招待券をもらったので河井寛次郎展に行ってきた。いやー私にはビンビン来る。赤色の辰砂釉、青の海鼠釉、色を染め分けた三彩など、釉薬のエキスパートだった河井寛次郎が焼成の時につける色はまさに絶妙だ。デザインや、模様も小粋。
トーシロさんだから他をあまりじっくり見たわけではないが、それでも深みを感じさせる。清水寺近くの記念館に早く行ってみたい。
◼️ 泉鏡花「外科室」
わ、分からなかった。色彩と妖しさ、悲恋。
1895年、明治28年、泉鏡花初期の傑作だということで興味を持っていた。泉鏡花は独特の表現にだいぶ慣れたつもりだったが、一読では分からなかった。すみません笑
貴船伯爵夫人の手術が行われる。病院には伯爵をはじめ華族の関係者が多数いる。語りは執刀する高峰医学士の友人の画家。無理を入って手術室に入れてもらった。
夫人は麻酔を嫌がる。眠った時に無意識に口にすることを聞かれなくないから、麻酔無しで手術をしてくれと。聞き分けのない夫人、高峰はついに麻酔のないままメスを入れる。
「痛みますか」
高峰の問いに
「いいえ、あなただから、あなただから」
さらに夫人は
「でもあなたは、あなたは、私を知りますまい!」
夫人は突然メスを持った高峰の手を握り、自分の胸を切り裂く。高嶺は蒼白になりつつも
「忘れません」
その言葉を聞いて
伯爵夫人はうれしげに、いとあどけなき微笑
(えみ)を含みて
死んだのだった。
実は2人は9年前にすれ違い、互いを見初めていた。夫人は嫁に入り、高峰は身を固めてもよい年齢だったが独身を貫いていた。
そして手術の日、高峰もまた死んだー。
恋愛と結婚の考え方、身分違いの、相思相愛。初めての触れ合いが手術だった。夫人が恐れたうわ言は高峰医師のことだったんですね。
後段は9年前のすれ違いの情景、高峰と画家はあれこれと女性談義をします。手術前とその最中の夫人は妙に感情的で、いきなり「あなただから」と言い出したり、果ては自分を刺したりするので、なにかあるとは思いつつ、また後段はその関係を表すものとは予想しつつ、後段の会話がけっこうバンカラっぽくて、想いを表すこれだ!という言葉も見出せず、結局つかめませんでした。高峰が死んだのもたった一文。webで解説を見て、えっという感じでした。
白衣に血潮、そして分からないながら惹かれたのは手術が始まった時の会話の直後、
「夫人が蒼白なる両の頬に刷けるがごとき紅を潮しつ」
でした。相変わらず色彩の使い方、対比が上手い。この表現は好きだなあ。2人が出会った時は藤色をイメージ色として用いている、と思います。
うーむ、読み返してみると、そこかしこに2人が意識し合っている描写が読み取れる。少しぼっとしてしまったか、明治期の口語と古語が混ざった文章の解読に意識が行ってしまったか。
社会を反映する身分違いの悲恋が読者の心をつかんだのか。少し樋口一葉「たけくらべ」をも思い出しました。
同時期の「夜行巡査」も読んでみよう。泉鏡花まだまだ習い始め。
◼️ ベルトルト・ブレヒト「ガリレオの人生」
最後の場面の抑えたセリフが葛藤を伝える。
小学生の時の担任で理科クラブの顧問の先生が、昔、
ガリレオはね、教会が地動説を認めずに有罪を宣告されて、誤りだったと言わされたけど、その後、
「それでも、地球は回っているんだ・・!」
ってつぶやいたとよ、と授業で教えてくれてから、私の中でガリレオは不動のヒーローだ。ピサの斜塔のエピソードといい、望遠鏡による観測で天文学の扉を開いたことといい、某科学探偵の名前にもなっているし、ガリレオ・ガリレイは世界のヒーローではないだろうか。
この戯曲は、ガリレオ先生の40代から晩年まで。身の回りの世話をするおかみさんの息子アンドレアを相手に天球儀で、地球を中心として、その周りには何層にも透明の殻があり、太陽や星たちはそこにくっついていて、地球の周りを回っているという当時の学説を説明している場面から始まる。ガリレオは、すでにして高名な学者だった。
アリストテレス以来の、地球が宇宙の中心、すべての中心、という価値観に基づいて教会、キリスト教の概念も作られていた。
ガリレオは教えを乞うてきたオランダの青年から望遠鏡のことを聞き、自作してさまざまな観測を行う。月や金星は自分で光を出しているのではないことや星雲や天の川が星の集積であること、木星と4つの、いわゆるガリレオ衛星の発見。
しかしフィレンツェの学者は望遠鏡を覗こうともしない。ヴァチカン教皇庁がガリレオの発見を確認したものの、コペルニクスの地動説が禁書目録に載せられたもあり、いったんは活動を自粛する。
ペスト流行の中、ガリレオの世話のために逃げず残ったおかみさんが倒れたり、食糧不足を経験しても、太陽黒点の研究の再開で娘ヴィルジーニアの婚約がフイになっても、ガリレオはなりふりかまわず、科学者である新しい教皇が即位したことで勇気づけられ、活動を再開する。
ガリレオの学説は評判となり、瓦版や大道演歌師などにより民衆にも広まり、カーニバルの出し物にもなっていた。
しかし・・、またも異端審問裁判所はガリレオに有罪の判決を下す。成長したアンドレアら弟子たちは、例え暴力に遭ってもガリレオは自説を曲げまいと信じたが、誤りを認め、異端の教えを放棄したことで失望し、去っていく。
ドタバタとした舞台らしい動きを見せながらも、ストーリーは史実に沿って進む。
そして月日が経ち、年老いたガリレオのもとを久しぶりにアンドレアが訪れる。異端審問所に厳しく監視される身の上ながら、隠れて書き上げた「新科学対話(ウィスコルシ)」をアンドレアにそっと手渡すー。
突っ走るキャラのガリレオ。巷に二束三文で出回っているのを知りながら、望遠鏡を高値で大学や評議会に売りつけたり(もちろん世間のものよりはるかに高性能だったのだが)、自説の証明を広く認めてもらうために、友人の忠告を聞かずに宗教の力が強いフィレンツェにわざわざ引っ越したり、太陽黒点の研究を再開するのなら結婚できない、とヴィルジーニアの婚約を盾に迫られても
「私には、知らなきゃならんことがあるんだよ」
と意にも介さない。有り余る才能が、走り出さずにいられない、という感じだ。
おかみさんは現実派。ヴェネツィアからフィレンツェまで一緒に来て、ガリレオには騒動を巻き起さずに、教会に逆らわないでほしいとずっと思っている。しかしガリレオのことをほっておけない。娘ヴィルジーニアにはガリレオは学問を教えない。ずっとほわっとしているキャラ。新しい教皇ウルバヌス8世はガリレオと言葉を交わしたこともある科学者で、ガリレオを保護しようとするものの異端審問所の長官に詰め寄られ、結局は押し切れないという弱腰を見せる。
ストーリーとしては山あり谷あり、しかし変わった部分はあり、ちょっと極端にした伝記のような感じだ。
「新科学対話(ウィスコルシ)」を手渡されたアンドレアはやはり先生は偉大だ!ただ屈していたわけではなかったんだ、という態度を取るが、ガリレオは述べる。たんたんと。私が自説を撤回したのはなんらかの計画があったわけではなく、肉体的な苦痛が怖かったからだ、と。
「私は自分の職業を裏切ったのだ。私のようなことをする人間は、科学者の列には入れてもらえないのだ」
長く断絶していたかつての熱心な弟子に、とつとつと語るガリレオ。最後はドラマティックでもなんでもない。でも、このシーンは迫力と落ち着き、大人の風情を持って響いた。
この戯曲の結末が、感情を抑えたやりとりで良かったと思う。説得力が増しているような気がする。象徴的な物語、伝説である。
ガリレオ著作で以前読んだ「星界の報告」をまた読みたくなってきた。
ブレヒトは時代の寵児だったアインシュタインの生涯を書き始めようとしてその死により中断されたとか。そちらも読みたかった。永久にムリだけど。
興味深くないことはなかったが、解説が長すぎ。しかもちと専門分野に入り込みすぎで読みにくかった。
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