◼️ 芥川龍之介「ピアノ」
関東大震災と、鳴るピアノ。しばし感慨に耽った。
エッセイなのか作り話か、というところ。でも確かにありそうな掌編。
わたし(芥川?)は或雨の降る秋の日、横浜の山手を歩いていた。関東大震災のため倒壊した家の跡には蓋を開けた弓なりのピアノが鍵盤を濡らしてゐた。
訪ねた先でこみ入った用件について夜まで話し、近近にもう一度面談を約して帰る途上、雨が上がり、雲間から月光が漏れる夜のしじまに突然、ピアノを打った音が響いた。気づくと、先のピアノの近くだった。月明かりに鍵盤が仄めく。不気味になり足を早めると、背後でまたかすかな音がー。
再訪の時、ピアノに近づいたわたし、その鼻先で・・
さて、この話を読んだきっかけは年末の図書館最終日に絵本を見かけたことによる。へー、芥川でピアノ、という読み物があるのか、と。読んでみると1923年9月1日に発生した関東大震災の年の秋に横浜を訪ねている。被災地はひどい有様がまだまだ残っていた、と。
阪神大震災の被災地にいた身としてはどんな光景か想像もできるような。何か月も、倒壊したままの建物もたくさんあったし、街の歩道はひび割れたり波うったりしていたと記憶している。その中で、このピアノが勝手に鳴る、理由は確かに微笑ましい。何らかのたくましさや時間の流れ、虚しさまでもを感じさせる。一種の感慨に浸ると同時に、ただ微笑ましさだけを受け止めるのか、やや罪悪感まで覚えてしまったりする。
ここ数年立て続けに局地的な大地震が起きている現状で、少し内向きになりがちだな、と自分でも思うな。芥川作品としては「蜜柑」などに属する視覚的、そしてさらに聴覚的な特徴が付加された一篇と言えるだろう。季節感も十分だ。
関東大震災では文明開花以来築いてきた近代的な都市に大きなダメージを受けた。川端康成はかつての婚約者を探すため廃墟をさまよった。
発生から数か月後と推定される住宅街の状況、長々とした込み入った用件、雨の日、そして夜。荒涼とした中でのピアノの音。最初は不気味さから入って、のちに風穴のような効果をもたらす。シンプルな原因、だからいいのかも。
私の懸念とも言うべきものは、まあ文芸としては、虚しさも含めて、込められたもの、に入るのかな。実話っぽい。
ふむふむ、でした。
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