皆既月食は、この上ないコンディションで観ることができた。赤暗い月は月食の時にしか観られない。気温が低く空気が冴えて、きれい。
西から斜めに木星、赤黒い皆既食中の月、赤い火星の並びは壮観。もう2度と観られないだろう。
大昔まだ可愛かった姉が月食を実家の2階から観ていて、心を奪われたように
「きれいー・・」と呟いた、その声を月食のたびに想い出す。
夜に浮かぶ、丸く、隠された光を持った赤。熾火のような色形、あわいのおぼろな点線の輪郭は写真やテレビでは撮れない。人間の眼で観る方が、今夜は神秘的。じっと観てると不思議な力を授かりそうやね。
◼️ 幸田文「木」
稀代のエッセイスト、幸田文の遺著。木にまつわる味わい深い文章たち。
1971年から1984年まで「學鎧」に飛び飛びに掲載された15のエッセイ。いやーほんと幸田文のことば、文は日本語の勉強になり、独特の調子、テンポが心地よい。
えぞ松、想い出の藤、ひのき、そして屋久杉。各地で取材を行なっている。その1つひとつに心に生まれるものがあり、またこだわりがあり、おもしろい。
冒頭の、富良野の、東大演習林を見学し、倒木の上に育つえぞ松、その若木をさわり、唐木の湿りにも手をやり、腐食した木肌をむしってみる。そして生死の継ぎ目と数百年の森の移り変わりに思いを馳せる。ここは、星野道夫がアラスカの森について描写したくだりを思い出させる。
2話めの藤には、父・幸田露伴にさんざんに叱られた想い出が述べられる。露伴は子どもたち1人1人に木を与えたという。蜜柑、柿、桜や椿をそれぞれが持ち、関心を向けるように仕向け、花も実も持ち主が自由にしてよかった。また、葉を取ってきて何の木か当てさせたり、いぬえんじゅ、猫やなぎ、ねずみもちの名前の理由を話したり、蓮の花は咲くときに本当にポンと音がするのか試してみる気はないかと誘いかけたりしたそうだ。そりゃ詳しくもなろうというものだ。
で、露伴は文に金を持たせて娘、いまのエッセイストの青木玉を連れて縁日で好きな花でも木でも買ってやれ、と行かせたのだが、とてもいい藤が欲しいと言ったのに高級品だからと買ってやらなかった。帰ってきて露伴はさあ怒ったー。
3話めはひのき。よき木材となる檜で育ちが悪いものはアテと呼ばれ、最も悪い木とされている、というのに反発する。
さんざ辛い目を我慢して頑張ってきたというのに、そんなにけなしつけるとはあんまりひどい、そんならアテがどんなに役立たずの厄介ものか、見せてもらえまいか、と頼み込む。
同行の人はこりゃ珍しいことを聞くものだ、とこの無理押しを、半分はおもしろい、半分は興味深く受け止めて手配をし、ついに製材所で著者はアテが電気ノコギリで切断される、挽かれるところを見る。その、たちの悪さの描写は、生々しいエネルギーにあふれていて、まるでヘミングウェイが「陽はまた昇る」で牛追い祭りを生命感の象徴としたことと同じような躍動をもを感じさせる。こだわりが生んだ猛々しさ。面白い、おもしろい。
そして幸田文は念願の、屋久島の縄文杉を見に行く。樹齢7200年の杉を見た時、どう感じたか、どう表現したか?ぜひ読んでみてください。
藤波、さくら紅葉、ばさけた、ひよひよと、などならではの味わい深い、語感の良いことばも多い。幸田文のエッセイはまた、マイフェイバリットだ。次はきものを、また読みたいな。
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