️ Authur Conan Doyle
「The Boscombe Valley Mystery (ボスコム谷の惨劇)」
ホームズ原文読みも21作め。短編は56なので半分でなんか振り返りと展望企画でもしようかなと。年明けくらいかな。
さて、第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険」より。「赤毛組合」や「まだらの紐」など人気ベストテンに入るような作品ではありませんが、「ボスコム谷の惨劇」はシャーロック・ホームズの基本的なおもしろさがぎゅっと詰まった作品だと思います。ちょうど人気が急上昇している時期であり、私のなんちゃって英語解読能力でも、筆がノってるな、という雰囲気を感じた気がしました。しゃべりたがりのシャーロッキアン、あちこち寄り道して長くなりそうなので、先に事件の概要から。
ボスコム谷の大地主のターナーと農場主のマッカーシー、2人はかつて共にオーストラリアにいて、付き合いは対等だが、ターナーがマッカーシーに無料で農場を貸していた。
ボスコム池の近くでマッカーシーが殺された。頭部を鈍器で殴られていた。18歳の息子ジェイムズは、その直前に現場で父と口論をしていたのが目撃され、狩猟用の銃を持っていたために逮捕されていた。
ジェイムズは無実を主張した。供述によればその日はブリストルから帰ってきた朝で、父親が急いで出て行くのは見た。自分はウサギの猟場へぶらぶらと出かけた。父親がどこへ行ったかは知らず、追っていたわけではない。池まで100ヤードくらいの時、父との間で合図としている「クーイー!」という声を聞いて、父がいると分かり急いだ。父は驚き、かなり激しい口論をした。収拾がつかず、自分は農場へ帰りかけたが150ヤードほど行ったところで恐ろしい悲鳴を聞いたー。
慌てて戻ると父は左後頭部を鈍器で殴られ、こときれる寸前で「a rat」というような言葉をつぶやいた。自分が駆けつけたとき、灰色のコートのようなものがあった記憶があるが、立ち上がった時はなくなっていた。父親との口論の内容は言いたくない。
そして息子ジェイムズは番人小屋へ助けを求めたということだった。
状況は極めて悪かった。ジェイムズの無実を信じるターナーの娘アリスがレストレードを雇い、さらにレストレードがさじを投げると、アリスはホームズを呼び寄せたのだった。
・・という流れですね。ちなみにジェイムズが言いたくない、と言った口論の内容をアリスはすらりと話します。自分たちの結婚の話。父マッカーシーは2人の結婚を熱心に望んでいた。本人のジェイムズはまだ早いと言っていた。早くしろ、と父マッカーシーはけしかけてたんですね。普段から諍いあったというし。ちなみにアリスの父ターナーは反対だった。2人は憎からず想っているようだ。
実は、若きジェイムズくんはブリストルの酒場の女に入れ込み、結婚届を出してしまっていたのです。だからアリスとは結婚できなかった。父にももちろんアリスにも言えない理由がこれでした。
さて、巻き戻して物語冒頭からー。
ワトスン家、夫婦の朝食の席にtelegramが届きます。こんな内容でした。
Have you a couple of days to spare? Have just been wired for from the west of England in connection with Boscombe Valley tragedy. Shall be glad if you will come with me. Air and scenery perfect. Leave Paddington by the 11:15.
「2日ばかり割けないかい?イングランドの西部、ボスコム谷の事件の依頼を受けた。一緒に来てくれると嬉しい。空気と景色は申し分ない。パディントン駅11時15分発の列車で発つ」
ワトスンくんの奥さんメアリ、「四つの署名」で出会い結婚したヒロインですね、は出来た人で、いってらっしゃいよ、アンストラザーさんが代診してくれるわよ、と促します。ワトスンがホームズについて行きたくてたまらない事をよく分かってるんですね。
すぐに用意を整えたワトスン、パディントン駅でホームズと落ち合います。さて、ここがめっちゃ大事です。
Sherlock Holmes was pacing up and down the platform, his tall, gaunt figure made even gaunter and taller by his long gray travelling-cloak and close-fitting cloth cap.
「シャーロック・ホームズはプラットホームを行ったり来たりしていた。長い灰色の旅行用マントに身を包み、ぴったりした布の帽子をかぶっているので、背の高い痩せた姿がさらに細く長くなったようだった」
長い灰色の旅行用マント、ぴったりした布の帽子としかドイルは書いていません。しかしここではコンパートメントにワトスンと差し向かいで座り、インヴァネス・コートを来て、前後両方にツバのあるディアストーカー(鹿撃ち帽)をかぶった姿が、挿絵画家のシドニイ・パジェットによって描かれています。原典にはないにも関わらず、パジェットにより創造されたこの挿絵によって、ホームズの容姿、さらには全世界の探偵の外見イメージが固まったのでした。
さて、イングランド西部の田舎町ロスの駅には、「ずる賢いイタチみたいな顔つきのやせた男」レストレード警部が待っていました。宿泊するホテルに落ち着くと、突然アリスが現れます。ワトスンくんはこう描写しています。
there rushed into the room one of the most lovely young women that I have ever seen in my life
「私がこれまで見た中で最も若い美しい女性が勢い込んで部屋に入ってきた」
スミレ色の眼、頬にはピンクの輝きがある、とさらに続きます。
アリスはホームズへのお礼と、先ほど挙げたマッカーシー父子の口論の内容、そして、父ターナーと父マッカーシーの2人はオーストラリアのヴィクトリア州にいたことなどを説明して帰ります。父ターナーは今回の事件ですっかり参ってしまって病の床にあるとのこと。
ホームズはその夜、拘置所のジェイムズに会いに行き、翌日は犯行現場へ向かいました。レストレードはここまでずっと付き添っています。しかし、とにかく警部、ホームズを馬鹿にしてるな、という態度を崩さない。にしては重要な情報を聞き出す感じ。
I have grasped one fact which you seem to find it difficult to get hold of," replied Lestrade with some warmth.
「私はあなたにつかめそうにない事実を1つ、しっかりと掴んでいます」レストレードはいくらか熱を込めて言った。
That McCarthy senior met his death from McCarthy junior and that all theories to the contrary are the merest moonshine.
「それは父マッカーシーが息子に殺されたという事実です。この事実に反するような意見はすべてたわごと(moonshine)ですよ」
まあ、よくある実務家の警察官対理論家、もっと言えば空想家の探偵、という図式がここでも展開されます。しかし探偵の方が捜査に熱心、濡れる汚れる厭わない、のですからそのコントラストもおもしろい。
この作品ではまた、いかにもホームズ流の捜査が行われます。小道を辿ってボスコム池の近くに行くと、湿り気を帯びた地面には、被害者が倒れた跡やたくさんの足跡が残っていました。
He ran round, like a dog who is picking up a scent
「ホームズは走り回った。臭いを追いかける犬のように」
そしてひとくさりレストレードの足跡がバッファローの群れのようについてなければ捜査はどれほど簡単だったか、と文句を言った後、さらに詳細に調べます。
He drew out a lens and lay down upon his waterproof to have a better view
「ホームズは拡大鏡を取り出して、よく見るためにレインコートの上に腹這いになった」
特にその場所には、ジェイムズが歩いた足跡、走った足跡、父と話している時の銃の台尻の跡、父マッカーシーがウロウロした足跡があり、さらに四角い特徴的なブーツの足跡が行き来していて、コートを取りに戻った時のものだと断定します。
さらにホームズは大きなブナの下までその足跡を辿ります。枯れ木や草をひっくり返し、ホコリにしか見えないものを封筒に取り、地面だけでなく木の幹までも拡大鏡で調べ、コケの中に転がっていたギザギザの石までも改修します。
そして番人小屋で話を聞いた後、レストレードに石を手渡します。
The murder was done with it.
「これが殺人の凶器だ」
血の痕がついていない、とレストレードは言いますが、ホームズは石を取り去った跡がなく、数日間置かれていたものであること、傷口と一致すること、などを理由に挙げます。
Is a tall man, left-handed, limps with the right leg, wears thick-soled shooting-boots and a gray cloak, smokes Indian cigars, uses a cigar-holder, and carries a blunt pen-knife in his pocket.
「犯人は背が高い男だ。左利きで、右脚を引きずっていて、分厚い靴底の狩猟用ブーツを履いていた。灰色のマントを着て、インド葉巻をホルダーを使って吸った。ポケットには切れ味の鈍いペンナイフを持ち歩いていた」
と犯人像を詳しく説明します。
レストレードは一笑に付し、ジェイムズの容疑の反証にはならないとしました。理屈は結構、しかしこちらは石頭の陪審員とやり合うんだから、と。
まあ、いずれわかるさ、と応じるホームズ。今日の午後は忙しいが、夕方の列車でロンドンに戻れるだろう、と言い出してレストレードはキョトン。
And leave your case unfinished?
レ「事件は未解決のままで?」
No, finished.
ホ「いや解決したよ」
But the mystery?
レ「謎は?」
It is solved.
ホ「解けた」
Who was the criminal, then?
レ「んじゃ、犯人は誰なんです?」
The gentleman I describe.
ホ「いま僕が説明したような男だ」
But who is he?
レ「それって誰なんです?」
Surely it would not be difficult to find out. This is not such a populous neighbourhood.
ホ「探し出すのは難しくないだろう。この辺は人も少ないしね」
ホームズは誰かを口にしないことには深い思惑があるのですが、レストレードはその特徴のある男を探して駆けずり回るだなんてできない、ヤードの笑いものだ、と否定します。やるのが警察かなとも思うのですが。まあものがたり。
とにかくチャンスはあげたよ、じゃあね、とホームズとワトスンはレストレードくんと別れます。ホテルでホームズは深刻な顔でワトスンに相談を持ちかけます。話すことで整理しようとしたのでしょう。
ジェイムズの供述で、2つ気になることがあったと。1つは「クーイー!」という合図の声を、父マッカーシーは息子がいる事を知らずに発していること。いま1つは父マッカーシーがいまわのきわにつぶやいた「a rat」。
ホームズの知識によると、「クーイー」はオーストラリア人に特有の合図とのことでした。そして、ホームズは地図を取り出します。オーストラリア、ビクトリア州の地図でした。そこにはBALLAT、バララットという地名があり、ホームズが手で隠すと「ALAT」つまり「a rat」となることが分かりました。父マッカーシーは犯人は誰か言うときに、バララットの誰それ、と言おうとしてたんですね。名前of Ballatだったわけです。
これで灰色のコートを着て、バララットから来たオーストラリア人と範囲がぐっと狭まりました。ポイントを整理して、次は先ほどの調査の検討。もちろん中心は分厚く四角い底のブーツを履いた男です。
背の高いというのは歩幅で推定、右足の足跡だけが不明瞭、つまり引きずっているということ。致命傷となった打撃は背後から頭の左側に加えられた。ゆえに犯人は左利き。
次は大きなブナの木周り。そこで父子マッカーシーが話している間、犯人はタバコを吸っていた。ホームズが集めたホコリのようなものはタバコの灰だった。
I have, as you know, devoted some attention to this, and written a little monograph on the ashes of 140 different varieties of pipe, cigar, and cigarette tobacco.
「君も知ってのとおり、僕はこの問題に取り組んで、140種類ものパイプ煙草、葉巻、紙巻き煙草について専門的な論文を書いている」
ホームズは吸いさしも見つけて、インド産の葉を使いオランダのロッテルダムで巻かれた葉巻だと看破したというわけです。吸いさしの口の方が強く噛まれておらず、切り口が粗雑に切られていることから、ホルダーと鈍いペンナイフの存在を推理したのです。
場面は変わって、ホテル。ガタイの大きな、しかし衰えた様子の紳士が、ホームズとワトスンが待つ部屋に入ってきました。
父ターナーでした。今回の事件でショックを受け、レストレードが危篤だと言ってましたが・・意図的だったのか?その点詳しい説明はないですね。
ともかく、ホームズがターナー家を訪れると人目につくことから、呼び出したのでした。
どうしてかね、と言いながら、ターナーも理解しているようす。ホームズと視線で会話を交わします。
It is so. I know all about McCarthy.
「そういうことです。僕にはマッカーシーに関してすべて分かっています」
God help me!「ああ、神よ!」
1860年代の初め、ターナーは自分が権利を持っている金鉱で金が出ず、バララットのブラックジャックという通り名のギャングになりました。ある日金塊を運ぶ荷馬車を襲い、撃ち合いの末、強奪に成功します。その馬車の御者がマッカーシーでした。ターナーはマッカーシーを殺さず逃してやったのでした。
ターナーは疑われることなく大金持ちとなって本国へ戻り、ボスコム谷の屋敷を買いました。結婚しアリスが産まれましたが、まだアリスが小さな頃、奥さんは亡くなりました。可愛いアリスの存在が、ターナーに心を入れ替えさせました。しかしー
ロンドンのリージェント街で落ちぶれたマッカーシーと出会い、脅されて息子のジェイムズともども面倒をみることになります。一番いい土地を無料で貸し与え、良い生活をさせました。
It grew worse as Alice grew up, for he soon saw I was more afraid of her knowing my past than of the police.
「アリスが成長するにつれ、事態はますます悪くなった。わしが過去のことを警察よりもアリスに知られることを恐れているとやつが気付いたからだ」
マッカーシーは息子ジェイムズとアリスを結婚させて財産を我がものにしようと目論みました。ターナーはこればかりは断固反対。これまで言うことを聞いてきたターナーが最悪の脅しにも折れなかったため、ボスコム池のほとりで話し合いをする予定でした。約束の場所に向かっていたターナーはジェイムズが来たのを察知し、ブナの木の陰に隠れて様子を見ていました。
父マッカーシーは息子にアリスとの結婚をけしかけていました。まるでわが娘の気持ちなど考えようともしないその言い方に、ターナーの中に決意が芽生えます。20年来、悪魔の化身のようなマッカーシーに苦しめられてきた想いもあったでしょう。ジェイムズが行ってしまった後、手近な石を拾い、迷うことなく殺したー。マントを忘れ、逃げる途中に取りに引き返しました。
ターナーは糖尿病を患い、医者からは余命幾許もないと言われていました。名声もあり、この期に及んでスキャンダルは避けたほうがよい、しかしジェイムズ・マッカーシーは救わねばならない。
ホームズは、ワトスンの立ち会いのもとターナーの供述を書き留め、署名してもらいました。もしもジェイムズに有罪判決が出たら提出せざるを得ない。しかし実際は、ホームズが作成して弁護士に託した異議申請書によりジェイムズは無罪となりました。
ターナーは神に召され、アリスとジェイムズは一つ前の世代にかかっていた黒い雲のような過去を知らないまま、幸せな結末を迎えそうです。
ちなみにジェイムズが若気の至りで結婚した女は、ジェイムズが尊属殺人で逮捕されたことを知り、自分はすでに夫がいて、その人とは何の関係もないという手紙を送ってきていました。大金持ちとなって後厄がなければいいのですが。もう一つ、あれだけ犯人像を匂わせられて、レストレードは何もしなかったんですね。自分の手柄を崩されて、ホームズを信用したくなかった、というとこでしょうか。
さて、冒頭にも触れた通り、この作品はシャーロック・ホームズ物語らしさに溢れています。
冒頭の電報の呼び出しから、ワトスンの妻メアリのセリフから、代診を頼むアンストラザーさん、列車に2人で乗ることも、シャーロッキアンには、少なくとも私には、言うのにちょっと恥ずかしさもありますが、キュンキュンきますね。
さらに世界中の探偵のイメージを決めたコンパートメントの、ディアストーカーにインヴァネスコートの姿。レストレードとの関係性、さらに捜査の活き活きとしていること。湿地にコート敷いて這いつくばり、拡大鏡を使う、ゴミにしか見えないものを集めたりして、犯人像を理論的に組み上げ、凶器を見つけてしまうという信じられない成果を挙げます。どっから出てきたの状態。そして、解決した、帰る、というコントか、という会話もいい味ですね。
「緋色の研究」「四つの署名」の2つの長編、その後の第1短編集4作めで、読み手に非常にインパクトの残る、躍動感ある姿を見せつけています。
この原文読みは、各短編集から1つずつ拾っていっているのですが、晩年の「事件簿」の作品は重々しく、どこか小難しいのに比べ、この作品は表現も活力があって流れやすく、読みやすい感じがしました。もちろんなんちゃって英語なので、イメージが影響してるのかもしれません。
ホームズシリーズは第2短編集ラストの作品「最後の事件」でいったん休止し、10年のブランクを経て「空き家の冒険」で劇的な復活を果たします。しかし、休止前と比べ、ホームズの思慮が浅くなった、という声も聞かれるそうです。
たしかに再登場が劇的なら、以降の作品もややドラスティックな効果を意識しているかなと私も思いますが、さすがにニュアンスまでは分かりません。このターナー氏に見せた配慮がそのうちに入るのかも知れないですね。
さて、好きなように書いてきました。長くてすみません。この短編を締めくくると言っていいホームズのセリフを抜粋して終わりたいと思います。嘆きや名言もいかにもホームズシリーズっぽい。
Why does fate play such tricks with poor, helpless worms?
「なぜ運命は、哀れで無力な人間に、かくもむごいいたずらをするのだろう?」
There, but for the grace of God, goes Sherlock Holmes.
「神のご加護がなければ、シャーロック・ホームズもこうなるのだ」
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