演じている、は西加奈子ひとつのキーワードかもしれない。
人はニューヨークに何を感じるのだろうか。また、自意識、というのが意外に強いものだというのは年齢を経るに従って分かってきた気がする。突っ走りと関西弁でいわゆるヘンコ。自意識過剰の若者は、NYで何を見つけたのか。
それなりに高名な作家だった父親のことをしゃらくさい、と言って嫌っている葉太。女にはモテるが演技をされると萎えてしまい長続きしない。その父が死に、遺したお金でNYへ一人旅をすることに。セントラル・パークの有名な芝生、シープ・メドウに着き、念願通り寝転がってお気に入り作家の本を広げたとたん、日本語で「まさか」と書かれたTシャツを着た白人の男に、目の前で財布、パスポート、スーツケースの鍵など一切合切入ったバッグを持ち逃げされる。葉太は追いかけなかったー。
西さんの作品はよく読んでいる。先日「おまじない」という短編集を読んで、今回考え方の点で、ああ、繋がってるなあと思った。生活の中で「演じる」こと、生きづらさの中で自己肯定、また自己防衛として発する演技など。
葉太は両親、とりわけ父親に対する嫌悪の情をあらわにし、また、行動のいちいちも、周りの観光客をバカにし、虚勢を張るなど神経質。また霊感が強く、ふつうに霊が見えてしまう特異体質。極端なキャラとして描かれている。
性格には、祖父の葬儀で父親に見下された経験、誰かと気持ちをわかち合えないこと、人気者の同級生が修学旅行で財布をなくした事態に情けなさを感じ、自分はああなりたくないと思ったこと、などがトラウマ的に影響している。
よく書くのだが、人間は瞬時に多量の物事を考えている。独りで行動する時、何かと考えが変な方向に行ってしまい、何やってんだというような効率的でない行動を取ったりする。そういった人間のフツーの?生活の部分、自意識過剰な心の動きをことさら強めて描いている感じだ。頻繁に霊を見る葉太のオチは?と思ったらふむ、なるほど、という消化だった。
巻末の対話式解説で、恵まれた者の、無視されがちな悩みを書きたかった、とある。うむ・・この話は最初から葉太はけっこうな考え過ぎの、変な男、という側面が強く出ているし、家族も少し形がおかしく見えるして、んー、シチュエーション的には揃ってるけど、あまり恵まれている印象はなかったかな。
流れも伏線回収も、よく考えられていて、いつも通りちょっとヘンで、途中から難が降りかかり、もう一度アクセルがふかされ、葉太はピンチに立たされる。そして自己の性格と親との関係に向き合う。
コメディ風味の衣に入った純文学っぽさ、これは最近顕著な西さんのテイストだな、と思っている。今作は興味深かったが、もひとつリズムが合わない面もあったかなと。
乗り切れない理由・・実はワタクシNYとかLAとか・・言われてもアラスカ以外のアメリカには興味がない、ということも影響したかも。まあ知識として入れとく場合には悪くないものなのでフツーに読むけど(╹◡╹)
興味深く、テクニカルな物語ではありました。
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