なんちゃって冷や汁とかしわめし。宮崎と福岡、九州ごはんバリエーションの1日。かしわめしは美味くて食べすぎた。
プロ野球⚾️はソフトバンクが敗れオリックス勝ち、逆転の2連覇!令和の三冠王誕生、パーフェクトゲーム、ノーヒットノーラン多数となにかと記憶に残る劇的なシーズンでした。
わがライオンズは山川がホームラン王、打点王。最優秀中継ぎ投手に水上と平良。新人王も水上になるだろうか。次の週末から福岡でクライマックスシリーズ。まだまだ応援できる!めざせ下克上。
◼️ 宮沢賢治「まなづるとダアリヤ」
コバルト硝子の光のこな、パラフィンの雲、黄水晶(シトリン)の夕空、琥珀の夜明け。
本の探し方はさまざま。角川の宮沢賢治の本はほとんど読んだ。しかしシリーズ中この本だけは図書館にもないし、書店でも、ブックオフでも見かけない。そこまで熱心に探してたわけてないけども、今回古書のwebを除いたところたまたま見つけて即入手。地元で古書店を営む、宮沢賢治学会員の店主さんによればやはり貴重なんだそうだ。
動植物に絡む童話が17篇。大半が寓話的、何かの教訓を示しているかのような話。「寓話 洞熊(ほらくま)学校を卒業した三人」は蜘蛛となめくじと狸がそれぞれ血も涙もなく、獲物や、口先で頼ってくる相手を騙して食べてしまう。そして3人ともしっぺ返しのような形で死に絶える。
「ツェねずみ」「クンねずみ」「蛙のゴム靴」ほかどこか思い上がっていて痛い目にあったり、意地悪が出てきたりする。
表題作「まなづるとダアリヤ」では、赤い立派なダアリヤと、少し小さい2本の黄色いダアリヤを中心に物語が動く。赤いダアリヤは自分の光でそらを赤くしてやろうと思っている。黄色いダアリヤは女王様のような赤いダアリヤを褒めそやす。
赤いダアリヤは、夕夜に通りかかるまなづる、鴇に自分はきれいでしょう、と尋ねるが、鳥はいつも生返事をして白いダアリヤの元へと行ってしまう。そして・・他の話と同じく、赤いダアリヤには破滅が訪れる。
見出しの表現はすべてこの話に出てくるもの。賢治は朝方を黄水晶、夕方を琥珀の色とすることを好んだとか。次に夜明けや夕方から夜に移る短い時間の空を見た時思い出せたらいいなと思った。夜に近い薄明の空はまた、桔梗色、青の入った紫、とも書かれている。この話は色彩豊かで、黒紺もあるけれど、明るい色彩を組み合わせたマティスの絵ような情景も浮かぶ。鴇色も想像する。まなづるのとぼけたような、世知にたけたような態度とともに強く印象に残る。
ちょっと残酷な結末、それで何かを示唆したまま終わる、余韻。それでもどこか色味やユーモアを感じる描き方。
とのさまがえるがあまがえるを舶来ウェスキィで酔っ払わせて、勘定のかたに家来にする「カイロ団長」は、寓意の暗示というよりは勧善懲悪の明示で、ほのぼのとする。またあまがえるたちの活き活きとしていること。
「いちょうの実」は千もの銀杏の子供たちが、大きなお母さんいちょうから旅立つ。
「突然光の束が黄金の矢のように一度に飛んで来ました。子供らはまるで飛びあがるくらい輝きました。北から氷のように冷たい透きとおった風がゴォーッと吹いて来ました」
多くの子たちが可愛らしい会話を交わしたあと、一斉に光り輝き、雨のように降り落ちる。この話は意地悪も驕りも痛みも残酷さもない。童話集のほどよきアクセントは切なさだったりする。ラストの「茨海小学校」は賢治と思しき農学校の先生が狐の学校を訪問する話で微笑ましく終わり。
訓示的な話は賢治の人生や思想と重ね合わせて、研究のしがいもあるかな、なんて思う。今回も話の発想や、独特の世界を感じさせる風景の描写、その描写に使う言葉、色などに感ずるもの多い宮沢賢治読書だったのでした。
◼️泉鏡花「化鳥」
泉鏡花の醸し出すものには惹きつけられる。
宮沢賢治や手塚治虫はこの話を読んだのだろうか、などと考えてしまった。
明治30年、1897年に泉鏡花が23歳にしてものした短い作品。「夜行巡査」「外科室」などで注目されてほどなく、の時期である。
山の話で、最初の方はなにやら宮沢賢治みたいなテイストが漂う。
小学生の男の子・廉(れん)は山の橋のたもとの番小屋に母親と2人で暮らしている。父親が生きていた頃は裕福だったが、亡くなってから零落し、橋の渡り賃と母の内職で糊口をしのいでいるようだ。
廉は母の教えである
"人も、猫も、犬も、それから熊も、皆おんなじ動物(けだもの)だ"
という言葉を信じ、学校の先生と議論したりして、母子ともども変わり者という見方をされつつも、山の暮らしを楽しみ、母を愛している。
橋はそこそこ人が通り、太って気取った格好をした博士のようなお偉いさんが登場して通行料支払いをごまかそうとしたりする。
廉は以前に猿回しが置いていった不思議な猿が飛びかかってきたはずみに川へ落ち溺れかけた。その時に救いあげてくれた、大きな目をした人について母に問うと
「大きな五色(ごしき)の翼(はね)があって天上に遊んでいるうつくしい姉さんだよ」
と言われ、会ってみたくて探し回る。
近くの梅林。気がつくと日が暮れ、星も見えない、曇りの夜。蛙の声が高まる、梟の声がいくつも響く、身体が動かず、這いつくばる。左右に袖を開いたその時、自分が鳥に見えて叫ぶ。すると背後から抱きしめる手がー。
正直ほのぼのしたまま終わるかも・・と思っていたらどうしてどうして、相変わらず、怪異を盛り上げるのが異常に上手い。鬼才。
「夜行巡査」などとテイストは違うけれども、泉鏡花はどこそかに社会の様相を織り込んでいる。また権力者の驕りには厳しい目を向けているような気がする。
ファンタジックかつ、めずらしく童話的、さらに少年の、安心感とともに、母への溺愛という面で、将来への不安をも感じさせる。
テクニカルな面はいつも唸るものがある。今回はなにより自由な発想がいいし、ちょっと手塚治虫やジブリ作品まで連想させる。
タイトルもおどろしくてGOOD!また読みたくなりますね。
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