◼️青木奈緒「幸田家のきもの」
文筆の妙は世代を超えて。幸田文の孫が綴るきものの話はこっくりとして心になじむ。
数少ない写真のきものが艶やか鮮やか、粋で決まっている。文が見立てた、白地に芯がぽつっと黄色い紅梅が埋め尽くしたものの品の良さ、カッコ良さ。フランスのイベント会場で大評判になったという明るい濡れ描きの花のきもの。著者の着姿で本当に目を惹く。文が残した蕨の描き帯も眼福。渋くすっきりとして大人の和ファッションそのもの。
きものの種類と質感、季節の装い、きものの言葉は分かはないが、よくある分からないことに感じる魅力、目に見えない、内在だからこその響きもある。文の言葉と、散らされる日本語の味わい深さ。
雑誌の取材で玉と奈緒が一緒にきものの写真を撮ることになった。何を着ようか箪笥からあれこれと出して、母娘は思い出に浸る。
「献上の伊達締めや三鱗(みつうろこ)を小さく絞った帯揚げ、次々に目になつかしい小物が出てくる。帯枕は使っているうちに角がすれ、母があまり布でくるみ直してくれたもの。紐類もなん本か。手でさわる紐はいつのまにかうす汚れ、きたなくなったことに意外と気づかない。『いつでもきれいな紐を身につけておいとくれ』目の前の紐が遠くなった祖母の声を呼び覚ます」
そして撮影が終わった後の表現。
「撮影が終わり、一行が去ったあとの座敷を開け放してひとしきり、きもののままの母と話した。お客が残していった活気が縁側の明るい陽だまりに留まり、ひっそりした玄関からはさあーっと軽い風が流れこんで常普段の静けさが戻ってくる」
この、きもの知識を散らした、流れるような、さりげなく滋味深い感じにじわっとくる。この感覚は文も、玉も持っていて、いま奈緒で10回めくらいの再会をしている。いやー好きですねある意味マニアックなのかな。
幸田文は幸田露伴の娘で離婚して嫁ぎ先から戻り、43歳で父・露伴のことを書き始めて人気作家となった。幸田文の娘・青木玉も母の死後、実母・文について筆をふるい始めた。そして4代めというか、露伴のひ孫の青木奈緒は祖母と母をしたためる。何度読んでも佳い。
幸田文は大のきもの好きで、そのものの「きもの」という、装丁も素敵な作品をものしている。
私の中では幸田文はベスト・エッセイスト。教養豊かで、感じ方が多彩で、言葉のチョイスも文芸的でなおかつ平易。たまに江戸弁っぽい感じも見え、チャキチャキしてなおかつチャーミングでこっくりとしている。
数年前に青木玉の「幸田文の箪笥の引き出し」という本を読んで衝撃を受けた。知識の豊かさ、判断の速さ、趣味の良さが並外れていた母のもとで育った青木玉もまた、見識と筆の確かさを受け継いでいた。きものの知識、表現力などが味わい深く、また幸田文の思い出話が微笑ましくまた構成もドラマティックに組まれていて、なにより説明を受けてきものの写真を見るとものすごく小粋でかわいらしく見えたりする佳作だった。
正直きもののことはわからない。今回もたっくさんのきもの言葉の意味はほぼスルー。でも良い。言葉と文と写真と。大好きなテイストだ。また文、玉、奈緒を読もうと思う。
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