2022年11月13日日曜日

11月書評の4

山吹の立ちよそひたる山清水
くみに行かめど 道の知らなく 高市皇子 万葉集

やまぶきは裏山の方へ犬の散歩に行った時初めて見つけた。1本だけのつる、リアル山吹色の花には感じるものがあった。たしかに地味ではある。

映画「やまぶき」を観に行ってきました。

カンヌ国際映画祭の、先鋭的な作品を紹介するACID部門に日本映画で初めて出品を果たした。このことと、やまぶきのイメージ、チラシのビジュアルに惹かれました。

舞台は岡山県の郊外。かつて乗馬のエリート選手で不運に見舞われ続ける男、ユン・チャンスと戦争反対のプラカードを持って立つ、サイレントスタンディングに参加し続ける女子高校生、やまぶき。2つの物語が薄く交差します。

先鋭的と言いつつも、分からないところはほぼないです。まったく別のストーリーには社会的、政治的な要素をにじませていますが強くはありません。ユーモラスな場面も散りばめられています。

2つのお話しには、噛み合いがいいというか、1本として観た時にすっと落ちるものがあり、またノイズのように響いてくるものがいい深みとなっています。カメラワークも好ましい凝り方でギリシャのテオ・アンゲロプロスや、ウッディ・アレンを思い出しました。何というか、撮るものから暗示が立ち上るというか、チャンスの働く採石場の撮り方からもうイヤな予感しかしないし😎

チラシのシーンはなかなかしびれました!マレーネ・ディートリッヒ「モロッコ」を思い起こすような絵。映画らしい、映画愛あふれる作品でした。

上映後舞台挨拶があり、山﨑樹一郎監督、ヒロインの祷(いのり)キララさん、ヒロインの彼氏役の黒住尚生さんが登壇しました。

実を言うと、舞台挨拶はかなり久しぶりで、距離の近いミニシアターなのでテンション上がりました。劇中では憂いのある表情が多いキララさんはニコニコしていて、ギャップにやられてしまいました。

パンフを買ってサイン会にも参加。監督には、思ったこと、若いころ単館系の映画はぜんぶ楽しかったけど、最近は感覚的なズレを感じていた。でもきょうは、通じたよ、と思い切って伝えました。キララさんにはあのチラシの場面良かったよーと話しました。映画の主演女優さんとこんな至近距離で話すなんて、舞い上がったのなんのって。黒住さんからはパンフ絶対読んでください!と。はい、今から読みます。

楽しい映画行でした。ヒロインさんに頼まれたからには、大いにPRしなきゃ😆😆

ぜひ「やまぶき」観ましょうd(^_^o)

「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督が評している通り、「どうにも解きほぐせない現実を前にして、できることは極めて少ない。行動や言葉の実効性には疑問符がつく」ことを実感し、最後に光も見える作品です。

感性を全開にして、観てみませんか。


◼️ デイヴィッド・グーディス
  「ピアニストを撃て」

哀切、人間の本性・・激しく虚しいトリュフォー映画の原作。

かなり昔、谷村新司が「ピアニストは撃たないで」という曲を歌っていた。耳慣れないフレーズが唐突に出て来たから、これは多分映画か舞台のタイトルかセリフにでもあるのかな・・と思ってそのままにしていた。やっと長い間の謎に踏み込んだ思い。不思議なもんです。

フィラデルフィア、ポート・リッチモンド地区にある場末の酒場、そこでピアノを弾いているエディのもとに、兄のターリーが転がり込む。ターリーは強面の男たちに追われていた。ターリーはエディに、なぜ正装をして、満席のコンサートホールにいない、と大声で問い、逃亡する。エディはターリーを助けようと思わず追手の2人組の邪魔をして、巻き込まれていくー。

エディは故郷のサウス・ジャージーで音楽の才能を見込まれ、苦労の末華々しくデビューしたクラシックピアニストだった。しかし妻をめぐるトラブルで落ちぶれ、酒場にたどり着いて、人生の目的もなく日々を過ごしていた。長兄クリフトンと次兄ターリーの2人は悪童が長じてヤバい商売に手を出していた。

酒場のハリエットとその夫で元プロレスラーのプライン、エディを助けるウェイトレスのレナ、どこか間抜けでかけ合いを繰り広げる追手のフェザーとモーリス、エディと同じ下宿の娼婦クラリスら、激しく闘うエディを取り巻く者たちもキャラが立ち、物語を盛り上げる。

グーディスは本国での評価はそれほどでもないが、フランスで大変な人気を博したそうだ。そのガラスのような心のうちと、家系的な暴力を好む本性、やさぐれてクールな他者との関係性を丁寧に描写している筆致には、何となく感じるものがある。虚無に近い哀愁、転落した英雄の再生、ハードなバイオンスはアメリカっぽい感じもするけども。

開拓時代、アメリカ西部の酒場には「どうかピアニストを撃たないでください」という貼り紙があったそうだ。原題「Down There」がフランスで翻訳刊行される時、このエピソードをひっくり返してシャレでつけられたタイトルだとか。トリュフォーは「大人はわかってくれない」に続く長編第2作として映画化したらしい。

このタイトルはなぜか刺さるものがある。大きなホールでピアノを弾いているところをスナイパーが狙っている場面を想像していたので物語はかなり違った。でも心に残るものがある作品だった。

映画も、いつか観ようかな。

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