2022年10月31日月曜日
10型書評の9
◼️ レイ・ブラッドベリ「華氏451度」◼️ レイ・ブラッドベリ「華氏451度」
思ったよりも荒々しい。ストーリーはシンプルにして言葉は詩的。
先に読んだ星新一の本で、星氏はブラッドベリの「火星年代記」にインスパイアされた、とのことで読みたいなと図書館で見てみたら「火星」はなくこちらがあった。あとがきを読んでみると学校でも採用され、アメリカの国民的文学に準ずる地位に押し上げられている作品、というくだりが目に入り、ほー、有名な本だし、と借りてきた。物語の読了後、やはりあとがきで、フランソワ・トリュフォーが「火星」を映画化しようとブラッドベリに連絡したところ断られ、代わりにこの作品を推薦されて映画化権を買い取った、との記述があり、なんとはなしの類似性に苦笑してしまった。
本を持つことが禁止されている未来。テレビは壁に映し出され、スイッチを入れると家の中で「家族」が喋り出す。ガイ・モンターグは通報があると火炎放射器で本を焼き尽くす「昇火士」。昔は火事を消す消防士という職業があったそうだがはっきりしない。
ある日、多量の書物を所蔵する家に踏み込んだモンターグたちは、老婦人が本たちを渡そうとせず、毅然として自ら昇火剤に点火し、本や家と一緒に焼身自殺するのを見る。
以前から本に興味のあったモンターグはこの事件にショックを受ける。妻のミルドレッドは俗に染まり、モンターグの気持ちを理解しようとしない。そしてモンターグは隠しておいた本を、取り出すー。
ディストピアもので、ストーリーはこのあとモンターグが大ピンチになり逃亡、という流れになる。
二律背反するモンターグの行動。心の中のアンビバレントな衝動と言葉の洪水。アメリカの歌の歌詞や一部のSFものに共通する、深みのありそうな例えや言葉で荒っぽく押しまくってくる印象だ。フィリップ・K・ディックに似ている気がする。
本を焼く、焚書、というのはやはりインパクトを残す。過去の消防士と現代の昇火士の対比もおもしろい。戦争が勃発し危急のさなか、見えない道のりを歩む、それを予感させて終わる。
創刊から人気を博した初期のPLAYBOYに連載されたという。なんかこの、トガッた感じと言葉で押しまくる部分は雑誌のブランディングとしてマッチしていたのかもしれない。
この世界では2022年から2度核戦争が起き、アメリカは2度とも勝ったという。その年に読了するとは、なんかまた呼ばれたような感じを覚える。
この物語の、享楽的ながらも完全に統制された世界は、ヒトラーの記憶も新た、共産主義が勢力を広げていた1950年代では現代とはかなり違った強い響きを持ち、アヴァンギャルドだったのではなかろうか。しかもはるかな未来だ。
アメリカっぽいところに押されるが、このダイナミクスと、多くの言葉がパズルのピースのように、全体で大きな不条理さを代表しているように思える。人間の苦悩は理屈で説明できるものではないことを実感させたりする。
いずれ「火星年代記」も読もう。
◼️ 「日本鬼文学名作選」
異界とのあわいに立つ異形の巨体、赤く、青く、太く硬い角。鬼は物語を持っている。浸りました。
栄華を極めた藤原道長の時代の源頼光、その四天王である渡辺綱、碓井貞光、卜部季武、そして坂田金時、さらに藤原保昌。酒呑童子を退治した時、切り落とされた童子の首が宙を飛んで頼光の兜に噛みつく。渡辺綱は髭切の太刀で茨木童子の腕を切り落とすー。鬼とは。
鬼の話には惹かれるものがあり、多少読んでいる。この本もかなり楽しかった。
芥川龍之介、筒井康隆、菊地秀行、高橋克彦らの鬼に関する小説が収録されている。野坂昭如による御伽草子の酒呑童子物語の現代語訳もあって嬉しい。
途中鬼ものの作品を多数描いている鬼好き作家の加門七海と霜島ケイの対談もあり、鬼というものの研究考察、取材について述べられているのもすごく参考になる。子どもと見たことはあるがこわキモくてやだ、と言われた「仮面ライダー響鬼」についてのくだりもおもしろい。鬼好きだけれども体系的には調べてないし知らないことが多くて興味深い。
アプローチはさまざまだ。芥川は鬼が平和な生活をしてたのにいきなり殺戮に来た桃太郎のKYぶり、驕り高ぶった姿を描いているし、筒井氏はおばあさんが拾ったのは桃ではなく妊娠した桃尻だったと、コケティッシュ&エロティックに展開してさらに最後はSF的な風味を加えている。
菊地秀行の「大江山異聞 鬼童子」の抜粋はもう、怪しくて引き込まれて、全部読みたいぞーとなった。
霜島ケイ「鬼の実」モノノケ市には恒川光太郎を思い出したりして。加門七海「鉢の木」は妖しく艶めいている。どちらも異世界が見えるようだ。
平家物語 剣の巻の現代語訳は、おそらく演出のための創作も入っているだろうけれども内容は記紀やお伽草子を踏まえ、熱田神宮の由来も盛り込まれていて、総花的とはいえこの時代にこれほどのまとめ方がなされていることに驚く。そしてこの本のそれぞれの篇の鬼エピソードとつながっている感がある。
高橋克彦の鬼シリーズはほとんど読んでいてたぶん収録の「視鬼」も再読。雰囲気の作り方、小道具の笛の使い方、展開はさすがでうらぶれ荒れた都の片隅、その夜の深さを想像して楽しめる。
なぜ女は鬼や妖怪に喰われるのか。歌人である馬場あき子さんの著書「鬼の研究」は持っている。おもしろいテーマの分析。馬場さんは能作家でもあるそうだ。能にも鬼の出てくる作品はいくつもある。安達原、紅葉狩。恨みを持つ女が五徳を逆さに頭に載せて鬼となる「鉄輪」の話を読んだ時はゾクゾクした。
鬼の本は多くあり、ジャンルを問わず生み出され続けている。まだまだ楽しめそうだ。渡辺綱が美しい女に化けた茨木童子に出会った一条戻橋は晴明神社の前にあるとか。今度の京都散策で行ってみようかな。
10月書評の9
きょうは「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2022」の日でした。多くの建物が公開されています。そんなに長い時間ではなかったのですが、秋の気候の中、ぶらぶらっと歩きました。入りたかった建物に行列が出来てたり、久しぶりに中央公会堂の中に入ってほうっとなったり。
来年も行きたいね。
◼️ レイ・ブラッドベリ「華氏451度」◼️
思ったよりも荒々しい。ストーリーはシンプルにして言葉は詩的。
先に読んだ星新一の本で、星氏はブラッドベリの「火星年代記」にインスパイアされた、とのことで読みたいなと図書館で見てみたら「火星」はなくこちらがあった。あとがきを読んでみると学校でも採用され、アメリカの国民的文学に準ずる地位に押し上げられている作品、というくだりが目に入り、ほー、有名な本だし、と借りてきた。物語の読了後、やはりあとがきで、フランソワ・トリュフォーが「火星」を映画化しようとブラッドベリに連絡したところ断られ、代わりにこの作品を推薦されて映画化権を買い取った、との記述があり、なんとはなしの類似性に苦笑してしまった。
本を持つことが禁止されている未来。テレビは壁に映し出され、スイッチを入れると家の中で「家族」が喋り出す。ガイ・モンターグは通報があると火炎放射器で本を焼き尽くす「昇火士」。昔は火事を消す消防士という職業があったそうだがはっきりしない。
ある日、多量の書物を所蔵する家に踏み込んだモンターグたちは、老婦人が本たちを渡そうとせず、毅然として自ら昇火剤に点火し、本や家と一緒に焼身自殺するのを見る。
以前から本に興味のあったモンターグはこの事件にショックを受ける。妻のミルドレッドは俗に染まり、モンターグの気持ちを理解しようとしない。そしてモンターグは隠しておいた本を、取り出すー。
ディストピアもので、ストーリーはこのあとモンターグが大ピンチになり逃亡、という流れになる。
二律背反するモンターグの行動。心の中のアンビバレントな衝動と言葉の洪水。アメリカの歌の歌詞や一部のSFものに共通する、深みのありそうな例えや言葉で荒っぽく押しまくってくる印象だ。フィリップ・K・ディックに似ている気がする。
本を焼く、焚書、というのはやはりインパクトを残す。過去の消防士と現代の昇火士の対比もおもしろい。戦争が勃発し危急のさなか、見えない道のりを歩む、それを予感させて終わる。
2022年10月23日日曜日
10月書評の7
水墨画に若者が挑戦する「線は、僕を描く」。本がおもしろく、映画も鑑賞。横浜流星さんっすよ😙客の中には和服の方もいらした。小説の多くの要素をだいぶカット、単純化してたけど、それはそれで安心して観られる出来で、エイジングで涙腺がゆるいのか、何回も涙してしまいました。
行った映画館で冬公開の🏀スラムダンクのムビチケ購入。花道、ゴリ、三井、リョータ、流川の5種類で、スリーポイントシューター三井にした。私が高校生の時に3ポイントがルール化されたものの、まだ戦術として根付いておらず、試合で射つことなく引退。未だ憧れがあるのです。
前日の秋桜観ながらこんなの食べたかったなの、おにぎり定食を食べて本屋で西鉄殺人事件を見つけて買う。ふるーいのかと思ったら文庫化今年3月の新しい作品。今年亡くなられた西村京太郎氏追悼の意味でも読もうと思う。土ワイ好きだった。
ドラフト会議で下位に思い入れ。楽天に指名された林投手は滋賀・近江の時に甲子園で活躍したサウスポー。当時は細かったけども社会人で身体が大きくなって球威もかなり増したようだ。
何年か前、息子と甲子園へ高校野球を観に行った時に、東海大菅生のショートが、サードの頭を高いバウンドで超えた打球をサードの後ろで捕ってファーストでアウトにした。長いこと野球を観ているが、たぶん初めてのプレーでめっちゃ驚いた。今回中日に指名された大卒の田中幹也という内野手だった。ニックネームは「忍者🥷」だという。身体は小さいけどもぜひ頑張ってほしい⚾️😆
◼️ 星新一「ちぐはぐな部品」
やっぱり、おもしろい。今回は、長めの方が。
星新一といえばショート・ショート。周りに好きな人は多い。この作品は自薦の30作品を集めたもの。ご本人のコメントでは、初期からこのごろの作がまざっていて雑多だからこのタイトルにしたとか。
短いものから、おそらく最長24ページの「壁の穴」までさまざま。今回は長めのものがおもしろかったなと。
高度のサイボーグである主人公。ある日、テレビが映らなくなり、どこへ電話しても誰も出ない状態に。自分へ向けられる視線が嫌で引きこもっていた主人公は外へ出て原因を調査し始めるー。
(凍った時間)
ある医師は、医院の近くの質屋で人の出入りに不審を抱く。入る時と出る時で髪型や体型が変わっているのだ。やがて医師は質屋から出てきた人を治療する機会に恵まれるー。
(出入りする客)
味気ない生活を送っている青年の部屋に突然現れた不思議なナイフ。壁や天井をくり抜くとそこに別世界の風景が現れる。穴に入ることはできないが、動物らがこちらに来ることはできるようだ。青年は夢中になるー。(壁の穴)
あとは、薬物でラリったキューピッドが恋の矢を射ちまくるというマンガのような話も笑えた。
星新一といえば、超短編のキレの良さが特徴の1つ。しかし怪しいSFチックな話でたまらなく真相を知りたくなる設定や進行、シンプルだな何か含んでいるような文章も魅力だと思っている。
楽しめました今回も。
◼️ アレキサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン「スペードの女王」
不条理も喜劇も。プーシキンのオチのあるコント集。
コントと言ってもお笑いではなくて、短編小説のこと^_^長編小説はロマンというとか。
表題作「スペードの女王」が60P弱、それからベールキン物語として「その一発」「吹雪」「葬儀屋」「駅長」「百姓令嬢」で、それぞれ25〜40ページくらいの短編だ。
プーシキンは1799年ロシア生まれ。少年時にナポレオン戦争があり、青年期にはデカブリストの乱があり、帝政ロシアは蜂起した勢力と付き合いのあったプーシキンを厳しくマークした。
ベールキン物語はきちんとオチをつけた短編小説、という感じで愉快さと悲哀、風俗に満ちている。「葬儀屋」はちょっとずる賢く利己的な葬儀屋が、これまで手がけた死者の亡霊に出会う話。「駅長」は可愛く利発な娘を外の異世界へ連れ出された貧しい父親が主人公で、軍人の横暴さ、身勝手さ、娘の願望を目にする。逆に言うとゴーゴリ「外套」、芥川龍之介「芋粥」のような負け犬の姿を描いているような感覚の話。「百姓令嬢」はシェイクスピアの喜劇のような話でそれでいて落語のようなエンド。
「吹雪」はいかにもドラマでありそう。男と、女の心情がにじむ。「その一発」は決闘の話。やがて決闘で撃たれた傷が原因で死ぬプーシキンの運命を暗示しているかのよう。当時の風潮がよく見える。
さて、「スペードの女王」はよく出来た、やはりうまくオチる小説らしい話。女性の想いを利用して賭け事に絶対勝てる方法を得た男は・・まあ小粋だなと思う。因果応報はちょっとドラえもん的だろうか。
私が読んだ本は訳出が昭和8年と14年で、はっきり言って言葉が決定的に古い。そのままとはさすがの、というか、ふむふむ、というか、とにかく少し読みにくかったかな。
「駅長」の娘さんは1回くらい戻ってやれば良かったのに。「葬儀屋」が平和で好きかな。時代が分かる本は、読むのも修行やね。
2022年10月21日金曜日
奈良散策の2
壬申の乱で天智天皇サイドに勝った、のちの天武天皇は都を近江から飛鳥に戻し、さらに初の本格的な都として藤原宮を計画します。天武が亡くなったのち、妻の持統天皇の時に遷都しました。都としては長くはなかったのですが、この辺の歴史は興味があって小説をよく読み、思い入れがあります。
春すぎて夏来たるらし白妙の
衣干したり天の香具山
持統天皇
実感です。香具山、畝傍山、耳成山の大和三山に囲まれた土地。やまと、という気分に浸りました。私は都府楼の大宰府政庁跡で遊んでいたので、奈良は太宰府に似ているな、とよく思います。今回も改めて、懐かしいキモチになりました。
京都と違って奈良は歩きます。帰りのバスは1時間以上あと。最寄りの駅まで2キロ強。でもこのへんは古い町屋が多く、退屈せずのんびり歩く。
遅めの昼ごはんは駅前うどん屋の大和三山うどんで😆ガッツリ😆
大和は国のまほろば
たたなづく青がき
山ごもれる大和し美(うるわ)し
倭建命
3日間歩いて楽しんだ京神奈。秋冬と活動するぞー。
奈良散策の1
なんつっても藤原宮跡のコスモスは圧巻だった。写真撮りすぎた。😆
午前は3人寄れば文殊の知恵、の文殊菩薩様がいる安倍文殊院に行って来ました。645年に建立、安倍氏の聖地として存続し、安倍晴明が星見をしたという展望台に行く道には「合格門」が。ウチの高校生のために文殊菩薩様に祈り、お守り買って来ました。
本堂と浮御堂セットのチケットを買うと、絵はがき、ミニお守りと落雁をくれました。財布に入れとくように受付の方に言われたので、しっかり入ってます。浮御堂はお札を7枚もらって「病気をしませんように」などと厄除けのことを心に思いながら周囲を回ったら1枚ずつお札を箱に入れていって、7周回ってから中に入ります。本によく出てくる安倍晴明の座像がありました。
京都散策の2
歩いてちょっと、本日メインの京都芸術センター。1931年に建てられた、デザイン性豊かな欧風意匠の小学校を改修したもの。見学自由。もう窓とか渡り廊下、屋根ほかステキでキュンキュンしてました。
ここは甲斐みのり「歩いて、食べる 京都のおいしい名建築さんぽ」に載ってたんですね。建物の中のアートなカフェに行ってバタフライピーとレモネード、レモンシャーベット、レモン果実の色鮮やかで美味しいドリンクと木の実が入ったパウンドケーキ。
映像ルームが2つあって、クッションソファに楽な格好をして海中や穴からの雨や水の流れなどアヴァンギャルドな映像が観られました。
寺社めぐり、街遊び、京都はまだまだ行きたいとこある。楽しいお出かけでした。
京都散策の1
岡崎公園。京都モダンテラスで12種類の野菜のパスタを食べて、その下の蔦屋書店で、多少貯まっているTポイントを使って2冊ほど買った。川端康成「美しさと哀しみと」新装版と幸田文のエッセイ。岡崎公園でまったりするの好きである。京都国立近代美術館でピカソの絵が多めに出ていた美術展を観た。んーいまいちだったかな。ピカソとモディリアーニは楽しめた。
神戸散策
メリケンパークから乙中通り、南京町と歩く。エスプレッソとどら焼きテイクアウト。やっぱ乙中さんオシャレ〜。神戸は食に溢れてるね。じもぴー散策でした。
2022年10月18日火曜日
10月書評の6
熱中した昨年のショパンコンクール。青柳さんの詳しい解説でまたまた楽しむ。
優勝したブルース・リウ、その歴史的名演という声もあったラ・チ・ダレム変奏曲を含む3次のステージのアーカイブを聴いた後、この書評を書いている。
クラシックが好きな私は図書館で、2015年大会のことを書いた青柳さんの著書をたまたま目にして読み、臨場感のあるレポートと解説にハマった。ショパンコンクールは映像アーカイブが完璧なので、ファイナル進出者の演奏を何度も聴いた。
読んだのは確か2020年の暮れ。ショパンコンクールは5年に1度、ということは、終わったのか、と思ったらコロナで1年延期されたという。しかも、その時点でコンサートのチケット入手が難しくなっていた人気ピアニスト反田恭平、2015年大会で日本人唯一のファイナリスト小林愛実、東大大学院卒、かてぃんとしてYouTube等で大人気の角野隼斗、天才少年としてその名を馳せた牛田智大など、日本人の優勝候補が複数挑戦する。期待を持って熱中した2021年の大会は、カナダのブルース・リウの優勝で終わった。
青柳さんは、相変わらず演奏について専門的な見方と、当地の舞台裏話、審査員とコンテスタントのインタビューをまとめている。充分で周到な準備をし、コンクール中でも研究を欠かさなかった2位の反田恭平と、いっさいの情報を遮断、他のコンテスタントの演奏もまったく聴かなかったブルース・リウの対照がおもしろい。
反田とともに2位でソナタ賞を受賞したアレクサンダー・ガジェヴはその哲学的な演奏で一部の審査員を混乱させた。3位のマルティン・ガルシア・ガルシアは当落線上でなんとか勝ち上がり、ファイナルのコンチェルトで抜群の2番を披露、コンチェルト賞を受賞した。
ガルシア・ガルシアは見出しではガルガルとされている笑。ガジェヴとガルガルは章でセットになっていて、個性派が揃ったファイナリストたちの象徴的存在として扱われている。ガルガルについては実は私も、3次で、ミスは多いわ、ペダルの足はドタバタしてるわ、メロディをハミングする声がマイクから聴こえるわで、大道芸人みたいな人だと、正直ファイナルに残った時えーっ?と思った。ら、ファイナルの2番はメチャメチャに上手く鳥肌が立った。世界にはいろんなピアニストがいるものだ。
23名でファイナルの10席を争う(今回は12人だった)の3次まで来ると上手いは全員上手い。ファイナルに残るのはその中でも強い印象を与える人なんだと思わされた。角野や進藤実優、キム・スーヨンらは落選。角野や進藤のピアノにも触れられている。ファイナルのメンバーはいずれ劣らぬ個性派揃いだった。
2010年、2015年の優勝者アヴデーエワ、チョ・ソンジンはそれぞれ、楽譜重視のオーソドックスなタイプだった。しかし前回、そして今回は弟子の自由な演奏を認めるタイプであるダン・タイ・ソン門下の活躍が目立った。ブルース・リウもその1人。常に唱えられる、ショパンらしい、というのはどういうことなのか、という疑問にも、奏者であり文筆家、博士号を持つ青柳さんがチャレンジしていて興味深い。
私は小林愛実を応援していた。20歳で出場し、「今この瞬間に降りてきた音楽を弾いているという臨場感を武器に」していた前回から進化した。長くお嬢さんカットだった髪を切り、ドレスも大人っぽくしていた。青柳さんは演奏プログラムはより困難に、演奏もぐっと内省的になり、弱いけれども芯があり審査員席まで届く、絶妙のピアニッシモを操ってみせたと高く評価している。2次では現地の聴衆がハッと息を呑み水を打ったように演奏に集中するのが配信でも分かったし、採点上ブルース・リウについで2位だった3次ステージの緊張感あふれる演奏はファイナル進出を確信させた。すごいものを観られたと思う。リサイタルに行き、年末の出演のチケットもすでに取った。
今回もLIVE、アーカイブも完璧。しかし現地で聴く演奏と、配信では明らかに聴こえ方が違ったらしい。小林もそう言っている。反田やかてぃんら人気ピアニストが出場したこともあり、コロナ禍でもあり、日本からのアクセスは非常に多く、かてぃんの2次は新記録を達成したと同時言われていた。
そして、現地での生演奏の方が配信よりも上と見られる暗黙の了解のようなものにかてぃん、角野隼斗は、現地の聴衆の何百倍の人が聴いているわけで、マイクが拾った音で聴くからこそ良い演奏にも価値があるのでは、と疑問を投げかけている。ちなみに審査員のアルゲリッチは好奇心が旺盛で、前回大会では審査の後のホテルで配信版を聴き直していたとか。生で聴いていると分かるミスが、配信だとクリアされてしまう、つまりミスも良い音に聴こえてしまう一方、ホールでは届かない小さい音、細かく美しいニュアンスがマイクに載せることにより響くのでは、すでに代替物ではない、という見方などが紹介されていて興味深かった。
私的には、ショパンコンクールはぐっと身近になっている。これまでは2000年大会のようにテレビで特番ないのかなあ、と待つしかなかった。いまはほんまにハッピーだ。
コンクールというものの特質も関係してくるのではと個人的には思っている。並列、同じような曲の演奏を何人も続けて聴くと、私のようなシロートにもやはり違い、特徴が分かりやすい。また、名演はコンクール本番の強い緊張感があるからこそ特別に聴こえる、と思う。
小林の息を呑むくらいのピアニッシモ演奏は、それまでのコンテスタントたちにはジャンジャンかき鳴らす傾向があったために余計効果があったし、ガルガルのコンチェルトも、今聴くより、あのファイナルで聴いた時の方が大いに感動した。ブルース・リウが協奏曲1番を弾き終えた時、オケの演奏がまだ鳴っているのに、ピアノの弾き切りでブラヴォーの声が湧き、うねりのような感動が心を包む、これはやはり本戦のなせるワザだろうと思う。
その緊張をも伝えたこの本は大変貴重だ。前著は詳しすぎる、という批判もあったとか。しかしあまり分からないものを理解していくのは逆に楽しい過程だし、こちらも専門的な見方を知りたいので、今回もとても興味深かった。大変コンパクトな新書で、もっと書いて欲しかったくらい。
次回のコンクールは、進藤、牛田らリベンジ組と、日本期待の藤田真央が出たら盛り上がるかな。いまからめっちゃ楽しみだ。
2022年10月15日土曜日
10月書評の5
◼️ 青木奈緒「ハリネズミの道」
あの頃、の留学日記というのはみずみずしくおもしろい。
青木奈緒は青木玉の娘、青木玉は幸田文の娘、幸田文は幸田露伴の娘。一族4代め文筆家のデビューエッセイである。
幸田文はきものを愛するベスト・エッセイスト、青木玉は「幸田文の箪笥の引き出し」というエッセイに感銘を受けた、やはり良き書き手。
青木奈緒がドイツに留学した際の体験談を、京(ミヤコ)という主人公に仮託して書いた連作のエッセイ。時たま突然3人称になっていちばん仲のいいエルケ目線に変わるなどふうん、というポイントがあったりする。
時代は東西統一して間もないドイツ、南部の小さな街。空港から寮に入り季節がひとめぐりする1年の留学生活のエピソード、短いひと篇ずつが重ねてある。
留学先の大学の寮は男女の部屋が同じフロアにあり、ミヤコのような東洋人、アフリカ、そして国内からヨーロッパ各地からの留学生との共同生活。日本のことはあまり認知されておらず、物をはっきり言わないことを嗜められたりもする。ダイニングルームに集まるミニパーティなぞいかにも学生っぽくて、読んで楽しい。恋愛、自然保護運動、見えない将来、学問。
たどたどしかったミヤコはムリなくなじみ、ドイツの一部となっていく。
当地の考え方や風習に驚いたり感心したり、誤解されている日本のことを説明したり・・よくあるような題材の気もする。でも最近読んだ奈倉有里「夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く」のように、異国の留学生活を辿る文章に触れるのは意外に楽しい。したことのない留学を追体験しているようで、けっこう興味深く読み込んでしまう。
ドイツではミルクライスといって、米を牛乳で煮て、シナモンシュガーやフルーツをトッピングして食べたりするんだそうです。他いろんな調理の仕方があり、へ〜とは思いました。ただ、著者も書いてる通り、ミルクライスは私もカンベンしてほしい感じっす。
ミヤコは誘われてサッカー、ブンデスリーガのブレーメンの試合を観に行く。あまりスポーツ興味ないようなのに、満足した体の一話に思い出す昔話。
「アルゼンチンに留学した友達は私と同じでスポーツぜんぜん興味ない子だったのにいまやめっちゃサッカーファンですよ〜」という後輩から聞いた話。アルゼンチンはサッカー熱高い国。環境は人を変えることもある。青木奈緒が留学した当時はJリーグ開幕前夜くらいと思われ、ヨーロッパサッカーなんてほぼ知られていなかったころ。よけい新鮮だったかも。
終盤、そり遊びをしていた小さな男の子、ミヒャエルと友達になり、その誘いでミヒャエルの叔父カールハインツと3人で5日間の自転車旅行。リンゴやブドウの果樹園、大きく広い丘、森に渓流、城跡のキャンプ場。留学から帰る前の体験は開放的で美しい。エッセイの流れとしてもきれいだ。
幸田文は、生活をベースにした、フレッシュで芳醇な文調、青木玉は母親のテイストに、たおやかさとチャーミングな面を加えた感覚。さて、青木奈緒はというと、母とはあまり似ておらず、どちらかというと現代的にドライ、内向的で一見遊びがない。描く対象、題材を派手でない言葉でじわりと感じさせるタイプかなと思った。感じたことそのままの若さも漂うが、それもいいかも。
ハリネズミの道とは、寮近くの池に続く小道のこと。しかし、この南ドイツではホンモノのハリネズミが町にふつうに出没、ミヤコも遭遇する。へええ、だった。見てみたい。
◼️ チンギス・アイトマートフ
「この星でいちばん美しい愛の物語」
小説の核を見る思いもする。本を読み込む身には効く。
去年のショパンコンクール2次審査でこんなことがあった。最終的に4位に入った小林愛実が極小、極めて弱い音を使い課題曲を弾き出した瞬間、客席にサーッと緊張が走り演奏に集中するのを感じた。小林愛実が持つピアニズムもさることながら、大きな音でかき鳴らし気味のコンテスタントたちの演奏を聴いてきた中で、ひときわそれは新鮮に響いた。これは、ちょっと違うぞ、というように。例えが長くて思い入れ入ってて恐縮だが、今作を読んでいて、思い出した。
なんというか、剥き出しの物語を読んでる心地がした。ふだん読む小説はどうしても説明が多くなるため、エッセンス、核を見ているようだった。
第2次大戦でドイツと戦っているソ連はキルギスの村。若者は兵隊に取られ、15、6歳の少年たちが集団農場で働き家を支えていた。セイットもその1人。隣の親戚の家もやはり2人の若い男が出征しており、長男サディクと結婚したばかりの、ジャミーリアがセイットは好きだった。ジャミーリアは若く美しく、裏表のない、明るく激しい気性をしていた。
ジャミーリアとセイットは、軍隊に送る麦を約20キロ離れた駅へ、毎日馬車で運ぶことになる。脚にケガをして戦地から帰ってきた若者ダニヤールも一緒に行くことになった。ジャミーリアとセイットは、無口で村の者たちになじまず、敬遠されていたダニヤールをからかったりしていた。少しずつ縮まっていく、心の距離。
そして2人はある日聴いてしまった。ダニヤールの、歌を。
今回読んだ本は1999年に出版されているので、最初は何戦争?などと思ってしまった。1958年に発表された、キルギスの作家アイトマートフの出世作で、欧米・アジアなどで翻訳出版、増刷され続けているという。
著者は遊牧生活から苦労の多い少年時代を送ったそうで、作中の草原や渓谷を馬、馬車で行く描写は実体験から来ていると思われる。
はるか遠い草原、逆巻く河、老人たちばかり残った村に、若々しい妻の肉感的な表現。瞳の色。激しい労働、しきたり、戦争、そして恋心。
物語はシンプルに思える。謎めいたダニヤールの歌で、すべてが変わる。大地に空に響きわたる。
長くはない作品で、1ページの文字数も少なく、次へ次へとページが進む。理解しやすく、想像と憧れが湧いてくる。なあんか、こういうの、これが小説だよ、なんて粗っぽい思念が湧いてくる。
キルギスの映画は名匠アクタン・アリム・クバト監督の「旅立ちの汽笛」「馬を放つ」を観た。少し思想的な感覚も、分かる気がする。色使いに長けた映画、そのイメージが重なった。
このように感じることができるのも、たくさんの緻密に描きこまれた作品たちのおかげ、だとも思う。異質に、しかし正統派に感じてしまうこの小説には、気持ちよく心を持っていかれた。
2022年10月11日火曜日
10月書評の4
CSの予定が消え、正直ややクサクサ気味😎だったしで何かないかと探したところ、県立劇団のシェイクスピアがあり、当日券で観てきました。行き当たりばったりけっこう好きです😆初ピッコロシアター。
シェイクスピアの有名どころは完読。しかし劇を観るのは初めてなのです。ドタバタ、笑い、そして最後はちょっとジンと来ました。お芝居は観ないんだけど、やっぱりライブはいいですね。演出でだいぶ変わるだろうなとは思いつつ、シェイクスピアは天才だなあと。
劇場喫茶でから騒ぎ特製サンドウィッチセット、これ何かの顔を模してる?と訊いたのですがそんなことはないとのこと。
山道に、小さなツリガネニンジンが咲きました。いつものとこに1か所のみ。今年も見つけられて良かった。あとザクロの赤い実が目を惹きました。きょうも朝晩寒くて昼は暑め。明日朝も寒くて、でも今週は暑いとか。それでも先週の土日は半袖短パンで外出してたことを考えれば季節は進んでます。
先週は同年代3人と飲み会。話すこと溜まりすぎてて、ドライブマイカー観た?とか、行ったとこ、人の消息、趣味の話に花が咲きました。コロナ前にゆるりと戻っていくのか、冬はどうなるのか、というとこ。また波は来るし、来ると警戒はするだろうしで、今のうち、ですね。。
◼️Authur Conan Doyle
「The Adventure of the Three Gables
(三破風館)」
さんはふかん、と読みます。私はこの作品で破風、というものを覚えました。
ホームズ原文読み25作め、第5短編集「シャーロック・ホームズの事件簿」から、本格的な捜査はない、ミニな物語です。発想が「赤毛組合」に似ているな、とも思えますが、どうもドタバタ風味が強い。彩りっぽい話ですね。
破風とは、三角の屋根の端のこちらに向いている細い部分、ですね。あまり詳しくは書いてませんが、事件のメインとなった建物の上の方に切妻屋根様の突起が3つ付いていたようです。
I DON'T think that any of my adventures with Mr. Sherlock Holmes opened quite so abruptly, or so dramatically, as that which I associate with The Three Gables.
「私がシャーロック・ホームズと共にした冒険のうちで、三破風館の事件ほどまったく唐突でドラマチックな始まり方をしたものはなかったのではないか」
冒頭、この文章で始まる事件は大きくガラの悪い黒人、ボクサーの脅しでスタートします。
派手なグレーのチェック柄スーツに身を包みサーモンピンクのネクタイというちょっと滑稽な恰好でずかずか入ってきて
you keep your hands out of other folks' business. Leave folks to manage their own affairs. Got that, Masser Holmes?
「他人のことにゃ口を出すな。人のことは人がしたいようにさせておきな、分かったか?ホームズさんよ」
続けろ、おもしろいから、と冷静にいなしたホームズに拳を突きつける用心棒的なチンピラ。
I've a friend that's interested out Harrow way
「ハーロウの件から手を引いて欲しいダチがいる」
he don't intend to have no buttin' in by you.
「ヤツはお前に邪魔されたくない」
and if you come in I'll be on hand also. Don't you forget it.
「お前が出てくるようなら、俺も出てくるぜ。おぼえてろよ」
威勢のいいこと。ホームズが、プロボクサーのスティーブ・ディクシーと正体を見破り、別件の殺人に絡んでいることを匂わすと途端に卑屈になります。
So help me the Lord!
「勘弁してくださいよ!」
自分に命じたのがバーニー・ストックデイルであることをあっさり漏らし、出ていきます。
いったいなんだ?と訝るワトスンに
I was going to tell you when we had this comic interlude.
「それを話そうとしていたところにこの愉快なじゃまが入ったのさ」
interludeは、幕間劇、合間の出来事といった意味でした。読む時分からない単語は調べてメモしてます。メモが溜まる一方です😆
I have had a succession of strange incidents occur to me in connection with this house,
「この屋敷のことで、次々と奇妙な事件がわたしの身に起きていまして・・」
差出人はメアリ・メイベリー、住所はハロウ・フィールド 三破風館となっていました。ホームズとワトスン、スティーブ・ディクシーの出現が促進剤となったようにすぐ出かけます。
レンガと丸太造りの屋敷の外見はみすぼらしい印象、しかし家の中は立派にしつらえてあり、またメイベリー夫人は魅力的で教養のある女性でした。ホームズは彼女が、ダグラス・メイベリーの母ということと、ダグラスの死を知ります。肺炎とのことでした。
ダグラス・メイベリーについては、ロンドンじゅうの人間が知っている、情熱的で才能がある方、との言及があるだけで、何をしている人か、等の説明はありません。たぶん外交官で、詩なども書く文筆家で、社交界に出入りしているんだろうな、と想像するしかありません。
で、母メアリは本題を切り出します。3日前に不動産屋を名乗る男が訪ねてきて、
He said that this house would exactly suit a client of his, and that if I would part with it money would be no object.
この家は自分のクライアントの好みにぴったりで、もし手放す気があるなら、金に糸目はつけないと言うのです。
be no objectは問わない、問題としない、だそうです。日本人的には、まあ初めてのお客さんには過ぎた表現で、駆け引きとしてもよろしくないかも。逆に怪しいですね。
家具調度も一緒に買取りたい、という申し出にマーベリー夫人は他には空き家もたくさんあるのに、と不審を感じつつも、隠居して旅行にでも行きたいと考えていたこともあり、合意します。ふっかけて言ってみた金額を、相手はあっさり呑みました。なかなか夫人、やりますね。
ところが、契約文書を顧問の弁護士に見せてみるとー
Are you aware that if you sign it you could not legally take anything out of the house – not even your own private possessions?
「気付きましたか?もしこの契約書にサインしたら、法的には、たとえ私的な持ち物でさえも何一つ外に持ち出せなくなるんですよ」
その点を指摘すると、身の回りの品には譲歩してもいいかもしれないが、チェックしないで持ち出すことは出来ない、クライアントには独特の流儀がある、と。ミセス・マーベリーはこの話を断ります。
ここで、ホームズは立ち聞きしていた、メイドのスーザンを捕まえました。スパイだったんですね。夫人の書いた手紙はスーザンが投函しており、だからホームズの動きが察知され、スティーブが来た、というのが分かります。ホームズは黒幕を言え、と迫りますがー
I'll see you in hell first.
「あんたになんかにばらすもんか」
Oh, Susan! Language!
「まあ、スーザン、なんて言葉遣いなの!」
clear out、去ったスーザン。聞くに、特に家に貴重なものはない、とのこと。顧問の弁護士にできればひと晩かふた晩泊まってもらってはとアドバイスし、玄関へ向かう途中でダグラスのトランクやスーツケースを見かけます。中身を調べて明日また聞かせてください、と言い残し、ホームズたちは帰り、探偵は情報屋と接触します。
翌朝、三破風館に強盗が入ったと弁護士から電報が。ホームズとワトスンはすぐに向かいます。マーベリー夫人がクロロホルムを嗅がされて昏倒し、その間なにかと物色されたよう。しかし金目のものは取られていませんでした。夫人はホームズの忠告を聞かず、ガード役を呼ばなかったことを後悔していました。しかし、なんと気がついたときに強盗にしがみつき、彼らが手にしていた紙切れをちぎり取ったとのこと。
紙に書かれていたのは、恋愛小説の一部のようでした。結びは物騒でした。
Man must live for something. If it is not for your embrace, my lady, then it shall surely be for your undoing and my complete revenge.
「男には生きる目標が必要だ。そしてそれがあなたの抱擁ではないとしたら、愛しいひと、それは間違いなくあなたが破滅して私の復讐が遂げられることだ」
現場にはグレグソン警部も来ていて、単純な事件で、バーニー・ストックデイルの一味の仕業だろう、あの大きい黒人も目撃されている、と受け止めていました。ホームズはさっさと帰ります。
ホームズは得た情報から、相手はイザドラ・クラインだと目星をつけました。スペイン人、コンキスタドールの末裔の美女。老いた砂糖王と結婚、裕福な未亡人となり、社交界でアバンチュールを楽しみ、次は息子といってもいいような若い公爵と結婚する寸前でした。
お遊びの相手の1人がダグラスで、彼は夢中になってしまったわけでした。ホームズはイザドラに会いに出掛けます。鼻であしらおうとしたクラインに、では警察を呼びましょうか、と伝えてアラビアンナイトのような広々とした部屋へ通されます。イザドラの最初の態度はひどいものでした。
What is this intrusion – and this insulting message?
「厚かましく押しかけてきてなんなの?おまけにこの失礼な言い方は?」
彼女はしらを切りました。は?雇われた乱暴者?知らない、と。ホームズがwearilyうんざりして、ほんならスコットランドヤードに行くわ、と腰を上げたところでハッタリ負け。媚を売る表情に変わります。
You have the feelings of a gentleman. How quick a woman's instinct is to find it out. I will treat you as a friend.
「あなたには紳士の心持ちが感じられますわ。女の勘はすばやくそれを見抜くものですのよ。友人としておもてなししたいわ」
余談。昨年「女ことばと日本語」という本を読みました。明治初頭、一部のお嬢さん方の言葉遊びだった「てよだわ言葉」の流行・普及にひと役買ったのは本格化した翻訳で、男女を言い分け、女性らしさを出すのに最適だったから、という説明でした。まあこの豹変ぶりをもよく表してるかと思います。
悪党を雇った危険、いつ寝返るかもわからないことについては、ストックデイルとスーザンの夫婦しか自分のことを知らない、今回の件で逮捕されても自分の名前が出る気遣いはない。たっぷりお金を与えてあるから、と余裕あり。
Unless I bring you into it.
「私が名前を出さなければね」
No, no, you would not. You are a gentleman. It is a woman's secret.
「まあ、そんなことはなさらないでしょう。紳士でいらっしゃいますもの。これは女の秘密なの」
さらに原稿を返すべし、と言うと、暖炉にあったその燃えかすをpoker火かき棒で崩し、いたずらっぽく優雅に笑ってみせます。ワトスンは
I felt of all Holmes's criminals this was the one whom he would find it hardest to face.
「ホームズが相手にした全ての犯罪者の中でも最もやりにくいと思っているのではと感じた」
と描写しています。しかしホームズは
you have overdone it on this occasion.
「今回、あなたはやり過ぎた」
と冷たく言い放ちます。通用しないとわかり、さすがのイザベラもヒステリックに。でもことの顛末に関しては必死の弁明です。言葉も正直です。
あろうことかダグラスはただの火遊びを本気にして、結婚を真剣に求めてきた、
He wanted marriage – marriage, Mr. Holmes – with a penniless commoner.
「彼は結婚を求めてきました。結婚ですよ、ホームズさん、文無しの平民との!」
イザベラは自分が窓から見下ろしている所で、悪党どもにダグラスを殴らせました。すると彼は、仮名にはしてあるけどもバレバレの小説を書いて送りつけ、出版社に持ち込むと脅してきた、と。
ホームズもそりゃ彼の勝手でしょう、と言います。ただなかなか屈しない反面、ちょっとストーカーっ気も感じますね。ラブアフェアに狂った男です。若き富豪との結婚を控えたイザベラには痛くてしょうがなかったのですね。
まだ原稿が出版社に送られていないのを確かめたイザベラはダグラスの荷物ごと三破風館を買い取ろうとし、失敗したため強盗に及んだというわけでした。
I am sorry for it! – what else could I do with my whole future at stake?
「それは悪かったとは思っています!しかし私の将来が危うくなっているのに、他に何ができたでしょう?」
さて、事ここへ至って、要素は出尽くしました。強盗事件は警察が処理しているし、たとえイザベラの名前が出たとしてもホームズやマーベリー夫人には関係ない、自業自得です。一方ダグラスにも思い入れすぎな部分はあり、原稿ももはや存在しません。ホームズとしては最も利のある手段を取る気になったと思われます。
ミステリ的に言えば、ダグラスの死因に不審な目を向けてもいいかもですが、この喜劇的なドラマ、また殺人の重さを考えれば波及させないのが上策ですねやっぱり。
I suppose I shall have to compound a felony as usual. How much does it cost to go round the world in first-class style?
「いつものように重い罪を示談にしなければならないようだ。一等船室で世界一周するにはいくらかかりますかね?」
マーベリー夫人が隠居し旅行に行きたがっていた事を言ってるんですね。追い込まれていたイザベラはびっくりします。ホームズは5000ポンドの小切手を切ることを提案。そしたら自分が夫人に渡るよう取り計らう、うまく収めるといってるんですね。イザベラは1も2もなく同意するでしょう。最後に厳しく忠告します。
have a care! Have a care! You can't play with edged tools forever without cutting those dainty hands.
「注意なさい!鋭い刃物をいつまでも弄んでいると、いつかきれいな指に傷がつきますよ」
これで幕。です。
冒頭のバイオレンスの匂い、手荷物も含めて家ごと買い取りたい、という奇妙な取引依頼、押し込み強盗、黒幕の美女との直談判、ベースは華やかな社交界と、読み物としての魅力はまずまず。ただやはりホームズものは捜査の醍醐味と物語のしての活動性がないと物足りなく映りますね。
名作「赤毛組合」は質屋の主人を外出させておいて、その隙に店から銀行までトンネルを掘る、という話でした。探し物があるから住人を外出させる、というのは「株式仲買人」、それと愛すべき「三人ガリデブ」と、実はネタとして何度も使われているのです。手荷物まで含めて家買取ります、というのはまた豪勢な異質さ。その中に今回もまた、似たものを感じたのでした。
モヤモヤは残りますが、ホームズ物語中の彩りということで。
2022年10月9日日曜日
10月書評の3
きのうはよく晴れていて、十三夜の月に衝の木星が接近して大変きれい。ダウンを着込んで、りゅう座流星群を眺めてみた。
目が夜空になじむまでに15分くらいかかる。最初に見上げた時より少しずつ、暗い星も見えるようになってくる。その感覚が好きやね。
最初はアンドラーシュ・シフの乾いた音のピアノでバッハ、そして後半はmiletとピアニスト角野隼斗がコラボしたファーストテイクの「Fly High」など。めっちゃマッチした。
今週は絵本などが多く少しなんていうか、アート的に刺激された。関西の名店、バックハウスイリエのシンプルなドーナツがホントにうまかった。もちろん看板商品のクリームパンも。父から定番の日田の梨。朝晩寒く日中はやや暑く、秋の気候。
天候が不穏気味だしどこも行ってない3連休。雑事と、バスケ🏀と、野球⚾️
辻ライオンズは終焉。まあ今年はこんなもんだと思う。ため息ついとこう。はあ〜〜〜🙁おそらくは来季松井新監督でリニューアルスタート。
女子バレー🏐がんばってる。世界選手権2次リーグ突破、決勝トーナメント進出決定!ベスト8だ。ぜひ一つ勝ってほしい!
◼️ いせ ひでこ「チェロの木」
広い絵の多い本。森、工房、教会、そしてチェロ。GOODですね。
チェリストでもある伊勢英子さんはここ最近マイフェバリットな絵本作家さん。子どもこどもした絵というよりはどこかに才が見え、キレと温かみ、未来へのびゆく光が見えるような絵だな、と思っている。
図書館で、今回はどんな本だろう、と開いたところ、とても美しい話だった。
おじいさんが育てた森の木で、お父さんはチェロやヴァイオリンを作る。納品について行ったぼくは、チェリストが出来立てのチェロを弾くところ、技師への称賛の光景を目にし、教会での演奏に魅了される。そして、おとうさんは、ぼくへのプレゼントを作り始めるー。
見出しの通り、四季の森の、広がる風景が秋も冬もすばらしい。工房のぬくもりと教会の音の広がりも、アップの絵が少なく、ロングもしくはワイドの中で、細かい描写の連なりに色をたくさん使った表現には、見るものの心を強く柔らかく刺激する。
やはりチェリストならではのこだわりも忍ばせているように見える。幼稚園ではなくもう少し上の子くらいが対象かな。チェロという楽器は大きくて不思議な形だし、音色は男声に似て、多くの人を魅了するものだし、ほとんどの子が未知数だけに、興味を持つだろうか、なんて考えた。
最後の方の、ニスを塗って多くのヴァイオリン、たぶんヴィオラも入ってるのかな?の中でチェロを乾かしているページも良かった。
かつて岩崎ちひろも賞をもらったというボローニャ原画展にも行き、なんか今年は例年よりよく絵本を読んでいる。
話と絵を同時に吟味できる、咀嚼する、絵本をたまに読むのはお気に入りですね。
◼️ あさのあつこ/加藤休ミ
「いただきます。ごちそうさま。」
豪快で大きな食べ物の羅列からまっすぐぶち抜いて進んだ感じ。
怪談えほん、ここまで宮部みゆき「悪い本」、佐野史郎「まどのそと」、京極夏彦「いるの いないの」と読んできた。話そのものと違う意味で、宮部みゆきが怖かった。図書館では小野不由美「はこ」、綾辻行人「くうきにんげん」がいまもってめっちゃ貸出中。恒川光太郎「ゆうれいのまち」や皆川博子「マイマイとナイナイ」も気になる。先々の楽しみだ。
さて、あさのあつこ。「バッテリー」の少年風味から「弥勒シリーズ」ではキレのある時代劇を描いている。
と、読んでみたら、結構豪球ストレート、昔の野茂英雄投手のようなスドゥンとくる重い球で押し切った感じだった。
両親は息子にたくさん食べなさいと笑顔。前半は食べ物がどぎつい色で、大きく羅列される。これはこれでいいよね、と受け止めると、食べ過ぎでデブった身体を小学校の友だちにからかわれた男の子は・・とにかく食べ尽くす、といきなり残虐に突き進むわけです。両親はなんでもよく食べる息子に笑顔、ゾッとさせて終わります。
分かりやすいはそうだろう、前半の満杯の食べ物と後半のギャップは効いてるような気もしますが、そんなブレーキの壊れた暴走ダンプカーみたいな・・と読み手は言葉を失いますね。。
次を楽しみにしておきましょう。
10月書評の2
◼️「ちひろの昭和」
表情、しぐさ、そして水彩の色使い。ちひろの絵は日本のアイコン。
そんなちひろの、子どもの絵のような・・好きなフレーズ。私はジャン・ジャンセンの絵が好きで、長野は安曇野のジャンセン美術館を訪れたいと常々思っている。そして、近くにある岩崎ちひろの美術館にも行きたい。webで情報を見た後、図書館で目にした。
瞳を描く表情は楽しさとともに子どもの微妙な感情をも捉えている気がする。そのしぐさは、可愛らしい、と感じるとともに、観る者に共感を呼ぶ一瞬を描き出しているようだ。
何より着るもの、背景、風景の色使いには感嘆する。背景と服とで赤や緑を重ねてみたり、大胆に差をつけてみたり。長いスカートのひだと布地のたっぷりさを、何種類かの色を薄く小さく使って表し、風合いまで感じさせる。水彩のぼかしの味も効きまくっている。
1939年に生まれインテリの両親のもとで育った岩崎ちひろ。絵の才は抜きん出ていた。しかし両親は家庭を持つことを望み、10代で意に沿わぬ相手と結婚させられ、最初の夫とはまもなく死別する。戦後、共産党主宰の芸術学校に入り出会った夫と結婚するさいは、特に芸術家としての妻の立場を尊重すること、などの誓いを立てさせたとか。
戦後訪れた高度経済成長による技術の進歩によって、微妙な色合いも印刷できるようになった。また子どもの成育に熱を入れる世相もあり、時代にマッチしたちひろの絵は広く認められるようになった。
子どもの絵は、長男の子育てに大きく影響されたようで、素人目に見ても、年代によって描き方が変わっているのが分かる。
というように、いい年のオジさんは年がいもなくキュウンとしていたわけだが、絵を見る前に、本を開いてすぐのちひろ自身の文章に惹きつけられた。
自分は若い頃には戻りたくない、という。あんな下手な絵しか描けない自分にもどってしまったとしたら、これはまさに自殺もの、という一文には苦笑いとともにそうだろうな、という感慨も湧く。地味な苦労をして、失敗を重ねて一歩ずつ進んできた、その気概が覗く。
親になってー
「私の若いころによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫が大切で、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。(中略)大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います」
ちひろの絵は、いわゆるプロレタリア美術にそぐわないとよく批判の対象になったという。絵の背景に思想が滲むのはある意味深みだが、絵を思想や価値観で斬るのはあまり感心できない。
ちひろの絵に漂う、ある種のリアルさ、感情、は、実感のこもったメッセージを投げかけている、ということかも知れない。
なんて。気楽に観られるのもいいことだよね。
さて、いつ行こうかな。
◼️ 矢口高雄
「釣りキチ三平の釣れづれの記 平成版」
やたら感動しながら読んでいた。ホントに懐かしい、あの頃。よく釣りしたなと。
「釣りキチ三平」は家に全巻あった。鮎、鮒といった河川湖沼の釣りから、カナダではキングサーモン、ハワイではカジキ釣りの大会でのビッグファイトまで、主人公の三平と取り巻く人々の縦横無尽の活躍が読んでいて楽しかった。四万十川のアカメ、キャスティング大会、クロダイ編など思い出深い。とりわけ好きなのは北海道で幻の魚・イトウを狙うシリーズだった。
矢口高雄氏監修の海釣り、河川湖沼の釣りのガイド本を読んで対策を練り、道具も揃えて、ハリスと針を自分で結んだりして、釣りに出かけた。
ウェーダーという長靴を買って山の渓流でヤマメ釣り。エサ釣りでピシッと合わせる。細長い小判状の斑紋模様、パーマークが特徴的なヤマメの美しさは愛おしい。ハヤ(ウグイ)を清流で、爆弾釣りといったいわゆる吸い込みの仕掛けで筑後川や手近な池で鮒を釣り、冬場船に乗って島に渡りカレイを狙ったりした。
2020年、著者の訃報に触れた際も寂しさを感じたけれども、こうして著作を読み込んでみるとノスタルジーと、当時の裏側を知り好奇心が満たされる感覚で、やたら感動モードになる。
「サスケ」などの白土三平に憧れて銀行員をしながら漫画家を目指していた頃の話、「バチヘビ」というシリーズでツチノコブームの一翼を担ったこと、「釣りキチ三平」が始まるまでと、大当たりして大人気作家だった当時の回想。こぼれ話も満載である。
三平は年をとらない、永遠の11歳。ストーリーマンガ、との位置付けで、昭和14年に生まれ秋田の集落で育ち社会人の釣り好きとして30歳近くまで秋田で過ごした著者の郷土愛、東北愛、さらには人生観が深く滲み出ている。
10年続いたマンガの中では、出稼ぎに出て行方不明となった三平の父親を探す事も1つのテーマとなっている。三平の大きな兄的存在で釣りのパートナー、魚紳さんが全国各地へ三平を連れて釣り歩くのは、父捜索の旅でもある。
そして三平を育てた祖父にして竿作りの名人、一平じいさんとの別れ。最終話を書き上げた際は氏が出版社に原稿を持参し、終了を記念したパーティーも催された。10年続いた連載、ある日、家で1人呑んでいるテーブルに、ミニ三平が現れ、終わらせよう、といつもの訛りで話したそうだ。
「10年ひと区切りって言うでねえか」
余談だが、三平のこういった言葉は、こまっしゃくれた風味が妙な説得力を生む。
「だって口が悪い人は心はきれいだって言うでねえか」
というセリフは仲間内で話をする時に使ったこともある。
マンガが熱い時代のこと、ウルトラマンを生んだ男たちのドラマで、いかにおもしろい作品を世に出すか、製作者たちが熱く語り合っていた場面を思い出す。「釣りキチ三平」はウルトラマンが始まった昭和40年代の末にスタートした。まさに世代で、このジェネレーションのエネルギーが後のジャパニメーションの力に繋がったんだなあ、なんて考える。
マンガ界に新たなジャンルを切り開き、大きな影響を与えた金字塔、「釣りキチ三平」の最終話は悲しさと感動が詰まっている。著者は創作者としてクールでいたつもりが、書き上げた後、まったくアイディアが浮かばないという後遺症に悩まされたとか。
こう熱く語りながら、「釣りキチ三平 平成版」は最初の方しか読んでない。まだ読むものが残っているのは幸せでもある。カムチャッカ編が読みたいなあ。探してみよう。
10月書評の1
「シャーロック・ホームズとシャドウェルの影」
人外のものと戦う俗っぽいホームズもの。
・・意外と好きだったりして。
なんてことないし気にしてないけども、10月の初書評が4日、は気がつけばあら遅いなと。というのが、バスケットのNBAジャパンゲームス、Bリーグ開幕、さらに高校のトップリーグの好カード、そしてバレーボールの女子世界選手権、そして白熱のパ・リーグ優勝争いとスポーツイベント多くて週末本読まなかったからですね。おまけに妻帰省で家事してたし。
さて、シャーロック・ホームズのパロディです。近代SFが生み育ててきたクトゥルー神の脅威とホームズたちが戦います。1880年、原作でホームズとワトスンが歴史的邂逅を果たす前年ですね。ホームズ26歳、年齢はシャーロッキアン団体、ベイカーストリートイレギュラーズが結論づけている生年に沿ってるようです。モリアーティも同年代。マイクロフトにグレグスンも登場します。
アフガニスタンで傷つき帰国したワトスンは場末の酒場で少女買春をしようとしていた病院時代の同僚、スタンフォードを見かけ、売り手の荒くれ男たちといさかいになります。そこへスタンフォードを追っていた若きホームズが割って入り、2人は出逢います。
ロンドンでは社会の底辺で暮らす者が急激に痩せ衰えて死ぬという不審死が相次いでおり、ホームズはキーマンと睨んだスタンフォードを追っていたのでした。ワトスンはホームズとアヘン窟へ入り込んで騒ぎとなり追い出されますが、ホームズの計算通り、暗黒街の黒幕グンフェン・シュウが接触してきます。グンフェン・シュウはこの世ならぬ世界の事を口にするのでしたー。
原作では、アフガニスタンで負傷した軍医ワトスンが部屋をシェアする相手を探していたところ、聖バーソロミュー病院同窓のスタンフォードに、実験途中のホームズを紹介される、という流れでした。品の良い印象のスタンフォードは、今回だいぶラリっています。
今作は、ホームズやモリアーティとの出逢い、それから「最後の事件」での対決とその結果、「空き家の冒険」での復活など、実はあれは事実と違って・・という部分が多い、たまに見かける手法になっています。
おどろおどろしさと現実離れした設定、息つく間もない大活劇の連続、というこちらもよくある展開。
ホームズのいわゆる贋作については、原作のテイストを重視し、名コンビが新たな事件を解決するもの、原作中で言及だけされている、いわゆる「語られざる事件」を物語化するものが1つのパターンです。
そして時代、登場人物など原作の縛り、くびきから解き放ち、現代に連れてきたり、歴史的偉人と会わせたり、さらには今作のように人外の者と戦わせたり、様々にホームズたちを活躍させるものがありますね。イメージとしては最近特にこちらの方が非常に多い。
古くは「シャーロック・ホームズの宇宙戦争」で侵略してきた火星人が出てきたり、ドラキュラにワトスンの奥さんがさらわれたり。ほか、原作に盛り込まれているホームズ物語らしさの活かし方もほんとに色々です。サイドの登場人物、モリアーティやレストレード警部やアイリーン・アドラー、ハドソン夫人を主人公とするもの、ライトノベル、マンガと溢れています。シャーロック・ホームズというギミックが世界に与えている影響は甚大です笑ホント。
これらについての受け止め方は人さまざまかと思います。私も当初はやっぱ正統派パスティーシュものに惹かれていました。いまも好きですけど。でもたくさん読むうちに、いまはパロディもなかなか面白いな、と思っています。
本書では地下迷宮や祭壇が出てきて、人喰いの化け物たちやもっと恐れるべき存在などとスリリングに対峙します。
だいぶ以前に観た映画「ヤング・シャーロック ピラミッドの謎」を思い出したりして。地下にピラミッドがある迷宮都市があって、その教えを信じるものは、白人もみな全員モヒカン辮髪のような髪型をしてて、エジプトで、モンゴル?と友人と言い合った記憶があります。やはり東方の神秘、というのは欧米の人にとって魅力なんでしょうかね。
熱のある力作で引き込まれることは確か。個人的にはいかにぶっとんだ設定であっても、そこにシャーロッキアン的風味をいかに入れていくか、が好みの面白みですね。これは3部作だそうで、次作はその点もう少しよろしくお願いしたい感じです。また、設定は今回1880年の15年後だそうで、「空き家の冒険」の翌年になります。
最近洋書は文庫本も高いんだけど・・また買っちゃうでしょう。楽しみに。
2022年10月5日水曜日
9月書評の10
プロ野球⚾️はソフトバンクが敗れオリックス勝ち、逆転の2連覇!令和の三冠王誕生、パーフェクトゲーム、ノーヒットノーラン多数となにかと記憶に残る劇的なシーズンでした。
わがライオンズは山川がホームラン王、打点王。最優秀中継ぎ投手に水上と平良。新人王も水上になるだろうか。次の週末から福岡でクライマックスシリーズ。まだまだ応援できる!めざせ下克上。
◼️ 宮沢賢治「まなづるとダアリヤ」
コバルト硝子の光のこな、パラフィンの雲、黄水晶(シトリン)の夕空、琥珀の夜明け。
本の探し方はさまざま。角川の宮沢賢治の本はほとんど読んだ。しかしシリーズ中この本だけは図書館にもないし、書店でも、ブックオフでも見かけない。そこまで熱心に探してたわけてないけども、今回古書のwebを除いたところたまたま見つけて即入手。地元で古書店を営む、宮沢賢治学会員の店主さんによればやはり貴重なんだそうだ。
動植物に絡む童話が17篇。大半が寓話的、何かの教訓を示しているかのような話。「寓話 洞熊(ほらくま)学校を卒業した三人」は蜘蛛となめくじと狸がそれぞれ血も涙もなく、獲物や、口先で頼ってくる相手を騙して食べてしまう。そして3人ともしっぺ返しのような形で死に絶える。
「ツェねずみ」「クンねずみ」「蛙のゴム靴」ほかどこか思い上がっていて痛い目にあったり、意地悪が出てきたりする。
表題作「まなづるとダアリヤ」では、赤い立派なダアリヤと、少し小さい2本の黄色いダアリヤを中心に物語が動く。赤いダアリヤは自分の光でそらを赤くしてやろうと思っている。黄色いダアリヤは女王様のような赤いダアリヤを褒めそやす。
赤いダアリヤは、夕夜に通りかかるまなづる、鴇に自分はきれいでしょう、と尋ねるが、鳥はいつも生返事をして白いダアリヤの元へと行ってしまう。そして・・他の話と同じく、赤いダアリヤには破滅が訪れる。
見出しの表現はすべてこの話に出てくるもの。賢治は朝方を黄水晶、夕方を琥珀の色とすることを好んだとか。次に夜明けや夕方から夜に移る短い時間の空を見た時思い出せたらいいなと思った。夜に近い薄明の空はまた、桔梗色、青の入った紫、とも書かれている。この話は色彩豊かで、黒紺もあるけれど、明るい色彩を組み合わせたマティスの絵ような情景も浮かぶ。鴇色も想像する。まなづるのとぼけたような、世知にたけたような態度とともに強く印象に残る。
ちょっと残酷な結末、それで何かを示唆したまま終わる、余韻。それでもどこか色味やユーモアを感じる描き方。
とのさまがえるがあまがえるを舶来ウェスキィで酔っ払わせて、勘定のかたに家来にする「カイロ団長」は、寓意の暗示というよりは勧善懲悪の明示で、ほのぼのとする。またあまがえるたちの活き活きとしていること。
「いちょうの実」は千もの銀杏の子供たちが、大きなお母さんいちょうから旅立つ。
「突然光の束が黄金の矢のように一度に飛んで来ました。子供らはまるで飛びあがるくらい輝きました。北から氷のように冷たい透きとおった風がゴォーッと吹いて来ました」
多くの子たちが可愛らしい会話を交わしたあと、一斉に光り輝き、雨のように降り落ちる。この話は意地悪も驕りも痛みも残酷さもない。童話集のほどよきアクセントは切なさだったりする。ラストの「茨海小学校」は賢治と思しき農学校の先生が狐の学校を訪問する話で微笑ましく終わり。
訓示的な話は賢治の人生や思想と重ね合わせて、研究のしがいもあるかな、なんて思う。今回も話の発想や、独特の世界を感じさせる風景の描写、その描写に使う言葉、色などに感ずるもの多い宮沢賢治読書だったのでした。
◼️泉鏡花「化鳥」
泉鏡花の醸し出すものには惹きつけられる。
宮沢賢治や手塚治虫はこの話を読んだのだろうか、などと考えてしまった。
明治30年、1897年に泉鏡花が23歳にしてものした短い作品。「夜行巡査」「外科室」などで注目されてほどなく、の時期である。
山の話で、最初の方はなにやら宮沢賢治みたいなテイストが漂う。
小学生の男の子・廉(れん)は山の橋のたもとの番小屋に母親と2人で暮らしている。父親が生きていた頃は裕福だったが、亡くなってから零落し、橋の渡り賃と母の内職で糊口をしのいでいるようだ。
廉は母の教えである
"人も、猫も、犬も、それから熊も、皆おんなじ動物(けだもの)だ"
という言葉を信じ、学校の先生と議論したりして、母子ともども変わり者という見方をされつつも、山の暮らしを楽しみ、母を愛している。
橋はそこそこ人が通り、太って気取った格好をした博士のようなお偉いさんが登場して通行料支払いをごまかそうとしたりする。
廉は以前に猿回しが置いていった不思議な猿が飛びかかってきたはずみに川へ落ち溺れかけた。その時に救いあげてくれた、大きな目をした人について母に問うと
「大きな五色(ごしき)の翼(はね)があって天上に遊んでいるうつくしい姉さんだよ」
と言われ、会ってみたくて探し回る。
近くの梅林。気がつくと日が暮れ、星も見えない、曇りの夜。蛙の声が高まる、梟の声がいくつも響く、身体が動かず、這いつくばる。左右に袖を開いたその時、自分が鳥に見えて叫ぶ。すると背後から抱きしめる手がー。
正直ほのぼのしたまま終わるかも・・と思っていたらどうしてどうして、相変わらず、怪異を盛り上げるのが異常に上手い。鬼才。
「夜行巡査」などとテイストは違うけれども、泉鏡花はどこそかに社会の様相を織り込んでいる。また権力者の驕りには厳しい目を向けているような気がする。
ファンタジックかつ、めずらしく童話的、さらに少年の、安心感とともに、母への溺愛という面で、将来への不安をも感じさせる。
テクニカルな面はいつも唸るものがある。今回はなにより自由な発想がいいし、ちょっと手塚治虫やジブリ作品まで連想させる。
タイトルもおどろしくてGOOD!また読みたくなりますね。
9月書評の9
連れ合い帰省中のため、文化祭学校塾だという息子の世話で在宅家事の週。たくさん洗濯、そしてスポーツ観戦ざんまいですね。
🏀NBAジャパンゲームスで八村塁とステファン・カリーのチームが対戦し、Bリーグ開幕。Bリーグでは日本代表PG河村勇輝のいる横浜ビー・コルセアーズ通称ビーコルが今季インサイドを補強、河村も同じPGのキャプテン森井も躍動して開幕戦勝利。やはり河村の試合は面白い。
⚾️わがライオンズ、きのう勝ったら優勝のソフトバンクとの一戦、延長11回ホームラン王山川のサヨナラ2ランで劇的勝利。3位は決まってますがめっちゃ嬉しく表現そのまま飛び跳ねました。プロ野球パ・リーグはついに優勝が最終戦の決着となりました。
福岡出身なので周りにホークスファンは多くて、また大阪の会社だからオリックスファンもいるという環境。さてきょうどうなるか。クライマックスシリーズ生で観戦できるかな?
🏐バレーボールは女子の世界選手権。デカくて強い中国に1次リーグ初黒星を喫し、しかもエース古賀紗理那をケガで失い暗雲漂う中のブラジル戦。東京オリンピック銀メダルの相手に3-1で激勝!
レフト井上愛里沙、その体格の石川真佑、オポジットの林琴奈、ミドルブロッカー山田二千華らが奮闘、2セット先にとって第3セットを失い、第4セットも最大7点ビハインド。強い相手に流れが行きかねない場面から大逆転で勝ち切った。ちょっと感動しましたよ🥹
石川、林は170cm台前半と世界的にはかなり小柄。しかし速いトスと決定力でカバー。全体にブロック、レシーブがよく粘った会心のゲームだった。林は地元JT所属で応援している、本当に「いい働きをする」好選手。代表でもなくてはならない存在になり嬉しい。
健診終わりでコンビニスイーツ。図書館で岩崎ちひろの画集にキュウンと💘😅
バスケ🏀女子のワールドカップで落ち込んだ気分がアガった週末。さてきょうも🏀⚾️🏐と熱い🔥日ですな。
次週半ばからぐっと涼しくなる予報。今年も短パン🩳ポロシャツ👕の外出は終わりかな。
アントニオ猪木さんが亡くなり、時代の終焉を感じる。プロレス観に行ったし、自伝も読んだ。
「迷わず行けよ、行けばわかるさ」
忘れられない言葉やね。あの頃のプロレス好きだった。
◼️ 永井路子「悪霊列伝」
黒い奈良から平安の菅原道真、藤原氏まで。悪霊となった者と世相。永井路子流のおもしろい解説。
永井路子さんの著作はよく読んでいる。とくに奈良時代、平安に関しては独自の見解に興味深いものがある。
・長屋王の妻 吉備皇女
・聖武天皇の皇女 不破内親王
・桓武天皇の同母弟 早良親王(崇道天皇)
・大伴氏の末裔 大納言伴善男
・菅原道真
・藤原道長の従兄弟 左大臣藤原顕光
悪霊として恐れられた者たちが時代順に詳しく紹介されている。
藤原不比等が権力を伸長し、娘の宮子を宮中に入れ、史上初めて藤原系の首(おびと)皇子が誕生した。政治の上で強力な敵は、皇族側のプリンス・長屋王だった。
不比等の子、男子4兄弟は陰謀により長屋王を誅殺してしまう。しかしその後4兄弟は流行病の天然痘で全員死んでしまう。
不穏な世相の中、首皇子は即位して聖武天皇となり、その妻も不比等の娘、安宿媛、つま「光明皇后。大仏は開眼したが政治的陰謀は続く。
奈良時代は雅やかで宮廷文化も花開く平安時代よりも遠く悠久で、黒い時代、というイメージがある。蘇我氏を討った後の天智天皇と藤原鎌足側は壬申の乱で天武天皇側に敗れ、藤原氏は傑物不比等が出てくるまで一旦表舞台から退く。
聖武天皇、光明皇后の時代に権力基盤がひとつ強固になるものの、悪霊に脅かされる・・。
この辺は著者の作品でおなじみの流れ。悪霊の前段として政治のサイドや裏側に切り込んだ話も面白かった。それ以降、桓武天皇は触れたことがなかったし、菅原道真や藤原氏内の権力争いについても、いくつか読んではいたものの、また角度が違って興味深かった。
政治的野心にあふれ遷都を強行した桓武天皇は大きな力を持っていた奈良の仏寺の移転を許さず唐風の体制を敷いた。しかし仏教の空白期間ができてしまい、早良親王の祟りに抗する術を持たなかった。その空白地で新しい仏教として人気となったのが空海の密教だった・・この流れは新鮮な見方でなるほど、となった。
菅原道真は、たしかにチョー難関な試験を突破して、学問の才能はあったけれど官吏としては能力に欠け融通もきかなかったという分析にクスっと。しかしまあ天神様の怨みの威力の凄まじさよ。なんかスカッとしたくらい。
ラストの、派閥としてはライバル、しかしひたすら道長にくっつき不器用ながらそれなりに栄光の道を歩んだKYな藤原顕光。彼に至っては、大変な時期を必死に泳いだ中で、その毀誉褒貶の移り変わりに微笑ましささえ感じてしまう。
それぞれ悪霊として恐れられた、その現象はたしかに天変地異や疫病、関係者の死の連鎖、というものはあったにせよ、では怪異、祟りを強調することで利のあった者たちは誰か?という視点で著者は解析している。
才気煥発、気の強い清少納言が祈祷に訪れる僧らに冷ややかな視線を注いでいたエピソードも出てきて、その論は納得させるものがある。
やはり永井路子は面白い。