◼️ Authur Conan Doyle
「The Yellow Face」
原文読み7つめ。心温まる物語。今回はバイプレーヤーです。
邦題は「黄色い顔」。第2短編集「The Memories of Sherlock Holmes(シャーロック・ホームズの回想)」所収の一篇。ホームズ人気が爆発している最中の作品ですね。原文を読んだのは7作め。慣れもあるのか、どこかスラスラと読み進められました。
さて、ベイカー街の住まいを30歳を少し過ぎた裕福な男、ジャック・マンロー氏が訪ねて来ます。明らかに動揺していました。
my whole life seems to have gone to pieces.
「私の人生はズタズタになったようです」なんてのたまいます。
話を聞くと、マンローは3年前、アメリカへ行って結婚、黄熱病で夫と子どもを亡くした未亡人、エフィと出逢い結婚しました。そして愛し合い信頼し合う生活をノーバリーの田舎屋敷で送っていました。
エフィは前夫が遺した多額の財産をマンローに渡していましたが、6週間前に妻から100ポンドの無心がありました。200万円以上。理由を尋ねた夫に妻は
Some day, perhaps, but not just at present, Jack.
「いつかたぶんね。でも今はだめ。」
とはぐらかし、マンローもそれ以上追及しませんでした。
さて、前の月曜日の夕方、自宅近辺を散歩していたマンローは近くのコテージに誰か引っ越して来たのを知ります。遠目に建物の2階の窓を見た時、背筋がぞっとするような、非人間的な顔がこちらを見ていることに気がつきました。
もっとよく見ようと建物に近づくと、顔は誰かに後ろから引っ張られたかのように消えました。そのまま隣人の挨拶を装ってコテージを訪ねたところ、対応した無作法な女に、鼻先で扉を閉められてしまいます。
帰ってあのコテージに引っ越しが、とだけ妻に言いました。その晩の深夜3時、マンローが目を覚ますと、なんと妻が着替えてそっと外に出ていきました。20分ほどして帰ったエフィを問い詰めると、息苦しくなって外の空気を吸いに行ったと。青ざめてこっちを向かず、帽子を被ってマントを着ています。バレバレでした。初めて妻に不信を感じたマンロー氏、黙って寝てしまいます。
しかし翌日、外出の帰りにくだんのコテージのそばを通りかかったマンローはなんとコテージから妻が出て来たのを目撃します。あの晩ここへ来ていたのか!当然論争になります。踏み込もうとしたマンローをエフィはすがりついて必死に止めます。
Trust me, Jack!
Trust me only this once. You will never have cause to regret it.
「信じて、ジャック!」
「一度でいいから信じて。絶対後悔するようなことにはならないから。」
優しいマンローは、怪しい行動は今回限りにすることを条件に、妻の秘密保持を認めます。
しかし・・昨日、仕事から列車を早めて帰ってきた姿を見て、メイドがびっくりし、家の外へ走り出ました。エフィはまたもコテージに行っていたのです。ついに踏み込んだマンローでしたが、コテージのどこにも、誰もいない。ただマントルピースの上にエフィの全身写真を見つけ逆上、出奔してホームズのところにたどり着いたというわけでした。
ホームズは、いくつか質問をしたあと、帰ってコテージに誰かいたら電報をくれと言い渡して引き取らせます。
そしてエフィのアメリカの前夫が生きていて、脅迫されているのではないかと踏みます。
ちなみに脅迫はblackmailです。バラエティ番組にそんなコーナー名がありました。メールってまだ現代的で不思議な暗合だな、と思います。
ここまで読んでいただいた皆さんはどうなると思いますか?物語は、意外な展開を見せるのです。
ほどなくマンローから、コテージには人が居る、という知らせを受けノーバリーまで来たホームズ。マンロー氏から、強引に入って中に誰かいるか見る、証人になってくれ、と言われ、明らかに違法ではあるがいいでしょう、と応じます。
そして遂に、妻を振り払い、行く手を塞いだ例の無作法な女を押し除け、階段を駆け上がります。
こざっぱりとした居心地の良さそうな部屋には・・
赤いドレスを来た、小さな女の子が座っていました。その顔を見た時、ワトソンくんは奇妙な鉛色と、まるで表情のない顔にびっくりして悲鳴をあげてしまいます。
ホームズが微笑みながら、女の子が着けていた仮面を外すと、なんと可愛らしい黒人の女の子が顔を覗かせました。
エフィがアメリカで結婚していたのは、黒人男性だったのです。子どもは、生きていました。夫を亡くした際、イギリスに帰国したエフィはマンローと出逢い、子どものことを言い出せないまま結婚したのでした。
病弱な娘は、アメリカで信頼できる女使用人に預けていたのですが、どうしても会いたい情が募り、呼び寄せたのでした。田舎のこととて、黒人の子供がいる、という噂にならないように、昼は家の中にいて、仮面をつけ手袋をはめるようにしていました。
全てが明らかになりました。すべてはマンローの態度に委ねられました。
次の展開のことを、ワトスンは
when his answer came it was one of which I love to think.
「マンロー氏が答えを出したとき、それは私の中で心温まる瞬間の1つだ」と書いています。
マンローは片腕で女の子を抱き上げキスして、もう片方の手をエフィに差し伸べました。
We can talk it over more comfortably at home,
I am not a very good man, Effie, but I think that I am a better one than you have given me credit for being.
「僕たちの家で、くつろいで話し合おうよ。僕はそんなに出来た人間じゃないけど、エフィ、それでも君が思ってたよりはもう少しマシな男なんじゃないかな。」
もう探偵は必要ありませんでした。ホームズたちはそっと退出します。この件のことをホームズは帰途も口にしませんでした。
ベイカー街での就寝直前、ホームズはワトスンにこう言いました。
if it should ever strike you that I am getting a little over-confident in my powers, or giving less pains to a case than it deserves, kindly whisper 'Norbury' in my ear, and I shall be infinitely obliged to you.
「もし僕が自分の能力に自信過剰になってると気付いたり、もしくはその事件に見合う労力を割いてなかったら、僕の耳元で『ノーバリー』と囁いてくれないか。恩に着るよ。」
爽やかな物語です。構成も妙が見えます。怪しく強烈な体験、夜中に抜け出す若い妻、憤激と嘆願、そして意外で気持ち良いクライマックス。新大陸アメリカに謎の原因があるという話で、帝国主義時代に編まれたホームズ物語の特徴をも備えています。
ホームズは能動的な動きに欠け、捜査も調査もしません。踏み込むとき一緒に行くだけです。しかしながらホームズが主役にならないからこそ物語は劇的に進行したのかな、とも思います。
いつも単語やフレーズを調べながら読んでいますが、今回訳が一部分を飛ばしていて、でもその方が意味が通る、とか最後のマンロー氏が考える時間、10分間が長いと思ったか、「2分」と訳している事例があったり、なかなか興味深かったです。
次はどれを読もうかな〜。
◼️ 梨木香歩「沼地のある森を抜けて」
いのちの形、始まりと終焉、とでも言おうか。遠大な昇華・・!
梨木香歩は「家守奇譚」に感銘を受けて何作か読んでいる。今作は最高傑作、との評もあり期待して読んだ。いろんな意味で予想外の物語だった。
この前に読んだのが最近の作品「海うそ」だった。「沼地」は2005年出版。島や自然環境という舞台設定が似ていることもあり入りやすかったが、しかしこちらは遠大なナラティブだ。
カタブツで独身のクミは企業の研究所勤務。叔母が亡くなり、住まいのマンションと、曾祖父母から代々受け継ぐ「ぬか床」をもらい受ける。不思議なぬか床は呻いたりするのだという。
久美はぬか床を気に入り、毎日かき混ぜ、野菜を漬け込んで会社に持っていたりしていた。ある日ぬか床に卵が現れ、さらにほどなく、1人の男の子が出現する。
かつて恋心を抱いた幼なじみのフリオが男の子を見て、小学生の頃事故で死んだ親友だと言い出し、2人は仲良くなってやがてフリオが男の子を引き取る。続いてのっぺらぼうで嫌みをこぼす女、カッサンドラが出てくる。
ぬか床のことを調べていくなかで、久美は叔母から相談を受けたという微生物研究所の風野と知り合う。「男を捨てている」風野は島に行くべきだ、と久美を説得するー。
コミカルな設定にも見えるが、幽霊譚のようなエピソードでは引きずっていたフリオへの想いや、曖昧な母の記憶、それぞれ久美の心中に変化が訪れる。ずっと固まっていたものが動いた感覚。
この物語の特徴の一つは、おおざっぱに言って理系なこと。微生物の専門家風野と、やはり研究者の久美は、ぬか床を挟んで、島で、次々と微生物、菌類などを媒介とした生命論議を所々で繰り広げる。まあマニアック。
社会的議論を挿入する昔のフランス映画とか、日本史上初めて詩に理系的視点をもちこんだ宮沢賢治が悦びそうとか想像してしまった。
舞台はいよいよ島へと移り、なにやら島へ向かう数少ない船の乗船者もややめに怪しい雰囲気。渡ってすぐに緊張感が走る。数少ない手がかりを辿る久美と風野。テントと寝袋で野宿、久美のルーツの島、その原始的な自然の中で過ごす短い時間。やがて島を出た組の曽祖父母に絡む文書が・・。
超自然的、幻想的な終焉に向かう、大きな意志。不思議な力を宿した島の森で、人間的な営みが幻想的に営まれる。
何がなにを象徴して、この要素はこれとリンクして、とは分析出来るのかも知れない。でも一読して、結局細かいところがアニメーション映画のように明らかになるわけではなく、大半のことが分からないまま終わってしまう。
おまけに、島のはるか昔だろう。システム化された社会の少年の物語が合間に3つ、挿入される。おお、村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」みたいに最後に繋がるのかな?・・うーんつながるようで分からない・・。昔の話なのに妙に近未来っぽいし。
剥き出しの自然は、ただ美しいばかりではない。神秘性を漂わせながらも、時間的にも空間的にも非常に大きなスパンで蠢いている感じがある。繁栄しても、やがて朽ちていく。時には人工的な理由で。
うまく言えないし、正直言って梨木香歩の著作でなければこんな考えを抱いたかどうかも分からないが、自然の何か遠大な変化が人間界に触れたナラティブなんじゃないかという気がしている。遠大だ。故星野道夫氏が撮ったアラスカの無人島の写真を思い出す。
植物や渡り鳥を愛する梨木香歩が、自らの心の声を物語化しているような雰囲気が醸し出されていると思う。
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