中秋の名月は快晴にて銀の光が降りそそぐ。まことに春は花夏ほととぎす秋は月🌕
ひさびさ映画のはしごを。リバイバルとデジタルリマスター。
フィンランド🇫🇮の名匠アキ・カウリスマキ監督がめっちゃふざけた「レニングラードカウボーイズ・ゴー・アメリカ」
髪の毛をとんがらせてダークスーツに身をつつみサングラスの8人バンド、レニングラードカウボーイズ。酷寒のツンドラからアメリカへ、さらにメキシコへ、おとぼけ風味満載の旅。途中のカーディーラー役、シブい顔つきで見たことあるなと思ったらなんとジム・ジャームッシュだった😎😎
次は「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」で多くの関係者に影響を与えてきた台湾の故エドワード・ヤン監督。20代、社会人の男女が繰り広げる恋愛模様。私はヤン監督お初。なるほど、フレームをかなりきっちり作る人で、影と光、照明を使いこなすんだなと。別の監督がヤン監督の照明技術に触れていて今回ふむふむとなった。
検診終わりのシフォンケーキでスイーツ補充した後は薄暮時涼しい河川公園のベンチでしばし読書した。
きょうからまたバレーボール沼。日本男子🇯🇵、パリオリンピックへ向けての戦い。燃えるー🔥😎
◼️ ロアルド・ダール「飛行士たちの話」
極限状態の戦闘機乗りたち。その心の旅路。
虚しい話、バカ騒ぎの武勇伝、ファンタジックな篇とバラエティに富む短編集。
先日読んだ「単独飛行」は戦闘機乗りだったロアルド・ダール本人の、中東からギリシア戦線における体験談だった。
今回、1946年に発表された初短編集は創作の気味が強いが、実話、戦地での伝聞をもとにした小説だと思われる。ベースは対ナチスドイツと降伏したフランス軍を相手にするイギリスの空軍部隊。
「単独飛行」を先に読んでいたから、どのエピソードをもとにしているか分かるものもあった。たとえば、"A Piece of Cake"「ちょろい任務」ではかつてダールが不時着して頭部骨折した時の生々しい体験が元になっている。
冒頭の「ある老人の死」は戦闘機同士の空戦がのっけから迫力とスピード感ある描写で綴られる。そしてパラシュートで脱出、落下した先でのむごい現実、運命。
爆撃で家族を失った少女が部隊のマスコット的存在となる「カティーナ」は鮮烈。優しくしてくれたパイロットが欠けていく状況、気高さと悲しさ。
非番のパイロット3人組がおかしな計略で売春宿の娼婦たちを解放する「マダム・ロゼット」悲惨さが横溢する短編たちの中での、いかにも男くさいバカ騒ぎ。
最悪の毒蛇、ブラック・マンバが牝牛の乳房から乳を飲む話「あるアフリカの物語」。思い出すのはシャーロック・ホームズで、コナン・ドイルは短編「まだらの紐」で、犯人が毒蛇をミルクで飼いならすという設定にして批判を浴びた。同時代のキプリングの「ジャングル・ブック」でもミルクを与えられる蛇の話が出てくる。蛇はミルクを飲まない。しかし解説によればアフリカでは蛇が牛乳を好むという俗信があるそうで、ひょっとして、これらの著者はみな耳にしたのかもしれない。ふむふむ。面白い。
そして「彼らは歳をとるまい」は短編集に何度か出てくるフィンという名のパイロットが飛び立ってから2日間も帰って来ず、死んだと思われていたころなんのケガもなく帰還したという話である。フィンはしばらくして、その間のファンタジックな体験を突然思い出し語りだす。飛行機を偏愛し、ダールを愛読する宮崎駿が「紅の豚」や「風立ちぬ」でこのシーンを挿入した、不思議な話。たしかにジブリに合ってるような気がする。
最終話に"Someone Like You"「あなたに似た人」が入っている。ダールの背景を知らずに最初読んだ時は分からなかった。まあ全部分かるような小編ではないけども、ここまでダールの戦闘パイロットとしての険しい道のりと、そこから生まれる、ただ直接的なわけではない、全体として大きな何かを感じさせる筆致を追った後で読むと、やはり染み入るように感じるものはあった。
「単独飛行」はそれこそ毎日何度も物量で勝るドイツの多くの敵機を相手にして命のやりとりをしていたダールの姿が、びっくりするほどサラッとした感じで書かれていた。今回の小説はやはり感情的なものを増幅させているな、という感触はあった。1つの理解が進んだ。もう少し読みたいと思っている。
2023年9月30日土曜日
9月書評の14
中秋の名月は快晴にて銀の光が降りそそぐ。まことに春は花夏ほととぎす秋は月🌕
ひさびさ映画のはしごを。リバイバルとデジタルリマスター。
フィンランド🇫🇮の名匠アキ・カウリスマキ監督がめっちゃふざけた「レニングラードカウボーイズ・ゴー・アメリカ」
髪の毛をとんがらせてダークスーツに身をつつみサングラスの8人バンド、レニングラードカウボーイズ。酷寒のツンドラからアメリカへ、さらにメキシコへ、おとぼけ風味満載の旅。途中のカーディーラー役、シブい顔つきで見たことあるなと思ったらなんとジム・ジャームッシュだった😎😎
次は「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」で多くの関係者に影響を与えてきた台湾の故エドワード・ヤン監督。20代、社会人の男女が繰り広げる恋愛模様。私はヤン監督お初。なるほど、フレームをかなりきっちり作る人で、影と光、照明を使いこなすんだなと。別の監督がヤン監督の照明技術に触れていて今回ふむふむとなった。
検診終わりのシフォンケーキでスイーツ補充した後は薄暮時涼しい河川公園のベンチでしばし読書した。
きょうからまたバレーボール沼。日本男子🇯🇵、パリオリンピックへ向けての戦い。燃えるー🔥😎
◼️ ロアルド・ダール「飛行士たちの話」
極限状態の戦闘機乗りたち。その心の旅路。
虚しい話、バカ騒ぎの武勇伝、ファンタジックな篇とバラエティに富む短編集。
先日読んだ「単独飛行」は戦闘機乗りだったロアルド・ダール本人の、中東からギリシア戦線における体験談だった。
今回、1946年に発表された初短編集は創作の気味が強いが、実話、戦地での伝聞をもとにした小説だと思われる。ベースは対ナチスドイツと降伏したフランス軍を相手にするイギリスの空軍部隊。
「単独飛行」を先に読んでいたから、どのエピソードをもとにしているか分かるものもあった。たとえば、"A Piece of Cake"「ちょろい任務」ではかつてダールが不時着して頭部骨折した時の生々しい体験が元になっている。
冒頭の「ある老人の死」は戦闘機同士の空戦がのっけから迫力とスピード感ある描写で綴られる。そしてパラシュートで脱出、落下した先でのむごい現実、運命。
爆撃で家族を失った少女が部隊のマスコット的存在となる「カティーナ」は鮮烈。優しくしてくれたパイロットが欠けていく状況、気高さと悲しさ。
非番のパイロット3人組がおかしな計略で売春宿の娼婦たちを解放する「マダム・ロゼット」悲惨さが横溢する短編たちの中での、いかにも男くさいバカ騒ぎ。
最悪の毒蛇、ブラック・マンバが牝牛の乳房から乳を飲む話「あるアフリカの物語」。思い出すのはシャーロック・ホームズで、コナン・ドイルは短編「まだらの紐」で、犯人が毒蛇をミルクで飼いならすという設定にして批判を浴びた。同時代のキプリングの「ジャングル・ブック」でもミルクを与えられる蛇の話が出てくる。蛇はミルクを飲まない。しかし解説によればアフリカでは蛇が牛乳を好むという俗信があるそうで、ひょっとして、これらの著者はみな耳にしたのかもしれない。ふむふむ。面白い。
そして「彼らは歳をとるまい」は短編集に何度か出てくるフィンという名のパイロットが飛び立ってから2日間も帰って来ず、死んだと思われていたころなんのケガもなく帰還したという話である。フィンはしばらくして、その間のファンタジックな体験を突然思い出し語りだす。飛行機を偏愛し、ダールを愛読する宮崎駿が「紅の豚」や「風立ちぬ」でこのシーンを挿入した、不思議な話。たしかにジブリに合ってるような気がする。
最終話に"Someone Like You"「あなたに似た人」が入っている。ダールの背景を知らずに最初読んだ時は分からなかった。まあ全部分かるような小編ではないけども、ここまでダールの戦闘パイロットとしての険しい道のりと、そこから生まれる、ただ直接的なわけではない、全体として大きな何かを感じさせる筆致を追った後で読むと、やはり染み入るように感じるものはあった。
「単独飛行」はそれこそ毎日何度も物量で勝るドイツの多くの敵機を相手にして命のやりとりをしていたダールの姿が、びっくりするほどサラッとした感じで書かれていた。今回の小説はやはり感情的なものを増幅させているな、という感触はあった。1つの理解が進んだ。もう少し読みたいと思っている。
ひさびさ映画のはしごを。リバイバルとデジタルリマスター。
フィンランド🇫🇮の名匠アキ・カウリスマキ監督がめっちゃふざけた「レニングラードカウボーイズ・ゴー・アメリカ」
髪の毛をとんがらせてダークスーツに身をつつみサングラスの8人バンド、レニングラードカウボーイズ。酷寒のツンドラからアメリカへ、さらにメキシコへ、おとぼけ風味満載の旅。途中のカーディーラー役、シブい顔つきで見たことあるなと思ったらなんとジム・ジャームッシュだった😎😎
次は「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」で多くの関係者に影響を与えてきた台湾の故エドワード・ヤン監督。20代、社会人の男女が繰り広げる恋愛模様。私はヤン監督お初。なるほど、フレームをかなりきっちり作る人で、影と光、照明を使いこなすんだなと。別の監督がヤン監督の照明技術に触れていて今回ふむふむとなった。
検診終わりのシフォンケーキでスイーツ補充した後は薄暮時涼しい河川公園のベンチでしばし読書した。
きょうからまたバレーボール沼。日本男子🇯🇵、パリオリンピックへ向けての戦い。燃えるー🔥😎
◼️ ロアルド・ダール「飛行士たちの話」
極限状態の戦闘機乗りたち。その心の旅路。
虚しい話、バカ騒ぎの武勇伝、ファンタジックな篇とバラエティに富む短編集。
先日読んだ「単独飛行」は戦闘機乗りだったロアルド・ダール本人の、中東からギリシア戦線における体験談だった。
今回、1946年に発表された初短編集は創作の気味が強いが、実話、戦地での伝聞をもとにした小説だと思われる。ベースは対ナチスドイツと降伏したフランス軍を相手にするイギリスの空軍部隊。
「単独飛行」を先に読んでいたから、どのエピソードをもとにしているか分かるものもあった。たとえば、"A Piece of Cake"「ちょろい任務」ではかつてダールが不時着して頭部骨折した時の生々しい体験が元になっている。
冒頭の「ある老人の死」は戦闘機同士の空戦がのっけから迫力とスピード感ある描写で綴られる。そしてパラシュートで脱出、落下した先でのむごい現実、運命。
爆撃で家族を失った少女が部隊のマスコット的存在となる「カティーナ」は鮮烈。優しくしてくれたパイロットが欠けていく状況、気高さと悲しさ。
非番のパイロット3人組がおかしな計略で売春宿の娼婦たちを解放する「マダム・ロゼット」悲惨さが横溢する短編たちの中での、いかにも男くさいバカ騒ぎ。
最悪の毒蛇、ブラック・マンバが牝牛の乳房から乳を飲む話「あるアフリカの物語」。思い出すのはシャーロック・ホームズで、コナン・ドイルは短編「まだらの紐」で、犯人が毒蛇をミルクで飼いならすという設定にして批判を浴びた。同時代のキプリングの「ジャングル・ブック」でもミルクを与えられる蛇の話が出てくる。蛇はミルクを飲まない。しかし解説によればアフリカでは蛇が牛乳を好むという俗信があるそうで、ひょっとして、これらの著者はみな耳にしたのかもしれない。ふむふむ。面白い。
そして「彼らは歳をとるまい」は短編集に何度か出てくるフィンという名のパイロットが飛び立ってから2日間も帰って来ず、死んだと思われていたころなんのケガもなく帰還したという話である。フィンはしばらくして、その間のファンタジックな体験を突然思い出し語りだす。飛行機を偏愛し、ダールを愛読する宮崎駿が「紅の豚」や「風立ちぬ」でこのシーンを挿入した、不思議な話。たしかにジブリに合ってるような気がする。
最終話に"Someone Like You"「あなたに似た人」が入っている。ダールの背景を知らずに最初読んだ時は分からなかった。まあ全部分かるような小編ではないけども、ここまでダールの戦闘パイロットとしての険しい道のりと、そこから生まれる、ただ直接的なわけではない、全体として大きな何かを感じさせる筆致を追った後で読むと、やはり染み入るように感じるものはあった。
「単独飛行」はそれこそ毎日何度も物量で勝るドイツの多くの敵機を相手にして命のやりとりをしていたダールの姿が、びっくりするほどサラッとした感じで書かれていた。今回の小説はやはり感情的なものを増幅させているな、という感触はあった。1つの理解が進んだ。もう少し読みたいと思っている。
9月書評の13
ランタナという花だそうです。
◼️ 山崎豊子「ムッシュ・クラタ」
どこにいてもダンディさを崩さない新聞記者、ムッシュ・クラタ。そのスタイルは過酷な戦地で希望になることもあったー。
読んだきっかけはひょんなことで、私が本読みということを知っている先輩が、この作品のムッシュ・クラタがかつての共通の上司に似ている、と話したことだった。
「◯◯さんに思えてしょうがないねん」
それからずっと気になって、地元図書館の書庫にしまわれているこの本を借りに行くことになった。
ムッシュ・クラタこと倉田玲記者は英語、スペイン語に加え特にフランス語に堪能、晴れてパリ特派員となり、フランスがナチスドイツに宣戦布告したニュースを打電した。しかしその直後同じ席で高級時計の注文書をもタイプしていて、同業の記者を驚かせた。
ムッシュ・クラタはダンディである。パリでダークスーツにポーラハット、ダンヒルのパイプをくわえ、キッドの手袋をはめてステッキを持ち歩く。タキシードを着込んでロンシャン競馬場へ。リサイタルでは上流マダムとともにロイヤル・ボックスに座る。
日本でもそのスタイルを崩さず、鼻持ちならぬ気取り屋という風評は絶えなかった。
フィリピン戦線の特派員となった時は食糧もなく敗走また敗走の中で、毎日髭を剃り、髪を分け、晩はパジャマに着替えて、寝るときにはズボンを寝押ししてシワを伸ばし折り目を立てる。変わらずダンヒルのパイプをふかしスペイン語の書物を読む。そして共に行動する記者にも、兵隊にも、ダンディさを保ち続けるムッシュ・クラタの姿は不思議な感慨をもたらすようになっていったー。
すでに鬼籍に入られているその元上司は、やはりダンディであった。スラリとして、おしゃれなスーツにワイシャツ、ネクタイとハンカチーフと靴下の色を揃えたりして、鼻ひげに、べっこう縁のメガネ、パイプ。パリに事務所はあるが彼は残念なことに赴任していない。
◯◯さんや、と想像しながら読んで愉しい気分になった。
昭和40年の発表、山崎さんは新聞記者出身で、かつての同僚をモデルにしたのだとか。学生時代の友人、同業、同僚記者、葬儀に現れた映画会社社長、そして夫人と娘に話を聞き、ムッシュ・クラタのやや意外な家庭生活で、その人物像を描くモザイク画は完成する。山崎さんの本は「沈まぬ太陽」などを読んだけども、こんなテイストの作品があったとは意外だった。100ページほどの、いわば中編で、大変興味深い小説だった。
本との出会いはさまざま。例え元上司の件がなくとも楽しめただろう。ただなければ読むことはなく、お世話になった方を偲ぶこともなかった。今回も偶然に感謝、読書つながりに感謝な出会いだった。
◼️ 山崎豊子「ムッシュ・クラタ」
どこにいてもダンディさを崩さない新聞記者、ムッシュ・クラタ。そのスタイルは過酷な戦地で希望になることもあったー。
読んだきっかけはひょんなことで、私が本読みということを知っている先輩が、この作品のムッシュ・クラタがかつての共通の上司に似ている、と話したことだった。
「◯◯さんに思えてしょうがないねん」
それからずっと気になって、地元図書館の書庫にしまわれているこの本を借りに行くことになった。
ムッシュ・クラタこと倉田玲記者は英語、スペイン語に加え特にフランス語に堪能、晴れてパリ特派員となり、フランスがナチスドイツに宣戦布告したニュースを打電した。しかしその直後同じ席で高級時計の注文書をもタイプしていて、同業の記者を驚かせた。
ムッシュ・クラタはダンディである。パリでダークスーツにポーラハット、ダンヒルのパイプをくわえ、キッドの手袋をはめてステッキを持ち歩く。タキシードを着込んでロンシャン競馬場へ。リサイタルでは上流マダムとともにロイヤル・ボックスに座る。
日本でもそのスタイルを崩さず、鼻持ちならぬ気取り屋という風評は絶えなかった。
フィリピン戦線の特派員となった時は食糧もなく敗走また敗走の中で、毎日髭を剃り、髪を分け、晩はパジャマに着替えて、寝るときにはズボンを寝押ししてシワを伸ばし折り目を立てる。変わらずダンヒルのパイプをふかしスペイン語の書物を読む。そして共に行動する記者にも、兵隊にも、ダンディさを保ち続けるムッシュ・クラタの姿は不思議な感慨をもたらすようになっていったー。
すでに鬼籍に入られているその元上司は、やはりダンディであった。スラリとして、おしゃれなスーツにワイシャツ、ネクタイとハンカチーフと靴下の色を揃えたりして、鼻ひげに、べっこう縁のメガネ、パイプ。パリに事務所はあるが彼は残念なことに赴任していない。
◯◯さんや、と想像しながら読んで愉しい気分になった。
昭和40年の発表、山崎さんは新聞記者出身で、かつての同僚をモデルにしたのだとか。学生時代の友人、同業、同僚記者、葬儀に現れた映画会社社長、そして夫人と娘に話を聞き、ムッシュ・クラタのやや意外な家庭生活で、その人物像を描くモザイク画は完成する。山崎さんの本は「沈まぬ太陽」などを読んだけども、こんなテイストの作品があったとは意外だった。100ページほどの、いわば中編で、大変興味深い小説だった。
本との出会いはさまざま。例え元上司の件がなくとも楽しめただろう。ただなければ読むことはなく、お世話になった方を偲ぶこともなかった。今回も偶然に感謝、読書つながりに感謝な出会いだった。
9月書評の12
◼️ 作:梨木香歩 絵:木内達朗 「蟹塚縁起」
前世の因縁。恩と縁(えにし)。ふむふむ。
たぶん梨木香歩さんの本を検索しているときに出てきたんだと思う。スマホのメモにあり、読みたくなって借りてきた。
ある晩、農民のとうきちが目を覚ますと、あまりにも大勢の蟹が、川からとうきちの家の床下を通って隣の山の沢の方へ、長い長い帯のような行列となって移動していました。
蟹は沢ではなく、さらに遠くへ向かっていました。とうきちは、さては名主の家か、と直感します。というのは、とうきちは名主の息子が沢蟹を釣り上げては無慈悲な真似をしていたのを咎め、蟹を放してやり、息子を諭したのでした。息子は泣いて帰り、怒った父親の名主はとうきちから牛を奪っていったのでした。
さて、この話にはもう一つの意味がありました。実はとうきちは、以前泊めてやった六部、巡礼する僧に、自分が前世、何千もの兵を率いて戦っていた武将、藪内七右衛門だったと教えられます。以来七右衛門だった時のことをときどき思い出すような気がしていました。
列をなして進む蟹、同じように昔、月夜の山野を大勢で歩いたことがあるのをとうきちは思い出します。蟹は兵、だったのでしょうか。
蟹が向かっていたのは、やはり名主の家でしたー。
さて、2つの時代、それぞれの主人公が活躍する話というと、手塚治虫の名作「火の鳥 太陽編」を思い出す。壬申の乱と遙か未来の日本をオムニバスで描いた作品だった。
「蟹塚縁起」は絵本だけに複雑な作りではないが、前世をかなり前面に押し出しているところはやはり異質だと思う。主人公とうきちは、不思議な現象にも慌てず、前世とのつながりを悟ったように動く。そして怨みが、文字通り昇華する。
前世、というのは読み手にとってかなり記憶に残るテーマだと思う。子どもたちはどうだろうか?そして刀、美しい結晶化とイメージに強く訴える物語だと思う。ちょっとジブリっぽくもあるかな。
ふむふむ。梨木香歩は、感覚、イメージというものを膨らませ、繋げて効果を高める人で、独特のアプローチが絵本にも表れているのか、いや私の見方はたぶん浅くて、もっと言葉で表せないような深い部分があるのではと思わせる。
作家さんの絵本は、どんな話を作っているのか興味深くてよく読む。ダイナミックで陰影の差が大きな絵とともに、心に刻みつけられる作品だった。
前世の因縁。恩と縁(えにし)。ふむふむ。
たぶん梨木香歩さんの本を検索しているときに出てきたんだと思う。スマホのメモにあり、読みたくなって借りてきた。
ある晩、農民のとうきちが目を覚ますと、あまりにも大勢の蟹が、川からとうきちの家の床下を通って隣の山の沢の方へ、長い長い帯のような行列となって移動していました。
蟹は沢ではなく、さらに遠くへ向かっていました。とうきちは、さては名主の家か、と直感します。というのは、とうきちは名主の息子が沢蟹を釣り上げては無慈悲な真似をしていたのを咎め、蟹を放してやり、息子を諭したのでした。息子は泣いて帰り、怒った父親の名主はとうきちから牛を奪っていったのでした。
さて、この話にはもう一つの意味がありました。実はとうきちは、以前泊めてやった六部、巡礼する僧に、自分が前世、何千もの兵を率いて戦っていた武将、藪内七右衛門だったと教えられます。以来七右衛門だった時のことをときどき思い出すような気がしていました。
列をなして進む蟹、同じように昔、月夜の山野を大勢で歩いたことがあるのをとうきちは思い出します。蟹は兵、だったのでしょうか。
蟹が向かっていたのは、やはり名主の家でしたー。
さて、2つの時代、それぞれの主人公が活躍する話というと、手塚治虫の名作「火の鳥 太陽編」を思い出す。壬申の乱と遙か未来の日本をオムニバスで描いた作品だった。
「蟹塚縁起」は絵本だけに複雑な作りではないが、前世をかなり前面に押し出しているところはやはり異質だと思う。主人公とうきちは、不思議な現象にも慌てず、前世とのつながりを悟ったように動く。そして怨みが、文字通り昇華する。
前世、というのは読み手にとってかなり記憶に残るテーマだと思う。子どもたちはどうだろうか?そして刀、美しい結晶化とイメージに強く訴える物語だと思う。ちょっとジブリっぽくもあるかな。
ふむふむ。梨木香歩は、感覚、イメージというものを膨らませ、繋げて効果を高める人で、独特のアプローチが絵本にも表れているのか、いや私の見方はたぶん浅くて、もっと言葉で表せないような深い部分があるのではと思わせる。
作家さんの絵本は、どんな話を作っているのか興味深くてよく読む。ダイナミックで陰影の差が大きな絵とともに、心に刻みつけられる作品だった。
9月書評の11
神戸は北野でステンドグラス展を観てきました。トアロード沿いにある、昭和6年建築、小学校を改築した神戸をPRする施設。もとの講堂に並べてあるステンドグラス作品は、窓用のみならず、テーブルランプの傘、時計、地球儀、飛行機の模型、鏡などなど様々な用途のものがありました。小ぢんまりとした展示、でもなにかしらインスパイアされた気分。
デザインも、色の組み合わせだけではなく、有名な絵の模写であったり、動物、魚、不思議の国のアリスの一場面などなどバリエーション豊かでした。午前のオープンまもない時間で、実際にステンドグラス作家の方が詳しく説明してくれました。イギリスの工房で10年修行、いまでもガラス素材などはヨーロッパに出向き、交渉・発注するそうです。午後の陽が傾いてくる頃に、ステンドグラスの模様が講堂の床にきれいに映るそう。期間は短いですが、行こうと思われた方、午後2時以降がオススメらしいですよ。
ちなみに展示会場内はオール撮影不可だったので、写真はこの名建築に備えつけられているステンドグラス。
中のスイーツ屋さんで果肉入りベリーベリーソーダ。涼しくて居心地がよく、しばらく気持ちよく座ってました。実はこの建築は年内で閉鎖し、インバウンド用のレストランに造り替えるそうです。保存のための署名活動も行われているそう。建築好き、ここのスペース、トアロードのオアシス的に気に入っている身としてはぜひこのまま残して欲しいものです。
◼️ 梨木香歩「不思議な羅針盤」
梨木香歩さんのことばをしっとりと味わう。自然が好きで、五感を開けていて、美味しそう^_^
2007年から2009年に連載していたエッセイをまとめたものだそうだ。私が東京にいた頃で、小泉政権から第一次安倍内閣、そして福田氏へとバトンが渡り、民主党政権となったころ。北朝鮮がミサイルを日本へ向けて撃ち始めた時期でもあったとの記憶がある。だからなのか、社会情勢への言及もある。
日常生活のあれこれを述べながら、お得意の自然、植物、鳥に関する話を織り込んでいることが多い。やっぱりこうでなくては。どこか幸田文と重なるなあ。
特に「『西の魔女が死んだ』の頃」の「ジャムを作る」で傷んだイチゴをジャムにして、アイスクリームやホットケーキに垂らす、とかブラックベリーは鳥も食べないくらい激烈に酸っぱいのにジャムにすると極上の味、というのに惹かれたスイーツ好き。食欲からですね^_^
自宅からバス停までの間に渋柿の木があって秋は見事な実が鈴なりになる。初期は鳥はまったく来ない。しかし秋が深まって、干し柿状になったとたんついばみだす、という現象を思い出した。干し柿甘くておいしいんだよね。
「五感の開き方、閉じ方」も印象的。
子供のころ山中に住んでいて、秋の月が清澄な夜、屋根に登って本を読むのが幼い梨木さんの楽しみだったという。それは
「自分の五感が不思議な開かれ方をしていく、そのせいだったと思う」と。
そして夜の特別さを強調し、料理エッセイが人気の平松洋子さんが書いた「夜中にジャムを煮る」という著書のくだりを引用する。これがまた、魅力的。
自分自身に照らしてみると、20代後半くらいから、たとえば新緑を見に山へ行きたい、とか美術にしても映画や音楽にしても感覚が開かれていったと思う。たぶん私だけではないのでは。それはいまにつながる。他のコラムでは森下典子さんの「日日是好日」を引いて、気づき、微妙な感覚の変化について綴っている。
よく見ること、よく聴くこと、よく感じること。五感を開く、読みながら、とても共感できるというか、改めて学んでいる、啓発されている。
梨木香歩さんには渡り鳥を追う「渡りの足跡」という名エッセイ集がある。ブンブン自ら車を運転して自然に飛び込んでいく、という意外な面を見せている作品。今作にも、大鷲をサハリン沖の孤島に観に行った時のエピソードがちらと載っていたりする。
椎の実を炒るのも美味しそう。著者はかなり好きな作家さん。未読作などまた折に触れ読んでいきたい。
デザインも、色の組み合わせだけではなく、有名な絵の模写であったり、動物、魚、不思議の国のアリスの一場面などなどバリエーション豊かでした。午前のオープンまもない時間で、実際にステンドグラス作家の方が詳しく説明してくれました。イギリスの工房で10年修行、いまでもガラス素材などはヨーロッパに出向き、交渉・発注するそうです。午後の陽が傾いてくる頃に、ステンドグラスの模様が講堂の床にきれいに映るそう。期間は短いですが、行こうと思われた方、午後2時以降がオススメらしいですよ。
ちなみに展示会場内はオール撮影不可だったので、写真はこの名建築に備えつけられているステンドグラス。
中のスイーツ屋さんで果肉入りベリーベリーソーダ。涼しくて居心地がよく、しばらく気持ちよく座ってました。実はこの建築は年内で閉鎖し、インバウンド用のレストランに造り替えるそうです。保存のための署名活動も行われているそう。建築好き、ここのスペース、トアロードのオアシス的に気に入っている身としてはぜひこのまま残して欲しいものです。
◼️ 梨木香歩「不思議な羅針盤」
梨木香歩さんのことばをしっとりと味わう。自然が好きで、五感を開けていて、美味しそう^_^
2007年から2009年に連載していたエッセイをまとめたものだそうだ。私が東京にいた頃で、小泉政権から第一次安倍内閣、そして福田氏へとバトンが渡り、民主党政権となったころ。北朝鮮がミサイルを日本へ向けて撃ち始めた時期でもあったとの記憶がある。だからなのか、社会情勢への言及もある。
日常生活のあれこれを述べながら、お得意の自然、植物、鳥に関する話を織り込んでいることが多い。やっぱりこうでなくては。どこか幸田文と重なるなあ。
特に「『西の魔女が死んだ』の頃」の「ジャムを作る」で傷んだイチゴをジャムにして、アイスクリームやホットケーキに垂らす、とかブラックベリーは鳥も食べないくらい激烈に酸っぱいのにジャムにすると極上の味、というのに惹かれたスイーツ好き。食欲からですね^_^
自宅からバス停までの間に渋柿の木があって秋は見事な実が鈴なりになる。初期は鳥はまったく来ない。しかし秋が深まって、干し柿状になったとたんついばみだす、という現象を思い出した。干し柿甘くておいしいんだよね。
「五感の開き方、閉じ方」も印象的。
子供のころ山中に住んでいて、秋の月が清澄な夜、屋根に登って本を読むのが幼い梨木さんの楽しみだったという。それは
「自分の五感が不思議な開かれ方をしていく、そのせいだったと思う」と。
そして夜の特別さを強調し、料理エッセイが人気の平松洋子さんが書いた「夜中にジャムを煮る」という著書のくだりを引用する。これがまた、魅力的。
自分自身に照らしてみると、20代後半くらいから、たとえば新緑を見に山へ行きたい、とか美術にしても映画や音楽にしても感覚が開かれていったと思う。たぶん私だけではないのでは。それはいまにつながる。他のコラムでは森下典子さんの「日日是好日」を引いて、気づき、微妙な感覚の変化について綴っている。
よく見ること、よく聴くこと、よく感じること。五感を開く、読みながら、とても共感できるというか、改めて学んでいる、啓発されている。
梨木香歩さんには渡り鳥を追う「渡りの足跡」という名エッセイ集がある。ブンブン自ら車を運転して自然に飛び込んでいく、という意外な面を見せている作品。今作にも、大鷲をサハリン沖の孤島に観に行った時のエピソードがちらと載っていたりする。
椎の実を炒るのも美味しそう。著者はかなり好きな作家さん。未読作などまた折に触れ読んでいきたい。
2023年9月23日土曜日
9月書評の10
◼️ ロアルド・ダール「単独飛行」
戦闘機パイロットの命のやりとりを、どこかサラッと描く。多才な作家の自伝的作品。
推理小説を多く読んでたころ、オススメ本としてロアルド・ダールの「あなたに似た人」が紹介されているのを見て、てっきりミステリの人だと思っていた。奇妙な味わいの短編のほか「夢のチョコレート工場」など多くの児童文学作品に、007の脚本も書いたりしている。多才な人。
今回この作品を読もうと思ったのは、先に読んだ本で、飛行機を偏愛する宮崎駿の愛読書と紹介されていて興味を持ったから。ダールが飛ぶなんて思いもしなかった。
イギリス人のダールは若い頃シェル石油の社員としてドイツ人も多く住むタンザニアに赴任する。東アフリカの国の暮らしもなかなかワイルドで、大型毒蛇のブラックマンバもグリーンマンバも恐ろしい。
まもなくナチス・ドイツと開戦となり、急遽地元兵を連れて道路を封鎖する役目を、ほぼ押し付けられて、多くのドイツ人を捕虜にする。この時も武器を持ち殺気だった大勢のドイツ人を前に危機感いっぱいなのだが、兵への事前の指示により何事もなかったように大仕事をする。
すぐに志願して戦闘パイロットの訓練を受け、戦闘の経験がないまま配属されたが戦闘機の乗り方、空中戦のやり方などの教育が全くないのに呆れる。ほどなく燃料切れの末の着陸失敗で頭部に深刻な怪我を負い後送。
復帰すると同時に最悪のギリシャ戦線に配属される。すぐ近くに1000機はあるドイツの戦闘機、爆撃機が控えている。いっぽうイギリス機はといえば信じられないことに戦闘機がたったの15機。ザッツオール。毎日何度も友軍の船舶を守るために出撃、多くのドイツ機に取り囲まれながら戦闘に臨む。ダールがパイロットの時期は戦況が悪く、フランスもすでに降伏、フランス軍の一部がドイツに加わりイングランドはそちらとも戦わなければならなかった。
作中で、怖いとは思わなかったとダールは述べている。だが、パイロット仲間が次々と撃墜される中、圧倒的不利な中に飛び出していくダール。大変な戦闘でも、事も無げに、サラッと書いているのが印象に残る。
そんなに多いわけではないが、特に訓練などで飛ぶ時、アフリカの空から見た光景を魅力的に描写している。リアルな飛行機同士の戦闘も読みどころのひとつ。このへんが宮崎駿の心を打ったのだろうか。
「夜間飛行」「人間の大地」サン=テグジュペリの民間パイロットの視点から書いた飛行機小説も興味深いが、重い面もあるのが特徴。ダールはまた視点をずらし、戦闘をあたかも日常の一部のように描いている。撃墜、人死にの場面にも客観的で、冷静で、批判精神も持っているが過剰ではない。
やがて最初の事故の後遺症でダールはパイロットから外れることになる。3年ぶりに母と再会する最終のくだりも、戦中のイギリスのリアリティを際立たせている気がする。映画みたいだ。
体験談として、興味深く読み込めた。他のダール作品も読みたくなる。
戦闘機パイロットの命のやりとりを、どこかサラッと描く。多才な作家の自伝的作品。
推理小説を多く読んでたころ、オススメ本としてロアルド・ダールの「あなたに似た人」が紹介されているのを見て、てっきりミステリの人だと思っていた。奇妙な味わいの短編のほか「夢のチョコレート工場」など多くの児童文学作品に、007の脚本も書いたりしている。多才な人。
今回この作品を読もうと思ったのは、先に読んだ本で、飛行機を偏愛する宮崎駿の愛読書と紹介されていて興味を持ったから。ダールが飛ぶなんて思いもしなかった。
イギリス人のダールは若い頃シェル石油の社員としてドイツ人も多く住むタンザニアに赴任する。東アフリカの国の暮らしもなかなかワイルドで、大型毒蛇のブラックマンバもグリーンマンバも恐ろしい。
まもなくナチス・ドイツと開戦となり、急遽地元兵を連れて道路を封鎖する役目を、ほぼ押し付けられて、多くのドイツ人を捕虜にする。この時も武器を持ち殺気だった大勢のドイツ人を前に危機感いっぱいなのだが、兵への事前の指示により何事もなかったように大仕事をする。
すぐに志願して戦闘パイロットの訓練を受け、戦闘の経験がないまま配属されたが戦闘機の乗り方、空中戦のやり方などの教育が全くないのに呆れる。ほどなく燃料切れの末の着陸失敗で頭部に深刻な怪我を負い後送。
復帰すると同時に最悪のギリシャ戦線に配属される。すぐ近くに1000機はあるドイツの戦闘機、爆撃機が控えている。いっぽうイギリス機はといえば信じられないことに戦闘機がたったの15機。ザッツオール。毎日何度も友軍の船舶を守るために出撃、多くのドイツ機に取り囲まれながら戦闘に臨む。ダールがパイロットの時期は戦況が悪く、フランスもすでに降伏、フランス軍の一部がドイツに加わりイングランドはそちらとも戦わなければならなかった。
作中で、怖いとは思わなかったとダールは述べている。だが、パイロット仲間が次々と撃墜される中、圧倒的不利な中に飛び出していくダール。大変な戦闘でも、事も無げに、サラッと書いているのが印象に残る。
そんなに多いわけではないが、特に訓練などで飛ぶ時、アフリカの空から見た光景を魅力的に描写している。リアルな飛行機同士の戦闘も読みどころのひとつ。このへんが宮崎駿の心を打ったのだろうか。
「夜間飛行」「人間の大地」サン=テグジュペリの民間パイロットの視点から書いた飛行機小説も興味深いが、重い面もあるのが特徴。ダールはまた視点をずらし、戦闘をあたかも日常の一部のように描いている。撃墜、人死にの場面にも客観的で、冷静で、批判精神も持っているが過剰ではない。
やがて最初の事故の後遺症でダールはパイロットから外れることになる。3年ぶりに母と再会する最終のくだりも、戦中のイギリスのリアリティを際立たせている気がする。映画みたいだ。
体験談として、興味深く読み込めた。他のダール作品も読みたくなる。
9月書評の11
好きな陶芸家、河井寛次郎の言葉。
美はいつも人を探している
幸せは人を探している
だから探しに行って、出逢ってください、ということなんでしょうか。前向きになれますよね。最近のお気に入りでスマホのメモに書き取ってます。
フィンランド🇫🇮の著名な作曲家、シベリウスのオールプログラムのコンサートに行きました。
Vn、ヴァイオリンソリストの中野りなさんはまだ10代。テレビ番組で次世代の有望株として紹介されていて、動画などを見て聴いて、透き通るような音色と曲への同化、寄り添い方に好感を持っていました。すると去年の仙台国際コンクールで史上最年少優勝。一度生で聴いてみたいと思っていたところ先日こちらに来ることを知り即買いしました。
かなり前の方の席でした。冒頭、ピアニシモの弦に載せてソリストのゆったりした、北欧の神秘を語るような旋律が入ってきます。そして激しさを増し、クライマックスへ。気を込めた音の震えがぶつかってくるような感覚を味わいました。ヴァイオリニズムがいい感じでにじみ出ているような気がします。フィンランド🇫🇮だからか純白の衣装、スラリとした姿は妖精のようで真剣な表情がキマってました。
そもそも私はシベリウスのヴァイオリン協奏曲、大好きなのです。シベリウスは抜群の腕を持つヴァイオリニストだったものの、極度のあがり症のためその道を断念したとか。そのヴァイオリンコンチェルトは、テクニック的にかなり難易度が高いと言われています。近くで手の動きを見ていると、素人ながら、少し難しさが分かるような気がします。
聴きたかったものが、そこにありました。いやー良かったー😊
フィンランディアは勇壮に、哀しみを全編に漂わせたヴァイオリン協奏曲を挟み、代表作の1つとされる交響曲2番。さわやかに始まって、雄大に終わる。やはり生は素晴らしい。ヴィオラだけピチカートにしていたり、ただ曲を聴いているだけでは分からないものがたくさんあり、かなり計算されてよく工夫された作品ということが窺えました。大フィルの音は、大きくて、きれい。堪能しました。
考えてみればフィンランド🇫🇮には縁があるような。映画の名監督のアキ・カウリスマキはよく観に行くし、🏀のワールドカップで日本が初めて勝ったヨーロッパの国はフィンランド🇫🇮だったしで、ついつい白のパンツに青のポロシャツとフィンランド🇫🇮の国旗カラーの恰好なぞしてみたりして。アホですねー😆フィンランディッシュな誕生日。
イランの名匠アッバス・キアロスタミ監督のリバイバルを観てきました。ポスターはサッカーの試合を観に行くお金が欲しい悪ガキの主人公がフィルムの入っていないカメラで低学年の子から代金を取って撮影(するフリ)をしているシーンです。みな写真が欲しいから列をなして撮ってもらいます。
まあサギなのですが、小さい子たち、果ては大人までもが寄ってきて、1人ずつ撮影用の表情をします。撮り手もついつい、もっと笑って、とかポーズなどの指示を出します。良い表情のアップのカットが連なります。1970年代の映画、このシーンを観て、ひさびさに「上手いな」と思いました。コミカルで目を惹くシーンをストーリーの中に組み入れる、いわゆる絵的にも良いですし、そして何かおかしな転がり方をする、という映画らしい要素を作り出しています。
新たな1年もまあ、映画観たり、コンサート行ったり、美術展に行ったりして感じたものについてあれこれと考えるでしょう。美を探し、小さな幸せを見つけられたらいいなと思ってます。
◼️ 梨木香歩「不思議な羅針盤」
梨木香歩さんのことばをしっとりと味わう。自然が好きで、五感を開けていて、美味しそう^_^
2007年から2009年に連載していたエッセイをまとめたものだそうだ。私が東京にいた頃で、小泉政権から第一次安倍内閣、そして福田氏へとバトンが渡り、民主党政権となったころ。北朝鮮がミサイルを日本へ向けて撃ち始めた時期でもあったとの記憶がある。だからなのか、社会情勢への言及もある。
日常生活のあれこれを述べながら、お得意の自然、植物、鳥に関する話を織り込んでいることが多い。やっぱりこうでなくては。どこか幸田文と重なるなあ。
特に「『西の魔女が死んだ』の頃」の「ジャムを作る」で傷んだイチゴをジャムにして、アイスクリームやホットケーキに垂らす、とかブラックベリーは鳥も食べないくらい激烈に酸っぱいのにジャムにすると極上の味、というのに惹かれたスイーツ好き。食欲からですね^_^
自宅からバス停までの間に渋柿の木があって秋は見事な実が鈴なりになる。初期は鳥はまったく来ない。しかし秋が深まって、干し柿状になったとたんついばみだす、という現象を思い出した。干し柿甘くておいしいんだよね。
「五感の開き方、閉じ方」も印象的。
子供のころ山中に住んでいて、秋の月が清澄な夜、屋根に登って本を読むのが幼い梨木さんの楽しみだったという。それは
「自分の五感が不思議な開かれ方をしていく、そのせいだったと思う」と。
そして夜の特別さを強調し、料理エッセイが人気の平松洋子さんが書いた「夜中にジャムを煮る」という著書のくだりを引用する。これがまた、魅力的。
自分自身に照らしてみると、20代後半くらいから、たとえば新緑を見に山へ行きたい、とか美術にしても映画や音楽にしても感覚が開かれていったと思う。たぶん私だけではないのでは。それはいまにつながる。他のコラムでは森下典子さんの「日日是好日」を引いて、気づき、微妙な感覚の変化について綴っている。
よく見ること、よく聴くこと、よく感じること。五感を開く、読みながら、とても共感できるというか、改めて学んでいる、啓発されている。
梨木香歩さんには渡り鳥を追う「渡りの足跡」という名エッセイ集がある。ブンブン自ら車を運転して自然に飛び込んでいく、という意外な面を見せている作品。今作にも、大鷲をサハリン沖の孤島に観に行った時のエピソードがちらと載っていたりする。
椎の実を炒るのも美味しそう。著者はかなり好きな作家さん。未読作などまた折に触れ読んでいきたい。
美はいつも人を探している
幸せは人を探している
だから探しに行って、出逢ってください、ということなんでしょうか。前向きになれますよね。最近のお気に入りでスマホのメモに書き取ってます。
フィンランド🇫🇮の著名な作曲家、シベリウスのオールプログラムのコンサートに行きました。
Vn、ヴァイオリンソリストの中野りなさんはまだ10代。テレビ番組で次世代の有望株として紹介されていて、動画などを見て聴いて、透き通るような音色と曲への同化、寄り添い方に好感を持っていました。すると去年の仙台国際コンクールで史上最年少優勝。一度生で聴いてみたいと思っていたところ先日こちらに来ることを知り即買いしました。
かなり前の方の席でした。冒頭、ピアニシモの弦に載せてソリストのゆったりした、北欧の神秘を語るような旋律が入ってきます。そして激しさを増し、クライマックスへ。気を込めた音の震えがぶつかってくるような感覚を味わいました。ヴァイオリニズムがいい感じでにじみ出ているような気がします。フィンランド🇫🇮だからか純白の衣装、スラリとした姿は妖精のようで真剣な表情がキマってました。
そもそも私はシベリウスのヴァイオリン協奏曲、大好きなのです。シベリウスは抜群の腕を持つヴァイオリニストだったものの、極度のあがり症のためその道を断念したとか。そのヴァイオリンコンチェルトは、テクニック的にかなり難易度が高いと言われています。近くで手の動きを見ていると、素人ながら、少し難しさが分かるような気がします。
聴きたかったものが、そこにありました。いやー良かったー😊
フィンランディアは勇壮に、哀しみを全編に漂わせたヴァイオリン協奏曲を挟み、代表作の1つとされる交響曲2番。さわやかに始まって、雄大に終わる。やはり生は素晴らしい。ヴィオラだけピチカートにしていたり、ただ曲を聴いているだけでは分からないものがたくさんあり、かなり計算されてよく工夫された作品ということが窺えました。大フィルの音は、大きくて、きれい。堪能しました。
考えてみればフィンランド🇫🇮には縁があるような。映画の名監督のアキ・カウリスマキはよく観に行くし、🏀のワールドカップで日本が初めて勝ったヨーロッパの国はフィンランド🇫🇮だったしで、ついつい白のパンツに青のポロシャツとフィンランド🇫🇮の国旗カラーの恰好なぞしてみたりして。アホですねー😆フィンランディッシュな誕生日。
イランの名匠アッバス・キアロスタミ監督のリバイバルを観てきました。ポスターはサッカーの試合を観に行くお金が欲しい悪ガキの主人公がフィルムの入っていないカメラで低学年の子から代金を取って撮影(するフリ)をしているシーンです。みな写真が欲しいから列をなして撮ってもらいます。
まあサギなのですが、小さい子たち、果ては大人までもが寄ってきて、1人ずつ撮影用の表情をします。撮り手もついつい、もっと笑って、とかポーズなどの指示を出します。良い表情のアップのカットが連なります。1970年代の映画、このシーンを観て、ひさびさに「上手いな」と思いました。コミカルで目を惹くシーンをストーリーの中に組み入れる、いわゆる絵的にも良いですし、そして何かおかしな転がり方をする、という映画らしい要素を作り出しています。
新たな1年もまあ、映画観たり、コンサート行ったり、美術展に行ったりして感じたものについてあれこれと考えるでしょう。美を探し、小さな幸せを見つけられたらいいなと思ってます。
◼️ 梨木香歩「不思議な羅針盤」
梨木香歩さんのことばをしっとりと味わう。自然が好きで、五感を開けていて、美味しそう^_^
2007年から2009年に連載していたエッセイをまとめたものだそうだ。私が東京にいた頃で、小泉政権から第一次安倍内閣、そして福田氏へとバトンが渡り、民主党政権となったころ。北朝鮮がミサイルを日本へ向けて撃ち始めた時期でもあったとの記憶がある。だからなのか、社会情勢への言及もある。
日常生活のあれこれを述べながら、お得意の自然、植物、鳥に関する話を織り込んでいることが多い。やっぱりこうでなくては。どこか幸田文と重なるなあ。
特に「『西の魔女が死んだ』の頃」の「ジャムを作る」で傷んだイチゴをジャムにして、アイスクリームやホットケーキに垂らす、とかブラックベリーは鳥も食べないくらい激烈に酸っぱいのにジャムにすると極上の味、というのに惹かれたスイーツ好き。食欲からですね^_^
自宅からバス停までの間に渋柿の木があって秋は見事な実が鈴なりになる。初期は鳥はまったく来ない。しかし秋が深まって、干し柿状になったとたんついばみだす、という現象を思い出した。干し柿甘くておいしいんだよね。
「五感の開き方、閉じ方」も印象的。
子供のころ山中に住んでいて、秋の月が清澄な夜、屋根に登って本を読むのが幼い梨木さんの楽しみだったという。それは
「自分の五感が不思議な開かれ方をしていく、そのせいだったと思う」と。
そして夜の特別さを強調し、料理エッセイが人気の平松洋子さんが書いた「夜中にジャムを煮る」という著書のくだりを引用する。これがまた、魅力的。
自分自身に照らしてみると、20代後半くらいから、たとえば新緑を見に山へ行きたい、とか美術にしても映画や音楽にしても感覚が開かれていったと思う。たぶん私だけではないのでは。それはいまにつながる。他のコラムでは森下典子さんの「日日是好日」を引いて、気づき、微妙な感覚の変化について綴っている。
よく見ること、よく聴くこと、よく感じること。五感を開く、読みながら、とても共感できるというか、改めて学んでいる、啓発されている。
梨木香歩さんには渡り鳥を追う「渡りの足跡」という名エッセイ集がある。ブンブン自ら車を運転して自然に飛び込んでいく、という意外な面を見せている作品。今作にも、大鷲をサハリン沖の孤島に観に行った時のエピソードがちらと載っていたりする。
椎の実を炒るのも美味しそう。著者はかなり好きな作家さん。未読作などまた折に触れ読んでいきたい。
9月書評の10
◼️ ロアルド・ダール「単独飛行」
戦闘機パイロットの命のやりとりを、どこかサラッと描く。多才な作家の自伝的作品。
推理小説を多く読んでたころ、オススメ本としてロアルド・ダールの「あなたに似た人」が紹介されているのを見て、てっきりミステリの人だと思っていた。奇妙な味わいの短編のほか「夢のチョコレート工場」など多くの児童文学作品に、007の脚本も書いたりしている。多才な人。
今回この作品を読もうと思ったのは、先に読んだ本で、飛行機を偏愛する宮崎駿の愛読書と紹介されていて興味を持ったから。ダールが飛ぶなんて思いもしなかった。
イギリス人のダールは若い頃シェル石油の社員としてドイツ人も多く住むタンザニアに赴任する。東アフリカの国の暮らしもなかなかワイルドで、大型毒蛇のブラックマンバもグリーンマンバも恐ろしい。
まもなくナチス・ドイツと開戦となり、急遽地元兵を連れて道路を封鎖する役目を、ほぼ押し付けられて、多くのドイツ人を捕虜にする。この時も武器を持ち殺気だった大勢のドイツ人を前に危機感いっぱいなのだが、兵への事前の指示により何事もなかったように大仕事をする。
すぐに志願して戦闘パイロットの訓練を受け、戦闘の経験がないまま配属されたが戦闘機の乗り方、空中戦のやり方などの教育が全くないのに呆れる。ほどなく燃料切れの末の着陸失敗で頭部に深刻な怪我を負い後送。
復帰すると同時に最悪のギリシャ戦線に配属される。すぐ近くに1000機はあるドイツの戦闘機、爆撃機が控えている。いっぽうイギリス機はといえば信じられないことに戦闘機がたったの15機。ザッツオール。毎日何度も友軍の船舶を守るために出撃、多くのドイツ機に取り囲まれながら戦闘に臨む。ダールがパイロットの時期は戦況が悪く、フランスもすでに降伏、フランス軍の一部がドイツに加わりイングランドはそちらとも戦わなければならなかった。
作中で、怖いとは思わなかったとダールは述べている。だが、パイロット仲間が次々と撃墜される中、圧倒的不利な中に飛び出していくダール。大変な戦闘でも、事も無げに、サラッと書いているのが印象に残る。
そんなに多いわけではないが、特に訓練などで飛ぶ時、アフリカの空から見た光景を魅力的に描写している。リアルな飛行機同士の戦闘も読みどころのひとつ。このへんが宮崎駿の心を打ったのだろうか。
「夜間飛行」「人間の大地」サン=テグジュペリの民間パイロットの視点から書いた飛行機小説も興味深いが、重い面もあるのが特徴。ダールはまた視点をずらし、戦闘をあたかも日常の一部のように描いている。撃墜、人死にの場面にも客観的で、冷静で、批判精神も持っているが過剰ではない。
やがて最初の事故の後遺症でダールはパイロットから外れることになる。3年ぶりに母と再会する最終のくだりも、戦中のイギリスのリアリティを際立たせている気がする。映画みたいだ。
体験談として、興味深く読み込めた。他のダール作品も読みたくなる。
戦闘機パイロットの命のやりとりを、どこかサラッと描く。多才な作家の自伝的作品。
推理小説を多く読んでたころ、オススメ本としてロアルド・ダールの「あなたに似た人」が紹介されているのを見て、てっきりミステリの人だと思っていた。奇妙な味わいの短編のほか「夢のチョコレート工場」など多くの児童文学作品に、007の脚本も書いたりしている。多才な人。
今回この作品を読もうと思ったのは、先に読んだ本で、飛行機を偏愛する宮崎駿の愛読書と紹介されていて興味を持ったから。ダールが飛ぶなんて思いもしなかった。
イギリス人のダールは若い頃シェル石油の社員としてドイツ人も多く住むタンザニアに赴任する。東アフリカの国の暮らしもなかなかワイルドで、大型毒蛇のブラックマンバもグリーンマンバも恐ろしい。
まもなくナチス・ドイツと開戦となり、急遽地元兵を連れて道路を封鎖する役目を、ほぼ押し付けられて、多くのドイツ人を捕虜にする。この時も武器を持ち殺気だった大勢のドイツ人を前に危機感いっぱいなのだが、兵への事前の指示により何事もなかったように大仕事をする。
すぐに志願して戦闘パイロットの訓練を受け、戦闘の経験がないまま配属されたが戦闘機の乗り方、空中戦のやり方などの教育が全くないのに呆れる。ほどなく燃料切れの末の着陸失敗で頭部に深刻な怪我を負い後送。
復帰すると同時に最悪のギリシャ戦線に配属される。すぐ近くに1000機はあるドイツの戦闘機、爆撃機が控えている。いっぽうイギリス機はといえば信じられないことに戦闘機がたったの15機。ザッツオール。毎日何度も友軍の船舶を守るために出撃、多くのドイツ機に取り囲まれながら戦闘に臨む。ダールがパイロットの時期は戦況が悪く、フランスもすでに降伏、フランス軍の一部がドイツに加わりイングランドはそちらとも戦わなければならなかった。
作中で、怖いとは思わなかったとダールは述べている。だが、パイロット仲間が次々と撃墜される中、圧倒的不利な中に飛び出していくダール。大変な戦闘でも、事も無げに、サラッと書いているのが印象に残る。
そんなに多いわけではないが、特に訓練などで飛ぶ時、アフリカの空から見た光景を魅力的に描写している。リアルな飛行機同士の戦闘も読みどころのひとつ。このへんが宮崎駿の心を打ったのだろうか。
「夜間飛行」「人間の大地」サン=テグジュペリの民間パイロットの視点から書いた飛行機小説も興味深いが、重い面もあるのが特徴。ダールはまた視点をずらし、戦闘をあたかも日常の一部のように描いている。撃墜、人死にの場面にも客観的で、冷静で、批判精神も持っているが過剰ではない。
やがて最初の事故の後遺症でダールはパイロットから外れることになる。3年ぶりに母と再会する最終のくだりも、戦中のイギリスのリアリティを際立たせている気がする。映画みたいだ。
体験談として、興味深く読み込めた。他のダール作品も読みたくなる。
9月書評の9
地元で毎年恒例の国際絵本原画展に行ってきました。毎年その発想や絵に心洗われます。世界の感性。庭園を見ながらワッフルにピスタチオアイス。満足でした〜😆😎
◼️ ルイス・キャロル/トーベ・ヤンソン
「スナーク狩り」
おお!なんちゅうスバラシイ組合せ!と手に取っちゃいますよね笑
不思議の国のアリスとムーミン。私は一昨年等身大のトーベ・ヤンソンを描いた映画「TOVE」を観てて、親しみもある。偉大なカップリングですよね。
さて中身を見てみると、トーベ独特のかわいさの混じる怪しさ、というタッチの挿絵は楽しいのですが、肝心の話が、なんというか、マザーグース的?意味が通りそうで通んない詩みたいなものなのです。いわゆる韻文らしい。一定の型式で表される詩、のようなものですね。シェイクスピアも韻文を多用しました。
対して訳者の穂村弘氏も悩んだ結果七五調を取り入れたらしい。
誰も見たことがない怪物スナークを捕まえようと船長ベルマンのもとには靴磨き、帽子屋、弁護士、ブローカー、ビリヤード・マーカーに銀行家、さらにウェディング・ケーキしか作れない名無しのパン屋。それに肉屋とビーバーといったヘンテコな乗組員が集まった。
細心の注意をもって指貫で探し、
ぴかぴかのフォークと希望で狩りたてる
鉄道株で脅かす、そして
笑みとシャボンで金縛るんだー
三度言ったら現実になるぞ。
乗組員はそれぞれ言われた通りに探し狩りたて脅かし金縛る準備はするが、見つけられない。このままじゃスナーク狩りは失敗だー。
言葉遊びを楽しむ文章とでもいうか、訳が分からないながらも、確かに言葉遊びもおもしろい。
童話っぽい内容にナンセンスな展開、それでもキャロルとヤンソン、2人の天才の創作はなかなか楽しい。
不思議の国のアリスとムーミン。私は一昨年等身大のトーベ・ヤンソンを描いた映画「TOVE」を観てて、親しみもある。偉大なカップリング。
さて中身を見てみると、トーベ独特のかわいさの混じる怪しさ、というタッチの挿絵は楽しいのですが、肝心の話が、なんというか、マザーグース的?意味が通りそうで通んない詩みたいなものなのです。いわゆる韻文らしい。一定の型式で表される詩、のようなものですね。シェイクスピアも韻文を多用しました。
対して訳者の穂村弘氏も悩んだ結果七五調を取り入れたらしい。
誰も見たことがない怪物スナークを捕まえようと船長ベルマンのもとには靴磨き、帽子屋、弁護士、ブローカー、ビリヤード・マーカーに銀行家、さらにウェディング・ケーキしか作れない名無しのパン屋。それに肉屋とビーバー。
細心の注意をもって指貫で探し、
ぴかぴかのフォークと希望で狩りたてる
鉄道株で脅かす、そして
笑みとシャボンで金縛るんだー
三度言ったら現実になるぞ。
乗組員はそれぞれ言われた通りに探し狩りたて脅かし金縛る準備はするが、見つけられない。このままじゃスナーク狩りは失敗だー。
言葉遊びを楽しむ文章とでもいうか、訳が分からないながらも、確かにおもしろい。
童話っぽい内容にナンセンスな展開、それでもキャロルとヤンソン、2人の天才の創作はなかなか楽しい。
地元で毎年晩夏に行われている国際絵本展示会があってきょう行ってきた。朝から盛況。絵本とはいえ、もちろん中には意味がとりにくいものもあったりするけども、そこが、おもしろい。世界の感性。「スナーク狩り」もテンポの良さ、くすくすと笑うようなコミカルさ、そしめどこか冒しがたい落ち着きというものが感じられて満足した。
◼️ ルイス・キャロル/トーベ・ヤンソン
「スナーク狩り」
おお!なんちゅうスバラシイ組合せ!と手に取っちゃいますよね笑
不思議の国のアリスとムーミン。私は一昨年等身大のトーベ・ヤンソンを描いた映画「TOVE」を観てて、親しみもある。偉大なカップリングですよね。
さて中身を見てみると、トーベ独特のかわいさの混じる怪しさ、というタッチの挿絵は楽しいのですが、肝心の話が、なんというか、マザーグース的?意味が通りそうで通んない詩みたいなものなのです。いわゆる韻文らしい。一定の型式で表される詩、のようなものですね。シェイクスピアも韻文を多用しました。
対して訳者の穂村弘氏も悩んだ結果七五調を取り入れたらしい。
誰も見たことがない怪物スナークを捕まえようと船長ベルマンのもとには靴磨き、帽子屋、弁護士、ブローカー、ビリヤード・マーカーに銀行家、さらにウェディング・ケーキしか作れない名無しのパン屋。それに肉屋とビーバーといったヘンテコな乗組員が集まった。
細心の注意をもって指貫で探し、
ぴかぴかのフォークと希望で狩りたてる
鉄道株で脅かす、そして
笑みとシャボンで金縛るんだー
三度言ったら現実になるぞ。
乗組員はそれぞれ言われた通りに探し狩りたて脅かし金縛る準備はするが、見つけられない。このままじゃスナーク狩りは失敗だー。
言葉遊びを楽しむ文章とでもいうか、訳が分からないながらも、確かに言葉遊びもおもしろい。
童話っぽい内容にナンセンスな展開、それでもキャロルとヤンソン、2人の天才の創作はなかなか楽しい。
不思議の国のアリスとムーミン。私は一昨年等身大のトーベ・ヤンソンを描いた映画「TOVE」を観てて、親しみもある。偉大なカップリング。
さて中身を見てみると、トーベ独特のかわいさの混じる怪しさ、というタッチの挿絵は楽しいのですが、肝心の話が、なんというか、マザーグース的?意味が通りそうで通んない詩みたいなものなのです。いわゆる韻文らしい。一定の型式で表される詩、のようなものですね。シェイクスピアも韻文を多用しました。
対して訳者の穂村弘氏も悩んだ結果七五調を取り入れたらしい。
誰も見たことがない怪物スナークを捕まえようと船長ベルマンのもとには靴磨き、帽子屋、弁護士、ブローカー、ビリヤード・マーカーに銀行家、さらにウェディング・ケーキしか作れない名無しのパン屋。それに肉屋とビーバー。
細心の注意をもって指貫で探し、
ぴかぴかのフォークと希望で狩りたてる
鉄道株で脅かす、そして
笑みとシャボンで金縛るんだー
三度言ったら現実になるぞ。
乗組員はそれぞれ言われた通りに探し狩りたて脅かし金縛る準備はするが、見つけられない。このままじゃスナーク狩りは失敗だー。
言葉遊びを楽しむ文章とでもいうか、訳が分からないながらも、確かにおもしろい。
童話っぽい内容にナンセンスな展開、それでもキャロルとヤンソン、2人の天才の創作はなかなか楽しい。
地元で毎年晩夏に行われている国際絵本展示会があってきょう行ってきた。朝から盛況。絵本とはいえ、もちろん中には意味がとりにくいものもあったりするけども、そこが、おもしろい。世界の感性。「スナーク狩り」もテンポの良さ、くすくすと笑うようなコミカルさ、そしめどこか冒しがたい落ち着きというものが感じられて満足した。
2023年9月20日水曜日
9月書評の8
京都でルーブル展。美術館のある岡崎公園ではコスプレの大イベントやってました。ほとんど分かんないけど、SPY×FAMILYのヨルさん女子多かった。
ルーブル展は18世紀以前の作品が多く、フラゴナール、そしてシャーロック・ホームズの宿敵モリアーティ教授が好んだジャン=バティスト・グルーズの作品もあり、認識を新たにした部分もありました。イエスを抱くマリアの慈愛こもった顔、サッソフェラート「眠る幼子イエス」と、ダンテの神曲からモチーフを得たというアリ・シェフェール「ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスの亡霊」が良かった。
◼️ 河邉徹「流星コーリング」
高校の天文部員たちは、人工的に発生させるという流星群を観に行く。それぞれのドラマと秘められた事情。広島本大賞。
星好き、ブックオフでなんの予備知識もなくタイトルだけで買った本。りょうと詩織、仲の良い天文部のカップル。広島市が舞台で、会話は広島弁。進路に悩む主人公のりょうは東京の大学の指定校推薦に合格、しかし詩織に打ち明けられないでいた。詩織も、なにかりょうに言わなければならないことがあるようで・・。
最初はよくある青春小説かなと思った。ところが、物語は中盤に突然、りょうが人工流星が流れる日をループしてしまう、という仕掛けが出てくる。相談する部員たちにもそれぞれ悩みがあって、と上手な構成だなと感心。
初歩的な知識から、お泊まり観測会、全国の高校天文部が集まりプレゼンをするジュニアセッション、野辺山天文台行ってみたいなあ、それに文化祭のプラネタリウムなど、楽しそうで知的好奇心を刺激する活動を盛り込んでいて、星好きにはおもしろく読める。小学校の先生が熱心な人で、よく学校で天体観測会をしたことを思い出す。中高は運動に明け暮れたから、兼部とか出来なかったかな・・といまさら思ったりする。
人工流星計画は、本当にあるんだそうだ。ロケットから流星のもととなる物質を放出し、広島・瀬戸内の空に人工流れ星を降らせるシューティングスターチャレンジ。この物語にあるように2020年の実施を目指していたが諸般の事情で中止、見直しとなっている。まだ諦めたわけではないようだ。なんてステキなイベントなんでしょう。もし再度やるとなったら観に行くぞー。
著者はバンドのドラマーさんで、小説タイトルの曲も作っているとか。あとで聴いてみよう。真相が明らかになった後の、詩織の言葉が切なく輝く。センス良い締めに悲しくも読後感はエクセレントだった。たまたま手にして良かった。
ルーブル展は18世紀以前の作品が多く、フラゴナール、そしてシャーロック・ホームズの宿敵モリアーティ教授が好んだジャン=バティスト・グルーズの作品もあり、認識を新たにした部分もありました。イエスを抱くマリアの慈愛こもった顔、サッソフェラート「眠る幼子イエス」と、ダンテの神曲からモチーフを得たというアリ・シェフェール「ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスの亡霊」が良かった。
◼️ 河邉徹「流星コーリング」
高校の天文部員たちは、人工的に発生させるという流星群を観に行く。それぞれのドラマと秘められた事情。広島本大賞。
星好き、ブックオフでなんの予備知識もなくタイトルだけで買った本。りょうと詩織、仲の良い天文部のカップル。広島市が舞台で、会話は広島弁。進路に悩む主人公のりょうは東京の大学の指定校推薦に合格、しかし詩織に打ち明けられないでいた。詩織も、なにかりょうに言わなければならないことがあるようで・・。
最初はよくある青春小説かなと思った。ところが、物語は中盤に突然、りょうが人工流星が流れる日をループしてしまう、という仕掛けが出てくる。相談する部員たちにもそれぞれ悩みがあって、と上手な構成だなと感心。
初歩的な知識から、お泊まり観測会、全国の高校天文部が集まりプレゼンをするジュニアセッション、野辺山天文台行ってみたいなあ、それに文化祭のプラネタリウムなど、楽しそうで知的好奇心を刺激する活動を盛り込んでいて、星好きにはおもしろく読める。小学校の先生が熱心な人で、よく学校で天体観測会をしたことを思い出す。中高は運動に明け暮れたから、兼部とか出来なかったかな・・といまさら思ったりする。
人工流星計画は、本当にあるんだそうだ。ロケットから流星のもととなる物質を放出し、広島・瀬戸内の空に人工流れ星を降らせるシューティングスターチャレンジ。この物語にあるように2020年の実施を目指していたが諸般の事情で中止、見直しとなっている。まだ諦めたわけではないようだ。なんてステキなイベントなんでしょう。もし再度やるとなったら観に行くぞー。
著者はバンドのドラマーさんで、小説タイトルの曲も作っているとか。あとで聴いてみよう。真相が明らかになった後の、詩織の言葉が切なく輝く。センス良い締めに悲しくも読後感はエクセレントだった。たまたま手にして良かった。
9月書評の9
北山の京都コンサートホールで男声合唱のイベント。プロローグ後の最初のブロックが槇原敬之スペシャルで楽しかった。こないだのカルミナ・ブラーナは女声が多い混声合唱、今回は男声合唱。興味深かった。
京都コンサートホールは磯崎新の設計で、2階の大ホールまでは巻くようなスロープで上がるなど常にはない感じがあり、デザインも近未来的に思えました。建築好きちょっと楽しかったり😆
◼️ ルイス・キャロル/トーベ・ヤンソン
「スナーク狩り」
おお!なんちゅうスバラシイ組合せ!と手に取っちゃいますよね笑
不思議の国のアリスとムーミン。私は一昨年等身大のトーベ・ヤンソンを描いた映画「TOVE」を観てて、親しみもある。偉大なカップリングですよね。
さて中身を見てみると、トーベ独特のかわいさの混じる怪しさ、というタッチの挿絵は楽しいのですが、肝心の話が、なんというか、マザーグース的?意味が通りそうで通んない詩みたいなものなのです。いわゆる韻文らしい。一定の型式で表される詩、のようなものですね。シェイクスピアも韻文を多用しました。
対して訳者の穂村弘氏も悩んだ結果七五調を取り入れたらしい。
誰も見たことがない怪物スナークを捕まえようと船長ベルマンのもとには靴磨き、帽子屋、弁護士、ブローカー、ビリヤード・マーカーに銀行家、さらにウェディング・ケーキしか作れない名無しのパン屋。それに肉屋とビーバーといったヘンテコな乗組員が集まった。
細心の注意をもって指貫で探し、
ぴかぴかのフォークと希望で狩りたてる
鉄道株で脅かす、そして
笑みとシャボンで金縛るんだー
三度言ったら現実になるぞ。
乗組員はそれぞれ言われた通りに探し狩りたて脅かし金縛る準備はするが、見つけられない。このままじゃスナーク狩りは失敗だー。
言葉遊びを楽しむ文章とでもいうか、訳が分からないながらも、確かに言葉遊びもおもしろい。
童話っぽい内容にナンセンスな展開、それでもキャロルとヤンソン、2人の天才の創作はなかなか楽しい。
不思議の国のアリスとムーミン。私は一昨年等身大のトーベ・ヤンソンを描いた映画「TOVE」を観てて、親しみもある。偉大なカップリング。
さて中身を見てみると、トーベ独特のかわいさの混じる怪しさ、というタッチの挿絵は楽しいのですが、肝心の話が、なんというか、マザーグース的?意味が通りそうで通んない詩みたいなものなのです。いわゆる韻文らしい。一定の型式で表される詩、のようなものですね。シェイクスピアも韻文を多用しました。
対して訳者の穂村弘氏も悩んだ結果七五調を取り入れたらしい。
誰も見たことがない怪物スナークを捕まえようと船長ベルマンのもとには靴磨き、帽子屋、弁護士、ブローカー、ビリヤード・マーカーに銀行家、さらにウェディング・ケーキしか作れない名無しのパン屋。それに肉屋とビーバー。
細心の注意をもって指貫で探し、
ぴかぴかのフォークと希望で狩りたてる
鉄道株で脅かす、そして
笑みとシャボンで金縛るんだー
三度言ったら現実になるぞ。
乗組員はそれぞれ言われた通りに探し狩りたて脅かし金縛る準備はするが、見つけられない。このままじゃスナーク狩りは失敗だー。
言葉遊びを楽しむ文章とでもいうか、訳が分からないながらも、確かにおもしろい。
童話っぽい内容にナンセンスな展開、それでもキャロルとヤンソン、2人の天才の創作はなかなか楽しい。
地元で毎年晩夏に行われている国際絵本展示会があってきょう行ってきた。朝から盛況。絵本とはいえ、もちろん中には意味がとりにくいものもあったりするけども、そこが、おもしろい。世界の感性。「スナーク狩り」もテンポの良さ、くすくすと笑うようなコミカルさ、そしめどこか冒しがたい落ち着きというものが感じられて満足した。
京都コンサートホールは磯崎新の設計で、2階の大ホールまでは巻くようなスロープで上がるなど常にはない感じがあり、デザインも近未来的に思えました。建築好きちょっと楽しかったり😆
◼️ ルイス・キャロル/トーベ・ヤンソン
「スナーク狩り」
おお!なんちゅうスバラシイ組合せ!と手に取っちゃいますよね笑
不思議の国のアリスとムーミン。私は一昨年等身大のトーベ・ヤンソンを描いた映画「TOVE」を観てて、親しみもある。偉大なカップリングですよね。
さて中身を見てみると、トーベ独特のかわいさの混じる怪しさ、というタッチの挿絵は楽しいのですが、肝心の話が、なんというか、マザーグース的?意味が通りそうで通んない詩みたいなものなのです。いわゆる韻文らしい。一定の型式で表される詩、のようなものですね。シェイクスピアも韻文を多用しました。
対して訳者の穂村弘氏も悩んだ結果七五調を取り入れたらしい。
誰も見たことがない怪物スナークを捕まえようと船長ベルマンのもとには靴磨き、帽子屋、弁護士、ブローカー、ビリヤード・マーカーに銀行家、さらにウェディング・ケーキしか作れない名無しのパン屋。それに肉屋とビーバーといったヘンテコな乗組員が集まった。
細心の注意をもって指貫で探し、
ぴかぴかのフォークと希望で狩りたてる
鉄道株で脅かす、そして
笑みとシャボンで金縛るんだー
三度言ったら現実になるぞ。
乗組員はそれぞれ言われた通りに探し狩りたて脅かし金縛る準備はするが、見つけられない。このままじゃスナーク狩りは失敗だー。
言葉遊びを楽しむ文章とでもいうか、訳が分からないながらも、確かに言葉遊びもおもしろい。
童話っぽい内容にナンセンスな展開、それでもキャロルとヤンソン、2人の天才の創作はなかなか楽しい。
不思議の国のアリスとムーミン。私は一昨年等身大のトーベ・ヤンソンを描いた映画「TOVE」を観てて、親しみもある。偉大なカップリング。
さて中身を見てみると、トーベ独特のかわいさの混じる怪しさ、というタッチの挿絵は楽しいのですが、肝心の話が、なんというか、マザーグース的?意味が通りそうで通んない詩みたいなものなのです。いわゆる韻文らしい。一定の型式で表される詩、のようなものですね。シェイクスピアも韻文を多用しました。
対して訳者の穂村弘氏も悩んだ結果七五調を取り入れたらしい。
誰も見たことがない怪物スナークを捕まえようと船長ベルマンのもとには靴磨き、帽子屋、弁護士、ブローカー、ビリヤード・マーカーに銀行家、さらにウェディング・ケーキしか作れない名無しのパン屋。それに肉屋とビーバー。
細心の注意をもって指貫で探し、
ぴかぴかのフォークと希望で狩りたてる
鉄道株で脅かす、そして
笑みとシャボンで金縛るんだー
三度言ったら現実になるぞ。
乗組員はそれぞれ言われた通りに探し狩りたて脅かし金縛る準備はするが、見つけられない。このままじゃスナーク狩りは失敗だー。
言葉遊びを楽しむ文章とでもいうか、訳が分からないながらも、確かにおもしろい。
童話っぽい内容にナンセンスな展開、それでもキャロルとヤンソン、2人の天才の創作はなかなか楽しい。
地元で毎年晩夏に行われている国際絵本展示会があってきょう行ってきた。朝から盛況。絵本とはいえ、もちろん中には意味がとりにくいものもあったりするけども、そこが、おもしろい。世界の感性。「スナーク狩り」もテンポの良さ、くすくすと笑うようなコミカルさ、そしめどこか冒しがたい落ち着きというものが感じられて満足した。
9月書評の8
京都でルーブル展。美術館のある岡崎公園ではコスプレの大イベントやってました。ほとんど分かんないけど、SPY×FAMILYのヨルさん女子多かった。
ルーブル展は18世紀以前の作品が多く、フラゴナール、そしてシャーロック・ホームズの宿敵モリアーティ教授が好んだジャン=バティスト・グルーズの作品もあり、認識を新たにした部分もありました。イエスを抱くマリアの慈愛こもった顔、サッソフェラート「眠る幼子イエス」と、ダンテの神曲からモチーフを得たというアリ・シェフェール「ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスの亡霊」が良かった。
◼️ 河邉徹「流星コーリング」
高校の天文部員たちは、人工的に発生させるという流星群を観に行く。それぞれのドラマと秘められた事情。広島本大賞。
星好き、ブックオフでなんの予備知識もなくタイトルだけで買った本。りょうと詩織、仲の良い天文部のカップル。広島市が舞台で、会話は広島弁。進路に悩む主人公のりょうは東京の大学の指定校推薦に合格、しかし詩織に打ち明けられないでいた。詩織も、なにかりょうに言わなければならないことがあるようで・・。
最初はよくある青春小説かなと思った。ところが、物語は中盤に突然、りょうが人工流星が流れる日をループしてしまう、という仕掛けが出てくる。相談する部員たちにもそれぞれ悩みがあって、と上手な構成だなと感心。
初歩的な知識から、お泊まり観測会、全国の高校天文部が集まりプレゼンをするジュニアセッション、野辺山天文台行ってみたいなあ、それに文化祭のプラネタリウムなど、楽しそうで知的好奇心を刺激する活動を盛り込んでいて、星好きにはおもしろく読める。小学校の先生が熱心な人で、よく学校で天体観測会をしたことを思い出す。中高は運動に明け暮れたから、兼部とか出来なかったかな・・といまさら思ったりする。
人工流星計画は、本当にあるんだそうだ。ロケットから流星のもととなる物質を放出し、広島・瀬戸内の空に人工流れ星を降らせるシューティングスターチャレンジ。この物語にあるように2020年の実施を目指していたが諸般の事情で中止、見直しとなっている。まだ諦めたわけではないようだ。なんてステキなイベントなんでしょう。もし再度やるとなったら観に行くぞー。
著者はバンドのドラマーさんで、小説タイトルの曲も作っているとか。あとで聴いてみよう。真相が明らかになった後の、詩織の言葉が切なく輝く。センス良い締めに悲しくも読後感はエクセレントだった。たまたま手にして良かった。
ルーブル展は18世紀以前の作品が多く、フラゴナール、そしてシャーロック・ホームズの宿敵モリアーティ教授が好んだジャン=バティスト・グルーズの作品もあり、認識を新たにした部分もありました。イエスを抱くマリアの慈愛こもった顔、サッソフェラート「眠る幼子イエス」と、ダンテの神曲からモチーフを得たというアリ・シェフェール「ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスの亡霊」が良かった。
◼️ 河邉徹「流星コーリング」
高校の天文部員たちは、人工的に発生させるという流星群を観に行く。それぞれのドラマと秘められた事情。広島本大賞。
星好き、ブックオフでなんの予備知識もなくタイトルだけで買った本。りょうと詩織、仲の良い天文部のカップル。広島市が舞台で、会話は広島弁。進路に悩む主人公のりょうは東京の大学の指定校推薦に合格、しかし詩織に打ち明けられないでいた。詩織も、なにかりょうに言わなければならないことがあるようで・・。
最初はよくある青春小説かなと思った。ところが、物語は中盤に突然、りょうが人工流星が流れる日をループしてしまう、という仕掛けが出てくる。相談する部員たちにもそれぞれ悩みがあって、と上手な構成だなと感心。
初歩的な知識から、お泊まり観測会、全国の高校天文部が集まりプレゼンをするジュニアセッション、野辺山天文台行ってみたいなあ、それに文化祭のプラネタリウムなど、楽しそうで知的好奇心を刺激する活動を盛り込んでいて、星好きにはおもしろく読める。小学校の先生が熱心な人で、よく学校で天体観測会をしたことを思い出す。中高は運動に明け暮れたから、兼部とか出来なかったかな・・といまさら思ったりする。
人工流星計画は、本当にあるんだそうだ。ロケットから流星のもととなる物質を放出し、広島・瀬戸内の空に人工流れ星を降らせるシューティングスターチャレンジ。この物語にあるように2020年の実施を目指していたが諸般の事情で中止、見直しとなっている。まだ諦めたわけではないようだ。なんてステキなイベントなんでしょう。もし再度やるとなったら観に行くぞー。
著者はバンドのドラマーさんで、小説タイトルの曲も作っているとか。あとで聴いてみよう。真相が明らかになった後の、詩織の言葉が切なく輝く。センス良い締めに悲しくも読後感はエクセレントだった。たまたま手にして良かった。
2023年9月16日土曜日
9月書評の7
間違った😅のでもう1回。
◼️ 泉鏡花「春昼後刻」
春の色むせかえる風景に戻る。玉浦みをと散策士の邂逅。最高傑作の評価もある話の後編。
今回も菜の花畑、青麦の畠、海と波濤、獅子舞の赤、そして紫の傘。
「春昼」では観音堂に小野小町の恋の歌を書き付けた不遇な美しい人妻、玉浦みをに恋をした男が、夜の山で怪奇な夜天の劇場に行きつく。そして舞台の上で自分の分身が恋するみをの寝衣に「△□ ○」と書き付けるのを見た後、海に身投げするというストーリーだった。
主人公は小野小町の歌を見て、観音堂のある寺の僧侶から男とみをの話を聞いた若者、散策士。亡くなった男が最期に行った蛇の矢倉に案内しようかと僧侶に誘われるが断って辞す。
宿に戻る途中、黒い馬に乗った白い腕をした人間がすぐ上の空を飛んで過ぎる幻を見る。
さすがの泉鏡花、序盤に先ぶれの妖しを入れてきます。閑話休題、それはさておき。
村へ帰ってきたところ、行きがけに2階家に蛇が入るのを見たと話した農夫にまた出会う。農夫は青大将を捕まえて捨てた、家の夫人がお礼を言いたいとほら、そこに、と。
「錦の帯を解いた様な、媚めかしい草の上、雨のあとの薄霞、山の裾に靉靆く(たなびく)中に一張の紫大きさ月輪の如く、はた菫の花束に似たるあり」
女は紫の傘を差して野に座っていた。狭い一本道、宿に帰るにはどうしても女の前を通らなければならない。
僧侶に聞いた話の、玉浦みをに違いない女は散策士には空恐ろしく、文中で鬼とも例えています。なんかマッチする感じ。
九字を切る、護身のお呪いを唱えて、そしらぬ顔で行き過ぎようとしますが、きっと興味もあったのでしょう。結局座り込んで話すことに。みをが何を話したのか?読んでみてくださいね。
男は、みをが出した「オリイブ色の上表紙に、とき色のリボンで封のある、ノオトブック」を見せてもらいます。中にはなんと○△□がいくつも書いてあり、蒼ざめます。コワイ〜!
○△□は何の意味があるのか?みをは説明しています。これもお楽しみですね。何を意味するのかは研究者たちに諸説あるらしいです。この後の成り行きからすると、愛の合い言葉のような・・。
さて、テンテンカラ、テンカラ。太鼓の音とともに黄色に菜の花畑に鶏が舞い上がったかのようにいでた獅子舞。十三、四歳と八歳の男の子の獅子舞でした。みをは年上を家に行かせてお金をあげ、その間に年下の子を強引に抱きしめます。ばくりと口を開ける獅子頭。子らに親はいないようだ。
美女、たおやめはその代わり、この紙切れを持ってておくれ、と○△□を書いた紙に和歌を書き付ける。
「君とまたみるめおひせば四方の海の
水の底をもかつき見てまし」
みるめ、は亡き人と会う目、と海藻の一種の掛け詞。もう一度お会いできる「みるめ」が生えているのなら、海の底へでも潜って探したい。
和泉式部の歌だった。
やがて獅子舞の2人は海辺へ。男も宿へ戻ろうと思ったが、街道は芝居終わりで人がごった返していて、海辺へと行ってみた。
この後悲劇が・・そしてみをも歌の通りに・・
前編とも言える「春昼」はどれかというと物語重視、後編の「春昼後刻」は少し人の世に関する表現や説明が長く、難しい感じがしたかなと。でも和歌といい、成り行きといい、またむせかえるような春の描写、その心持ちを言わせているみをの長セリフといい、やはりすごくよく出来た話だと思う。
古語がたくさん入っている文章は難しい。解説を検索してあれこれ調べるのも泉鏡花の楽しみの一部かも。
やっぱり楽しめました。うーん。いいね泉鏡花。これまたライフワークになりつつある。
◼️ 泉鏡花「春昼後刻」
春の色むせかえる風景に戻る。玉浦みをと散策士の邂逅。最高傑作の評価もある話の後編。
今回も菜の花畑、青麦の畠、海と波濤、獅子舞の赤、そして紫の傘。
「春昼」では観音堂に小野小町の恋の歌を書き付けた不遇な美しい人妻、玉浦みをに恋をした男が、夜の山で怪奇な夜天の劇場に行きつく。そして舞台の上で自分の分身が恋するみをの寝衣に「△□ ○」と書き付けるのを見た後、海に身投げするというストーリーだった。
主人公は小野小町の歌を見て、観音堂のある寺の僧侶から男とみをの話を聞いた若者、散策士。亡くなった男が最期に行った蛇の矢倉に案内しようかと僧侶に誘われるが断って辞す。
宿に戻る途中、黒い馬に乗った白い腕をした人間がすぐ上の空を飛んで過ぎる幻を見る。
さすがの泉鏡花、序盤に先ぶれの妖しを入れてきます。閑話休題、それはさておき。
村へ帰ってきたところ、行きがけに2階家に蛇が入るのを見たと話した農夫にまた出会う。農夫は青大将を捕まえて捨てた、家の夫人がお礼を言いたいとほら、そこに、と。
「錦の帯を解いた様な、媚めかしい草の上、雨のあとの薄霞、山の裾に靉靆く(たなびく)中に一張の紫大きさ月輪の如く、はた菫の花束に似たるあり」
女は紫の傘を差して野に座っていた。狭い一本道、宿に帰るにはどうしても女の前を通らなければならない。
僧侶に聞いた話の、玉浦みをに違いない女は散策士には空恐ろしく、文中で鬼とも例えています。なんかマッチする感じ。
九字を切る、護身のお呪いを唱えて、そしらぬ顔で行き過ぎようとしますが、きっと興味もあったのでしょう。結局座り込んで話すことに。みをが何を話したのか?読んでみてくださいね。
男は、みをが出した「オリイブ色の上表紙に、とき色のリボンで封のある、ノオトブック」を見せてもらいます。中にはなんと○△□がいくつも書いてあり、蒼ざめます。コワイ〜!
○△□は何の意味があるのか?みをは説明しています。これもお楽しみですね。何を意味するのかは研究者たちに諸説あるらしいです。この後の成り行きからすると、愛の合い言葉のような・・。
さて、テンテンカラ、テンカラ。太鼓の音とともに黄色に菜の花畑に鶏が舞い上がったかのようにいでた獅子舞。十三、四歳と八歳の男の子の獅子舞でした。みをは年上を家に行かせてお金をあげ、その間に年下の子を強引に抱きしめます。ばくりと口を開ける獅子頭。子らに親はいないようだ。
美女、たおやめはその代わり、この紙切れを持ってておくれ、と○△□を書いた紙に和歌を書き付ける。
「君とまたみるめおひせば四方の海の
水の底をもかつき見てまし」
みるめ、は亡き人と会う目、と海藻の一種の掛け詞。もう一度お会いできる「みるめ」が生えているのなら、海の底へでも潜って探したい。
和泉式部の歌だった。
やがて獅子舞の2人は海辺へ。男も宿へ戻ろうと思ったが、街道は芝居終わりで人がごった返していて、海辺へと行ってみた。
この後悲劇が・・そしてみをも歌の通りに・・
前編とも言える「春昼」はどれかというと物語重視、後編の「春昼後刻」は少し人の世に関する表現や説明が長く、難しい感じがしたかなと。でも和歌といい、成り行きといい、またむせかえるような春の描写、その心持ちを言わせているみをの長セリフといい、やはりすごくよく出来た話だと思う。
古語がたくさん入っている文章は難しい。解説を検索してあれこれ調べるのも泉鏡花の楽しみの一部かも。
やっぱり楽しめました。うーん。いいね泉鏡花。これまたライフワークになりつつある。
9月書評の7
ひさしぶりに見たきぼう🛰️やっぱり手を振っちゃうな😆会社の食堂本日までのかき氷。小さいけどやっぱ1人で食べるには多い。この夏はハンディファン使わなかったけど、湿度が高くていやな気候、9月半ばで初めて使用。まあいつも彼岸までは暑い。朝晩は涼しくなってきたし。もう秋やね。
◼️ ポール・オースター「闇の中の男」
いくつものモチーフを持つオースター。このテイストも新たな出会い。
引き込まれるな、と思う。構成がバツグンで、盛り込んである要素も魅力的。あれ?と思わせる展開もうまく収まっている気がする。オースターは数を読んでるわけではなく、バラバラとそれぞれ違った設定の作品に目を通した感じかなと。「ムーン・パレス」「ガラスの街」「幽霊たち」「最後の物たちの国で」。でもさすがというかそれぞれインパクトが強くおおむねのストーリーと特徴を覚えている。「幽霊たち」のユーモアが特に印象が強かった。
熱心なファンも多いようだ。この本は書評で目に留まりひさびさに読んでみることにした。
老人とその家族の物語。孫娘は恋人が悲劇に襲われ、引きこもっている。祖父で語り手の老人は、脚の不自由を抱え、孫娘と数々の映画DVDを見ながら語らう。そして眠れない深夜、老人は、物語を夢想するー。それは、ある男が9.11テロが無く、アメリカがひどい内戦状態に陥っている世界に突然連れてこられ、正体不明の軍事組織から殺人を命じられる話だった。
オースターは9.11テロが起きた時、まさにニューヨーク、ブルックリンにいて、破壊された世界貿易センターからと思われる煙が窓から入ってきたそうだ。坂本龍一の著作では、当時の市民にとってこのテロはひどいショックで、危機感がピークだったという。今作はその影響が濃いそうで興味深い。また、劇中劇はオースターお得意だそうだ。
暗い家族のベースから引き込まれるストーリーが展開され読み手は引っ張られていく。ところどころ老人の現実が挟まれる。そして劇中劇と老人の過去といまが交錯し、やがて現実の比重が増して、役割を終えたストーリーに変わり、老人の家族の物語になる。
劇中劇が突然エンドを迎え、えっこれで終わっちゃうの?でもきっとラストには何らかの結末がーと期待を残す。しかし次第に中心となる家族のストーリーもまた味わい深い。何より詳しく紹介される小津安二郎「東京物語」の描写が圧巻で、日本の読者向けの作品とも思える。これもまた劇中劇の1つなのだろう。
人生には穏やかなことばかりではなく、大災害や戦争に突き当たり、そして人間の生の特質が現れ、冷酷でやりきれない切り捨ても起こる。もちろん小説となると特殊と思える話も多い。ふりかえり積み重なった歩みに想いを馳せ、そこにまた良かれ悪しかれ人間性を見出すことをひとつ表象してるんだなあ、なんて思って語る気にさせる。
世界的大事件の影響の取り込み、会話の妙、映画、芸術関連の小粋な要素、SF的歴史変換の劇中劇など構成には唸らされるものがある。
興味深く読み込めました。
◼️ ポール・オースター「闇の中の男」
いくつものモチーフを持つオースター。このテイストも新たな出会い。
引き込まれるな、と思う。構成がバツグンで、盛り込んである要素も魅力的。あれ?と思わせる展開もうまく収まっている気がする。オースターは数を読んでるわけではなく、バラバラとそれぞれ違った設定の作品に目を通した感じかなと。「ムーン・パレス」「ガラスの街」「幽霊たち」「最後の物たちの国で」。でもさすがというかそれぞれインパクトが強くおおむねのストーリーと特徴を覚えている。「幽霊たち」のユーモアが特に印象が強かった。
熱心なファンも多いようだ。この本は書評で目に留まりひさびさに読んでみることにした。
老人とその家族の物語。孫娘は恋人が悲劇に襲われ、引きこもっている。祖父で語り手の老人は、脚の不自由を抱え、孫娘と数々の映画DVDを見ながら語らう。そして眠れない深夜、老人は、物語を夢想するー。それは、ある男が9.11テロが無く、アメリカがひどい内戦状態に陥っている世界に突然連れてこられ、正体不明の軍事組織から殺人を命じられる話だった。
オースターは9.11テロが起きた時、まさにニューヨーク、ブルックリンにいて、破壊された世界貿易センターからと思われる煙が窓から入ってきたそうだ。坂本龍一の著作では、当時の市民にとってこのテロはひどいショックで、危機感がピークだったという。今作はその影響が濃いそうで興味深い。また、劇中劇はオースターお得意だそうだ。
暗い家族のベースから引き込まれるストーリーが展開され読み手は引っ張られていく。ところどころ老人の現実が挟まれる。そして劇中劇と老人の過去といまが交錯し、やがて現実の比重が増して、役割を終えたストーリーに変わり、老人の家族の物語になる。
劇中劇が突然エンドを迎え、えっこれで終わっちゃうの?でもきっとラストには何らかの結末がーと期待を残す。しかし次第に中心となる家族のストーリーもまた味わい深い。何より詳しく紹介される小津安二郎「東京物語」の描写が圧巻で、日本の読者向けの作品とも思える。これもまた劇中劇の1つなのだろう。
人生には穏やかなことばかりではなく、大災害や戦争に突き当たり、そして人間の生の特質が現れ、冷酷でやりきれない切り捨ても起こる。もちろん小説となると特殊と思える話も多い。ふりかえり積み重なった歩みに想いを馳せ、そこにまた良かれ悪しかれ人間性を見出すことをひとつ表象してるんだなあ、なんて思って語る気にさせる。
世界的大事件の影響の取り込み、会話の妙、映画、芸術関連の小粋な要素、SF的歴史変換の劇中劇など構成には唸らされるものがある。
興味深く読み込めました。
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