◼️ 幸田文「きもの」
ラストで幸田文の美的感覚を再認識。少女の成長物語。るつ子は感受性が強く、大正の世にあってはみだしぎみ。時間と災難がふりかかるー。
没後に刊行された幸田文の自伝的作品とのこと。幸田文はエッセイできものについての愛着を再々綴っているし、娘の青木玉も「幸田文の箪笥の引き出し」で、母・文の着物に対するスタンスやその好みなどを詳しく書いている。
で、タイトルがそのものずばり「きもの」。序盤、主人公の末っ子・るつ子が持つ資質、小さい頃から着るものの肌ざわりや見目にこだわるなみなみならぬ感性や、気に入らないものはガンとして拒絶する気性が描かれる。これはきものの天性の話かというと、ちょっと違う。
楽とは言えない暮らし、田舎出の母、気位が高く、やたらとるつ子を使おうとする2人の姉、姉たちが嫁いだ後に存在感が増す兄、聡明な祖母に頑固ものの父、そして父の愛人。友人は上流階級階級のお嬢さま、おっとりしたゆう子と、貧乏と自称し芯が強くばりばりと働く和子という対照的な2人を登場させている。
姉たちの結婚、母の病気と死、関東大震災で焼け出され、娘盛りとなり縁談が引きも切らない中、恋をするー。
折にふれきものについては詳しく描写されるが、酷な巡り合わせの中で、自分でも制御できないほどのるつ子の感受性を描く、成長物語だ。
解説によれば、幸田文は未完という意識であったようだ。確かに、人生ここから、家族や友人たちの因果を反映して続けられるとも思う。
幸田文の特徴のひとつは、江戸っ子下町らしい、庶民的な言葉が端々に出てくること。太宰治などに出てくる会話文にもたまにあるが、特に女性が使うはすっぱな言葉に惹かれるものがあるなと思う。
常の裕福でない生活、また関東大震災では家が焼けてしまい、バラックからの建て直しとなる。きれいなことはない生き様。あっちにぶつかり、なにかと嫌味を言われ、うまく対処できない心の動き、きれいではないストーリーの流れが、リアリティを持って読み込ませる。
「おとうと」にしろ「流れる」でも描かれているのは地の生活と、そこに浮かび上がる心模様だ。幸田文だなあ、としみじみ思う。るつ子は明治37年生まれ、日露戦争の子ー。幸田文本人も明治37年、1904年の生まれで、実感がこもる。そう呼ばれてたのか、当時。
着物にそれとなく興味を惹かれる昨今、私の生活圏によく目立つ和服の店があり、ポスターでは華々しい晴れ着、振り袖を着た女性たちが写っている。けれどもやはり、文芸に出てくるような普段着、ちょっとしたおしゃれ着、季節によって着る物、雨の日用、などのベースがあっての晴れの着物かなと思う。
好きな人ができて、父の反対を押し切って結婚、式のシーンは鮮明で印象的だ。そのと相談して、出来るだけ廉価に、自分の好みで、あつらえた衣装に包まれる。白羽二重で、紅を刷かず、母親譲りの雪国の肌はお白粉の下で、きものに負けない微妙な白い光沢を放つ。
「白一色に装ったるつ子は、雪のようにふんわりと花嫁の座にいた。(中略)清浄に真っ白なるつ子は、目をふせてただふわりと椅子にいた。」
ごつごつしたような人生を過ごし、周囲に危なっかしい恋心ととられた末の結婚。そしてお色直しでは赤を基調に鮮やかに変身してみせる。
すばらしい表現だと思う。幸田文の美的感覚にあらためて打たれた感慨を持った。
◼️ 柳広司「ゴーストタウン 冥界のホームズ」
ホームズは骸骨に、ワトスンは犬に?モリアーティは8本足のナニに、そしてメアリの正体は?
こういうパロディも楽しいかも。もとはアニメのシナリオらしい。うん、合うかも。
ワトスンがベイカー街の部屋で気がつくと、犬になっていた。まるでカフカ「変身」のようなオープニング。しかし世界、ワールドは常識的でなく、ホームズは全身が骸骨の姿になり、異形の者がホームズに前世での謎の解決を求めて部屋の外に行列をなしていた。案内兼整理係はネコでバリツの達人の日本人・イトーだという。
街中に出かけたホームズとワトスンは出現したモリアーティの化け物と遭遇、その強力さに追い詰められるが、ワトスンの妻・メアリのいる大英博物館に逃げ込むー。
ゲームのシナリオだけあって、思い切ったジャンプをしているなと笑笑。異形の世界。超能力、アクション、崩壊と再生、神聖な場所、象徴的なビッグ・ベン。いずれもエンターテインメント要素十分でコンパクト。ある意味言うことないww
ここで、ドイルの原作、いわゆる聖典をひもといてみよう。
シャーロック・ホームズはロンドンの犯罪組織を牛耳るモリアーティ教授を逮捕するため警察と連携して組織を追い詰める。モリアーティは当時ホームズが1人で住んでいたベイカー街の部屋へ現れ警告する。ホームズははねつけた。それからレンガは降ってくるわ馬車は猛スピードで突っ込んでくるわ、暴漢は殴りかかってくるわ、ベイカー街の部屋は放火されるわと息つく暇のない襲撃が。大陸に逃げたホームズだったが、スイスのマイリンゲンの滝で教授と1対1の対決をして、滝壺へと転落するー。(最後の事件)
コナン・ドイルはホームズの短編の人気が爆発し、大きな飛躍を果たした。しかし彼は歴史小説こそが自分の天命と信じていたらしく、わずか24話でホームズを殺してしまい、いったん連載を終える。
ところが10年後、読者の熱望に応える形でホームズは「空き家の冒険」で実は滝には落ちてませんでしたー、と復活を果たす。状況を利用してしばらく身を隠すため外国に行っていた、という流れだった。
そもそも、ドイルはホームズを亡き者にするのがおそらく第一目的だったから、それまで出て来たこともないモリアーティ教授なる大物が突然出てきて、なぜか助けが少なく目立ちやすい田舎の方へ逃げ、計略に気付いていながら、いかにも危ない場所で最後の対決に臨む、といった不自然な展開になってしまっている。不満に思うシャーロッキアンも多い。実は死んでませんでした、はファンとして嬉しいながらもやはり巧みとは言い難い。同様にシャーロッキアンたちの議論のネタである。
ちなみにホームズの死体が見つからなかった事について、当のドイルは「ただの偶然だ」と書いている。
私的には全ての要素がホームズの物語性を増し、多少あざとくとも、後年シャーロッキアンたちが楽しくにぎやかに議論できるんだから、ドイルの志向も含めてまさに天の配剤だなと思ってしまう。
その点をついて、マイリンゲンの滝に落ちた後を、時間が止まっているらしい異世界を創作し再現したのが本作。序盤にテンポよくシャーロッキアン的要素が入り、長編「四人の署名」のヒロインにしてワトスンの妻、メアリを異質な形で登場させている。
0 件のコメント:
コメントを投稿