2024年2月18日日曜日

2月書評の6

いちご狩りに行った弟から贈り物。でかっ!

◼️ カレル・チャペック「ロボット(R.U.R)」

現在に至る「ロボット」の語源となった戯曲。人間とロボットの境界線。

再読。もうすぐこの戯曲の舞台を観に行くので予習。その時々で感想は違うものだし、思い出しがてら、いまの目で読んでみた。

時代の順番が逆なのを承知で言うと、手塚治虫っぽい台本だな〜と。でもメカの特徴を浮き立たせ、人としての忌避感や理屈づけが行われている気がする。でもこれが、初期SFの面白さで興味は尽きない。戯曲だけに壮大で極端な劇となっている。

労働用ロボットを生産する孤島、そこへ富豪の娘であるヘレナが単身やって来る。ヘレナは人道連盟を代表して来訪したと明かし、ロボットたちを保護し、解放すべきだと訴える。しかし社長のドミンを始め重役たちにロボットの現実を見せられ、説かれて、取り込まれてしまうー。

第一幕は主にロボットたちの性能、使役の状況と有用性、廃棄などを説明する場面で、第二幕以降、意思を持ったロボットのため事態は大きく動く。まさに根源的ともいえる流れでコミカルな場面も多く見られ、上手に結末がつけてある。まだロボットに人間そっくりの身体、機能と生命を与える部分は体系化されていない。

先に述べたように、まるで手塚治虫のマンガの世界。成り行きも分かるような気がするものの、これが次は次はと読み進んでしまう面白さ。にぎやかしい登場人物をもっと活かせそうな気もする。でもそこが第三幕の孤独へと結びつく。

当時機械に向き合った人々には、内在している大きな畏怖が内在していたのかもしれないと思う。この劇にあるようにロボットは計算能力、多言語能力に秀でていて、力も強く、疲れない。造ったその日から働けるし、いくらでも取り替えがきく。想像、懸念が果てしなく転がり膨れ上がる要素がそこにある。

40年に渡って書かれたシャーロック・ホームズ物語の中でも電報、馬車から電話、自動車へと時代は動き、巷ではガス燈も電灯に変わっていきました。科学の世紀を経て、進化が止まらない現実に当時の人々が未来への、ある意味豊かな想像力を刺激した側面もあるかなと。


先日発表された芥川賞作家が受賞作の創作にChatGTPを利用したことが世界的な話題になっているとか。私の友人にもやがてAIが作った小説がおもしろいと売れる日が来るかもよ、と言う者がいる。

人間と機械との境い目、に人は敏感で、その点現代もこの戯曲に似通っているのかもなどと考える。

現実にはロボットが活躍する、という場面は実生活においてはまだまだ無い。というか機能的にアンドロイド型が必要なのか、という感じだ。進歩?進化?には停滞と試行錯誤がつきものではある。でも10年20年のスパンでは、確かに大きく変わっていくのは実感としてある。そこに人間との境い目、を感じていくことはやむなき人の性さがなんだろうか。

この戯曲は極端なストーリーで決して楽観的な進行ではない。ただどこかにのどかさというか、ひょうきんさがベースとしてある。ドラえもんで、四次元ポケットから出て来る未来の便利な道具に振り回される展開にも通じるような。さてさて、舞台化されたものはどんなんだろうと、楽しみになってくるのでした。

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