2025年4月27日日曜日

4月書評の12

◼️ フランシス・ハーディング エミリー・グラヴェット絵「ささやきの島」

ブックカバーは東郷青児「望郷」

才能の出逢い。死と生の狭間。別れと再生。
考えさせる児童小説。

イギリスで評価の高い児童小説作家と、同国を代表する絵本作家、挿絵画家。2人の女性に編み込まれた作品。人の情に基づいたストーリーとファンタジックな世界観、追跡劇。ふむふむ。

領主の娘が死に、渡し守である父のもとに、娘の母親から死者の青い靴が持ち込まれる。娘と同じ14歳のマイロは父に、渡し守には向いていないと言い渡されており、兄のレイフが主に手伝っていた。死者の魂を、靴とともに船で「壊れた塔の島」に連れて行き昇天させるのが渡し守の役割だ。

領主がマイロの家に来て、靴を返せ、と命じる。魔術師の力で生き返らせようと目論んでいるのだ。領主は力づくで靴を取り上げようとした。揉み合いの中で父は突然死んでしまい、レイフは囚われてしまう。靴を持って逃亡し、初めての航海に出たマイロに、父の霊がピタリと付き添うー。

追跡する領主の船には白と藍の2人の魔術師、首のない鳥を操り、5人の死者の魂を連れて船を動かしているマイロに迫るー。

日本神話のイザナギは、死んだ妻イザナミを追い、黄泉比良坂を越えて黄泉の国に至る。また仏教では三途の川が此岸と彼岸の分かれ目だ。マイロの世界の渡し守の航海はまさに死と生のはざまの旅といえる。霧に覆われた海と島へのアーチ・・物語のテンポの速さとはざまの世界、その掟の想像力に読み手の心を委ねる感覚。

領主は暴力を使う。しかし根底には娘への想いがあり、娘の魂もそれを感じている。マイロには父の魂が寄り添っている。少年の大きな体験、それは不器用な父の仕事を通しての、親子のふれあいでもあった。

やがて島に着き、死者が解き放たれる、その表現もまたどこかで聞いたような、でもああ、と感慨を持って見送るような形だった。近しい者にとって死者との永遠の別れは身体の根っこに堪えるような悲しさがある。死者も生への執着があるだろう。再生の形と、悲しみの中の安堵、その見えるところと見えざる新世界とのあわいの意味深さを想う。

フランシス・ハーディングはオックスフォード大出の英才で「嘘の木」「カッコーの歌」などで数々の賞を受賞している。ググると出てくる、黒いつば広の帽子を被り微笑む写真がいかにもな肖像だなと。絵のエミリー・グランヴェットもまたイギリスを代表する絵本作家で日本でも著書が刊行されているとか。

絵の方は白黒青の3色。版画チックでシンプルにも見えるが、幻想的な世界を実に見事に表している。文章のブロックの間にも、靴やロープや船のマークを入れたりと細かく工夫されていて、気がきいている。

いまショパン国際ピアノコンクールの予備予選が行われている。ショパンは、リストが評したように、アンビバレントな感情をメロディに込める。悲しみと喜び、別れと希望、過去と未来。そしてそのあいだ。

コンテスタントのマズルカやスケルツォをこの作品に重ねながら読み終えた。

0 件のコメント:

コメントを投稿