2026年3月25日水曜日

3月書評の9

◼️ 星新一「ごたごた気流」

らしく不思議でそそる設定と、どこか民話を感じさせるオチ。

ショートショートではなくて、おおむね20ページくらいのコント集。表題作ほか11篇が収録されている。星新一らしく、昭和っぽいにおいのする不思議シチュエーション。この本は1985年に出て、私が手にしているのは2012年の版。平成でも、令和でも、気軽にスラスラ読めて、おもしろい。

夢で見た人や物が現実になって現れる。触れはしないものの誰にでも見え、夢見た人の後をついて回る。男が夢に見た美女、娘が夢で会った亡父、憧れの歌手、受験する学校の制服を着た自分、独裁者の研究者にはヒットラー・・
(重なった情景)

医者のところに、5年後から時間を遡っていて悩んでいる、という患者がやってくる。自分の人生を逆に辿っていて、定年退職になった会社に復帰したという。その男が極度に恐れていることがあった。それは・・
(まわれ右)

冒頭からどういう結末がつくのか楽しみになる設定だ。ナンセンスに絵面がにぎやか、バラエティに富みそうだったり、時間軸をさかしまにしてコミカルさを出していたり。

このへんがショートショートと短編の違いかとも思うけども、前者ならキレよく思えるオチでも、後者では理屈を求めたくなってしまう気がした。短い話は余韻・・ふむ、という感じだ。少し、んん、と考えてしまう、いつものようなエンドだった。スパン、と来ているけどもどこか民話っぽい、教訓のような物が含まれた寓話のような印象。

ただ、やや長の作品には、どこまでも掘れる、という物語の自由度がある。現象面をたくさん連ねられるので、考えられる場面を並べたり、キャラが多めになったり。それも面白味と言えばそうかもしれない。

やはり設定はワクワクするものでないと。投げかける謎はさすがに魅力的。さすがの星新一、またおりに触れ読もう。

3月書評の8

◼️ 木皿泉「さざなみのよる」

人1人の生は、何か大きなものを遺す。そういう小説。

木皿泉といえば夫婦の脚本家で作家さん。「昨夜のカレー、明日のパン」をかつて読んだ。今回も、ちょっと変わった、ホームドラマ。

ナスミがガンで亡くなった。43歳。夫の日出男、姉の鷹子、妹の月子、さらに仕事関係や学生時代でつながった人々の回想で、ナスミの人となりが語られる。

構成としては既視感がある。視点が次々と、大胆に変わっていく。最後は、また未来までジャンプしたな笑という感じ。

ここまでに、身近な人が逝くというのもそれなりに経験した。故人との過去の触れ合いは遺るもので、ふと脈絡なく思い出したりする。葬儀の場で、意外な面が語られることもよくある。

この作品は、生まれ育ったエリア、静岡と働いた東京、ナスミのそれぞれのいわば航跡をたどる旅。ちょっと変わってて、あっけらかんとして、正義感が強く無鉄砲、ものにこだわらない人柄を示している。いくつか彩りのように捻ったエピソードが出てきて、NHKのテレビドラマが頭に浮かぶ。

それなりにおもしろかったし、例え学校や社会で目立った人でなくとも、長い時の流れの間に多くの人と厚く薄く交わり、あまり意味がないと思われることでも、なんらかのエピソード、印象を遺してゆくんだな、ということを思い直したけども、パンチは足りなかったかな。人1人の生とは儚いけれど、深い。ユーミンがCMで言ってる、ライトでディープ?って感覚かな。言い得て妙でもある。

2026年3月22日日曜日

3月書評の7

◼️ 佐藤正午「熟柿」 

一歩踏み外し、長い苦節の末、辿り着いた先。
我が子への・・想い。

親子の想い、血、というものは。昔文芸の師匠と話したことがある。確か桜庭一樹「私の男」の感想だった。愛というものをバラバラにして、それでも不思議に惹かれ合う断片、それが血というものではないかと、確かそんな論をいただいたと思う。

佐藤正午は直木賞受賞作「月の満ち欠け」を読んだ。古くは「永遠の1/2」の映画を2本立てのうちの1本として大学の友人と観た。今作は評判が良く、書評を実によく見かける。雰囲気だけだが本屋大賞の本命のような気配があって、発表の前には読んどこうと。友人お薦め&貸してくれたコレに手を伸ばした。

妊娠中の市木かおりは酒に酔って寝てしまった警察官の夫を助手席に乗せて雨の田舎道を帰る途上、痴呆症の老婆を轢いてしまう。夫は気づかず、動転のあまり被害者をそのまま放置して自宅に帰ってしまう。

刑務所の収監中に男児を産んだかおりは出所してすぐ、職を失った夫に離婚を切り出され、我が子に会えないまま、独りで生きていくことに。幼稚園に息子・拓らしい子がいるとの情報を知り、会いに行くが・・

あれこれとかおりの人生は、人情にも触れるが、うまくいかないことが多く流転する。様々な出会いと別れがあり、千葉から各地に移り、最後は福岡、よく知っている天神近辺で働く。

微妙で繊細な絡みが多い。各地でかおりは過去を隠し怖れ、安定収入を求めて暮らす。そこにはいい人だが少しプライドの高い先輩仲居さんや、信じられない振る舞いの同室者などが現れては消える。

物語を通じて登場し、不倫を繰り返し危うさを感じさせる友人の鶴子は、かおりの心情を、複雑でデリケートな感情を浮かび上がらせるのに重要なファクターだ。またかおりが最後に選ぶ職業も読み手に微妙な感情を呼び起こす。

そしてストーリーは、予想通りの展開となる、がやはり泣かされた。分からない、知らない、となってもおかしくないのに。そして人の感情や行動は、落ち着いているようでいて、大人になればなるほど、コントロールできない部分が増える、ということを実感させる。

怖さと人生、時間、老い、感情の絡み、そして謎の正体と、救い。コロナ期の影響をも含んでいて、ショックもそちこちにうまく散らしている。それぞれのエピソードじたいは分かりやすく、結果を先に示すのも明快で読者と気持ちのやり取りをしているかのようだ。丁寧で老練な編み込み方。

私は人気のある作品を、どうしても批評的に読んでしまうひねくれものだ、けども、なにか、オーラを感じながら読んでいた。救い。角田光代の名作「八日目の蝉」にはなかったものがそこにあり、じわっとした。

名建築探訪②カトリック宝塚教会

「大洋を漂いつづけていた白鯨がようやく安住の地をみつけ岸辺に打ち寄せられたとでも申しましょうか」(村野藤吾)

住宅街の中の尖塔と、白鯨。「鯨の教会」として親しまれている名建築を訪問。家が密集していて、全容を撮影することはかないません。

本日も建築散歩。宝塚市にあるカトリック宝塚教会。1965年、昭和40年完工。「階段の魔術師」の異名もある名匠・村野藤吾の傑作を観に。阪急宝塚線宝塚南口駅からテクテク線路沿いに。線路から塔が生えている感じ。

この曲線が、鯨という大きな🐳スタイルがいいですね。ミサ終わりをベンチで待つ。聖歌の声を聞きながら、暑くも寒くもない宝塚。事務室で簡単な手続きをして中に入る。

特徴的なのが、波打った天井。鯨の胎内感が半端ない。1枚ずつ手張りの板の集積、そのウェイブは眺めていて飽きない。曲線っすよ。音響をも大事にしたとのこと。

再び事務室で見学終わりを告げ、100円のパンフレット買って帰る。表紙の、村野藤吾のスケッチがいいなあ。みな教会沿いの細い道を通って狭い通路で高架をくぐってたので帰りは真似して駅へ近道😎

教会の皆さんも優しく、気持ちいい訪問でした。原田の森ギャラリーも再訪しようかな。

名建築探訪①甲南漬資料館

昭和5年の名建築、神戸市東灘区の甲南漬資料館を見学。元社長宅の洋館の周囲に漆喰の土蔵様の建物と販売棟があります。

阪神電車の新在家駅から歩いてすぐ。お隣石屋川駅から行く御影公会堂と同じ設計者・清水栄二氏の手になる作品。アール・デコっぽく、東京庭園美術館を思い出したりする。大きくはない建物。でも装飾と遊びはたくさん。窓の形はおもしろいし、照明や鏡までデザインが凝ってるなと。喫茶室はゴージャスで、ふかふかのソファでコーヒーが飲めます。

洋館は開館日であれば見学・写真撮影自由。ウリの甲南漬を買って帰りました。

午前の神戸は肌寒く風も冷たい。ふつうにダウンマフラーの人多かった。

春の建築散歩。1日1つ。またフラフラと😎楽しい😆

3月書評の6

◼️ 泉鏡花「紅玉」

紅玉と烏の黒。魔と現実。不思議なまま終わる戯曲。

泉鏡花の短い作品は尽きることがない。こうして気が向いたときにぱっと読める。今回も妖しそうなのをタイトルでチョイスしたら、得意の戯曲だった。なかなかサラッとは紹介しにくい展開。

売れない画家が酔っ払ってよろよろと歩いている。大きな絵を背に負っているのを見て、子どもたちは凧みたいだと寄っていき、画家も調子を合わせて遊んでやる。

やがて夕方が近づき、子どもたちは輪になって唄いだす。その真ん中に入って、画家は憑かれたように踊る。そこへ、烏の頭部、人の身体をした4つの影が現れ、輪に入る。子どもたちは走って去った。

1人の烏人は三脚に板のテーブルに組み立て式の床机を持ち出してワインを注ぎ、蝋燭の光に翳し、おお綺麗だ、奥様の白い手の細い指には重さうな、指環の球に似てること、などとのたまう。そして自分以外の3つの烏人に気づき、逃げ出そうとするが、勤めている邸の主人とばったり出会う。この烏人はカラスの衣装をまとった女だった。旅行に出ていたはずの主人は、女を捕え、話せ、と詰め寄る。

女は、奥様が虹に手を翳して、その時外した紅玉の指輪が烏にさらわれ・・と意外なエピソードを語り始める。一方、残る3つの烏人は・・

もとは烏の烏人は、指輪をさらった経緯などを話す。人間界を俯瞰して眺めた矛盾などもこぼし合う。あまり劇的には進行せず、画家が起きて幕となる。

最初の方を読んで、まさか後段のように展開するとは思わなかった。暗さを増す中の烏の扮装、そこに着物の裾の赤が見える。そして、奥様の指輪の赤、虹が庭の池に写る情景、過剰な美しさの描写が倒錯をも匂わせているも感じる。妖し好き、色彩好きという著者の特徴が今回もよく出ている。

最後の3羽の烏の話は不穏な、少し危険、グロなものを匂わせる。そこも演出かと思う。

しかし、やはり終わりがなんかもうひとつ、というのは気にかかるかな。これまでだと、結びも見事なものがあった。人体の動きと色とほのかなエロを思わせた「紫陽花」とか。戯曲なのでありなのだろう。

おもしろく意外なストーリー立て、子どもの声はあやかしを呼び、黒、赤、虹色、不穏・・と連なる。やはり、うまいな。

3月書評の5

◼️ ギルバート・キース・チェスタトン
 「ブラウン神父の童心」

対極のヒーロー?やっぱりブラウン神父はめっちゃ独特。すっとぼけた鋭さ。

若い頃にはイメージだけでやめるものがある。いまは鼻歌で出るショパンのピアノ協奏曲1番も、昔は弦だけの出だしを聴いただけで、なんて暗い曲なんだ、とストップボタンを押し、その後何年も聴かなかった。小説の「オペラ座の怪人」も芝居めいた、西洋風のセリフの羅列がどうにもいい感じがせず途中で投げ出した。

ブラウン神父も、ミステリ好きとお互い分かってすぐの先輩に昔借りた。楽しみに読み始めたものの、構成やストーリーの流れについていけない面があって途中で読むのをやめた。以来、多くの作家が影響を受けた作品、と挙げられてるたびになんか古傷がうずく感じがしたものだ。大人になった今は、どうか?たまたま手にしたのでウン十年ぶりに読んでみた。

ブラウン神父。同じイギリスを舞台にした、発表年代がホームズ後期とかぶっている探偵もの。長身痩躯、鷲鼻、鋭い目、精力にあふれるホームズに比してブラウン神父は小さくて丸顔に丸い鼻、眼鏡をかけ、みすぼらしい身なりに蝙蝠傘、動作もゆっくりなイメージ。ヒーローのイメージとはまさに対極。物語の作りもホームズものとはまったく違う。

奇妙な事件が起きて、捜索して手がかりを集め、それを元に人が予想できていなかった明瞭な解決を見せる、のがホームズもの。ブラウン神父は犯罪界の大立て物フランボウを、パリ警察主任のヴァランタンが追いかけている最中になぜかフランボウと行動をともにして、行く先々でおかしな手がかりを残す、という初出演の仕方でフランボウを出し抜く。しかも2人の間で交わされている会話が、理性と宗教について、といった具合。(青い十字架)

フランボウはやがてこの短編集中でブラウン神父のよき相棒になっていく。

上の会話のように、事件が起きた時のブラウン神父の語りは抽象的で幻想譚のような雰囲気を醸し出す。手がかりの中から必要なものを選り分け、真相を組み立てる。ホームズのように調査結果から分かりやすく意外な結論を導き出すのではなく、想像性が強く演繹的な、ズバッとした結論。「イズレイル・ガウの誉れ」など、最後の見開きページで全解決。また「飛ぶ星」も同じような感じで、年老いたフランボウの回想であり劇中劇、という味のある変化球をかましている。

なるほど、意外性といい、改めて読むとその特徴はよく分かる。確かにおもしろい。しかし「見えない男」のようなトリックはちょっと手垢がついていて、あまり感心しなかった。中には、いきなり何人も関係者が出てきて、どうも状況がつかみにくく、集中できない、という話もあった。たぶん前回はこの辺で挫折している。

いまの目で改めて読むと、謎そのものの魅力、漂う幻想性、だからこそ鮮明に浮かびあがる真相の意外性のほか、そしてできるだけ短いタームで一気に解決を図る手法などはかなり特徴的で計算されている。論理だけではなく、証拠にある程度基づいている。外面と英知のギャップを持つ探偵のカリスマ、また仲の良いわけではなく、ずっと緊張感がありながら噛み合わせの良い、のっぽの元大泥棒フランボウと短躯の神職のコンビはユーモラスで、ちょっぴりアンチテーゼを含んだ設定のような気がする。

確かにおもしろい、かも知れない。多くの作家さんが影響されたという探偵もの。さてしかし、若い時分と同じく、やはり途中躓いて時間がかかってしまったのもたしか。良い折りがあれば続きを読むかも、というところ。ただ、結局未完読の「オペラ座の怪人」はいつか最後まで読もうかな。