◼️小川洋子「ことり」
小鳥、のような小父さんの生涯。人と時代の移り変わり。
小川洋子さんは「猫を抱いて象と泳ぐ」を最近読んで興味を持った。今回は芸術選奨文部科学大臣賞、よく書店でも目につくこの著書を手に取った。
長年ボランティアで幼稚園の鳥小屋の管理をしていた、通称「小鳥の小父さん」は幼少の頃より独自の言語を喋る兄と暮らしていた。社会に出ることのできない兄の言語を理解する唯一の存在として、働きながら面倒を見る。兄弟ともに野鳥を愛し、庭のバードテーブルに来る小鳥を眺め、年に数回は架空旅行という遊びもしながら穏やかに過ごしていた。ある日、突然兄が亡くなる。小父さんは兄が足繁く通っていた幼稚園の鳥小屋の管理をするようになるー。
図書館、公園、近所の薬局と小父さんの行動半径は広くなく、交友もほとんどない。また幼稚園の子どもは大の苦手。だからこそほのかな恋心や公園での些細な出会いが目立つ。
「その時、ツィ、ツィと短く甲高い声が聞こえたかと思うと、さっきよりも更に長く抑揚のついたさえずりが響き渡り、小枝がざわざわと揺れた。空に雫を撒き散らし、それが光を受け、一粒一粒きらめいているかのようなさえずりだった」
穏やかで内向きな生活。その中でこのような輝く表現が差し挟まれ、光る。川端康成「山の音」にも決め、の文章があったなと思い出す。
「すべてが相変わらずのようで、しかし少しずついろいろなことが移ろっていた」
時の変化、取り巻く人、そして自分の老い。この小説のひとつの中心をなしているように思える、さりげない一文に惹きつけられる。
ゲストハウスの管理人という仕事に支障ない程度の社会性は持っているが、自分に関係のないことには基本的に手を出さない。老いた独り身。そして、不穏な事件が起きれば悪い噂が出回る。それは叔父さんの生活に影響を与えていく。
小父さんは小鳥を搾取している場面に成り行きで遭遇し、動揺する。お兄さんにしろ、小父さんにしろ、生涯、そして死の訪れ方さえもある意味小鳥のようだな、と思った。
主人公に喪失と孤独がついて回るなと。「猫を抱いて」もそうだったか。昨今、例えば世の中で自分たち2人だけがただ孤立している、という状況の構築に腐心する作品が多いと感じる中で、小川洋子さんの設定とテーマ性はまずおもしろいと感じるし、全体を貫く芯が良い形を成して見えるとしみじみ思う。また、冗長を恐れておらず、読ませるタイプの作品だと思う。
時と人の移ろい、は誰もが肌で感じる永遠の現象であり、この作品からは和風で哲学的な香りがした。
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