2024年9月28日土曜日

9月書評の12

健康診断終わりの和歌山豚骨しょうゆラーメン。体重1.7kg増、腹囲1.1cmマイナスだった。腹囲をメジャーで測ってくれた小柄な看護師さんがすぐ私の顔を見て「筋トレしてます?」と。

はい、してます、と答えると、

「筋肉は重いのでこういうこと(体重増のウエスト減)はよくあるんです。気にしないでだいじょぶめすよ」と。

いい人だなあ。昨年に続き心臓に不整脈があるそうで(経過観察)気をつけなければやね。

◼️「鏑木清方随筆集 東京の四季」

美しい随筆に親しむ。西の松園、東の清方と言われた美人画の大家、四季折々の名文集。

一時期京都にゆかりの深い女流画家・上村松園をよく観に行っていた時期、京都で鏑木清方展があった。代表作「築地明石町」をはじめとした作品は涼やつや、季節の風情が匂うようで近年のベスト5に入るような感じ入った展覧会だった。

上村松園や東山魁夷など画家の随筆や講演集は好んで読んできた。だから、目に入った瞬間に手が伸びた。

もともと絵筆よりも文筆を以て身を立てようとも思っていたらしく、多くの文章を残しているとか。この本は大正から昭和20年代後半まで、春夏秋冬の風景、想い出、生活について書いた随筆を集めたもの。東京の下町、まさに築地の近くで育った清方はやがて山の手へ離れ、戦災で鎌倉へ居を落ち着けた経緯があり、下町に住んでいた頃の風情の追憶を綴る向きがあるんだそうだ。

春、夏、秋、冬の順に巡っていくエッセイ。まあ読んでみて驚いた。漢籍や古典の影響も色濃いけれどまあ、流れるようなすばらしい美文の連なり。急がず、時間をかけて機嫌よくフンフン♪と読んでいった。

一握の土に根を託して細い竹に纏(まと)い繞(まつ)わり、朝な朝なに咲き代わる、瑠璃、紅、紫、柿、水色、白は淋しく、絞(しぼり)は意気に、国貞描く趣の、陋巷に艶姿姸(あで)やかなる、市井の美女の如くである。
(あさがお(一))より

きのうの雨のあとを霽(は)れた水色に澄む大空に、刷毛目に颯(さっ)と白いちぎれ雲の飛ぶのを見て、秋は来たと思わせる日が来る。
(秋まだ浅き日の記)

引用してもとても伝えきれない感じがする。さすがに色が清涼で落ち着きもある。取り上げるものがくっきりと切り取られる感覚。清方は女を描く時は季節感を大事にする、ともこの本のどこかに書いていた。その一方で、風呂上がりの女を描写した小説風の一節もあり、やはり女性というものへの観察眼と表現力も浮かび上がってくる。

関東大震災、5.15事件、2.26事件、日華事変と穏やかならぬ世相にも触れられていて興味深い。また、日本の季節感は芭蕉以来の俳諧に教えられてきた、という指摘には、関西の和歌と江戸の俳諧が対になってる気もした。まあそんなに単純なものではないと思うけども。おもしろい見方だ。

赤蜻蛉田圃にみだるれば、横堀に鶉なく頃も近づきぬ、という一葉の文章がひとりでに唇頭に泛(うか)ぶ時になると、いつも私は木犀の香をなつかしむ。
(木犀)

鏑木清方は少年の頃読んだ樋口一葉に思い入れが深いという。私も展覧会で「たけくらべ」のヒロイン、美登利を描いた作品の絵はがきを買って来た。また、鬼才・泉鏡花と懇意にしており、鏡花の小説の挿絵を描いてもいた。川端康成も東山魁夷と親しかったけども、なんかいいすね才たけた文豪画豪の出逢い。

その昔街燈の光が朧銀色に銀座八丁をつつんで、翡翠小暗く柳が繁って、煉瓦の舗道をゆく人たちは魚に似て、明石の袂夜露にしめる、そういう銀座もかつてはあった。
(郷愁の色)

やっぱりめっちゃ好みだな〜。こういう物書きの匠の技は引き継いでいってほしい。どうやったらこんなん書けるのかな。手元に置いておいきたい一冊だ。

2024年9月25日水曜日

Hayabusa!

今月2回めの3連休は特段どこも行かず、午前買い物、ご飯作って片付けて洗濯して掃除して、合間に本読んで、の日々でした。きのうは雨の止み間に、傘をささずに外出したらすぐにけっこうな強さで降ってきて、帰りはいっぱいの荷物背負って足下びしょびしょに。家に近づくと弱まるというあるあるの展開でした。

きのうの晩からは空気が入れ替わった感じで涼しくなりましたね。風も気持ちよく、冷房いらず。肌寒さを感じるくらい。

夏の想い出ほうじ茶最後の一杯に梨をむく。梨大好きやねまた買ってこよう。

土日は主に🏀のU18日清トップリーグを観てた。男子は興味深い対戦が続き、インターハイ王者東山が八王子学園八王子に敗れた。福岡大大濠は八王子、京都精華学園に勝ち、3連勝で唯一の全勝に。まあまだまだ強豪チームとの対戦が残っている

で、録画していた小惑星探査機はやぶさ🛰️を取り挙げた新プロジェクトXを観た。

初代はやぶさは最新鋭のイオンエンジンを積み、小惑星イトカワにタッチダウン、弾丸を撃ち込み舞い上がった岩石を採取、耐熱カプセルに格納し地球に届ける世界初のサンプルリターン・ミッションに挑んだ。

しかし数々のトラブルが発生し、ついには通信途絶、つまりどこにいるのか分からず行方不明となる。2か月後奇跡的に通信を回復したはやぶさは3年遅れで地球へ帰還しサンプルの入ったカプセルを残して大気圏に突入、燃え尽きた。

もう昼間から涙にむせんでしまった。イトカワから、日本とスペインくらい離れた距離に彷徨っていたはやぶさの復活、数々の故障を抱え、長い長い旅の結果ボロボロになって故郷の地球に帰還、最後はカプセルを産み落とし、地球の姿をその眼に刻み込むかのような写真を最期に送信し、燃えてなくなった。

オーストラリア上空ではやぶさの分解、そしてすぐ下を飛ぶカプセルの軌道のまっすぐな光の線が残る映像にはやっぱり感動する。

指令センターがあったJAXAの相模原キャンパスで実物大模型の写真を撮って、近くのプラネタリウムではやぶさの特集上映を観て、東京近くの会場にカプセルの展示を見に行ったなと。

はやぶさ2にはキャンペーンで私の家族の名前の入ったマイクロチップが載っていた。今回検索してみたら、リュウグウ往復の乗車証明書をDLできた。リュウグウに落としたターゲットマーカーにも名前の入ったメディアが、いまだにあるはずだ。

すんません語りたかったんです😎本も読んだし映画も観に行ったし。前回の星野道夫といいなんか懐古趣味ですな😅

夢のあるミッションがまた成功して、何らかの形で分かち合えればいいなと。本はまた再読しようかな。

ブルークリームソーダ!

夏にはだいたいクリームソーダを3回つくる。1つは深い色のグリーンソーダ。That's Cream Soda!という感じになる。そしていちご🍓かチェリー🍒のレッドソーダ。

ブルーは今年作ろうとしたら行きつけのスーパーにいつもあるブルーソーダがなかったので保留となっていた。今回は別のとこで入手。涼しくなるとともに夏の宿題を終えることができました。

ミュシャ展のチラシ折ってブックカバー。前の「図書館奇譚」がイレギュラーなサイズだったので過去に作ったこれが登板。たまにはいいねっ😆

9月書評の11

◼️ 村上春樹 カット・メンシック「図書館奇譚」

不思議なライトホラーの短編に、ドイツ気鋭の女性画家が絵を描いた本。ふむふむ。

図書館でこんな本も出てるのかとふと目に留まってすちゃっと借りてきた。もとは文庫の短編集に収められている一篇だという。さてさて。

ぼくはむくどりを飼っていて、母親はぼくが犬に噛まれてからかなり心配性になっている。図書館で持ち出し禁止の本を読むため別部屋に案内するという不思議な老人にだまされ、ぼくは地下の牢屋に監禁される。老人の召使いはどこかしら抜けたような風情の羊男。夜、食事を運んできた美少女の提案で新月の夜に脱走することになるー。

従順すぎるぼく、弱気な羊男。帝王のような老人。脳みそをちゅうちゅう吸われる、借りた本「オスマン・トルコ収税吏の日記」でぼくは主人公になりきり3人の妻を持つ、黒い大きな犬とむくどり、毛虫やむかで。

すべての要素がつながって不思議でダークな世界と人間の潜在意識を造形している。ラストはぼくがこの暗黒世界を懐かしみ、続編があれば図書館にまた行ってるだろうな、と思わせる。

これら多くの登場物を、暗い配色、現代風でまとまった筆の挿絵、著者があとがきで述べるところの「鋭い切っ先を持つタッチ」「鮮やかにイマジナティブな、そしてどこまでもダークな地下世界」が物語と共鳴して雰囲気を盛り上げる。羊男は文章上のキャラに反してめっちゃ不気味に描かれている。

もともとは日本の画家と絵の入った大人の絵本という企画で出版したところ、ドイツの出版社が自国の絵描きの絵を使って刊行したい、と言ってきて、てきたものを日本語版にしたものだとか。おもしろいことにイギリスやアメリカからも同様の申し出があったとのことで、それぞれすでに刊行されているはすだ。

ふむふむ。なるほど、そういうものか、という感じだった。たまに触れる、出版業界、本の企画。転がる時にはころがるものなんだな。

9月書評の10

◼️星野道夫
「森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて」

ユーラシアとアラスカ、つなぐものはワタリガラスの神話。スピリチュアルな探究。

京都の星野道夫写真展に行ってきた。アラスカに拠点を置いた写真家・エッセイスト。見たことのない悠久の世界の写真に、深い思惟と感覚が融和したような文章には強く感銘を受けたもの。彼はワタリガラスの伝説を求めてアラスカからシベリアへと渡り、カムチャツカ半島でヒグマに襲われ急逝した。

星野道夫は10代の頃アラスカに憧れ、当地の村長に受け入れてくれるよう手紙を書いて、返事が来たシシュマレフというベーリング海に面したイヌイットの村で3か月ほど過ごした。後アラスカに居を構えた。

鯨やアザラシの漁で生きる人々、北極圏のオーロラや氷河、ホッキョクグマ、グリズリーやカリブーなどの動物、山、森、ユーコン川の旅,さらには物資などを運ぶ黎明期のパイロットの男女などを紹介する数々の著作がある。

そして、生前最後の記録となった本書はよりスピリチュアルだ。氷河期にベーリング海は干上がってベーリンジアという平原となり、そこを伝ってユーラシア大陸のモンゴロイドはアラスカに渡ってきた。そして南北アメリカへと散っていったー。星野はそこにロマンを感じ、イヌイットやインディアンに伝え続けられているワタリガラスの伝承を取材する。それは彼らのアイデンティティを問うことでもあった。

写真展ではこれまでの著作から写真と文章を抜粋して展示、ほとんどは覚えていてひどく懐古の念に打たれた。初読のハードカバー版は東京に転勤して帰ってきたどさくさに紛失してたので文庫版を会場で買ってきた。

クリンギット・インディアンの墓守で不思議な能力を持つ男、ボブ・サム。カナダ国境に近いクイーンシャーロット島へとインディアンが作り打ち捨てられている多くのトーテムポールを見に行く旅、ワタリガラスの川タティシンシィニ、ザトウクジラ、リツヤ・ベイの怪物、旅をしながら星野はワタリガラスの伝説を追う。そしてロマンを求め、シベリアへー。

シベリア編はメモ書きと写真のみでエッセイの形になっていない。遺された記録と、星野氏の記憶の断片。最後近くの、ベーリング海を見渡せる、鯨の骨の遺跡の写真には圧倒される。

サイコーに好みの1冊です。

星野道夫展

星野道夫はアラスカに拠点を置いた写真家、作家で、1996年にヒグマに襲われて亡くなった方。当時ほとんどの著書を読みました。自然、イヌイットやインディアンの暮らしと現状、歴史、伝説などを元にした写真入りのスピリチュアルなエッセイには強い感銘を受け、それはいま読んでも変わらないですね。だって極北の地で太古から繰り返され、いまも続く営みが主要な内容だし。写真を見ながら、あの本のあのシーン、と懐かしく思い出してました。

BJ展

先日は京都でブラックジャック展と星野道夫展のハシゴ。BJは主に各話を短いダイジェストで紹介してある展示で、ほとんど覚えてます。でもテーマ別にたくさん並べてみると、新鮮なものが見えてくる。

白血病になったピノコに「お前に生きてて欲しかった」と告げるシーンとか、大事故に遭ったBJの身体を治した本間先生の最期の回とか、患者を励ましたり、悩む姿を見ていると、上気してホロリと来てしまいました。孤独に見えるBJにもそれなりに温かい知人友人がいたりして、作品に深く刻まれた年輪を見る思いでした。

十五夜

十五夜の前日に明日曇るかもと押さえに撮って、そしたらぜんぜん🆗でキレイに見えて、SNSの画像を見てたら口がお団子に🍡なったので昨夜の満月もあー食べたいなと過ごして2日後のきょうやっと買ってきました。自分で炒ったほうじ茶で。うまいなあコンビニ団子だけど。

今回は衝、軌道上で地球と並び最接近した土星🪐(アップの月の右)が伴走してます。

きのうまで読んでた本はイレギュラーな大きさだったから絵本原画展チラシでブックカバー。ちょっと気分いい😎

9月書評の9

◼️ くどうれいん「桃を煮るひと」

盛岡在住の若い著者、料理・食べ物に関する短いエッセイ集。ナチュラルで、瑞々しい。

X、Twitterでよく著者の本が上がっている。そのうち読んでみようかと気にしてて、ある日図書館に行ったら目に留まったのでパッと手に取った。

食べ物に関する1〜数ページのエッセイが連なる。料理好きが伝わってくる。盛岡ならではの食材の紹介も盛り込まれている。でもグルメでも料理本でも観光本でもない。

ざっと挙げると、

カリカリ梅、即席オニオンスープ、ミニトマト、じゃがいもの味噌汁、もずく酢のサラダ、ファミチキ、生春巻き、とろろ、など。必ずしも作り込んだり、高級なものでもない。

地元特有はいくつか。盛岡冷麺と梨、柿、くるみ餅などなど。

小気味よく、おいしそうに、をじわりと出すのは腕だなと思う。各話が必ず想い出、過去の出来事に結びついている。そこがみそっぽいかな。

「迷ったら炒飯」は大賛成、表題作「桃を煮る人」と次の「焦げちゃった」そしてさらに次の「ねずみおにぎり」が3つともよく出来てて面白かった。炊き立てのごはんで塩おにぎり、かなりそそられる米のごはん好き。

声を出して笑ったのは「どら焼きの女」なんでそう追い込まれるかな笑^_^

なんか、ナチュラル。1994年生まれの女性の手からは恋愛のテイストも散らされている。

なるほど、ほどよく気持ち良い筆致。長く重い小説の後にでもまた読んでみよう。

9月書評の8

◼️ 星新一「白い服の男」

SF的コント集。なんでもありで、人間洞察も含む。だからおもしろい。

長編がロマンで、短編をコントと言うことを知ったのはいつだったか。いま星新一原作の15分ドラマシリーズを観ている。表題作のドラマもあり、読んでみる気になった。

【白い服の男】世の中から「戦争」という概念ごと消し去ろうという方針のもと、特殊警察機構は、きょうも違反者を摘発している。過去の戦争の情報に触れたりするのは重大な違反で射殺も視野に検挙に向かうー。

【悪への挑戦】
犯罪の瞬間を再構成、警察の捜査、犯人逮捕、裁判の模様を詳細に撮影し、最後に生放送で死刑の場面を流す大人気番組「悪への挑戦」は犯罪発生率の低下に大いに役立っていた。番組ファンの若い女は偶然の成り行きから逮捕されー。

【時の渦】
人類は突然、ある日時以降のことは予想も検討もできなくなった。気象、経済、スポーツ・・コンピューターすら、通常「ゼロ日時」から先の予測が出来ない。30歳、母も恋人も亡くした若い孤独なサラリーマンもついにその日を迎えた、そして、世界にはさらなる異変がー。

なかなかシビアで大仰な仮定の世界。おもしろそうでしょ^_^

まさに奇想天外で、なにかしらのアイロニー、アンチテーゼを含み、間のリクツはすっ飛ばし、飄々としてユーモアを交えながら、オチに向かって興味深い展開をする。まずは発想力、そして構成力。昭和という時代も見える気がする。

不可解な状況で発見された遺体の捜査が意外な犯人に行き着くまでのドタバタを描いた【矛盾の凶器】もおもしろかった。

この本は1974年、昭和49年に出版され、私が手にしているのは令和4年刷。国民に愛される作家と言っていいだろう。散発的にしか読んでないけども、どれを手にしても楽しそう。折に触れ読もうと思う。

この本には入っていないが、ドラマの中では【見失った表情】という話が良かった。大多数の人が美容整形をする世界。主人公の女・アキコは整形した上に違法な「表情操作機」を装着する。大学時代の同級生の男・黒田は、彼女が踊るように歩いているのを見て、アキコではないかと声をかける。黒田も整形していて、互いに別人のようになっている、気づく原因をダンスに求めたことになるほど、と感じ入った。その後2人は夜景の川沿いで踊るー。見どころ満点、星新一らしい展開もあるけれど、気持ち良いハッピーエンドの話だった。

話は戻って【白い服の男】。
ドラマでは、特殊警察機構の署のロケ地、要塞みたいな建物に目を引かれた。調べてみると、所沢にある隈研吾事務所監修の角川武蔵野ミュージアム。新しいコンセプトの建築、図書館、美術館の複合施設だという。ワクワクするね。行ってみたいな〜。

2024年9月17日火曜日

9月書評の7

◼️ 石川 直樹/文   梨木 羊/絵
「シェルパのポルパ 火星の山にのぼる」

山岳写真家さんの絵本。これって宇宙好きゴコロをくすぐります。

ヒマラヤに住む若者ポルパは、村中の雑事を手伝い、さらに世界中から来る登山者と荷物を運んだり緊急対応をしたりと山に登って暮らしている。ポルパは火星にはエベレストよりもっと高い山があると聞き、どうしても行ってみたくなります。

シモーヌさんに火星へ行けるヘリコプターを借り、村中総出で準備、ポルパと、いつも一緒のヤク、プモリはついに火星に降り立ち、登山を始めますー。

火星にはすでに無人探査機がいて、ワクワクするような鮮明な画像を送ってきている。地球以外の星で空が明るくなっているのを見るのはSFの世界が現実化したようで、また丘を超えると人家なぞありそうで、ホントに不思議な気がして、憧れが募る。

ポルパが登る火星のオリンポス山は標高が2万2130m、違いが分からないけども,地表から27kmまで山体が立ち上がっているという。エベレストの3倍だ。傾斜は緩やかでそのぶん山頂のカルデラも広く富士山がすっぽり収まるとか。

地球の半分の半径の火星にしてこのような巨大火山があるのは、ワクワクして、ポルパの気持ちがよく分かる。大気の薄い火星ではオリンポス山の山頂はすでに宇宙であるとのこと。その辺も絵には表れているからニヤッとなったりする。ちなみに地球では大気がほぼなくなる地上100kmからを一般的に宇宙としているとか。


文を書いた石川直樹さんは写真家として有名な方で極北、山岳の写真集やエッセイ集を出している。先日テレビでおすすめとなっていたのでエッセイを読んでみようと思う。


オリンポス山は、活火山の可能性があるそうだ。生きてる間に噴火したりしたらどうなるんだろう。

いつか人類は、ポルパとプモリのように、火星の青い夕焼けを見るのか。たまらないですね。ロマン心がうずきます。

救いがない作品の場合

カンヌ映画祭出品作の日本映画「ぼくのお日さま」観てきました。

北海道の地方に住む吃音の小学生・タクヤは夏場の野球にも冬のアイスホッケーにも身が入らない。ある日同じスケートリンクで滑るフィギュアのさくらに目が留まり、憧れる。練習後も1人フィギュアの真似ごとをするタクヤに、かつて有名選手だったさくらのコーチ、荒川が教え始め、やがてペアでアイスダンスを練習することを提案するー。

途中までの展開がとても順調で、つまり破局を予感させる。その種は充分すぎるほど撒かれているので、観ている方はいつ来るか、どう来るか、と緊張する。傷ついているから過去は美しいのか。刺さるのか。モヤモヤと悲しくなる。読書で言えば角田光代「八日目の蝉」にも似た感情。なんとかしてあげたい。

北海道の大自然と3人、記憶に残るきれいさでした。

クラシックのコンサートは短パンTシャツは私コードにはないので長ズボン履いて、映画も雨降るから気温はぐっと下がると天気予報で聞いた気がして半袖重ね着に長ジーンズ👖で行ってたら陽射しバッチリでめっちゃ汗かいた。予定のないきょうは短パンで少しホッと。それでも暑いですな〜まだまだ。

佐渡裕さん!

地元のホールで佐渡裕さん指揮、ソリスト🎹期待の神聖亀井聖矢さん。前の方の端の席でほぼ真横から指揮者とピアノ鍵盤がよく見える。いつもショパンの曲の時はショパンコンクールの場にいるつもりで聴く。亀井さんのショパン協奏曲1番はファイナルの課題曲。ノリノリでエレガント、という印象。自分の表現したい曲調をオケとマエストロに理解してもらっている信頼感があるように思えました。アンコールは英雄ポロネーズで、決意表明にも思えました。

交響曲はブラームス4番。深みを感じるフレーズ。メリハリの効いた演奏、憂いと喜びとを繰り返す。アンコール演奏後写真撮影可。終演後は佐渡さんサイン会。とても楽しかったです。ありがとうございます、とお伝え、世界の佐渡ユタカと2ショットでパチリ。最後はガツっと握手して「またいらしてください」とお言葉をいただき、気持ちよく家路に着きました。

2週連続のコンサート、6月以来だったかな。そして年末まで当面予定なし。まあそう言いつつ去年みたいにポコポコと気が向いたら行っちゃうかもですが。9月シリーズは充実してました。

10月書評の6

◼️ジェローム・デビッド・サリンジャー
 「ナイン・ストーリーズ」

ユーモアとキレには感心させられる短編集。意図が感じられたり、汲み取れなかったり、というとこはアメリカン?

勝手な印象だとは思うけれども、アメリカの小説は大きな流れがあるというよりは、全体で細かい機微をあぶりだすものが多いかなと。会話を多めに使ったりすると興醒めだったりもする。また微妙な間合いを読みきれないこともある。

サリンジャーみずからセレクトしたという9つの短編集。上の印象にユーモアとキレとを含ませた、というイメージ。

「対エスキモー戦争の前夜」はテニス少女2人の相克と微笑ましい和解。「笑い男」は少年たちと野球遊びをする青年の恋。「小舟のほとりで」は母子の関係性が興味深く最後の最後にほうっとする。

「エズミに捧ぐ」は自らの戦争体験からだろう、心に負った傷が柔らぐ瞬間をじわっと追体験するシンプルな話で、「愛らしき口もと目は緑」はコントのような喜劇で「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」はピカソと親友と嘘八百を並べたて美術学校の教師になった男の、やはりコメディぽい話だ。

この人の長編は、ちと合わなかった覚えがある。今回、短編はどうしてどうして、と意図が分かるものには感心した。最初の物語あたりではうーんやっぱりアメリカンな・・とやや敬遠気味な心持ちになってしまったけれど持ち直して読み終えた。

短編はタイトルもおもしろいね。これくらいでなければ。

10月書評の5

◼️ジェローム・デビッド・サリンジャー
 「ナイン・ストーリーズ」

ユーモアとキレには感心させられる短編集。意図が感じられたり、汲み取れなかったり、というとこはアメリカン?

勝手な印象だとは思うけれども、アメリカの小説は大きな流れがあるというよりは、全体で細かい機微をあぶりだすものが多いかなと。会話を多めに使ったりすると興醒めだったりもする。また微妙な間合いを読みきれないこともある。

サリンジャーみずからセレクトしたという9つの短編集。上の印象にユーモアとキレとを含ませた、というイメージ。

「対エスキモー戦争の前夜」はテニス少女2人の相克と微笑ましい和解。「笑い男」は少年たちと野球遊びをする青年の恋。「小舟のほとりで」は母子の関係性が興味深く最後の最後にほうっとする。

「エズミに捧ぐ」は自らの戦争体験からだろう、心に負った傷が柔らぐ瞬間をじわっと追体験するシンプルな話で、「愛らしき口もと目は緑」はコントのような喜劇で「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」はピカソと親友と嘘八百を並べたて美術学校の教師になった男の、やはりコメディぽい話だ。

この人の長編は、ちと合わなかった覚えがある。今回、短編はどうしてどうして、と意図が分かるものには感心した。最初の物語あたりではうーんやっぱりアメリカンな・・とやや敬遠気味な心持ちになってしまったけれど持ち直して読み終えた。

短編はタイトルもおもしろいね。これくらいでなければ。

9月書評の4

◼️ 中村安希「インパラの朝」

リアルな何かを探して、ユーラシア、アフリカ、2年の旅。突き当たった想いはー。開高健ノンフィクション賞、高校生読書感想文コンクール課題図書。

昔シンガポールで働く女性に訊いた。なぜ海外を選んだのですか、と。当時は男女雇用機会均等法が施行されて数年のころで、まだまだ女性は一般職で採用された人が多い時代。アジアに進出している日本企業にローカル採用という条件で入れば相応のポジションに就けるため、語学を勉強して現地へ行く人が多くいた。海外でも日本企業同士、日本人向けの取引や付き合いが多く、駐在員としての保証をしなくてもいい日本人の人材は貴重だったらしい。彼女は問いに答えて、海外のほうが、自分を発見できる、知らない自分に気付ける、と言った。

だいぶ私的な書き始めになった。26歳の著者は、何かを求めた。先進国で、安全で衛生的で物価が高くてあくせくした生活にはないものを。2年間で47か国を巡るバックパッカーとしての旅に出た。

中国チベットネパール、東南アジアへ下ってからインドのパキスタン大使館では危険だから行くなと言われながらも固い決意で入国しキルギス、ウズベキスタンではイランに入国するため偽装結婚をし、中東アラビア半島の先のイエメンからジブチへ紅海を渡りたくて2度目の結婚をして貨物船でついにアフリカ大陸へ。

アフリカ編は経験と洞察に富む。アフリカは搾取されていて、アフリカ人もそれに慣れきっている。底抜けに親切で明るい人々もいるかと思えばバスやトラックの値段交渉ではふっかけられる。外国人はお金持ちのはずだ、富める者が払うのは義務だ、と。

アフリカのリアルはどこにあるのか?国際援助の実態が描かれ、著者は現実に立ち止まり、悩む。自分はリアルを見に来た。来る前に理想を思い描いていた。国内でよく喋るだけの人たちよりはリアルを体験した。一方でしょせんは裕福な国から来た旅人、という立場も痛感する。クールな視点、したたかさと社交性を併せ持ち強く旅をしている中で、理論と鋭敏な感性が交錯する。

常に働いてないと暮らせない先進国の人々ー、少しくハッとさせられる。旅の楽しみ方を知っている著者を羨ましくも思う。しかし自分にはとてもできない、だから楽しめる。

シンガポールの彼女は、若くして日本人の支社長の次の地位を与えられていて、支社長不在のおりにはシンガポール人、中華系、インド系、マレー系の社員たちを統率する立場にあった。なぜ同じローカル採用なのに彼女の待遇はいいのかと反発されることも多かったとこぼしていた。

本書には、20代ならではの勢いと、年配から見て、悪い意味でないアオさもよく出ていて、みずみずしい。なんかこう、上手にたたんでしまわないところがいいな、と。

バックパッカーにはなれないけど、また旅がしたくなってきた。旅ものはたまに読まないとね。

2024年9月8日日曜日

Eva!

日が短くなって、帰り道は不思議な明るさの薄暮。先日は細い三日月とスピカ、金星が並んだとか。明るくて見えなかった。

朝晩は涼しくなって来ましたが、通勤の朝は外に出たとたん強烈な日差しが。サングラスで通ってます。日中街をうろつく土日はまたバテる。

先日は好きなパターン、大きな書店併設のカフェで昼食、小一時間ほど本読んでから、俊英、エヴァ・ゲヴォルギヤンさんのリサイタルへ。20歳のピアニスト🎹。

LIVE配信越しに見ていた人のリアル演奏はやっぱり不思議な感じがします。当時は若さの勢い、という印象もありました。でも今になって動画を見返すと(ショパンコンクールの演奏は全て無料でYouTubeで配信されてます)しっとりした感じが強い。

果たして生は、また成長度合いは、というと、思ったより音が大きく、ダイナミックさと上手さがミックスされた演奏でした。後半はショパンのプレリュード、24の前奏曲。丁寧に、揺らすように、時に急に、そして情感豊かに。

今は世界中でコンサートに出演しながら学生として学んでいるようです。みずみずしく、さらに成長している感じがしました。

腰の下まで伸ばしたトレードマークの長い髪は演奏中に泳ぎ、腕に絡む。グリーンのドレスがよく映えてヒロインは確固としたピアノを披露する。

ベートーヴェン、ブラームス、ラヴェル、ショパン、アンコールはくるみ割り人形から2曲、そして・・ピアニストが座ると喝采が一瞬で鎮まる、そして最初の音を聴いた時、ハッと聴衆が気づくラ・カンパネラ。何度聴いても感動しますね。

終演、ステージ上で通訳を通して挨拶。そしてサイン会。ピアニストが出てくると、ホール部分に拍手が湧くというコンサートの風景は好きですね。記念撮影も応じてくれました。今後も応援するよまた来てねー😎

翌日午前中までバテを感じてて、買い物だけして帰ろうとヘロヘロな気分だったのですが帰りのバスに乗ったら急に元気になってきて、さあ今からどこへでもいけるな、なんて思っちゃったのでした。来週からの連続3連休は何しようかな😉

9月書評の3

◼️周防柳「逢坂の六人」

古今和歌集の撰者である紀貫之の物語。幼き貫之と六歌仙の面々の交わり・・当時のアレもこの陰謀も。

「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」

古今和歌集仮名序。何回読んでも好きな文章。みそひともじ、三十字あまり一文字好きな人には建て付けからしておもしろそうな物語。

在原業平や小野小町に可愛がられ、壬申の乱からの歴史を渡来人の子孫という大友黒主に聞き、歌の代書屋、文屋康秀に宮廷の噂話を吹き込まれ、僧正遍昭の寺ではいわゆる胎内巡りでまつりごとの陰謀を聞かされる。琵琶湖のほとり、山城と近江の国境、逢坂の関を舞台に幼き紀貫之は引き回され、夢うつつ、歴史の走馬灯にさらされる。

なぜまたそう年端もゆかぬ紀貫之ばかりにこんなアダルトな裏側の真相までと、出来過ぎの感もある。しかし歴史のドラスティックさと文学、そこには大小の政治のうねりが底流となるのはかえって自然なおもしろさかもしれない。

中大兄皇子とともに蘇我氏を倒し藤原の姓を賜った中臣鎌足。しかし壬申の乱では天智天皇方が敗れ、藤原氏は一時失墜する。しかし傑物藤原不比等によって復活した後は反感を買いながらも権謀術数を尽くして権力の座を守り抜く。

伊勢物語で鮮烈なのはやはり芥川の段。在原業平と目される男が藤原高子(たかいこ)とおぼしき姫を背負って逃げる。しかしあばら家に休み目を離したところ姫は鬼に食われてしまった。つまり追手につかまり、姫を奪い返されてしまった。

出演する歌仙たちは、芥川の事件に潜む陰謀に数々の説を唱えている。のち帝となる子を産んで国母となり、絶大な権力を得て、業平を重用する高子、二条の后も主要な人物として出てくる。

紀貫之は土佐日記の作者でもあり、伊勢物語も書いたのでは、なんて言われている。業平、小町、六歌仙、伊勢物語、そしてマンガ「応天の門」に出てくるような藤原氏の栄華と、平安時代の華やかなイメージについてまわる深い闇。奈良時代は黒い印象だが平安時代は光と影、そして闇、かな。

古代好き、和歌好きはかなりそそられる、総花的な歴史小説。有名な古今の和歌もたくさん出てくる。僧正遍昭の来し方も興味深い。ちと時間がかかったし、出来過ぎの感はあったけども楽しく読めた。

エヴァ!

日が短くなって、帰り道は不思議な明るさの薄暮。先日は細い三日月とスピカ、金星が並んだとか。明るくて見えなかった。

朝晩は涼しくなって来ましたが、外に出たとたん強烈な日差しが。サングラスで通ってます。日中街をうろつく土日はまたバテる。

先日は好きなパターン、大きな書店併設のカフェで昼食、小一時間ほど本読んでから、俊英、エヴァ・ゲヴォルギヤンさんのリサイタルへ。20歳のピアニスト🎹。

LIVE配信越しに見ていた人のリアル演奏はやっぱり不思議な感じがします。当時は若さの勢い、という印象もありました。でも今になって動画を見返すと(ショパンコンクールの演奏は全て無料でYouTubeで配信されてます)しっとりした感じが強い。

果たして生は、また成長度合いは、というと、思ったより音が大きく、ダイナミックさと上手さがミックスされた演奏でした。後半はショパンのプレリュード、24の前奏曲。丁寧に、揺らすように、時に急に、そして情感豊かに。

今は世界中でコンサートに出演しながら学生として学んでいるようです。みずみずしく、さらに成長している感じがしました。

腰の下まで伸ばしたトレードマークの長い髪は演奏中に泳ぎ、腕に絡む。グリーンのドレスがよく映えてヒロインは確固としたピアノを披露する。

ベートーヴェン、ブラームス、ラヴェル、ショパン、アンコールはくるみ割り人形から2曲、そして・・ピアニストが座ると喝采が一瞬で鎮まる、そして最初の音を聴いた時、ハッと聴衆が気づくラ・カンパネラ。何度聴いても感動しますね。

終演、ステージ上で通訳を通して挨拶。そしてサイン会。ピアニストが出てくると、ホール部分に拍手が湧くというコンサートの風景は好きですね。記念撮影も応じてくれました。今後も応援するよまた来てねー😎

翌日午前中までバテを感じてて、買い物だけして帰ろうとヘロヘロな気分だったのですが帰りのバスに乗ったら急に元気になってきて、さあ今からどこへでもいけるな、なんて思っちゃったのでした。来週からの連続3連休は何しようかな😉

2024年9月6日金曜日

9月書評の2

◼️夏川草介「神様のカルテ0」

タイトル「神様のカルテ」の本当の意味が明かされるスピンオフ。ふむふむ、なるほど。

「神様のカルテ」はもうずいぶん前に読んだ。朝一番の飛行機で泣き、羽田からのモノレールで泣き、地下鉄で泣きとこれまでの中でも涙した作品上位に入る。今回は主人公の栗原一止の学生時代、研修医として入る前の本庄病院の状況、そして新人研修医の時期などが描かれている。舞台は風光明媚な長野・松本。さらにアルプスへの登山も織り交ぜられる。

まさにスピンオフ、エピソード部分も多い。ただ本庄病院の変遷、事務長と勤務医の対立、現代にあって反則的な激務と変わらず病院のリアルが連綿と書き連ねられる。初めての内視鏡検査で重大な結果が出る。穏やかな患者は突然通院しなくなる。理由は不明ー。一命のかかった状況とのっぴきならない時間、患者の想い。悩む一止。

思い返すと神様のカルテ、1は病院の現実と一止の飄々とした性格と取り巻く人々を描いて、キャラの1人に対して一止が説教をする場面に感動したのだった。2、3は医療を取り巻く状況、さまざまな医師の在り方、など重いものが積み重なって、大人の外面を装いながらももがく一止の姿に、しんとした共感を覚えた。

そこに底流となっているのは、飄々とした態度、ユーモア、やや哀しさを感じさせる楽観性で、今回の「0」もその点健在、同じであることを思い出して、少しく安心した気分になった。

「神様のカルテ」の本当の意味。含蓄のある言葉で、著者が実際にかけられた言葉なのだろうかと考える。ふむふむ、なるほど。「本を守ろうとする猫の話」を創作している著者は、やはり文学的だなと。

続きはないのかな。京都が舞台の最新作「スピノザの診察室」も読みたくなってきた。

9月書評の1

◼️宮下奈都「静かな雨」

静かに、ときめく。幸と難は背中合わせ。難の時こそ、2人は寄り添おうとする。

宮下奈都、最初は複数の作家が執筆した「宇宙小説」で名前を覚え、「スコーレNo.4」にハマった。思い切った表現、何が人を感動させるか、の掴み方とその配置。「よろこびの歌」「終わらない歌」そして「羊と鋼の森」と読み継ぐ。物語は2/3くらい読んでいる。文學界新人賞佳作にしてデビューの作品である本作「静かな雨」が刊行されたのは「羊と鋼の森」より後らしい。ふむふむ。

勤める会社が倒産してしまったクリスマスの日、ユキスケはたいやき屋の女性、こよみさんと出逢う。

こよみさんが焼くたいやきはおいしい「腹が立つほどうまい、というお客さんもいるほど。幸いすぐに次の職を得たユキスケはこよみさんと一緒に食事に行くようになる。さっぱりして明るい性格、でもどこか含蓄のある言葉に、ユキスケは惹かれていた。

「秋の、夜、みたいな色。静かさが目に映ってた。引き込まれそうだった。それと、」
「もう半分は、あきらめの色」

そんなある日、こよみさんが多重事故に巻き込まれたー。

小さな、ほっこりとした物語の進行。陰はなく微笑ましい会話とエピソードが積み重なる。それは、破局を予感させる。この世界が壊れるのがコワイ。そう思わせる。決定的な破局ではなく、再生と、新たな苦しみと強さ、弱さが交錯する。

たいやきも、高校生も、おじさんも、松葉杖もとても重要なアイテムに思えてくる。そしてまた、破局とカタストロフィの予感が濃厚になってきて・・でも、だ。

タイトルにマッチして、静かに感情の波が表される。なんか素朴ながら純文学っぽくもある。ほのかに明るさが見える。

もう1つ収録されている「日をつなぐ」でも、イライラの出し方がよく似てるな、とは思った。表現はこちらの方が腕を振っている。キーとなる豆のスープを煮ている。

「たゆたゆとやわらかく、しばらく漂っていてふっと消えてしまいそうな匂い、ボディブローのような、将棋でいうなら桂馬みたいな匂いだ」

桂馬みたいな匂いてなんだろう?微笑。

ブルーハーツの解散。名作「終わらない歌」にも伺えるように、著者はめっちゃ好きなようである。

「どこにいても海藻の匂いのするこの町から、一気に地球の真ん中まで連れて行ってくれた強い力。それが突然消えてしまった」

「日をつなぐ」もどこかで大きく壊れる雰囲気が漂ってくるが、これはまた予想外の、想像お任せの終わり方をする。ふーむなんてまあ。

宮下奈都のデビュー作は、やっぱりすごく宮下奈都らしかった。みずみずしいほっこり。時折の切れるような、屈折率の高い表現が作品をほどよく煌めかせる。満足まんぞく。

2024年9月1日日曜日

台風ラプソディ

台風の被害に遭われた皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

昨夜はぎょしゃ座流星群のピークだというのでしばらく見てましたがやがて雲が攻めてきて空の大半を覆ったので撤退。天体観測は天気に弱いのです。

雲を見ると東から西ではなく、逆に動いている。台風は時計と逆回り。そういうことかなと。

関西的には台風ラプソディの週で何度大阪湾にまっすぐ来るという予想進路が出たことかと。大きく西回りになったこともあり、勢力が弱まってさらに南にそれ、こちらはほとんど影響はなしでした。

この週末はラピュタ、憧れの石川県立図書館の「ドキュメント72時間」、ライオンズ栗山の代打逆転決勝ホームラン、翌日は2点差をひっくり返しての逆転サヨナラ勝ちなどなど心ときめくテレビ鑑賞。パラリンピックの車いすバスケ🏀で日本を応援。ちなみに月〜木22:45からは星新一の15分ドラマを再放送してるので星新一好きの息子と一緒に観てます。キャストも作りも面白い。

空気中の水分がレンズの役目をするのか北へ沈もうとしている夏の大三角形がやたらくっきりと見える。ベガとアルタイルの間をデネブに向かって流れる天の川はカシオペアと向かっている。ペルセウス座流星群観測以来うっすらと見えるような気がしている。

ぼちぼち夏も終わりだけど、まだまだ暑いだろう。今年もはや9月やね。

2週連続絵本展

毎年晩夏恒例、ボローニャ国際絵本原画展に行ってきました。日本人4人を含む32カ国・地域の78作家が入選を果たしたとのことで、今回すべての入選作が展示されています。

かわいいもの、描きこんでいるもの、シンプルなタッチのもの、ストーリーもさまざま。ファンタジック、コミカル、少し芸術方面のものなどなど。

最近はデジタル技術も進んでいて、詳しくは分かりませんが、多くの作品が導入しているようでした。

油画、水彩、アクリル、グアッシュ、コラージュなど手法も多彩。私が今回気に入ったのはフィンランド🇫🇮の作家さんで、色鉛筆をクレヨンのように使って、赤毛や目の色、そばかすなどいかにも北欧風の雰囲気を出しているのに感心しました。残念ながら絵本はフィンランド語のものしかなく、絵はがきもなくでちょっと残念でした。

ひと通り見て、絵本コーナーで展示作品の日本語訳作品を読む、入選作品ではないですが、先週見に行った六甲アイランドの絵本展の作品がけっこう置いてあって「おどりたいの」「金の鳥 ブルガリアのむかしばなし」「スウェーデン・サーメのむかしばなし 巨人の花よめ」など完読。

ラガッツィ賞という権威のある賞を受賞した、日本の下田昌克さんの作品「死んだかいぞく」はシェイクスピア劇で知っている彩の国さいたま芸術劇場で音楽劇になったとか。なんというか、深海の、諦念というか悟りというか、の物語でした。どんなふうに長い劇にしたのかなと。

庭園を見渡す喫茶コーナー、おととしはアフォガート、去年はワッフルセット。今年はケーキかなと思いきや、絵本風のARTカプチーノがあったのでそちらをいただきました。

絵本はバリエーションが広く、習慣や子供、社会に対する考え方まで見えることがあって、おもしろい。色彩、タッチ、ストーリー、効果、感性へのよい刺激。来年も行きます😎

8月書評の13

分厚くて既製のブックカバーに入らないので東山魁夷展のチラシでカバー。この作品「二つの月」が微妙に物語とマッチする気がしてセルフ満足。東山魁夷ファン。取り出すたびに気分⤴️

◼️森見登美彦「熱帯」

ミステリ風に読むとモヤモヤ。ファンタジー風に見るとグイグイ?壮大な知的佳作。高校生直木賞。

途中まではミステリ・サスペンス調ですごくおもしろい。後半はつながりはあるものの別の話、まるで別の作家さんが書いたような話になっている。この前半と後半は間が空いていて、何年もの休載の後で完結されたものだそうだ。著者不調のため休んだとのこと。

著者はひょんなことから本にまつわる謎を語り合うという「沈黙読書会」に参加することになる。読書会のあるグループで著者は、学生時代に読み読了してない魅力的な本「熱帯」を持っている白石さんという女性に出会う。

「熱帯」を読んだ人はいるが、読み終えた者は皆無で、なぜか手元から失われてしまうという。白石さんを「熱帯」について語り合う会に誘ってくれた池内氏は京都へ調査に赴き行方不明に。そして白石さんのもとに池内氏から手紙が届くー。

あらすじは前半部分。ここからが長い。そう、熱帯の群島を舞台にした、ファンタジックな物語が連綿と続くから。満月の魔女、魔王、ネモ、シンドバッド、虎。魅力的なキーワードが並ぶ。「汝にかかわりなきことを語るなかれ」背骨を貫く重要なアイテム・文芸は世界的な物語集「千一夜物語」。

前半後半ともに大変吸引力の強い、魔術的とも言える力を持っていると思う。なんつったって魅惑的な言葉、蠱惑してくる謎が積み重なり曰く言い難い魅力に引っ張られる。現実とファンタジーとのあわいが独特に演出されている気がする。

序盤や京都大学にこだわる所などはいつも通り。しかし私は前半後半どちらも、まるで森見登美彦ではない人が書いたように思えた。北村薫っぽくもあり、村上春樹の味も感じるし、かなり恩田陸のイメージでもあり、ジブリの底流もあるような気がするし、海外の作家さんがとてつもない想像を広げたケースにも似ているような。

謎の本のネタは珍しいものではない印象。その本を求めて、もしくは結末を求めて、というパターンはいくつか読んだことがあるような。しかし本書は想像のウイングをめいっぱい広げ、時代も地域も世界の各地に飛ぶスケールの大きい、楽しい物語に達している。

反面難を言えば冗長で、も少し時代と場所を整理できればわかりやすく面白かったのでは、なんて思う。そして最大のポイントは回収で、前半の組み立てからして、うまく解決まで落ちてないものがかなり多いな、と思う。もちろんストーリー的にシンプルなオチはついているのだが。

ただひるがえって考えれば謎の本をめぐる謎、そこには物語創作本来の、おもしろい方に舵を切れ、思うさま描け、結末なんかは書きながら考えればいい、とでもいうような、良き暴走エネルギーが働いているようにも見える。そう考えると気持ち良い。特に日本的理論的ミステリーの視点で考えるとこんだけ伏線張ってそれだけ?というモヤモヤが残るのも確か。でも壮大な物語に理屈的解決をつけたところでおもしろかっただろうか?とも考える。もちろん解決をつけた上で興味深く楽しくもできたはず・・という心もちょっとある。

次々と場面が移りゆくところは恩田陸「ライオンハート」を思い出し、読了前日の金曜ロードショーで「天空の城ラピュタ」を見て、この物語への影響もなんとなく感じたりした。

様々な知的要素を戦略的に組み合わせた壮大な佳作だと思う。高校生直木賞納得感あり。有楽町東京交通会館のゆずラーメンの店は友人が美味しいと言ってたので今度行くことにして、みちみち「喫茶メリー」のモデルの店も探そうか。で、京都もまた探訪しようかね。

8月書評の11・12

最初青空文庫で文だけ読んで、後で絵本を読んだから2つになってます。

◼️ 宮沢賢治 ささめやゆき「ガドルフの百合」

ささめやゆきさんの絵で読みたくて図書館。アレンジしているかと思ったら原作の文章はまるまるそのまま。改めて読むと賢治ならではの不思議な、いい意味でひっかかる表現がたくさん。

ハックニー馬のしっぽのような、巫戯(ふざ)けた楊(やなぎ)の並木と陶製の白い空との下を、みじめな旅のガドルフは、力いっぱい、朝からつづけて歩いておりました。

(楊がまっ青に光ったり、ブリキの葉に変ったり、どこまで人をばかにするのだ。殊にその青いときは、まるで砒素をつかった下等の顔料のおもちゃじゃないか。)

ささめやゆきさんは精緻に描くのではなく、かなりシンプルに描くタイプ。絵本によくある1つの傾向ですね。線が太くて力強かったり繊細だったり使い分けもしてるようです。この作品で小学館絵画賞を受賞されてます。

この最初の絵はやなぎの葉、ガドルフの相貌、帽子、シャツなど、青紫系をうまく使った、とても惹かれる1枚でした。

話の筋は嵐の夜に空き家に迷い込んだガドルフが雷光に見える白百合を見ている、というもの。夢の中では豹の毛皮、そして烏の王のようなよそおいの2人が取っ組み合いをします。

闇の中の白百合は対照性があり、そこまで強調はされていませんでした。豹男、烏人はやはり絵にしてみたら面白い。模様を散りばめるのに特徴がありそうな感じでした。

雨がこやみになるとガドルフは再出発。1輪は倒れたものの、しっかり嵐を耐えた白百合の群れに「勝った」という感慨を抱きます。果たして豹と烏の格闘はどんなインスピレーションを与えたのでしょうか。やはり明るいものを予感させ、ハイカラで少しスナフキン的な雰囲気のある旅人ガドルフはひょうひょうと旅を続けていくように思えます。

なるほど、やはりビジュアルが入ると想像外のものも見える。作品について別のイメージを与えてくれる。ふむふむ、でした。


◼️ 宮沢賢治「ガドルフの百合」

観に行った絵本展でタイトルを見かけて、読んでみようと。これをどうやって児童向けの本にするんだろう。

宮沢賢治は童話をたくさん書いている。当然ながら絵本にもなっている。いわさきちひろさんも絵をつけたし、私の好きないせひでこさんも「水仙月の四日」ほか多くの童話に絵を描いている。junaida氏も賢治の童話モチーフの画集を出している。

それ自体はめずらしいものではないけれど、神戸・六甲アイランドの小磯良平記念美術館に観に行った絵本展で作者(多分ささめやゆきさん)のプロフィールの中にこのタイトルがあり、後で気になって読むことにした。

さすがに宮沢賢治のすべての童話を覚えているわけではない。おそらく読んだことのある公算が大きめ。でもやはり記憶になかった。

ガドルフは嵐の晩、道沿いに建っている大きな黒い家で雨宿りをする。家人はいないようだった。中は真っ暗闇で時折稲光りで部屋の様子が見える程度。窓の外に気配を感じて見ると、白百合が10本ばかり嵐の中に揺れているのが雷光で分かった。ガドルフは濡れるのもかまわず、窓の外に半身を出して見守る。

(おれの恋はいまあの百合の花なのだ)

やがて1本の百合が華奢なその幹を折られて地面に横たわった。

(おれの恋は砕けたのだ)

やがてガドルフは階段に座ってまどろみ、豹の毛皮の着物の者、烏の王のように真っ黒くなめらかによそおった者、2人の大男の格闘の夢を見る。

目覚めた頃には嵐はやや収まっていた。ガドルフは外の百合の群れが1本を除いて立っていた。

(おれの百合は勝ったのだ)

ガドルフは出発することにした。

だいぶダイジェストにしてますし、文章には宮沢賢治ならではの言葉が多く使われ、ファンタジックが去りニヒルな雰囲気の中、希望が見えたようなイメージも受けます。

暗闇と稲光りの中で映える白い百合の対比が鮮やか、1本が倒れ他が耐える、この情景や闇の中の格闘はなにかのメタファーに違いないと思えます。格闘する者の格好もやっぱり賢治らしいですねえ。

webで調べると、賢治の恋に関係があるとのことで研究も進んでいるようです。あんまりそこは掘る気になれませんが。

図書館にささめやゆきさんの絵の今作があったので、このなんか大人っぽいとも捉えられる話をどのように児童向けに表しているのか興味津々。次の機会に見てみようと思います。