月曜日の朝は夜中からとんでもない雷で、ホントに眠れないくらいの音に起きたら豪雨。意表をつかれた。水曜日のスーパームーンはなんとか雲越しに輪郭は見えた感じ。
雨がちで蒸し暑い。寝つきが悪く寝不足ぎみ。
◼️ ロバート・ルイス・スティーヴンスン「宝島」
荒くれ海賊バッカニアもの。予定調和でもあるけど、やっぱりおもしろい。
内容に繋がりがあるわけじゃないけども、直木賞の真藤順丈「宝島」を読んでからなんとなく気に掛かっていた。また「ジキルとハイド」と並ぶ、著者の代表作という点にも興味を惹かれ、いつか読もうと思っていたら、図書館でたまたま目に入った。
解説の推定によれば1760年代ごろのイギリス南部の海岸近くにある「ベンバウ提督亭」に年老いた荒くれの船乗りが長逗留する。この宿屋兼酒場の息子・ジムは、自分のことは船長と呼べ、というこの男に一本足の船乗りが来たらすぐに知らせろ、と頼まれる。
やがてこの船長は襲撃を受けて死ぬ。ジムと母親は彼が大事にしていた箱の中から、たまっていた宿代分の金と、そこにあった油布の包みを持って逃げる。
油布の包みは、海賊フリントが宝を隠した島の地図だった。ジムは、医師のリヴシー先生と郷士トリローニに一部始終を話し、トリローニが宝島へ向かうためスクーナー船を手配する。ジムも同行する。船長をはじめとする船員も雇われた。その中で、気のいいコックのシルヴァーは片足だった。ジムはシルヴァーが反乱の計画を立てているのを隠れて聞いてしまうー。
バッカニアというのは、海の掠奪に従事する海賊の男たちのことで、この物語は宝を探すスリルというよりは、バッカニアとジムたちの戦いを描いたもの。裏切り、殺人、罵り言葉、銃、ナイフ・・なかなか血なまぐさい。ジムは何度も冒険的な単独行動をし、窮地に陥り、最後は成功する。
バッカニアたちの、ラム酒でひたすら酔っぱらって口汚い言葉で馬鹿騒ぎをするという面ばかりでなく、船長といえども船員たちから総スカンにされれば命の危険もあることから気を遣ったり引き締めたり強い罵り言葉で従わせたりし、立場が弱くなったら生き残るためにあからさまな面従腹背をする姿も描き出される。
劇中、助けられたにも拘らずジムを殺そうとするバッカニアの台詞。
「おめえに言っといてやるが、善良だからっていい目にあったなんて話はからっきしなかった。最初に殴り込みをかけた奴が勝ちだ。死人は嚙みつきゃしねえっていうのが俺の意見だ。アーメン、それでいいのさ」
ピンチの後優位に立ったジムはそれに対して
「脳天をぶち抜くよ!死人は嚙まないってたねえ」と返す。
人が簡単に死ぬのもまあ、冒険ものだし特段の暗さは感じない。物語なのは分かっているが、少年ながらなんちゅうセリフと笑ってしまう。
海賊もの、最近の映画は観てないし、マンガも読んでない。1992年にコロンブスがアメリカ大陸を見つけてから500年ということでコロンブスの映画が2本別々に作られた。どちらもあんまり面白くはなかった笑。その中で、コロンブスの言う通りに進んでも大陸なんてないじゃないか、と船員たちの反乱が起きる。処刑されようとするその時、船を進ませる良い風が吹き、コロンブスは助かる、というシーンがあったなと思い出す。
シャーロック・ホームズにも護送船の囚人たちが反乱を起こす話があり、なかなか残酷。船に反乱、生臭さ、残酷さはついて回る気もする。
小さい頃、父親が買い与えてくれた児童小説は「無人島の三少年」という本で、繰り返し読んだ。いちばん年下の少年が拐われて?仲間のもとに帰らせてくれ、と言い、船長が残念ながらもう8マイルは離れている、泳いで帰るかね?と笑うシーンがあった。あれは海賊だったかどうだったか。その時マイルという単位を調べていまだに覚えている。後になぜ「十五少年漂流記」でも「宝島」でもなくこのマイナーな本だったんだろうと考え込んだこともあった。
まあやはり主人公・ジムの単独の冒険に特化されているので、島で暮らしていたベン・ガンや金持ちの郷士トリローニさんはいまいち目立たず、シルヴァーのアクがかなり強くなっている。とはいえシルヴァーもなんか初めの方の船長なんかにキャラが被る。まあまじめに考えてみるとそうだ。
とはいえ、1883年に発表された著者初の長編小説、やっぱりおもしろい。バッカニアの強調は、ヴィクトリア朝の繁栄のもと、世界航海の時代の人々の心を刺激したのか、巷でよく聞く海賊の話が興味を惹いたのか。
いろいろ批判もあって、連載から単行本化するとき、スティーヴンスンはシルヴァーの汚い言葉を標準英語にしたり、リヴシー医師の罵り言葉を削ったり、設定を工夫したりといった改訂を余儀なくされたとか。
スティーブンスンと同時代人ドイルの「ロストワールド」も後世に影響を与えた。「宝島」は1つのメルクマール的な船乗り冒険ものではないだろうか。
どうやら宝島はカリブ海のヴァージン諸島あたりらしい。西インド諸島にも近く、やはりコロンブスを思い出すかな。
◼️ 「近松門左衛門」
人形浄瑠璃の代表作にふれる。
近松門左衛門や井原西鶴はあまり読んでなく、いつかと思っていて今回ビギナーズ・クラシックを手にした。
「出世景清」「曽根崎心中」「用明天皇職人鑑」「けいせい反魂香」「国性爺合戦」
のあらすじとクライマックスの文章、現代語訳、解説が収録されている。時代はさまざま。「出世景清」は源平合戦、用明天皇は聖徳太子のお父さんだから飛鳥時代、「国性爺合戦」は明の復興に力を尽くすから江戸時代、でいいのかな。時代ものはなじみやすく、また「曽根崎心中」のような世の中の事件を題材にする世話ものも評判になりそう。歴史もの、はちょっとだけシェイクスピアを思い出す。
「けいせい反魂香」は狩野元信150回忌を当て込んだ興行だったらしい。敵役の長谷川雲谷は等伯かな、と思う。この話の最後の方には女の幽霊が出てくる。なにか演出に工夫があったのだろうかと想像する。
「国性爺合戦」は長崎・平戸から唐土へと渡り明の復興を目指す国性爺鄭成功、スケールの大きい物語。虎は暴れるし、軍勢が押し寄せても鄭成功は人も馬もちぎっては投げちぎっては投げ、大した迫力だ。
近松は読むのではなく、その真実を聴くもの、と「はじめに」にある。興業としては当然だけれども、当てなければ意味がない。言葉には大いに気を使っているし、おそらく舞台映えするよう、愁嘆場も命のやりとりをする場面も大がかりだ。なんで身分のありそうな人の娘がここまでの遊女に身を落とす?とかなぜにすぐ命がかかる?なんで思うけれども、そこは脚本上のギミックに観客が陶酔するのか、世話ものに見られる生死の思わぬ近さを実感するのか。
大島真寿美の直木賞作品「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」を読んで、浄瑠璃、歌舞伎ほかの演目は過去やその時代の作品を手直ししたり、エピソードの一部を持ってきたりして出し物にする、というのが分かった。今回読んだ物語も、定番化したり、時には形を変えて演じられ続け、歴史に残ってきたのだろう。
当てなければならない、不入りは物理的に悪影響も出て、嫌な雰囲気も広がる。人気を出すための工夫を見るのもなかなか楽しい。元の話や発想の種を知ることには興趣が尽きない。上方文化、関西、畿内が舞台のものも多いし。まあ能の謡の話が好みかなと。
ビギナーズ・クラシックシリーズは大いに活用させてもらっている。本によっては、明るい雰囲気で、必要なものを順序づけて分かりやすく流れるように作っているものもある。喜んで理解させてくれようとしているのを感じる。今回に関しては正直、文章も上手いとは言えないし、どうも作り方も、解説の方法もやや雑で腑に落ちなかったか。
読み物を書くのは、難しいと逆に思った。
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