◼️ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」
暑い夜にはゴシックホラ〜♪涼は気分で。
毎年真夏はなぜか読書が進む。ホラーとか長編ミステリーを読み込むことが多いというのも関係している。やっぱ暑い時期にはヒヤッとするような物語を、と思う。「フランケンシュタイン」は読んだけどもこちらは手付かずだった。
吸血鬼は昔から映画で観てたし、マンガでも読んだしで普通に知識はあった。小説としてはやっぱりホームズで「サセックスの吸血鬼」という短編と、パロディの「シャーロック・ホームズvsドラキュラ」かなと。「vsドラキュラ」は本格対決がなく終わる短いものだけど、私は傑作の部類に入れている。今回船の難破の経緯やドラキュラの狼、コウモリ、霧への変身など、かなり原典に忠実だったのが改めてわかった。もう1回読もうかな^_^
筋をおおまかに。弁理士ジョナサン・ハーカーは、ルーマニア・ トランシルヴァニアの城に住むドラキュラ伯爵からの、ロンドンに家を買いたいという依頼に答え現地へ赴く。ジョナサンは囚われの身となり、脱出する際に激しい恐怖体験に遭い正気を失う。
ホイットビーの岬では、嵐の中、デメテル号という船が岩礁を避けたものの砂浜に座礁した。その船から犬のようなものが素早く逃げ去ったという。船員はおらず、操舵していた船長は死んでおり、腕を操舵輪に括り付けられていた。
一方ジョナサンの婚約者ミナは幼友だちルーシーの、ホイットビーの家に遊びに来ていた。ルーシーは夢遊病で夜出歩く癖があった。やがて衰弱しだし、近くの精神病院長でかつてルーシーにプロポーズしたジャック・セワードが診察する。ルーシーの症状に不審を抱いた彼は恩師のオランダ人医師、ヴァン・ヘルシング教授を呼び寄せる。
ルーシーの身体からは大量の血が失われており、婚約者アーサー・ホルムウッド、セワード、教授は代わる代わる輸血する。教授は研究の末、ニンニクの花の首飾りを作ったりと魔除けの方法を施すが、ことごとく裏目に出てやがてルーシーは息を引き取る。しかし、ドラキュラの同族となった彼女はー。
吸血鬼伝説というのはそもそもかなり昔から見られ、ホメロスのオデュッセイアにも言及があるとか。
フランケンシュタインは、閨秀作家のメアリー・シェリーが、詩人バイロンのスイスの別荘で過ごした時に作り出され、同じ晩にドラキュラもポリドリという人が着想を得たという話になっている。ポリドリの吸血鬼物語は大変な評判だったとか。そこから「吸血鬼カーミラ」という女吸血鬼が生まれ、それから四半世紀後の1897年、劇の批評などを行っていたブラム・ストーカーが書き上げたのが本作とのこと。
バイロンが怪奇小説をそれぞれ書こう、と企画を持ちかけた、そのお遊びの心が後世に残るゴシック・ホラーの名作を生み出したのだから、バイロンの思いつきは偉大な価値があったことになるよね。
1992年の「ドラキュラ」という映画では、ウィノナ・ライダーがミナ役をしていた。今観たらたぶん感慨も違うだろう。
血を吸う怪物、犬歯が尖る、目が血走って真っ赤になる、美女の血を欲する、噛み付く時の迫力ある顔、噛まれたものはゾンビ的吸血鬼となる、無双の怪力、コウモリ、狼、霧に姿を変える。昼は活動できず棺に寝ていて、夜になると動き出す、極めて残虐な滅する方法、などなど魅力があまりに充分だと思う。バツグンだ。
今回実は意外に弱いなヴァンパイヤ、とかも読みながら思っていた。弱点ははっきりしてて、けっこう腰が弱そうだ。それも面白い。
出演人数が多く性格の割り振りについては、
間口が広くなりすぎた感もあるかな?と思う。
ゴシック・ホラーという甘い響き。やはり名作には、生き残る理由がある。GOODでした。
◼️ 西東三鬼「神戸・続神戸」
戦時中の、神戸らしい、熱気とザラッと感。
西東三鬼は俳人で歯科医師、しかし時代と人の縁に流され、自由に生きる。兄がいた当時英領のシンガポールに渡って医師として働き、中東出身の友を得たらしい。
私的にはホームとも言える神戸。当時こんなに雑多な人種がいて、その生きるエネルギーが渦巻いているのを垣間見ると、現代のスマートでありつつ、どこか猥雑で熱気ある空気へつながっている不思議を感じてしまう。
1975年の出版で、およそ昭和17、18年から終戦までの神戸の中心街近くが舞台。山から海へ一直線に降りるトアロード、新神戸近くの山の手、北野の今はオシャレな山本通りとなじみのある舞台。
トアロードの中途にある朱塗りのホテル、そこは長期滞在客の巣だった。日本人12人、多くはバーのマダムと娼婦、トルコはタタール人の夫婦一組、白系ロシア女、エジプト男、台湾人男は、朝鮮女、各1。
エジプトのホラ吹きエルバと中近東の音楽を聴く話、著者が同棲している波子は目を離すと娼婦として稼ぎ始める女、模範的日本人の態度をみせる掃除好き、20歳の台湾人・基隆(キールン)、八頭身の美貌の持ち主、マダムたちの反感買いまくりの葉子と彼女をドイツ兵に売るロシア女、マイペースな娼婦で外国語堪能、イケメン好みの原井さん、一次大戦の飛行機乗りで、ガソリン不足の折に東京から博多まで車をぶっ飛ばし著者を付き合わせる白井氏と、バラエティ豊かな人たちとのエピソードが合わせて15話収録されている。
冷徹さに情がちょっぴり入ったような、文調の向こうにある視点、また書いてるだけでコミカルに見えるような人々。波子は直接関係はないがゾルゲ事件で運命が変わるし、港には、水路をアメリカの潜水艦に押さえられ、やることがないドイツ兵やイタリア兵の姿が描かれる。
皆それぞれ貧しく、特に女は、身体を売らなければ生きていけないと割り切っている。外国人の恋人がいる者も多い。神戸へも空襲があるのは時間の問題だという焦燥感。
これはいまにヤバいことになると山手の山本通りのだだっ広い洋館に引っ越す著者。空襲の時はマダムたちが避難に来て去っていった。
激しく動く時代、著者はまた、まあはっきり言って女に弱く、子どもが欲しいという女の気持ちに応えて隠し子を作って、長崎の女の両親の元へ挨拶に行ったりする。
おもろかしいエピソード集に見える本、しかし、熱く忙しく動く日々のボトムには氷が敷いてあるような哀しさが冷気のように漂う。ために、ザラッとした感覚が心に残る。
「続神戸」は英語を喋る著者が戦後進駐軍の仕事を請け負い、俳句に回帰するまでのさまざまが描かれている。
現代の神戸には、多く外国人が住んだ港町、環境のもと育まれた風土が感じられる。いまと歴史のつながりは、まるでないようで、しんとした中にじわっと来る。これが積み重ねなのかなと思う。私も長いこと触れているけれど、元は九州の田舎育ち。いまだ新鮮だ。
水をあける
0 件のコメント:
コメントを投稿