おうちスイーツ。やめらんないね〜。
◼️ 梨木香歩
「僕は、そして僕たちはどう生きるか」
読み物として読む。演出はさすが。全体主義の実感。気づかない、という畏れ。
自分を照らす、作品だった。そもそも小説は読み物としておもしろいのか、知的好奇心を満たすか、その構成や表現で唸らせるのか、理屈で表しにくいけどもえもいわれぬ感動を与えるのか、が基準かなと考える。私の場合は。
昆虫に興味のある中学生男子、周囲からの呼び名はコペル。染色家の叔父ノボちゃんが清浄なヨモギを必要としたため、かつて仲の良かったユージンの家を訪ねる。敷地の広い家に独りで暮らす彼は、小学生の時から3年以上、学校へ来ていなかった。ユージンは快く迎え入れてくれ、彼の従姉のショウコも加わり、昔一緒に食べた「葉っぱごはん」を作ろう、ということになるー。
植物、動物への炯眼と物語に活かす力、不思議な雰囲気の作り方、そして芯となる、胸が痛むようなエピソードとその敷衍のさせかた、なじませる流れ、なんとなく柔らかい結論めいたものを感じさせる筆、というのはさすがだと思う。
全体の雰囲気が出来上がってしまうと、それに流される自分がいる、傷つけることに気づかないことがある。確かに、まさに「どう生きるか」、悪意に満ち溢れ、悪意でなくとも誰かの大切なことを蔑ろにする出来事に事欠ないこともそちこちにある、この油断のならない世界を少年少女がわたっていくには、というテーマに沿っていると言える。
ボヤキのようになるけれど、最近作りもの、映画にしても小説にしても効果を出すための作り込みに対して醒めてしまっている自分がいる。まあそれでもいざ観たり読んだりすると物語世界に没入してしまったりするんだけども笑
今回は、どうもその作り込みの世界に乗り切れなかった。もちろん物語中の悲劇はあってはならない卑劣さを持っている。しかし絶対悪を定めると物語が展開しやすいのも確かかな、などと思ったりして。そういう気分だったからかなと。うーむ。もちろんまたフェイバリットの梨木香歩は読むだろう。とりあえず、次行こう。
0 件のコメント:
コメントを投稿