2022年7月3日日曜日

7月書評の1

猛暑の週。帰りや風呂上がりはモワッと蒸し暑さが。蝉の声を聞かないなと思ってたら今日ようやく鳴いた。梅雨明けにうしかい座流星群というのを待ってみた。雲が切れるのが遅かったし流星ゲットは出来なかったけれど、久々に星空に向き合ったなと。風あって涼しかったし。今週は台風が直撃とか。でもなんかのほほんとした雰囲気を感じる。

このブックカバー作ったら、電車で男性の目線を感じたりして。友人によれば新刊本に見えるのだそうな。季節のお菓子・あゆを食べたりしてしのいでるけれども、やはり、片付け等、目の前のやることを、暑くてバテてるし体力おんぞーんと後に回してしまう今日このごろ。良くないな笑。6月はイベントが飛び込んできたりして、けっこうあちこち出かけたのでちょっと休みは悪くない。いまは映画もあんまし観る気しないし。

まあトシだし、体力おんぞーんで。

河村勇輝フル代表デビュー!入るとスピードがぐっと上がってスリーの確率も良くなる。いいぞ!富永啓生もイケてるね。両者ともにまだ課題もある。でも強豪を相手にしてもガンガン行ってほしいね21歳コンビ。


◼️瀬尾まいこ「ありがとう、さようなら」

中学教師・瀬尾まいこ、京都北部での中学教師生活。ひーひー思いながらも、楽しそう。

ダ・ヴィンチに2003年から2007年ごろ連載していたというエッセイが本になったもの。当時瀬尾まいこはデビュー後、作家と教師、2足のわらじを履いていた。京都府北部、南部の京都市内とは都会度も気候も違う宮津市などでの中学校教師ライフについて語っている。

瀬尾まいこはとにかく文章で使う言葉がやさしい。文芸作品には最初の方に、小難しい語彙の言葉や専門用語を、ガツンという感じで出してくるものが少なくない。あれは確立された手法なのかなとたまに思う。しかし瀬尾まいこの場合、平明な言葉で魅力的な空間を生み出すすべに長けているため、その優れたストーリー展開に無理なく乗っていける。エッセイも同様。雑誌のコラム的なものだったのか、1篇はとても短い。

走るの苦手なのに駅伝大会に、とか生徒会なんて本当に大変だから担当になりたくない、などと言いつつ、楽しんで「また、やろうかな」となってしまう、いい意味の呑気さがおもしろい。

瀬尾まいこは30歳前後の時期、やんちゃな中学生は大変である。たまにスカートを履いて化粧をして行くとひと騒ぎ。「合コンに行くのだ」「彼氏ができたに違いない」となり、数日後もとにもどると「彼氏に捨てられたに違いない」となる。30歳の誕生日の1年前から黒板にはカウントダウンの文字が踊り、29歳のうちに結婚せなどうするん?と親以上にしつこい声がかかる。文句を言うと3倍になって帰ってくる。

なぜかテスト前に点数目標を立てる子が多く、「100点取るので結婚してください」と文化祭の「未成年の主張」で公開プロポーズした生徒はまるで達成できず「いつになったら結婚できるのよ」とプレッシャーをかけてたとか。

シャツのしわや色合わせ、顔色、太った痩せた、サラリーマンだったらなんらかのハラスメントを案じてすでに言わなくなったであろうことを中学生の口に戸は立てられない。でも大げさな反応を、瀬尾先生は好意的に受け取っている向きもあるようだ。

生徒会、クラス、合唱祭、スポーツマンシップ、最後の方は、初めて2年続けて担当した2組のこと。子供たちのみずみずしく、優しく、少々抜けていて、活動的な様子がコンパクトに描写されている。生徒という時代ならでは。

シラケ世代の自分としては、ホントいまの子は活動的で、すごく一体感や友情を大事にしてがんばるなあ、と思ったりする。


もちろん作家であることは知られているし、関係者みな読んでたので気を遣った面は大いにあっただろう。私的にはすべて作家活動もコラムも全てをオープンにしてしまうのがすごいと思う。

でも瀬尾まいこは、毒のない雰囲気に何かを忍ばせる作家さんだと思っているので、逆に違和感はない。らしいエッセイだった。



◼️佐竹昭広「酒呑童子異聞」

様々な文献の酒呑童子伝説を比較した本。

国文学者さんが、あまりに多く流布されている酒呑童子にまつわる話について、文献比較、相違の提示をした本である。

正直あまり本を通じて大きな意味を成していくというものでなく、描かれ方を並べる向きが強くてマニアック。1977年の作で、古い。でも楽しく読んだ。というのは私は酒呑童子や茨木童子などの鬼や、退治した源頼光と四天王の話が大好きだから。

酒呑童子伝説は滋賀の伊吹山、そして京都府の大江山、両方の説話があるようだ。

話を大江山に絞ると、鬼の頭領となった酒呑童子は岩窟の城に眷属、鬼の子分を従え、街や村から多くの娘を拐かして城に置いていた。神隠しの原因を安倍晴明の占いにより突き止めた一条天皇の命により、源頼光、藤原保昌、そして頼光四天王の渡辺綱(わたなべのつな)金太郎の坂田公時、碓井貞光、卜部季武(うらべのすえたけ)の6人が成敗に向かう。

途中神より与えられた神便鬼毒酒を携え、山伏を装って一夜の宿を請い、城に入り込む。酒呑童子と酒を酌み交わし毒酒で酔いつぶした童子の首をはねる、鬼の首は宙を飛び、頼光の兜に噛みつこうとした。酒呑童子を倒した一行が外へ出た瞬間、一の子分の茨木童子が渡辺綱に襲いかかる。綱は撃退、茨木童子は逃げのびた。

この切り落とした鬼首が宙を飛んで兜に噛みつくなんて、なんちゅー迫力、憤怒に燃えた鬼がうち鳴らす歯の音までが聞こえてきそうで、血湧き肉踊ってしまう。


この本ではほとんど触れていないが、私は渡辺綱が京の一条戻橋で、若い女を馬に乗せてやったところ、娘はたちまち茨木童子に変身し襲い掛かる、髭切の太刀で鬼の腕を切り落とす、というくだりもとても気に入っている。養母に嘆願されつい腕を見せたらやはり茨木童子に変身、腕を持ち去った童子が空の彼方へ飛び去るとこまで、幼い頃から好きな話だった。

息子の寝かしつけで、桃太郎と絡ませて酒呑童子や茨木童子、頼光四天王の話を思いつくままたくさん作って話したな昔。

江戸時代に渋川清右衛門が書いた御伽草子、静岡県に伝わる名波本、慶応本、国会図書館本ほか本当に色々な資料から酒呑童子、伊吹童子の生まれた時のようす、捨てられたり、寺に預けられ、暴れん坊のならず者になっていく過程、そして戦いから帰還までを比較検討している。いやしかし数が多い。いかに愛されているかがよく分かる。

1700年代、渋川版の御伽草子では、源頼光たちが来るという情報をキャッチしていた酒呑童子がさまざまな問答をするがバレない、とか、酔った酒呑童子が比叡山を最澄に追い出され、空海の法力にも悩まされ、とこぼす身の上話に時代の有名どころを絡ませていること、そもそも安倍晴明の占いで分かる、また一条天皇も歴史上実によく出てくる帝だし、広く人口に膾炙し、多くの物語が各地で書かれただけあって演出も大仰だなと。

もちろん古い時代の資料なので、古文、漢文、漢文に書き下しルビなどの量が多く、必ずしも現代語訳してあるわけではないので時間がかかる。

でも、やっぱり楽しかった。高橋克彦の鬼シリーズや、鬼の研究本、ラノベまで鬼が出てくる本には惹かれてしまい、そこそこ読んでいる。鬼、の意味、社会からはみ出したものや蝦夷、というのも分かる気がする。ただもう一つ踏み込んだ鬼というもの、を勝手に考え込んだりする。鬼そのものはイコール人間の存在なくしては成り立たず、鬼は、人間に害をなすが追い討ちをしたり、村を滅ぼすなど決定的ダメージを与えることはない、それは鬼自体が劣等感を抱いているから?人間の影的存在という本質を外れるわけにいかないから、とか。あれこれ考えるのもも楽しみの1つやね。紅葉狩も、大工と鬼六も。

文芸的には多少読んでるけれども、あまり行動はしていない。大阪府の逸翁美術館には南北朝後期から室町時代の、最古の酒呑童子の稿である「大江山絵詞」があるし、京都の北野天満宮には渡辺綱が茨木童子の腕を斬った刀「髭切」が折々に展示される。さらに日本海側の京都府の大江町には「日本の鬼の交流博物館」がある。

また日本の鬼の話、本は折にふれて読むこともあるだろう。楽しみで仕方がない。

0 件のコメント:

コメントを投稿