2025年4月21日月曜日

4月書評の7

ラスト寒波時にふったひょう。まあ珍しい現象ではないもののやっぱりうわーっとなって皆見てた。

◼️「梁塵秘抄」

今様、平安時代末期の流行歌謡を集め編まれたもの。楽しさと、うつろい。

仏は常にいませども 
現(うつつ)ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ

今様は歌謡、歌である。平安から鎌倉へ時代の激動を見た後白河院は今様にのめり込み、多くの歌詞を集めた「梁塵秘抄」と歌い方、名人伝などを書いた「梁塵秘抄口伝集」を残した。

先日読んだ村治佳織さんの本で、好きな言葉として挙げられていて、しばらく古典読んでないな、と早速手に取った。

今様は遊女、傀儡、白拍子などが芸の一つとして歌い、「枕草子」「紫式部日記」など1000年代初頭には宮中の貴公子たちが宴会や遊びの時に口ずさんで盛り上がるなどしていた。以後100年の間におそらくは後白河院の傾倒により、内容、歌い方などが真剣に議論されるまでになっていたようだ。

恋ひ恋ひて たまさかに逢ひて寝たる夜の夢は
いかが見る さしさしきしと抱くとこそ見れ

(恋しくて恋しくて、久しぶりにやっと逢って共寝をした夜の夢はどんなだろう。「さしさしきし」と抱きしめると見るだろうよ)

もとは遊びの歌である軽妙であり、人間臭くもある。上品めな和歌に比べ、多少リアルでエッチだったりもする。だからこそ品格やしきたりに縛られた社会ではウケた、という見方もできる。本の解説では、閨の愛撫の悦楽を、擬声語を効果的に用いて濃密に表現している、となっている。

遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば
わが身さへこそ揺るがるれ

(遊びをしようとしてこの世に生まれてきたのだろうか、戯れをしようとして生まれてきたのだろうか、一心に遊んでいる子どもの声を聞くと、私の体まで自然に動き出してくることだよ)

集中もっとも有名だそうだ。子どもの無垢な活力に引き込まれる大人の心持ち。北原白秋、川端康成ら多くの文人の作品に影響を与えた歌詞とのこと。

このごろ京に流行るもの
柳黛(りゅうたい) 髪々 似而非鬘(えせかづら)
しほゆき 近江女 女冠者 
長刀持たぬ尼ぞなき

(このごろ都に流行るものは、眉墨で書いた眉、さまざまな髪型、ごまかしの鬘、しほゆき、近江の女、男装の女、そして長刀を持たない尼なぞいないことだよ)

しほゆきは意味が不詳、近江女は近江を根拠とする遊女の類か。このように風俗を語呂合わせのように軽く楽しく歌うのも今様の特徴だったようだ。

動物や虫を取り上げた軽妙なものもあり、冒頭の歌のように仏教、人生の悲哀が感じられるものもあったような。

それにしても後白河院、長く院政を敷き、鎌倉幕府成立の前夜の時期に度重なる戦乱を乗り越えて、保元・平治の乱を経験し、源氏平家をいなしながら、時に幽閉されたり、義経を持ち上げて後の確執の種を蒔いたりして、続く乱世の渦中で権力の座にあった人。なのに夜も寝ずに今様を歌っていたとはどこにそんなヒマが・・という、いろんな意味でバイタリティーある人だったんだなと。

今様は流行のもの、口ずさみ、消えていくもの。その点は、儚さが現代の芸能や歌謡にも通じるところがあるような。今様も鎌倉時代には衰退していった。時勢にも沿い、機知に富み、人間臭く、活き活きとして、訓示的でもある。何より口にして楽しい、そして消えゆくもの。いまとなってはそんな今様を膨大な書き物にして残した院は、後世に大きな功績を遺した、とも思える。

白拍子で義経とのロマンスで名高い静御前も今様を歌い、後白河法皇の前でも、頼朝の命でも舞った。歴史ドラマでよく見る光景もまた、今様、と捉えればまた別の側面が見えてくる気がする。

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