◼️夏川草介「神様のカルテ0」
タイトル「神様のカルテ」の本当の意味が明かされるスピンオフ。ふむふむ、なるほど。
「神様のカルテ」はもうずいぶん前に読んだ。朝一番の飛行機で泣き、羽田からのモノレールで泣き、地下鉄で泣きとこれまでの中でも涙した作品上位に入る。今回は主人公の栗原一止の学生時代、研修医として入る前の本庄病院の状況、そして新人研修医の時期などが描かれている。舞台は風光明媚な長野・松本。さらにアルプスへの登山も織り交ぜられる。
まさにスピンオフ、エピソード部分も多い。ただ本庄病院の変遷、事務長と勤務医の対立、現代にあって反則的な激務と変わらず病院のリアルが連綿と書き連ねられる。初めての内視鏡検査で重大な結果が出る。穏やかな患者は突然通院しなくなる。理由は不明ー。一命のかかった状況とのっぴきならない時間、患者の想い。悩む一止。
思い返すと神様のカルテ、1は病院の現実と一止の飄々とした性格と取り巻く人々を描いて、キャラの1人に対して一止が説教をする場面に感動したのだった。2、3は医療を取り巻く状況、さまざまな医師の在り方、など重いものが積み重なって、大人の外面を装いながらももがく一止の姿に、しんとした共感を覚えた。
そこに底流となっているのは、飄々とした態度、ユーモア、やや哀しさを感じさせる楽観性で、今回の「0」もその点健在、同じであることを思い出して、少しく安心した気分になった。
「神様のカルテ」の本当の意味。含蓄のある言葉で、著者が実際にかけられた言葉なのだろうかと考える。ふむふむ、なるほど。「本を守ろうとする猫の話」を創作している著者は、やはり文学的だなと。
続きはないのかな。京都が舞台の最新作「スピノザの診察室」も読みたくなってきた。
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