同僚の亡くなられた父親さんがクラシックの愛好者で、遺品のスコアを引き取ってもらえないかと相談されました。私のクラシックの師匠に話したところ、同様の経験がおありのようで、やはり好きな人のもとへ置いておくのが一番とのこと。想いのこもったスコア、いただきました。さっそくピアノコンチェルトを開いて音符を拾い、パパパパ、ジャン!♪とハミングで。嬉しい😊!大事にします。
右は京都・平安神宮前の商店で見かけ思わず購入した文庫用布ブックカバー。好きな紫陽花、これからの季節。ちょっと前のイチゴスイーツと、福岡の学生時代よく母が買ってきてた思い出の焼きりんごパン。京セラ美術館を思い出すウォーホル展チラシのブックカバー。
連休前半土日はちょっと予想外のこともあり家にいてます。折しも福岡・飯塚市の新体育館落成記念、強豪校ばかりを招いての4校対抗戦、土日で6試合をチラチラ観て、Bリーグを観て、ワールドカップの抽選にちょっと厳しいグループだなあーと思う🏀ざんまい。楽しいっす。
大阪の、インスタフォローが多いという書店に行って、坂本龍一「音楽は自由にする」を買って、書店オリジナルのブックカバーの1つ、星屑クリームソーダバージョンのをしてもらう。目的達成。教授の本の右は、地元のショッピングビルに古本を置く棚があって、1冊50円で買ってきたもの。こんな活動が、本読みには楽しいのです🤗
◼️ ライオネル・ホワイト「気狂いピエロ」
ゴダール映画作品の代表作の1つ、その原作。冴えない妻子持ちとファム・ファタールの女は恐ろしい追っ手から逃げ続け、そしてー。
「気狂いピエロ」といえばヌーヴェルバーグの中でもすぐに作品名が挙がる映画。小説は1962年に発表、映画は1965年。原作の邦訳は様々な理由から出ていなかったが去年発売されたとか。ふむふむ。
40歳前、脚本家のコンラッド・マッデンは景気後退の中、自作を売り込む努力が報われず、2人の子どもの学費はもちろん、日々の食料品の支払いにも不安が兆していた。妻のマータとももはや理解し合えない日々。ある日、成功している友人のパーティー出席の折に、ベビーシッターのアリーがマッデンの家に来る。
宴のあとアリーを住まいまで送ったマッデンはそのまま一夜を共にするが、朝、その部屋にはギャングの集金人だという男の死体があった。アリーに言われるまま、マッデンは死んだ男が持っていた大金とともに2人で逃亡するー。
「おれも孤独だった。いっしょにいてくれる誰かがほしかった。こっちの話を聞き、優しくしてくれる誰かが」
この物語はマッデンの逃亡劇を回顧するモノローグ。上はアリーのアパートを訪れたとき、17歳、子どものアリーが寂しがっていると断じた後の心の声。妻に冷たくされ、裕福な友人に上から目線で見られ、子どもたちにも好かれていない男の、直截な動機である。
離れた土地で身分を偽装、有り余る現ナマを手にしばらくはうまく行っていた。この金は銀行から奪った、などというものではなく警察は動かなかったが、当然ギャングは恐ろしい追っ手として2人を探しており、やがて見つかるー。
そしてさらなる逃亡劇、現金強奪、裏切りなど最後まで読ませる展開が続く。ファム・ファタール、魔性を持つ運命の女。謎が多く気分の浮き沈みが激しく、殺人も厭わないアリー。マッデンも決して純粋な愛情を抱いたり信用しているわけではないが、離れられない。その理由も、破滅する方向にハンドルを切ってしまうのもどこか人間臭くて共感できないこともない。
分かっているはずのカタストロフィ、それでも乗ってしまうメンタリティー。広いアメリカを逃げ回るスケールも含めてアメリカン・サスペンスのテイストがよく出ているなと思う。
実は私はゴダール作品は「天井桟敷の人々」しか観たことが、たしかない。解説によれば、原作を読んだことで、映画のアリーが犬型のバッグを持っていたり、「犯罪小説の世界へ戻るのよ!」と叫んだりすることなど、得心した部分が多かったとか。いずれ観てみよう。
クライム、ロード、運命の女という特徴を合わせ持つノワール。ある意味王道、そして最後は破滅。その道のり、結末のあり方で勝負のサスペンス。なかなか楽しめた。
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