【2022年、建築】
建築を積極的に観に行くようになったのは秋以降だと思う。大阪の名建築を舞台にしたドラマがあって、北浜淀屋橋かいわいを回った。オフィス街の真ん中で屋上に昇れた芝川ビルは思い出深い。ドラマのオープニングにも使われていた。
青山ビル、時計塔のある生駒ビル、どれも興味深い。大阪でまだまだ行けてないところは多い。船場ビルに行ってみたいね。
GWには大山崎山荘に行った。革張りのソファなどレトロな家具や陶芸の展示も気持ちよく、絵画が展示してある棟があり、池はモネの睡蓮ぽく楽しめた。
イケフェス「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪」では光世ビルや大阪市中央公会堂を堪能。めっちゃカッコいい大阪市立図書館のカフェでスムージー、公会堂では名物オムライス。
次いでライト風の楽しい建築甲子園会館ではもうホンマにおもしろかった。外形は思い切っていてスリリングな面もある。船を模しているデザインが細かく外形は船舶のようで長い屋根なんかスリリング。ライトはいいですねと再認識。
で、神戸税関の年イチの一般公開へ。堂々とした外観と、新築部分は大型船舶のブリッジのような造りとなっていて、屋上からは神戸港が一望できて、なかなか楽しめた。
来年は丹下健三の建築を多少回ってみたい、また丹下の弟子の磯崎新も興味がある。
建築には、空間にしろ造形にしろ、美とおもしろさがないとね。
来年も見に行きたいとこあるし京都神戸には通うでしょう。も少し詳しくなりたいな。
◼️豊川斎赫「丹下健三」
「『美しき』もののみ機能的である」
戦後建築の中心的存在、世界のタンゲ。建築には夢がなくちゃ。
丹下健三といえば、代々木の国立屋内競技場、広島の平和記念公園、大阪万博に東京都庁ほかを手掛けた建築家さん。黒川紀章や磯崎新など優秀な門下生を育てた人でもある。
これでも一般の人向けの書き方だとは思うが、新書!と主張するような難しさもあった本だった。自分流にかみくだきます。
冒頭のイキってるようにも聞こえる言葉は、1955年、40代で、広島の平和記念公園竣工の年に述べたもの。今の日本で美は悪であるという人もいて、そのような面がないとは言い切れないとしながらもだからといって、
「生活機能と対応する建築空間が美しいものでなければならず、その美しさを通じてのみ、建築空間が、機能を人間に伝えることが出来る、ということを否定しうるものではない」とする。戦後10年、まだまだ復興途上にある中で美を追求するのに咎め立てもあっただろうな、とは思う。
丹下は広島の平和記念公園陳列館や本館に、伊勢神宮や桂離宮などとデザインのイメージを重ねた。廃墟から立ち上がる力強さと、非西洋な美しさ。合理的機能的なものに対する美しさ、丹下の主張する内的リアリティ、とも言えるものの一部とされている。
ただ、美しさ、はこの本を読む限り、大きな帰結であると思える。丹下は戦後の復興期を考えるため、日本の国土計画を整理していった。都心への人口集中か分散か、工業立地とエネルギー供給、交通手段と生活圏。さらには密度、配置、人の動きを分析する。人の身体の大きさ、ヒューマンスケールも計算に入る。
丹下は自分の事務所のみならず、国土計画に資する人材を育成するべく、東大に都市工学科を立ち上げ、専門の組織も作り、成果を可視化できるよう、環境を整備した。その中で、異分野のプロとの共通言語を作るべく奔走、また、実践の中でイサム・ノグチ、岡本太郎らともコラボレーションするなど、有機的な広がりを構築していった。
うーむすごい人、スピーディかつ積み上げがある。垣根を低くするところがすごい。
国立代々木第二体育館はバスケットボールの殿堂でもあり、私も思い入れひとしお。なぜあのような形になったのか。
丹下は建築の実践の中でコンクリートや鉄骨といった素材や屋根の構造についての知見を深めて行った。そして交通機関や敷地内の人の移動をイメージして、出入り口の方向を決め、いわゆる巴型、巻貝、またホイッスルの吹き口を対称的に2箇所付けたような形とした。その上で、コストや強度ほかを考えて2本のケーブルを使った鉄板の吊り屋根を、コンクリート打ちっ放しの構造に載せた。
丹下はこの国立屋内総合競技場と、オリンピックの年に竣工した東京カテドラル聖マリア大聖堂について、象徴としての建築が、精神世界の問題と深く関わるのではないかと推測している。
「『現代の技術は、再び人間性を回復しうるであろうか。現代文明は、はたして人間とふれあう通路を発見しうるだろうか。』私のささやかな体験は、これに対して、イエスという答えを与えようとしているのである」
ちょっと哲学的ではある。至高性をも感じさせるそのデザインは国内外で大きな反響を呼んだという。いやー聖地。第二体育館は当時からバスケット競技用だったそうだ。ひとつの結実だろうか。いまでも憧れを感じるなあと。
丹下健三の門下からは、言動が積極的な黒川紀章や文筆に優れた磯崎新ら優秀な弟子がそれぞれ活動し、時に師匠を越えようとしたり批判したり、でもやはり巨匠の手法をなぞってみたりと試行錯誤している。しばらく1900年代後半から終盤は戦後復興、高度成長期からオイルショック、バブル、東京オリンピック誘致と至る過程で、時代性もあり時に政治的な思想を含めて活発な議論が交わされている。
本書では慎重に、丹下の功罪や評価に言及している。弟子たちの特徴にもページが割かれている。最終的な読後感は、やはり丹下健三は偉大で、門下生たちにとってぶつかりがいのある、大きくかつ懐の深い壁だったのではないか、というものだった。
私は建築について体系的な知識を持たない。ジョサイア・コンドルから指導を受けた辰野金吾、片山東熊らはレンガ造り、ドーム屋根などのまさに西洋建築、という向きが強く、1900年代に入ってくると、だんだんモダンな石造りの建物が増えてくる印象がある。今作の焦点は戦後、激動の時代の物語であり、現代的でしかし精神性の感じられる、おもしろい建築について啓発されたと思う。
私は東京在住時、仕事先の建物が実は丹下の設計だったことをいま知り、当時はありがたみも何もなく、変わったビルだなあとしか考えなかったことをちょっと後悔している。
丹下や弟子たちが手掛けた建築を調べているとワクワクする。丹下の東京カテドラルや、磯崎新の北九州市立美術なんかを見たいなと。
やっぱり、建築は、おもしろくて、夢がなくちゃね。
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