◼️ ローラン・ビネ「HHhH プラハ、1942年」
タイトルの奇抜さに気が惹かれ、やがて来るその瞬間に向けて集中力が高まっていく。
書評と受賞歴で評判はなんとなく分かり、読みたいと思っていた。本を読む前に予備知識はあまり入れない。単純に知らない方が楽しめるから。今回も最初の方のページに書いてある紹介文にはほとんど目を通さなかった。ナチもの、という程度の認識だった。
ナチスの大物幹部、ハイドリヒ・ラインハルト。天才的な実行能力と、狂気とを併せ持ちドイツ第三帝国領内のユダヤ人を絶滅させようともくろみ実行した男。チェコを統括する地位に就いたハイドリヒを暗殺すべく、ロンドンの亡命政府が刺客を放つー。
作者の分身である「僕」が常に顔を出し、膨大な資料や先行書籍、映画まで検分して、歴史に向き合い叙述することの手法や是非をチェックしつつ、自作の執筆に悩みつつ、物語を進めていく。新スタイルの歴史ものとして世界的に評価され、日本でも本屋大賞の翻訳小説部門で2014年の第1位となった。文庫化はおととしと遅かったのが意外だった。
最初はどこに向かうのか分からず、どうももったいをつけてて冗長だなと感じていた。でも暗殺実行者のガプチーク、クビシュがチェコ領内にパラシュート降下をするあたりから集中力が高まって、暗殺の実行そして後日談へと早く読みたいと気が急いていた。
ナチの残虐性を代表する金髪の野獣、ハイドリヒはナチでどのようにしてのし上がったのか?ヒトラーその他の幹部にどう受け止められていたのかも興味深いが、なにより暗殺は成功したのかどうか?鉄槌はくだされたのか、段々とクライマックスに迫っていく感覚。特殊な読ませる文章にゾクゾクする。まだか、と思わせるのも手法の1つだなと再認識。そして暗殺決行時に起きる偶然にはドラマ性とともに現実感が強く伴う。
なにせ従わなくば殺せ、従っても殺せ、という土壌。暗殺後のヒステリーのような悲劇は痛ましい。大きな裏切りとレジスタンスたちの最後の抵抗を経た後の喪失感。エピローグも短めで好感が持てる。
映画にはドキュ・ドラマというジャンルがある。この作品はドキュメンタリーでもなく、歴史的出来事を扱うノンフィクションでもない。スタイルという面での賛辞は多かったようだ。私としては、僕、の登場と語り、という手法そのものよりはやはり、やがて来る決定的なシーンに読み手を惹きつけ、その過程で知識とシンパシーを深めていく筆力そのものに感嘆した、と思っている。リーダビリティ、読み応えが半端ない。
おもしろい読書体験、良い読書でした。
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