2024年9月1日日曜日

8月書評の11・12

最初青空文庫で文だけ読んで、後で絵本を読んだから2つになってます。

◼️ 宮沢賢治 ささめやゆき「ガドルフの百合」

ささめやゆきさんの絵で読みたくて図書館。アレンジしているかと思ったら原作の文章はまるまるそのまま。改めて読むと賢治ならではの不思議な、いい意味でひっかかる表現がたくさん。

ハックニー馬のしっぽのような、巫戯(ふざ)けた楊(やなぎ)の並木と陶製の白い空との下を、みじめな旅のガドルフは、力いっぱい、朝からつづけて歩いておりました。

(楊がまっ青に光ったり、ブリキの葉に変ったり、どこまで人をばかにするのだ。殊にその青いときは、まるで砒素をつかった下等の顔料のおもちゃじゃないか。)

ささめやゆきさんは精緻に描くのではなく、かなりシンプルに描くタイプ。絵本によくある1つの傾向ですね。線が太くて力強かったり繊細だったり使い分けもしてるようです。この作品で小学館絵画賞を受賞されてます。

この最初の絵はやなぎの葉、ガドルフの相貌、帽子、シャツなど、青紫系をうまく使った、とても惹かれる1枚でした。

話の筋は嵐の夜に空き家に迷い込んだガドルフが雷光に見える白百合を見ている、というもの。夢の中では豹の毛皮、そして烏の王のようなよそおいの2人が取っ組み合いをします。

闇の中の白百合は対照性があり、そこまで強調はされていませんでした。豹男、烏人はやはり絵にしてみたら面白い。模様を散りばめるのに特徴がありそうな感じでした。

雨がこやみになるとガドルフは再出発。1輪は倒れたものの、しっかり嵐を耐えた白百合の群れに「勝った」という感慨を抱きます。果たして豹と烏の格闘はどんなインスピレーションを与えたのでしょうか。やはり明るいものを予感させ、ハイカラで少しスナフキン的な雰囲気のある旅人ガドルフはひょうひょうと旅を続けていくように思えます。

なるほど、やはりビジュアルが入ると想像外のものも見える。作品について別のイメージを与えてくれる。ふむふむ、でした。


◼️ 宮沢賢治「ガドルフの百合」

観に行った絵本展でタイトルを見かけて、読んでみようと。これをどうやって児童向けの本にするんだろう。

宮沢賢治は童話をたくさん書いている。当然ながら絵本にもなっている。いわさきちひろさんも絵をつけたし、私の好きないせひでこさんも「水仙月の四日」ほか多くの童話に絵を描いている。junaida氏も賢治の童話モチーフの画集を出している。

それ自体はめずらしいものではないけれど、神戸・六甲アイランドの小磯良平記念美術館に観に行った絵本展で作者(多分ささめやゆきさん)のプロフィールの中にこのタイトルがあり、後で気になって読むことにした。

さすがに宮沢賢治のすべての童話を覚えているわけではない。おそらく読んだことのある公算が大きめ。でもやはり記憶になかった。

ガドルフは嵐の晩、道沿いに建っている大きな黒い家で雨宿りをする。家人はいないようだった。中は真っ暗闇で時折稲光りで部屋の様子が見える程度。窓の外に気配を感じて見ると、白百合が10本ばかり嵐の中に揺れているのが雷光で分かった。ガドルフは濡れるのもかまわず、窓の外に半身を出して見守る。

(おれの恋はいまあの百合の花なのだ)

やがて1本の百合が華奢なその幹を折られて地面に横たわった。

(おれの恋は砕けたのだ)

やがてガドルフは階段に座ってまどろみ、豹の毛皮の着物の者、烏の王のように真っ黒くなめらかによそおった者、2人の大男の格闘の夢を見る。

目覚めた頃には嵐はやや収まっていた。ガドルフは外の百合の群れが1本を除いて立っていた。

(おれの百合は勝ったのだ)

ガドルフは出発することにした。

だいぶダイジェストにしてますし、文章には宮沢賢治ならではの言葉が多く使われ、ファンタジックが去りニヒルな雰囲気の中、希望が見えたようなイメージも受けます。

暗闇と稲光りの中で映える白い百合の対比が鮮やか、1本が倒れ他が耐える、この情景や闇の中の格闘はなにかのメタファーに違いないと思えます。格闘する者の格好もやっぱり賢治らしいですねえ。

webで調べると、賢治の恋に関係があるとのことで研究も進んでいるようです。あんまりそこは掘る気になれませんが。

図書館にささめやゆきさんの絵の今作があったので、このなんか大人っぽいとも捉えられる話をどのように児童向けに表しているのか興味津々。次の機会に見てみようと思います。

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