2022年10月15日土曜日

10月書評の5

今年中接近の月と火星が上下に並び、左上にはぎょしゃ座のカペラ、右上にはおうし座アルデバラン、右下にオリオン。朝晩寒くなると空気が冴えて星がきれいやね。


◼️ 青木奈緒「ハリネズミの道」

あの頃、の留学日記というのはみずみずしくおもしろい。

青木奈緒は青木玉の娘、青木玉は幸田文の娘、幸田文は幸田露伴の娘。一族4代め文筆家のデビューエッセイである。

幸田文はきものを愛するベスト・エッセイスト、青木玉は「幸田文の箪笥の引き出し」というエッセイに感銘を受けた、やはり良き書き手。

青木奈緒がドイツに留学した際の体験談を、京(ミヤコ)という主人公に仮託して書いた連作のエッセイ。時たま突然3人称になっていちばん仲のいいエルケ目線に変わるなどふうん、というポイントがあったりする。

時代は東西統一して間もないドイツ、南部の小さな街。空港から寮に入り季節がひとめぐりする1年の留学生活のエピソード、短いひと篇ずつが重ねてある。

留学先の大学の寮は男女の部屋が同じフロアにあり、ミヤコのような東洋人、アフリカ、そして国内からヨーロッパ各地からの留学生との共同生活。日本のことはあまり認知されておらず、物をはっきり言わないことを嗜められたりもする。ダイニングルームに集まるミニパーティなぞいかにも学生っぽくて、読んで楽しい。恋愛、自然保護運動、見えない将来、学問。

たどたどしかったミヤコはムリなくなじみ、ドイツの一部となっていく。

当地の考え方や風習に驚いたり感心したり、誤解されている日本のことを説明したり・・よくあるような題材の気もする。でも最近読んだ奈倉有里「夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く」のように、異国の留学生活を辿る文章に触れるのは意外に楽しい。したことのない留学を追体験しているようで、けっこう興味深く読み込んでしまう。

ドイツではミルクライスといって、米を牛乳で煮て、シナモンシュガーやフルーツをトッピングして食べたりするんだそうです。他いろんな調理の仕方があり、へ〜とは思いました。ただ、著者も書いてる通り、ミルクライスは私もカンベンしてほしい感じっす。

ミヤコは誘われてサッカー、ブンデスリーガのブレーメンの試合を観に行く。あまりスポーツ興味ないようなのに、満足した体の一話に思い出す昔話。

「アルゼンチンに留学した友達は私と同じでスポーツぜんぜん興味ない子だったのにいまやめっちゃサッカーファンですよ〜」という後輩から聞いた話。アルゼンチンはサッカー熱高い国。環境は人を変えることもある。青木奈緒が留学した当時はJリーグ開幕前夜くらいと思われ、ヨーロッパサッカーなんてほぼ知られていなかったころ。よけい新鮮だったかも。

終盤、そり遊びをしていた小さな男の子、ミヒャエルと友達になり、その誘いでミヒャエルの叔父カールハインツと3人で5日間の自転車旅行。リンゴやブドウの果樹園、大きく広い丘、森に渓流、城跡のキャンプ場。留学から帰る前の体験は開放的で美しい。エッセイの流れとしてもきれいだ。

幸田文は、生活をベースにした、フレッシュで芳醇な文調、青木玉は母親のテイストに、たおやかさとチャーミングな面を加えた感覚。さて、青木奈緒はというと、母とはあまり似ておらず、どちらかというと現代的にドライ、内向的で一見遊びがない。描く対象、題材を派手でない言葉でじわりと感じさせるタイプかなと思った。感じたことそのままの若さも漂うが、それもいいかも。

ハリネズミの道とは、寮近くの池に続く小道のこと。しかし、この南ドイツではホンモノのハリネズミが町にふつうに出没、ミヤコも遭遇する。へええ、だった。見てみたい。


◼️ チンギス・アイトマートフ
「この星でいちばん美しい愛の物語」

小説の核を見る思いもする。本を読み込む身には効く。

去年のショパンコンクール2次審査でこんなことがあった。最終的に4位に入った小林愛実が極小、極めて弱い音を使い課題曲を弾き出した瞬間、客席にサーッと緊張が走り演奏に集中するのを感じた。小林愛実が持つピアニズムもさることながら、大きな音でかき鳴らし気味のコンテスタントたちの演奏を聴いてきた中で、ひときわそれは新鮮に響いた。これは、ちょっと違うぞ、というように。例えが長くて思い入れ入ってて恐縮だが、今作を読んでいて、思い出した。

なんというか、剥き出しの物語を読んでる心地がした。ふだん読む小説はどうしても説明が多くなるため、エッセンス、核を見ているようだった。

第2次大戦でドイツと戦っているソ連はキルギスの村。若者は兵隊に取られ、15、6歳の少年たちが集団農場で働き家を支えていた。セイットもその1人。隣の親戚の家もやはり2人の若い男が出征しており、長男サディクと結婚したばかりの、ジャミーリアがセイットは好きだった。ジャミーリアは若く美しく、裏表のない、明るく激しい気性をしていた。

ジャミーリアとセイットは、軍隊に送る麦を約20キロ離れた駅へ、毎日馬車で運ぶことになる。脚にケガをして戦地から帰ってきた若者ダニヤールも一緒に行くことになった。ジャミーリアとセイットは、無口で村の者たちになじまず、敬遠されていたダニヤールをからかったりしていた。少しずつ縮まっていく、心の距離。

そして2人はある日聴いてしまった。ダニヤールの、歌を。

今回読んだ本は1999年に出版されているので、最初は何戦争?などと思ってしまった。1958年に発表された、キルギスの作家アイトマートフの出世作で、欧米・アジアなどで翻訳出版、増刷され続けているという。

著者は遊牧生活から苦労の多い少年時代を送ったそうで、作中の草原や渓谷を馬、馬車で行く描写は実体験から来ていると思われる。

はるか遠い草原、逆巻く河、老人たちばかり残った村に、若々しい妻の肉感的な表現。瞳の色。激しい労働、しきたり、戦争、そして恋心。

物語はシンプルに思える。謎めいたダニヤールの歌で、すべてが変わる。大地に空に響きわたる。

長くはない作品で、1ページの文字数も少なく、次へ次へとページが進む。理解しやすく、想像と憧れが湧いてくる。なあんか、こういうの、これが小説だよ、なんて粗っぽい思念が湧いてくる。

キルギスの映画は名匠アクタン・アリム・クバト監督の「旅立ちの汽笛」「馬を放つ」を観た。少し思想的な感覚も、分かる気がする。色使いに長けた映画、そのイメージが重なった。

このように感じることができるのも、たくさんの緻密に描きこまれた作品たちのおかげ、だとも思う。異質に、しかし正統派に感じてしまうこの小説には、気持ちよく心を持っていかれた。

0 件のコメント:

コメントを投稿