◼️小勝郷右「花火ー火の芸術」
古い本なんだけど、滋味掬すべき内容。日本人の職人気質がここにある。
大輪の花火は日本が一番、という話は聞いていた。ただ起源はどうなのか、ヨーロッパの王宮から花火を観る、というメディアの描写もあり、世界と日本との違いは何なのか、ということにはかねがね興味をもっていた。1983年という40年以上前の新書。でも読んでいてこう、ワクワクが湧き起こってくるような感覚を覚えた。
火薬は中国で開発され、鎌倉時代、元の襲来時には兵器として使用されていて、日本は未知の攻撃に苦しめられた。火薬の中に石のようなおもりを包み込み、点火してから大きな杓子のようなもので飛ばしたのではないかと見られている。中国から伝わったヨーロッパでは中世の戦争で飛躍的に大砲などの技術が高まる。
記録がはっきりしないとのことだが16世紀のイギリスでは国王の戴冠式などで花火大会があったことがあったらしく、17世紀には研究所も作られたらしい。
日本では鉄砲が伝来したものの花火が確立するのはまだまだ先で、1613年、イギリス人と明の商客が徳川家康に拝謁し花火を見せたという記録がある。著者は筒から吹き出すような花火だったのではと推測している。この時期の花火はまだ外国人が自国の花火を打ち上げていたようだ。
戦乱の時代が収まり、武器転用の需要も落ち着いたからか、線香花火を経て、国内の打ち上げ花火が実現したのは1717年。初代鍵屋八兵衛が江戸の水神祭りの日に後の川開き花火の先鞭となる献上花火を打ち上げてみせた。ちなみに鍵屋の分家が玉屋で、なるほど、あの掛け声はここからか、と納得。しかし玉屋は大火を起こしてしまい江戸追放になったとか。
本を読み進めるに、花火はあっという間に全国に広がったようだ。1731年長野県の清内路では氏神の社殿の改装時に大花火が上がったという。
この後日本の花火師は技を競い合い、花火は庶民に大人気。仙台では見物人が殺到したため橋の欄干が折れ死者が出たとの話もある。日本での打ち上げ花火は木炭を燃やしたもので色も単色の炎色。燃焼力も弱い。ただ、まだ街灯もつかず、夜となると現代よりはるかに暗かった時代、闇夜に浮かび上がるこの「和火」にはちょっと思いを馳せてしまう。花火師は強弱や濃淡に工夫を凝らしていた。
鎖国していた日本に、文明開花で燃焼力の強い薬剤や炎色剤が入ってくると、緑や赤といった色が格段に鮮烈に出せるようになり、一気に幅が広がり、名人花火師が続出した。
花火の構造、作り方も詳細に紹介してある。1つ1つの光のもとである「星」をたくさん作って燃焼剤の「割薬」の中にきれいな円形になるように慎重に並べる。星には途中で色が変わったり、消える前に音を出したりという仕掛けを潜ませる。最高到達点で開き、どこから見てもきれいな円になるように、詰めた全部の星が思い通りに輝くように、そして一斉にふっと吹き消すように消えるように。
花火玉の導火線である親導(おやみち)や、半分に割った玉を貼り合わせて球状にした後さらにその上に貼る紙にもこだわり、研究を重ねる日本の花火師。この時代は手袋もせず不安定で危険な火薬を手で練り込んでいく。花火はテストができないから常にぶっつけ本番。かつミスは許されない。打ち上げも過酷で火花にまみれる。
この花火にかける思い、完成度への執念があるからか、日本の花火は世界一だという。外国では、星の詰め方などがけっこう雑で、円形ではないそうだ。筆者が諸外国で花火を打ち上げた話も壮大ですばらしい。
楽しい読書だった。40有余年を経て、いまの花火師業界はどうなのか、最新の話を読んでみたい気もする。
0 件のコメント:
コメントを投稿