寝坊して起きて15分で家を出て、皮膚科と整形外科を回って、久々に外で朝ごはん。たまにはいいかと🙃
◼️ 梶よう子「広重ぶるう」
火消し同心の荒っぽさがあり、口が先に立つがなんとも憎めない広重。ベロ藍を自在に使い当たりを取った、一代の物語。
安藤広重、現在は本姓ではなく絵師としての画号に由来する名前の方が適切だとして歌川広重と表記されることが多いとか。東海道五拾三次全てを展示してある展覧会で切り取っている風景、その発想と、絵の印象の強さに感嘆したことがある。しかしベロ藍といえばやはり北斎という固定観念があり、広重がここまで極めた人とは知らなかった。あまり伝記も聞かないし、今回半生の小説を読んでだいぶ認識を新たにしたなと。
美術もの、もちろん好きではあるのともうすぐドラマ化された番組がオンエアされると知ったからその前に読んどこうと入手した。
火消し同心、安藤重右衛門、画号は広重。15歳で歌川豊広門に入ったものの30代半ばに至っても売れない絵師だった。朝風呂が好き、矢立と絵筆を持ってふらりと家を出ては風景を書き写すのが好きで、妻の加代がやりくりに困っていても家計のことなぞ気にしない。ある日長い付き合いの版元、岩戸屋喜三郎に体たらくを詰られ、気分を悪くした重右衛門だったが、喜三郎の置いて帰った絵に使われていた藍色に興奮する。それはぷるしあんぶるう、日本に入って来ていたベロ藍だった。おりしも、葛飾北斎の冨嶽三十六景が世に出ようとしていたー。
ベロ藍を得た重右衛門は加代のつてで会ったある版元から、人気の滑稽本「東海道中膝栗毛」にちなみ「東海道五拾三次」という55枚の揃いものの企画を持ちかけられ、これが大当たりする。風景画家として地位を得た広重は、愛する江戸を描きたいという強い情熱を持っていた。
身内や一番弟子に早々に死なれたり、借金の肩代わりのために枕絵を描いて下手さを散々にけなされたり・・人生の禍福に翻弄されつつ、勇み肌でどこか憎めない広重。同時代に活躍した北斎や美人画・人物画の大家、歌川豊国との絡みもあり楽しめる作品になっている。
江戸は大地震、大火に見舞われる。今こそ江戸の絵を描くべきー広重の情熱が再燃する。
梶よう子さんは北斎ものの小説も書いておりなかなか面白かった。この作品ではあまりイメージのなかった広重像を人情味豊かに描いてみせるとともに、摺物の製作過程をも丹念に取り上げて述べている。さすがというか。
読んだから広重の作品を見てみた。早逝した一番弟子、昌吉が下絵を描いた、鷹が飛ぶ上空から江戸を見下ろす絵もあった。ふむふむ。ベロ藍のバリエーションでは北斎よりも一日の長があるという。小説の最後の方に出てくる、川の中央を濃く、岸に向かってぼかしている作品もあって納得。自在にベロ藍を使っている。広重ブルー、というのはもともと欧米の浮世絵愛好家が用いた通称のようだ。ちょっとだけ、映画監督北野武の色使い、キタノブルー、を思い出す。
もちろん藍だけではなく、暖色を使って描いた「名所江戸百景 亀戸梅屋敷」はゴッホが模写したし、私が東海道五拾三次で心に残っているのは「蒲原 夜の雪」だったりする。風景画ではさまざまな抽き出しがあったということだろう。
広重が死ぬ前に遺書を書き、コロリの大流行中で亡くなったというエピソードは手塚治虫「陽だまりの樹」にも出てきていたのを思い出した。
大阪でちょうど展覧会をやっているし、ドラマはこの週末。知見が深まったところで、楽しめそうだ^_^
ちなみにwebで調べたところ、劇中で広重が目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた養女お辰は、二代目広重となる弟子の鎮平と夫婦になったが離縁、三代目広重の寅吉ともその後結婚している。へぇーと唸ってしまった。
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