、地球規模のネイチャー・ファンタジー。3部作2作め。

興味深いザトウクジラの生態をもとにして、人間目線とはまるで違う独特のファンタジーを創作している。可愛らしく微笑ましく、しかし時事的な出来事を取り入れ、深刻な事態が強調される。そしてその中で、荘厳な生への賛美、をクジラ社会の歌や伝説・神話的な、海底での奇跡体験を交えて見事に描き出している。

真っ白なクジラ、雄クジラのフラレカナは同じ群れ(ポッド)の雌クジラ・アリーアとともに沈没船を探検する。そこには大型で肉食の、とんでもない生き物が住んでいた。2人はいきなり襲われるー。

オキアミの大漁場、<世界の果ての氷>への旅。シャチやアホウドリの仲間との付き合い、滋養を蓄えた仔クジラは大きく成長し、「幻視」に遭い「孤独の巡航」へと旅立つ。歌を作り、歌い、耳を澄ます。セイレーンのような危険な生物や石油の流出に遭い、閉じ込められて人間に襲撃される。

私が最も印象的だったのは、治癒の効能がある<炎の泉>への潜航。冷たく水圧の強い深海へ、潜ってゆく。プレートテクトニクスの始点、巨大な陸塊がじりじりとお互いから遠ざかっている場所。地球の裂け目からは赤いマグマが見える。マグマは海水で冷やされて蒸気を発している。心に話しかけてくる声。そして、幻視のような体験。

3部作の最初の作品「歌うクジラ」はフラレカナの父親フルナの物語だった。この2つめは10年後に出版された。次の世代の成長記。石油の流出や捕鯨に反対する団体の活動、核実験で海が死んだエリアなどジャーナリスティックな要素とも大いに取り込んでいる。軸のひとつが人間との触れ合いだ。

もちろんクジラ目線。だからこそおもしろい。昨秋「パトリックとクジラ」というドキュメンタリーっぽい映画を見て大いに刺激を受けた。人間との邂逅、ドローンの導入で自然相手の撮影でも様々なアングルから撮れはする。しかしクジラ目線はほとんどない。ましてや、クジラの生態をよく分かった上で、行動を物語にしてしまう、という描き方には感嘆のあまり唸る。

歌を作り、歌うフラレカナ。海底洞窟その他の情景描写はとどまるところを知らず、表現のキャパが非常に豊かで深い。

完結編の「世界の果ての氷」も読む。独特のファンタジー&ネイチャーストーリーは心地よい。

ザトウクジラのブリーチング(ジャンプ)を見てみたいなあ。

2026年1月25日日曜日

1月書評の11

◼️ 黒岩重吾「斑鳩宮始末記」

古代ものは趣味の1つ。聖徳太子の時代。国内外の不穏さと、殺人事件。

幕末はまあ特別として、時代ものは遡っていくほど好きかな。戦国<源平・鎌倉<平安<奈良・飛鳥・斑鳩という感じ。読んで奈良の独特な土地の芳香に触れると、不思議な感慨が湧いてくる。黒岩重吾氏や永井路子さんは史料を自分なりに分析してその理解を作品に活かしているところが好ましい。

時は物部氏vs蘇我氏戦争から10数年後の西暦600年。皇太子である聖徳太子は、有力豪族ら既得権益を守ろうとする勢力からの反発がある中、身分に関わらず能力に応じて位を与える冠位制度を定めようとしていた。また大陸では隋と高句麗が激しく対立し、援軍の要請も来ていた。

聖徳太子の右腕である秦河勝、その下で調首子麻呂(つぎのおびとねまろ)は犯罪捜査に当たる舎人の長。太子に抜擢されたお役目だ。農家に押し入って15歳の娘を犯して殺した上一家3人を斬殺した事件で、娘に婢として仕えるよう迫っていた中級官人が犯人として浮かび上がる。役所に行く途中の子麻呂は蔓草を結んだ罠に転倒し、飛んできた矢を必死にかわした。誰が、なぜ狙うのかー。

この時代はなかなか複雑。渡来系が活躍する時代、蘇我氏も、主人公子麻呂も、その上司の秦河勝も渡来系氏族である。外国の宗教である仏教が入ってきた時、廃仏派の物部守屋と崇仏派の蘇我馬子との間で大戦役が起こった。結果は蘇我氏の勝利。この物語にも、物部氏側に立った武人、村長らへの迫害や、蘇我氏サイドで戦ったものの、その後馬子と微妙な対立関係にある聖徳太子の立場がベースとして反映されている。

犯罪の動機として、奴婢の女性の悲哀がかなり強く描かれている。自然というかアダルトな話もそれなりにある。身分の高い、また裕福な男はこの時代、複数の妻を持ち、婢女に手を出すのも罪ではなかった。捻っていて興味深いのは、聖徳太子と意を汲んで、獣欲を持つ男に憤りながら、捜査上の関係者の婢女と子麻呂もまた深い関係になり一時期のめり込んでしまうこと。当然、当時でも反則である。

神功皇后の時代から、歴史的にはおそらくもっと古くから、古代は内憂外患の状態であり、暗殺も横行し安定しない。聖徳太子が没した後、一族のいわゆる上宮王家は蘇我入鹿に攻められあえなく滅亡している。その不安定さと少しの神話性が小説になると興味を惹く。想像力が掻き立てられる気がする。

生真面目な子麻呂には、魚足という、鷹揚で世慣れていて有能な年上の部下がついている。このバランスが絶妙だ。しかして犯罪の非道さに比して動機がパターンづいていて、刹那的な気もした。これだけベースを敷いていたらも少し何かあっていいかも、と。

黒岩氏の作品では「紅蓮の女王 小説推古女帝」「落日の王子 蘇我入鹿」「剣は湖都に燃ゆ 壬申の乱秘話」など読んだ。ちょっと古いけども、古代の著作は多いだけにまだまだ先々楽しみだ。

夜空と雪

日曜の朝はうっすら積もったけども基本は晴れなので日中は舞うくらい。たまたま帰りにバーッと降ってダウンが濡れた。やれやれ。寒いけども星がきれい。衝からしばらくの木星が、さんざめく冬の星座の一角で輝き、にぎわいを増している。

見て寝るのが日課です⭐️