2025年1月24日金曜日

節目の30年

たいがいのことは、どうってことないさ、だいじょぶさと楽観する性格、でも真剣に向き合う、そうせざるを得ない過去のうちの1つが震災だ。

発生当日の午前中、高速道路の倒壊を見た歩道橋の方へ、きょう赴いた。30年の節目の巡礼。あの日からおそらく初めてだと思う。避難所となった市役所、小学校沿いを歩く。当日はやはり、理屈では飲み込めていても、起きたことの大きさをどこか信じていなくて呆然としていたと思う。見渡す阪神高速が途中からはるか向こうまで右に倒れている光景も現実とは思えなかった。

確か当時1月15日に固定されていた成人の日と続きの休日明け。寝ていたらゴーッという音が聞こえて、激しく揺れた。ガスの匂いが漂った。何が怖いといって、あの時の余震ほど怖かったものはない。ユサユサ、ユサッ・・夜が明けず暗い、独りの部屋でまだ揺れるのか、また強いのが来るのかと怯えていたと思う。

幸い自宅は外にドアが開いたまま閉まりにくくなったくらいで、ジーンズに分厚いセーター、ジャンパーに編み上げ靴で、安否を確認しに来た同僚たちに合流した。中には着の身着のままで出て来た者もいて、「めっちゃちゃんとした恰好してる。私なんかパジャマなのに」と言われた覚えがある。きょうは、その時のセーターを着て行った。

ニュースで「よりそう1.17」の灯火が設置された東遊園地の噴水の地下には震災関連の死者の名前が全て記された部屋がある。秋に入って拝んだ。いま、あちこちで「しあわせ運べるように」が流れるとつい口ずさみ、感極まる。

もう30年、に月日を思う。自分がかつて住んでいたところや街並みも見て来たけども、変わらないのはパン屋とカレー屋くらいで、過去はまったくの遠くになってしまっている。

実は歩道橋は近くにいくつもかかっていて、うち1つは工事中で通行止め。近隣3つくらいのうちどこから見たかは判然としない。記憶はtoo farだ。

阪神大震災から日本は地震期に入った、という分析もある。私は身体に揺れを感じたことは福岡時代の1度しかなくて、関西に大地震はないと言われてて、まさに唐突、本当に想定外だった、というのが今振り返ってもぴたりとハマっている。

ともかくも、合掌。すべてに。遠ざかるあの過去に。

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