日曜日は本屋に行ったらシャーロック・ホームズのパスティーシュが文庫で出てたので購入、中心地から西の湊川にある名画座で2本立て1300円。フィンランド🇫🇮の名監督アキ・カウリスマキ特集をやってて、観ていない「街のあかり」と2本めはアメリカ=西ドイツ映画「バグダッド・カフェ」だった。ミニシアターをちょっと広くしたような名画座は満席ではなかったものの席を探して潜り込む、くらいの混みよう。カウリスマキも「バグダッド・カフェ」も大人気。
「街のあかり」はバッド・エンドというか、芥川龍之介「芋粥」、ゴーゴリ「外套」の流れを汲むのか、負け組の男が負けっぱなしで、救いなく終わる。同監督の作品では最新作「希望のかなた」もバッドエンドではあったが最後に事件と救いはあった。しかし今回は負けて、ボコボコにされて、そのまま終わり。
「あれ、どういう意味があったん?」終演後、おじいさんに話しかけられた。たぶんではあるが、負け組を描く文化はあること、「浮き雲」や「過去のない男」は光が見えて終わるいい作品ですよ、と話した。「バグダッド・カフェ」は何の予備知識もなく、最初の30分は意味ある?まさかこのまま終わらんよね、と思っていたけども、とても明るい展開で、観る順番が逆じゃなくてよかったと思ったのでした。
アンケートや職員の作品説明では、コロナ等で苦しさがにじむ。また来るよう心がけることにした。名画座はホンマ貴重になってしまった。大毎地下が懐かしい。
夕方、三宮に戻り、最近オープンしたオシャレなケーキショップ「CONE(コーヌ)」さんのイートインでウィークエンドシトロン、という土日限定のケーキをエスプレッソでいただく。時間が遅くケーキはもう少なかった。次は人気だというカヌレやケーキのバリエーションを食べたいな。
しばらく三宮、居留地、トアロード界隈を歩き回る神戸ホームの私。陽が落ちてから時間に余裕を持って行動することが珍しく、ウロウロする。神戸もレトロ建築はすごく多い。大阪みたく建築のイベントやって欲しい。
金土日で映画4本。すでに劇場で月1本ペースを超え、今年中にあと観たいのが3本。TVや録画してみてないのを入れればもっと。
楽しい週末でした。
◼️ ティム・メジャー
「新シャーロック・ホームズの冒険」
がんばれパスティーシュ。現代と正典との距離感。ちなみに短編集ではなく長編です。
年間いくつも発表されているホームズのパスティーシュ、パロディ。読むたびに原作との距離を測る。この心の動きはなんだろう。後でまた触れます。
アビゲイル・ムーンという女性がホームズのもとを訪ねる。彼女はダミアン・コリンボーンというペンネームで売れっ子のミステリ作家だった。小説の被害者と見立てて観察していた初老の男、ロナルド・バイスウッドが、構想と同じように毒殺されてしまったという。やがてアビゲイルの創作ノートが盗まれて新聞社に送り付けられる。警察に追われるようになったアビゲイルを、ホームズとワトスンはベイカー街の部屋に匿うー。
ありえない状況の殺人。アビゲイル・ムーンというエキセントリックで頭脳明晰な女性作家が登場し、興味深い展開になる。つかみは刺激的で上々だ。
しばらく同居するようになったアビゲイルは、自分の方がホームズのボズウェル役にふさわしいんじゃなくて?とワトスンをいじめ苛む。切れ者で犯罪に詳しい女性推理作家ならば・・言われてみればそれもおもしろい、なんて想像してしまう。
アビゲイルの存在と謎の行方は・・どちらもはしごを外されたというか、肩透かしの感は正直あった。それとは別に、たぶんホームズ好きさんは、この種の作品を読むたびに、原作、正典との距離を考えると思う。
まあまず、売れっ子女性作家という異色の存在は正典ではありえず、解説にもあるように、この時代の女性の立場をも考えた意義深い付加というものだろうと思う。成り行きで同居することにもなり、ホームズは不自然なほどよりクールになり、アビゲイルが切れ者だからか、伝記作者のライバルが現れて発奮したからか、ワトスンはより引き立て役的要素が強く、これも不自然なほど、全般的によくしゃべる。
パスティーシュの面白みとして、正典に出てきた要素をどれだけ取り込むか、どれだけシャーロッキアンをふふっと微笑ませられるか、はもちろんいくつもある。パイプ三服分の問題、とか、構成が長編に似ているとか。他にもありそうだ。
パスティーシュ、パロディというのは、正典とそっくりなホームズ&ワトスンの冒険を描く、というばかりではなく、いかにもっと現代的、発展的におもしろくするか、ということに力点が置かれていることが多い。人気の高い長編「バスカヴィル家の犬」事件の年に同じロンドンで切り裂きジャック事件が発生するなど時代状況的に、ネタには事欠かない。ホームズ物語のサブキャラクター、政府で大きな権力を持つシャーロックの兄のマイクロフト、ホームズが唯一愛したと目されるアイリーン・アドラーらに魅力的な者たちに加え、出演させたら楽しいかも、という同時代の偉人たちも実に多い。
すでに様々な作品があまりにも多く存在する。個人的には、まあはっきり言うとミステリとして、たとえ物語としてややしょぼくても、パスティーシュやパロディは総体として、そのバリエーションを楽しむべきかなというスタンスだ。
今回は後で出てくるバイスウッドの趣味や、同時代の絵画にこだわった点が特徴的でこれもまた趣向のひとつだった。
私はホームズ短編の原文読みをしていて、いま26個めの「オレンジの種五つ」を読み終えたところ。ドイル=ワトスンは時制にルーズで、作中に「四つの署名」事件や「ボヘミアの醜聞」のアイリーン・アドラーを示唆する記述に関し矛盾がうかがわれることから、それぞれの事件の発生年の検討がシャーロッキアンの間でなされている。
パロディ・パスティーシュについて考える事が多いのも、学者、医者、有名作家を含む大の大人が時間をかけて架空の物語をずーーっと研究しているからこそ。また正典の世界観がしっかりしてるから。
世界を巻き込んだシャーロッキアン遊びを、私もまた、深く愛しているのです^_^
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