2022年10月31日月曜日

10型書評の9

下がコピペ失敗、内容途中で切れてるのでtake2。神戸の新水族館・atoaに行ってきた!

◼️ レイ・ブラッドベリ「華氏451度」◼️ レイ・ブラッドベリ「華氏451度」

思ったよりも荒々しい。ストーリーはシンプルにして言葉は詩的。

先に読んだ星新一の本で、星氏はブラッドベリの「火星年代記」にインスパイアされた、とのことで読みたいなと図書館で見てみたら「火星」はなくこちらがあった。あとがきを読んでみると学校でも採用され、アメリカの国民的文学に準ずる地位に押し上げられている作品、というくだりが目に入り、ほー、有名な本だし、と借りてきた。物語の読了後、やはりあとがきで、フランソワ・トリュフォーが「火星」を映画化しようとブラッドベリに連絡したところ断られ、代わりにこの作品を推薦されて映画化権を買い取った、との記述があり、なんとはなしの類似性に苦笑してしまった。

本を持つことが禁止されている未来。テレビは壁に映し出され、スイッチを入れると家の中で「家族」が喋り出す。ガイ・モンターグは通報があると火炎放射器で本を焼き尽くす「昇火士」。昔は火事を消す消防士という職業があったそうだがはっきりしない。

ある日、多量の書物を所蔵する家に踏み込んだモンターグたちは、老婦人が本たちを渡そうとせず、毅然として自ら昇火剤に点火し、本や家と一緒に焼身自殺するのを見る。

以前から本に興味のあったモンターグはこの事件にショックを受ける。妻のミルドレッドは俗に染まり、モンターグの気持ちを理解しようとしない。そしてモンターグは隠しておいた本を、取り出すー。

ディストピアもので、ストーリーはこのあとモンターグが大ピンチになり逃亡、という流れになる。

二律背反するモンターグの行動。心の中のアンビバレントな衝動と言葉の洪水。アメリカの歌の歌詞や一部のSFものに共通する、深みのありそうな例えや言葉で荒っぽく押しまくってくる印象だ。フィリップ・K・ディックに似ている気がする。

本を焼く、焚書、というのはやはりインパクトを残す。過去の消防士と現代の昇火士の対比もおもしろい。戦争が勃発し危急のさなか、見えない道のりを歩む、それを予感させて終わる。

創刊から人気を博した初期のPLAYBOYに連載されたという。なんかこの、トガッた感じと言葉で押しまくる部分は雑誌のブランディングとしてマッチしていたのかもしれない。

この世界では2022年から2度核戦争が起き、アメリカは2度とも勝ったという。その年に読了するとは、なんかまた呼ばれたような感じを覚える。

この物語の、享楽的ながらも完全に統制された世界は、ヒトラーの記憶も新た、共産主義が勢力を広げていた1950年代では現代とはかなり違った強い響きを持ち、アヴァンギャルドだったのではなかろうか。しかもはるかな未来だ。


アメリカっぽいところに押されるが、このダイナミクスと、多くの言葉がパズルのピースのように、全体で大きな不条理さを代表しているように思える。人間の苦悩は理屈で説明できるものではないことを実感させたりする。

いずれ「火星年代記」も読もう。


◼️ 「日本鬼文学名作選」

異界とのあわいに立つ異形の巨体、赤く、青く、太く硬い角。鬼は物語を持っている。浸りました。

栄華を極めた藤原道長の時代の源頼光、その四天王である渡辺綱、碓井貞光、卜部季武、そして坂田金時、さらに藤原保昌。酒呑童子を退治した時、切り落とされた童子の首が宙を飛んで頼光の兜に噛みつく。渡辺綱は髭切の太刀で茨木童子の腕を切り落とすー。鬼とは。

鬼の話には惹かれるものがあり、多少読んでいる。この本もかなり楽しかった。

芥川龍之介、筒井康隆、菊地秀行、高橋克彦らの鬼に関する小説が収録されている。野坂昭如による御伽草子の酒呑童子物語の現代語訳もあって嬉しい。

途中鬼ものの作品を多数描いている鬼好き作家の加門七海と霜島ケイの対談もあり、鬼というものの研究考察、取材について述べられているのもすごく参考になる。子どもと見たことはあるがこわキモくてやだ、と言われた「仮面ライダー響鬼」についてのくだりもおもしろい。鬼好きだけれども体系的には調べてないし知らないことが多くて興味深い。

アプローチはさまざまだ。芥川は鬼が平和な生活をしてたのにいきなり殺戮に来た桃太郎のKYぶり、驕り高ぶった姿を描いているし、筒井氏はおばあさんが拾ったのは桃ではなく妊娠した桃尻だったと、コケティッシュ&エロティックに展開してさらに最後はSF的な風味を加えている。

菊地秀行の「大江山異聞 鬼童子」の抜粋はもう、怪しくて引き込まれて、全部読みたいぞーとなった。
霜島ケイ「鬼の実」モノノケ市には恒川光太郎を思い出したりして。加門七海「鉢の木」は妖しく艶めいている。どちらも異世界が見えるようだ。


平家物語 剣の巻の現代語訳は、おそらく演出のための創作も入っているだろうけれども内容は記紀やお伽草子を踏まえ、熱田神宮の由来も盛り込まれていて、総花的とはいえこの時代にこれほどのまとめ方がなされていることに驚く。そしてこの本のそれぞれの篇の鬼エピソードとつながっている感がある。

高橋克彦の鬼シリーズはほとんど読んでいてたぶん収録の「視鬼」も再読。雰囲気の作り方、小道具の笛の使い方、展開はさすがでうらぶれ荒れた都の片隅、その夜の深さを想像して楽しめる。

なぜ女は鬼や妖怪に喰われるのか。歌人である馬場あき子さんの著書「鬼の研究」は持っている。おもしろいテーマの分析。馬場さんは能作家でもあるそうだ。能にも鬼の出てくる作品はいくつもある。安達原、紅葉狩。恨みを持つ女が五徳を逆さに頭に載せて鬼となる「鉄輪」の話を読んだ時はゾクゾクした。

鬼の本は多くあり、ジャンルを問わず生み出され続けている。まだまだ楽しめそうだ。渡辺綱が美しい女に化けた茨木童子に出会った一条戻橋は晴明神社の前にあるとか。今度の京都散策で行ってみようかな。

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