◼️朝吹真理子「きことわ」
過去と現在、at the momentとpassedが交錯する。明るさと陰影の幻、いまの重さを計る。
読了後えっこれ芥川賞だったのか、だからか、と思った。東京で文芸サークルをしていた時に仲間内でタイトルが出ていた。当時は文学賞のアンテナは敏感でなく、詩集か歌集かな、なんて感覚で、今からすればちょうど芥川賞を取った時分だった。にぶっ^_^。
年の離れた従姉妹、高校生の永遠子と小学生の貴子は、葉山の別荘で仲良く遊んでいた。それほど頻繁に会っていたわけではない。しかし互いに記憶は鮮烈だった。別荘を売りに出すことになり、片付けのため25年後に2人は思い出の地で再会する。
なんというか、何か大きな事件があるわけでもない。短い小説に様々なものが詰まっている気はする。現実と幻想、子供同士の無邪気な触れ合いとはいえ肉感的なものを感じさせるさま、文学的なことばや自然、食物の知識を使う文調は誰かに似てる、長野まゆみかな。まああれほどクセもないけど、などと考える。
子どもの頃の夏の思い出、象徴するような花、食べ物、お店、水遊び、等々、田舎家で、というのがある人も多いだろう。眩しい明るさの一方、少し谷崎の陰翳礼讃につながるような暗さの体験も。大人になってもふと思い出す、不思議な懐かしい、感性。人との関係性。
月日が経ち、いまの境遇に不満はないけれどもあの時を追体験することで、これまでの人生に起きたこと、現在の座標軸がしみじみと分かることも実感としてある。イメージと実際の違い、記憶違いもよくあること。親世代の登場人物は亡くなり、子は年を取って自分の家庭を作り、多くの過去ができて重なっていく。
オルハン・パムクは小説の価値の尺度として「『人生とはまさにこのようなものだ』という感覚を呼び起こす力をその小説が持っているかどうかです」と言っている。その点は満たしているかなと思う。
昭和の想い出が持つ黒さ、も含めて誰しもがオーバーラップできそうな作品ではある。純文学。好みとしてはも少し波があったほうがいいかもとは思った。
0 件のコメント:
コメントを投稿