健康診断終わりの和歌山豚骨しょうゆラーメン。体重1.7kg増、腹囲1.1cmマイナスだった。腹囲をメジャーで測ってくれた小柄な看護師さんがすぐ私の顔を見て「筋トレしてます?」と。
はい、してます、と答えると、
「筋肉は重いのでこういうこと(体重増のウエスト減)はよくあるんです。気にしないでだいじょぶめすよ」と。
いい人だなあ。昨年に続き心臓に不整脈があるそうで(経過観察)気をつけなければやね。
◼️「鏑木清方随筆集 東京の四季」
美しい随筆に親しむ。西の松園、東の清方と言われた美人画の大家、四季折々の名文集。
一時期京都にゆかりの深い女流画家・上村松園をよく観に行っていた時期、京都で鏑木清方展があった。代表作「築地明石町」をはじめとした作品は涼やつや、季節の風情が匂うようで近年のベスト5に入るような感じ入った展覧会だった。
上村松園や東山魁夷など画家の随筆や講演集は好んで読んできた。だから、目に入った瞬間に手が伸びた。
もともと絵筆よりも文筆を以て身を立てようとも思っていたらしく、多くの文章を残しているとか。この本は大正から昭和20年代後半まで、春夏秋冬の風景、想い出、生活について書いた随筆を集めたもの。東京の下町、まさに築地の近くで育った清方はやがて山の手へ離れ、戦災で鎌倉へ居を落ち着けた経緯があり、下町に住んでいた頃の風情の追憶を綴る向きがあるんだそうだ。
春、夏、秋、冬の順に巡っていくエッセイ。まあ読んでみて驚いた。漢籍や古典の影響も色濃いけれどまあ、流れるようなすばらしい美文の連なり。急がず、時間をかけて機嫌よくフンフン♪と読んでいった。
一握の土に根を託して細い竹に纏(まと)い繞(まつ)わり、朝な朝なに咲き代わる、瑠璃、紅、紫、柿、水色、白は淋しく、絞(しぼり)は意気に、国貞描く趣の、陋巷に艶姿姸(あで)やかなる、市井の美女の如くである。
(あさがお(一))より
きのうの雨のあとを霽(は)れた水色に澄む大空に、刷毛目に颯(さっ)と白いちぎれ雲の飛ぶのを見て、秋は来たと思わせる日が来る。
(秋まだ浅き日の記)
引用してもとても伝えきれない感じがする。さすがに色が清涼で落ち着きもある。取り上げるものがくっきりと切り取られる感覚。清方は女を描く時は季節感を大事にする、ともこの本のどこかに書いていた。その一方で、風呂上がりの女を描写した小説風の一節もあり、やはり女性というものへの観察眼と表現力も浮かび上がってくる。
関東大震災、5.15事件、2.26事件、日華事変と穏やかならぬ世相にも触れられていて興味深い。また、日本の季節感は芭蕉以来の俳諧に教えられてきた、という指摘には、関西の和歌と江戸の俳諧が対になってる気もした。まあそんなに単純なものではないと思うけども。おもしろい見方だ。
赤蜻蛉田圃にみだるれば、横堀に鶉なく頃も近づきぬ、という一葉の文章がひとりでに唇頭に泛(うか)ぶ時になると、いつも私は木犀の香をなつかしむ。
(木犀)
鏑木清方は少年の頃読んだ樋口一葉に思い入れが深いという。私も展覧会で「たけくらべ」のヒロイン、美登利を描いた作品の絵はがきを買って来た。また、鬼才・泉鏡花と懇意にしており、鏡花の小説の挿絵を描いてもいた。川端康成も東山魁夷と親しかったけども、なんかいいすね才たけた文豪画豪の出逢い。
その昔街燈の光が朧銀色に銀座八丁をつつんで、翡翠小暗く柳が繁って、煉瓦の舗道をゆく人たちは魚に似て、明石の袂夜露にしめる、そういう銀座もかつてはあった。
(郷愁の色)
やっぱりめっちゃ好みだな〜。こういう物書きの匠の技は引き継いでいってほしい。どうやったらこんなん書けるのかな。手元に置いておいきたい一冊だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿