きょうまでの伊勢物語展を観に大阪・中之島へ。朝イチちょっと早く着いたから1ブロック歩いて御堂筋まで散歩。イチョウ並木に日本銀行大阪支店。明治36年・1903年のもの。きょうもプチ建築沼😎
在原業平を描いたとされる歌物語・伊勢物語は905年以前に成立した。古来絵画の題材として頻繁に描かれ、愛されてきた。鎌倉時代から江戸期まで、大看板の俵屋宗達作と伝えられるもの、土佐家、円山家など名門の作品も残されている。
それぞれの短いエピソードが実に印象的。しかも在原業平の歌がまたすばらしい。帝に輿入れする予定の藤原高子(たかいこ)とされる女を負って逃げたものの、姫を鬼に食べられてしまう芥川、教科書で習った筒井筒、龍田川のからくれない、たえて桜のなかりせば、の交野の花見などなど大好きやね。
地元近くには業平橋、この辺に遊びに来る段もある。そして神戸の布引の滝を観に行って帰りが遅くなり漁火を見て詠んだ歌もある。布引の滝は人気らしくいくつも作品があった。ついこないだ私も行ったから、同じ滝を業平も観てたのかと想像が飛ぶ。また読み返したくなる。
帰りに本屋、その業平が出て来るマンガ「応天の門」と「ブルーピリオド」とシェイクスピア。まだまだ未読の多いシェイクスピアは少しずつ読み進めている。
京都の河井寛次郎記念館で買ったブックカバーで読むのが楽しみだ。
自家製スイーツも美味い晩秋なのでした。
◼️ 北村薫「覆面作家は二人いる」
お嬢様の豹変ぶりがマンガ向き、ドラマ向き。推理と解決の早さが北村作品。
北村薫の作品、3/4くらいは読んでいるけども、覆面作家は読み逃してたたぶん。古いこととて記憶があいまい。
小説を投稿してきた美貌の作者はチョーお嬢様だった。新妻千秋。豪邸ではいつもよそ行きの服を着用している。担当となった編集者の岡部良介は、屋敷の門を出た途端、千秋の性質が激変してしまうことを知るー。
女子高での殺人事件、幼子の誘拐脅迫、不思議な万引き事件。千秋は天才的な推理家で、あっという間に謎を解いてしまう。物語は、劇的かつ鮮やか、コンパクトに解決され、その唐突な提示もまた特質だ。
さらに変わらず北村薫テイスト、というか、コメディーとしてのテンポ、会話のインテリジェンスも大変効いている。小粋だし、落語のようなかけ合いもあり、非常に良い印象を与える。
良介の双子の兄で刑事の優介、先輩編集者の左近雪絵女史、千秋のコワモテ執事・赤沼ら周囲のキャストもそれぞれ楽しい。
先に発表した「円紫さんと私」シリーズは身の周りの日常の謎を解きつつ、文学的な展開があった。こちらは設定からまったくコメディーで、ドラマ化やマンガ化に最適という気がする。
巻末、宮部みゆきの解説がまたすばらしい。もーまた、宮部みゆきうますぎるよ。かなわんね。
読んでなかったかな。覆面作家シリーズも押さえておかねば。
2022年11月27日日曜日
11月書評の9
♯神戸税関
神戸税関が本日年イチの一般公開日だというのでお出掛け。この特徴的な円塔のある建物が1927年に竣工したもので中庭の奥が新館。今回は新館が中心の公開でした。
警視庁の旧庁舎に似てることもあり、映画やドラマの撮影によく使われているとか。
円塔昇りたかった!年によっては公開してるそうなので来年もマーク。塔にはためくのは、対角線に切って右上が白、左下が青の日の丸。これは税関の旗で、青部分は海を、白部分は空を表すとか。
中の写真をSNSにアップしたら缶バッジをもらえるというのでTwitter。バッジのことを尋ねた若い職員としばし懇談。大阪も京都も建築イベントしてるから、神戸も市内の古い建築のビルと連動した企画はできないかな・・と話すと、メモして上げときます、と。期待してるよー。
帰りは東遊園地を通って。子ども図書館できてるし、かつては神戸市役所前にあった花時計が移ってきてました。サクメシしたいなと思ってたところへコンパクトで可愛かっこ良いカフェを見つけ、テイクアウトOKのひよこ豆のヴィーガンカレーというのをいただいて帰りました。
地元のバス停は植物園の前。ここから渓流に降りたところがいつも個人的紅葉の名所。終わりかけかな、と行ってみると、まだ青もみじもあって緑黄赤の混ざったグラデーション。これもいいな、としばし鑑賞。
それにしても、今年の秋は建築ばかり。友人には建築沼部やね、などと言われてしまいました。きょうは高校バスケット🏀有力校のリーグ戦、トップリーグの最終日、昨年のウィンターカップ王者福大大濠vs今夏インターハイチャンピオンの福岡第一の全勝対決。わがバスケ沼部員もバスケの殿堂代々木第二体育館に観に行ってます。私もweb生中継観戦いまから。
大濠も第一もがんばって欲しいね🔥
◼️ 津原泰水「ピカルディの薔薇」
ふむふむ。幻想ホラー奇し妖し。猿渡くんが時空を飛ぶ。
図書館で物色してて手に取った。「ブラバン!」という青春ものぽい作品を書く人が幻想系?と興味本位で。三浦しをんが猿渡くん、待ってました的なコメントをしたとか先に解説を読みかじったこともあり、も少しほのぼの系かと思ったら、予想よりけっこうホラー寄りだったかな。どうもこちらが本来の性質かなと思える。
猿渡くんというのは著者に模したであろう小説家で、さまざまなシチュエーション、東京で、南方の島で、はたまた敗戦前の満州で、怪異を体験したり、聞いた話を綴ったりする。あまりかちっとしたキャラクター付けはされてないようだ。同業の「伯爵」という男性、またトリッキーな編集者奈々村女史らがいくつかの篇に登場する。ゆるいシリーズもののようだ。
「夕化粧」
「ピカルディの薔薇」
「超鼠記」
「籠中花」
「フルーツ白玉」
「夢三十夜」
「甘い風」
「枯れ蟷螂」
「新京異聞」
が収録されている。
表題作「ピカルディ異聞」は猿渡が、かつて自殺未遂をし障碍が残って入院しているという元美大生の星と知り合う。五感がない、という星は創作人形を手がけ、展覧会でも人気を博していた。猿渡は彼の個展へ来てくれという手紙を受け取るが、内容を不審に思い介護人に問い合わせると、その予定はないというー。
結末は悲惨で、グロである。強烈さと物語の危うさが表題作に向いているのかも知れない。
「超鼠記」は東京都心のビルに棲みついたクマネズミの話。著者のねぐらである事務所を訪ねてくる駆除業者がなにやら滑稽で星新一のテイストを醸し出す。
「籠中花」はガジュマルの大木に、島の伝説のごとく女性が捉われてしまう話。これもまた、どこそかおかしみを感じるテイストとなっている。
魔のウクレレの話「甘い風」もちょっと興味深い。こういった幻想、ホラーの作品については発注する編集者が条件をつけてくることが多いようだ。当作も「猿渡を主役にして、ウクレレの、ホラーを。テーマは執着」という注文だったとか。恒川光太郎の短編集にも同じようなことが書いてあった。
ホラーとは思わずに手に取って、読みだしてから、今年は怪談とかホラー多いなと振り返る。もちろんそうだと知って読むことが多いんだけども、今回みたく予備知識なしでも、なんか当たりがその方面。ちょっと苦笑。逆に幻想ホラー系の経験を積み、ある程度のパターンが見えるようになった感覚もある。
怖いものは読めない、という方もおられるが、この方面がウケるのも確かなようだ。私に取っては不思議な暗合の年で、これも読書上の予備知識なのかなとも考える。
まあ楽しめたかな。
神戸税関が本日年イチの一般公開日だというのでお出掛け。この特徴的な円塔のある建物が1927年に竣工したもので中庭の奥が新館。今回は新館が中心の公開でした。
警視庁の旧庁舎に似てることもあり、映画やドラマの撮影によく使われているとか。
円塔昇りたかった!年によっては公開してるそうなので来年もマーク。塔にはためくのは、対角線に切って右上が白、左下が青の日の丸。これは税関の旗で、青部分は海を、白部分は空を表すとか。
中の写真をSNSにアップしたら缶バッジをもらえるというのでTwitter。バッジのことを尋ねた若い職員としばし懇談。大阪も京都も建築イベントしてるから、神戸も市内の古い建築のビルと連動した企画はできないかな・・と話すと、メモして上げときます、と。期待してるよー。
帰りは東遊園地を通って。子ども図書館できてるし、かつては神戸市役所前にあった花時計が移ってきてました。サクメシしたいなと思ってたところへコンパクトで可愛かっこ良いカフェを見つけ、テイクアウトOKのひよこ豆のヴィーガンカレーというのをいただいて帰りました。
地元のバス停は植物園の前。ここから渓流に降りたところがいつも個人的紅葉の名所。終わりかけかな、と行ってみると、まだ青もみじもあって緑黄赤の混ざったグラデーション。これもいいな、としばし鑑賞。
それにしても、今年の秋は建築ばかり。友人には建築沼部やね、などと言われてしまいました。きょうは高校バスケット🏀有力校のリーグ戦、トップリーグの最終日、昨年のウィンターカップ王者福大大濠vs今夏インターハイチャンピオンの福岡第一の全勝対決。わがバスケ沼部員もバスケの殿堂代々木第二体育館に観に行ってます。私もweb生中継観戦いまから。
大濠も第一もがんばって欲しいね🔥
◼️ 津原泰水「ピカルディの薔薇」
ふむふむ。幻想ホラー奇し妖し。猿渡くんが時空を飛ぶ。
図書館で物色してて手に取った。「ブラバン!」という青春ものぽい作品を書く人が幻想系?と興味本位で。三浦しをんが猿渡くん、待ってました的なコメントをしたとか先に解説を読みかじったこともあり、も少しほのぼの系かと思ったら、予想よりけっこうホラー寄りだったかな。どうもこちらが本来の性質かなと思える。
猿渡くんというのは著者に模したであろう小説家で、さまざまなシチュエーション、東京で、南方の島で、はたまた敗戦前の満州で、怪異を体験したり、聞いた話を綴ったりする。あまりかちっとしたキャラクター付けはされてないようだ。同業の「伯爵」という男性、またトリッキーな編集者奈々村女史らがいくつかの篇に登場する。ゆるいシリーズもののようだ。
「夕化粧」
「ピカルディの薔薇」
「超鼠記」
「籠中花」
「フルーツ白玉」
「夢三十夜」
「甘い風」
「枯れ蟷螂」
「新京異聞」
が収録されている。
表題作「ピカルディ異聞」は猿渡が、かつて自殺未遂をし障碍が残って入院しているという元美大生の星と知り合う。五感がない、という星は創作人形を手がけ、展覧会でも人気を博していた。猿渡は彼の個展へ来てくれという手紙を受け取るが、内容を不審に思い介護人に問い合わせると、その予定はないというー。
結末は悲惨で、グロである。強烈さと物語の危うさが表題作に向いているのかも知れない。
「超鼠記」は東京都心のビルに棲みついたクマネズミの話。著者のねぐらである事務所を訪ねてくる駆除業者がなにやら滑稽で星新一のテイストを醸し出す。
「籠中花」はガジュマルの大木に、島の伝説のごとく女性が捉われてしまう話。これもまた、どこそかおかしみを感じるテイストとなっている。
魔のウクレレの話「甘い風」もちょっと興味深い。こういった幻想、ホラーの作品については発注する編集者が条件をつけてくることが多いようだ。当作も「猿渡を主役にして、ウクレレの、ホラーを。テーマは執着」という注文だったとか。恒川光太郎の短編集にも同じようなことが書いてあった。
ホラーとは思わずに手に取って、読みだしてから、今年は怪談とかホラー多いなと振り返る。もちろんそうだと知って読むことが多いんだけども、今回みたく予備知識なしでも、なんか当たりがその方面。ちょっと苦笑。逆に幻想ホラー系の経験を積み、ある程度のパターンが見えるようになった感覚もある。
怖いものは読めない、という方もおられるが、この方面がウケるのも確かなようだ。私に取っては不思議な暗合の年で、これも読書上の予備知識なのかなとも考える。
まあ楽しめたかな。
2022年11月23日水曜日
京都探訪③
岡崎公園はやはり落ち着く。好みのスポット。京セラ美術館は1933年開館、公立美術館としては日本で最も古いもので2020年大規模リニューアルオープン。壮麗です。さて、今回はアンディ・ウォーホル展。
京都その③
友人と待ち合わせ、京セラ美術館でアンディ・ウォーホル展を観る。ポップアートの旗手。シルクスクリーンに描いた有名人の肖像や商品の写真用デザインは見応え充分。カワイイ絵もあり、「三つのマリリン」「最後の晩餐」といった、京都でしか観られない、日本初公開作品が多いとのこと。
雑誌や新聞の画像を使ったジャーナリスティックな作品もあり、独創的でカッコいい。アメリカンなテイスト、当時の新時代の雰囲気など濃厚に匂います。
いつも油絵の西洋画、和風絵の具の日本画を観てるので今回はホント、刺激的な作品群というか、その独自の芸術性がダイレクトに飛び込んでくる感覚でした。ミュシャやロートレックはその時代の新しいPR、ブランド確立の手法を示した。ウォーホルもまた、時代にフィットした大きな開発をした才能だったんだなと感じ入りました。
これもいつもと違って、お客さん若い人が多かったっす。
京都その③
友人と待ち合わせ、京セラ美術館でアンディ・ウォーホル展を観る。ポップアートの旗手。シルクスクリーンに描いた有名人の肖像や商品の写真用デザインは見応え充分。カワイイ絵もあり、「三つのマリリン」「最後の晩餐」といった、京都でしか観られない、日本初公開作品が多いとのこと。
雑誌や新聞の画像を使ったジャーナリスティックな作品もあり、独創的でカッコいい。アメリカンなテイスト、当時の新時代の雰囲気など濃厚に匂います。
いつも油絵の西洋画、和風絵の具の日本画を観てるので今回はホント、刺激的な作品群というか、その独自の芸術性がダイレクトに飛び込んでくる感覚でした。ミュシャやロートレックはその時代の新しいPR、ブランド確立の手法を示した。ウォーホルもまた、時代にフィットした大きな開発をした才能だったんだなと感じ入りました。
これもいつもと違って、お客さん若い人が多かったっす。
京都探訪④
京都その④
地下鉄で東山から烏丸御池まで移動、東京駅を手がけた辰野金吾設計の日本銀行京都支店、いまの京都文化博物館、通称ぶんぱくで新選組展。入る前に、金庫室だったという人気のカフェで刀パフェセット新選組展スペシャル。やっぱモダン建築にはスイーツやね😎
幕末の情勢、新選組の成り立ちから哀しい終焉まで。近藤勇、土方歳三の書簡ほか、土方の刀や防具等の武具等もあった。浪士組から新選組、8.18の政変、池田屋襲撃、禁門の変、戊辰戦争と時代のドラスティックな変遷を追えるようになっている。新選組展を京都で観るのは感慨があるね。
大河ドラマ、黒鉄ヒロシの一連の幕末マンガ、手塚治虫の名作「陽だまりの樹」、司馬遼太郎で親しんできた明治維新への激動を心のうちで反芻する。
こちらも若い女性が目立った。思い返せば河井寛次郎記念館も女性多かったし、そうゆう日かな。
出町柳の高校同級生のお店で料理と会話を堪能しておけいはん(京阪電車のこと)で帰ったのでした。
体力使ったけどやっぱ京都遊びはサイコーに楽しいね😆
地下鉄で東山から烏丸御池まで移動、東京駅を手がけた辰野金吾設計の日本銀行京都支店、いまの京都文化博物館、通称ぶんぱくで新選組展。入る前に、金庫室だったという人気のカフェで刀パフェセット新選組展スペシャル。やっぱモダン建築にはスイーツやね😎
幕末の情勢、新選組の成り立ちから哀しい終焉まで。近藤勇、土方歳三の書簡ほか、土方の刀や防具等の武具等もあった。浪士組から新選組、8.18の政変、池田屋襲撃、禁門の変、戊辰戦争と時代のドラスティックな変遷を追えるようになっている。新選組展を京都で観るのは感慨があるね。
大河ドラマ、黒鉄ヒロシの一連の幕末マンガ、手塚治虫の名作「陽だまりの樹」、司馬遼太郎で親しんできた明治維新への激動を心のうちで反芻する。
こちらも若い女性が目立った。思い返せば河井寛次郎記念館も女性多かったし、そうゆう日かな。
出町柳の高校同級生のお店で料理と会話を堪能しておけいはん(京阪電車のこと)で帰ったのでした。
体力使ったけどやっぱ京都遊びはサイコーに楽しいね😆
京都探訪②
京都その②
京都大学近く、フランス政府の公式機関、アンスティチュ・フランセ関西。1936年に建てられた白亜の建物。品のいいル・カフェで牛肉のワイン煮込みのランチ。設置に尽力したというポール・クローデルはロダンの女弟子であり愛人のカミーユ・クローデルの弟。イザベル・アジャーニとジェラール・ドパルデューの映画を思い出す。
藤田嗣治の絵と、姉カミーユ製作の弟の像を観て、バスで岡崎公園へ。
京都大学近く、フランス政府の公式機関、アンスティチュ・フランセ関西。1936年に建てられた白亜の建物。品のいいル・カフェで牛肉のワイン煮込みのランチ。設置に尽力したというポール・クローデルはロダンの女弟子であり愛人のカミーユ・クローデルの弟。イザベル・アジャーニとジェラール・ドパルデューの映画を思い出す。
藤田嗣治の絵と、姉カミーユ製作の弟の像を観て、バスで岡崎公園へ。
京都探訪①
京都その①
清水寺近く、京都の河井寛次郎記念館に行きました。大正・昭和期に活躍した陶芸家でバーナード・リーチとも交流し、柳宗悦らと日本の民芸運動をリードした人。
陶芸家をそんなに多くは知らないけれど、私は河井寛次郎とルーシー・リー、ともに釉薬のチョー専門家だったという2人の作品に心酔していて、この記念館に行ってみたいと思っていました。
記名すれば写真はフリー、寛次郎デザインの家具に座って休憩、窯も見ることができます。家の造りは和風、畳と板の間にテーブル椅子など快い配置で、いい雰囲気でした。
私の母の実家は福岡南部・柳川市の旧商家で、こんなにオシャレではないけれど、似てるものを感じて懐かしくなりました。
作品は相変わらず青と赤が絶妙できれい。入れ替えも頻繁にあるようなので、またいつか行かなければ。最近は西洋建築ばかり観ていて、こんなとこに住んでみたいと思っていたけれど、和風に折衷型のこの家も、あー、暮らしてみたい、と思わせるものがありました。
清水寺近く、京都の河井寛次郎記念館に行きました。大正・昭和期に活躍した陶芸家でバーナード・リーチとも交流し、柳宗悦らと日本の民芸運動をリードした人。
陶芸家をそんなに多くは知らないけれど、私は河井寛次郎とルーシー・リー、ともに釉薬のチョー専門家だったという2人の作品に心酔していて、この記念館に行ってみたいと思っていました。
記名すれば写真はフリー、寛次郎デザインの家具に座って休憩、窯も見ることができます。家の造りは和風、畳と板の間にテーブル椅子など快い配置で、いい雰囲気でした。
私の母の実家は福岡南部・柳川市の旧商家で、こんなにオシャレではないけれど、似てるものを感じて懐かしくなりました。
作品は相変わらず青と赤が絶妙できれい。入れ替えも頻繁にあるようなので、またいつか行かなければ。最近は西洋建築ばかり観ていて、こんなとこに住んでみたいと思っていたけれど、和風に折衷型のこの家も、あー、暮らしてみたい、と思わせるものがありました。
11月書評の8
ソース辛いものは、定期的に食べたくなるねー。さくらもみじが美しい季節。
土曜はフィギュア⛸とバスケ🏀。録画の小林愛実のピアノ。最近いただきものが多くてお茶受けのスイーツが充実しててやばいかな🥧父から送ってきた柿が美味すぎる。モデルさんなどは糖分はフルーツで摂るよう心がけてるという。この甘さなら充分やね😎
日曜は抽選で当たった建築イベントへ。近代建築の3大巨匠の1人、フランク・ロイド・ライトの建築群が先ごろ世界遺産に登録され、日本にあるライト設計の建築も追加されるよう動き出している。私も好きな芦屋市の旧山邑邸、ヨドコウ迎賓館もそのひとつ。会場はライトの弟子というか、話を聞く限り日本の右腕さんが設計した、もとは甲子園ホテル、いま甲子園会館。見学会はもう、ライトらしさ満開でめっちゃ楽しかった〜!
機能美と装飾は二律背反ではなく、ライトの本でも機能を考えて設計していることは強調されていた。しかし、やはりライトは異色でホンマにおもしろい。石にこだわり、タイルや飾り部分がひとつひとつ手工芸のものだったり、本日案内してくれた方が「スリリング」と評していた、異様に長くフラットな庇ひさしが特徴的だったり。船のような造りで、外の渡り廊下が長く気持ちよく、窓が大きい。現代的な建築では足下から天井までの窓も珍しくないが、石材造りでの大きな窓は美しく、目を引く。
壁や電灯、床のタイルにも遊びとデザイン性を潜ませて、楽しいったらありゃしません。テンション上がりますね。ホンマ異質でわくわくさせる建築です。
コロナで休止していた一般の見学を先月から再開しているそうで、来月5回くらいの見学日はもう定員いっぱい。大人気の建築物なのでした。
いまは武庫川女子大の建築学部や大学院が入っている。たしかにウチの大学の建物も歴史があったから好きだったけどももう取り壊された。ライトのお弟子さんのライト風建築で勉強できるのはうらやましい。
授業しているスタジオ棟も見て、建築を学ぶ学生さんがどんなことをしているのかよく分かった。設計図、イメージ図。計算して線を引くのはもちろん、絵も描く、家だけではなくマンション群や街のデザインもする、立体模型を作る、タイルも作って焼く、竹や木を自ら割って編み込んだり組み立てたり、素材の耐久力などを試す部屋、光の当たり方を実験するライティングルームもあった。
シンポジウムも興味深かったっす。近代建築を世界遺産に登録する動きは最近実っているそうで、実際にライトの建築群を世界遺産登録した際の女性の事務局長さんが来られて講演されていました。
年配のご夫婦、若い女性、おそらくはご専門の方など熱心な参加者は誰も最後までアクビひとつすることなく聴いてました。建築ファンの中に入ったの初めてでなんか嬉しさちょっとありますね。
ヨドコウ迎賓館が世界遺産登録されたら人も多くなるかなあと。もう1回いまのうちに行っとこうと思ったりしたのでした。
◼️ さくらももこ「もものかんづめ」
ミリオンセラーだそうだ。まる子ちゃんの家族が見えるようで楽しい。
世事に疎い私は、さくらももこが亡くなったことも、この本がミリオンセラーだったことも知らなかった。いつも本を借りる後輩のおすすめだった。
著者の育ち・・静岡県清水市での小学生、中高生、バイト時代のこと、いわゆるOLの時のエピソードをおもろかしく書いている。
しつこい水虫が一発で治った治療法、健康ランド通い、健康食品店でのバイト、はたまた伝聞のトンデモ話ーこういうの好きであるー、著者が大好きなナスの皮を食べないスズムシの大繁殖、金持ちの友人宅での目撃談などなど、時に思わずわははっと笑ってしまうネタが満載だ。
授業は聞かないで想像を働かせたり絵を描く時間、一方で中高生の頃は恥ずかしいくらい恋する乙女。また当時から睡眠学習枕などいろんなものに手を出し損する性分。
どれもありそうだからおもしろい。私も漫画雑誌に載っていた、背が伸びる薬をなけなしの小遣いで買ったらその会社の社長が逮捕された。効果はあるわけがなかった。
さらにいつもヘラヘラしている父親、口うるさい母親、大げんかして没交渉だったが仲良くなった姉、そして金持ちの友だちやサッカー少年など、アニメの世界が見えてくる。そこには愛すべき世界が確立されているような気がする。
そのエッセイの筆致や巻末の対談などには、バブル期に青春時代を迎えた成功者の、強気が少し見て取れる。ふむふむ。
「あたしゃ情けないよ」など、まる子のあの言い方が浮かぶセリフも本文中に出てきたりして、なかなかかわゆく、ホッとする。ノってる時のパワーを感じる本だった。
土曜はフィギュア⛸とバスケ🏀。録画の小林愛実のピアノ。最近いただきものが多くてお茶受けのスイーツが充実しててやばいかな🥧父から送ってきた柿が美味すぎる。モデルさんなどは糖分はフルーツで摂るよう心がけてるという。この甘さなら充分やね😎
日曜は抽選で当たった建築イベントへ。近代建築の3大巨匠の1人、フランク・ロイド・ライトの建築群が先ごろ世界遺産に登録され、日本にあるライト設計の建築も追加されるよう動き出している。私も好きな芦屋市の旧山邑邸、ヨドコウ迎賓館もそのひとつ。会場はライトの弟子というか、話を聞く限り日本の右腕さんが設計した、もとは甲子園ホテル、いま甲子園会館。見学会はもう、ライトらしさ満開でめっちゃ楽しかった〜!
機能美と装飾は二律背反ではなく、ライトの本でも機能を考えて設計していることは強調されていた。しかし、やはりライトは異色でホンマにおもしろい。石にこだわり、タイルや飾り部分がひとつひとつ手工芸のものだったり、本日案内してくれた方が「スリリング」と評していた、異様に長くフラットな庇ひさしが特徴的だったり。船のような造りで、外の渡り廊下が長く気持ちよく、窓が大きい。現代的な建築では足下から天井までの窓も珍しくないが、石材造りでの大きな窓は美しく、目を引く。
壁や電灯、床のタイルにも遊びとデザイン性を潜ませて、楽しいったらありゃしません。テンション上がりますね。ホンマ異質でわくわくさせる建築です。
コロナで休止していた一般の見学を先月から再開しているそうで、来月5回くらいの見学日はもう定員いっぱい。大人気の建築物なのでした。
いまは武庫川女子大の建築学部や大学院が入っている。たしかにウチの大学の建物も歴史があったから好きだったけどももう取り壊された。ライトのお弟子さんのライト風建築で勉強できるのはうらやましい。
授業しているスタジオ棟も見て、建築を学ぶ学生さんがどんなことをしているのかよく分かった。設計図、イメージ図。計算して線を引くのはもちろん、絵も描く、家だけではなくマンション群や街のデザインもする、立体模型を作る、タイルも作って焼く、竹や木を自ら割って編み込んだり組み立てたり、素材の耐久力などを試す部屋、光の当たり方を実験するライティングルームもあった。
シンポジウムも興味深かったっす。近代建築を世界遺産に登録する動きは最近実っているそうで、実際にライトの建築群を世界遺産登録した際の女性の事務局長さんが来られて講演されていました。
年配のご夫婦、若い女性、おそらくはご専門の方など熱心な参加者は誰も最後までアクビひとつすることなく聴いてました。建築ファンの中に入ったの初めてでなんか嬉しさちょっとありますね。
ヨドコウ迎賓館が世界遺産登録されたら人も多くなるかなあと。もう1回いまのうちに行っとこうと思ったりしたのでした。
◼️ さくらももこ「もものかんづめ」
ミリオンセラーだそうだ。まる子ちゃんの家族が見えるようで楽しい。
世事に疎い私は、さくらももこが亡くなったことも、この本がミリオンセラーだったことも知らなかった。いつも本を借りる後輩のおすすめだった。
著者の育ち・・静岡県清水市での小学生、中高生、バイト時代のこと、いわゆるOLの時のエピソードをおもろかしく書いている。
しつこい水虫が一発で治った治療法、健康ランド通い、健康食品店でのバイト、はたまた伝聞のトンデモ話ーこういうの好きであるー、著者が大好きなナスの皮を食べないスズムシの大繁殖、金持ちの友人宅での目撃談などなど、時に思わずわははっと笑ってしまうネタが満載だ。
授業は聞かないで想像を働かせたり絵を描く時間、一方で中高生の頃は恥ずかしいくらい恋する乙女。また当時から睡眠学習枕などいろんなものに手を出し損する性分。
どれもありそうだからおもしろい。私も漫画雑誌に載っていた、背が伸びる薬をなけなしの小遣いで買ったらその会社の社長が逮捕された。効果はあるわけがなかった。
さらにいつもヘラヘラしている父親、口うるさい母親、大げんかして没交渉だったが仲良くなった姉、そして金持ちの友だちやサッカー少年など、アニメの世界が見えてくる。そこには愛すべき世界が確立されているような気がする。
そのエッセイの筆致や巻末の対談などには、バブル期に青春時代を迎えた成功者の、強気が少し見て取れる。ふむふむ。
「あたしゃ情けないよ」など、まる子のあの言い方が浮かぶセリフも本文中に出てきたりして、なかなかかわゆく、ホッとする。ノってる時のパワーを感じる本だった。
2022年11月19日土曜日
11月書評の7
もひとつ笑顔を。また、11月書評の5が2つあるのでここで戻します。
オレンジがないので自宅近くの渋柿で😆
青空に渋柿、後ろに色づいた山、すすき。
◼️Authur Conan Doyle
「The Five Orange Pips」(オレンジの種五つ)」
新世界とロンドン、大西洋をはさんだ恐怖。
ホームズ原文読み26作め。おおもうすぐ半分だ。第1短編集「The Adventures of Sherlock Holmes(シャーロック・ホームズの冒険)」より 「The Five Orange Pips」(オレンジの種五つ)」です。
シャーロック・ホームズは先に「A Study in Scarlet(緋色の研究)」「The Sign of Four(四つの署名)」という2つの長編が発表され、ストランド・マガジンの1891年7月号に掲載された初めての短編「A Scandal in Bohemia(ボヘミアの醜聞)」で人気が爆発しました。今回の作品は短編5つめ、1891年11月号に載った初期作品の1つです。
「ボヘミアの醜聞」でホームズは、オペラのプリマドンナ、アイリーン・アドラーに出し抜かれます。今回も、ホームズの失敗談の1つ。5回の短編連載のうち、2つもやられた話があるのにはどこか違和感もありますが、それでも人気を博したということは、コナン・ドイルのストーリーテリングの上手さを表しているのかもしれません。
さて、物語。出だしはさわりだけが述べられている「語られざる事件」がいくつか出ますが割愛します。
9月の終わり、equinoctial gales、彼岸ごろ、秋分付近の嵐、でしょうか、ひどい嵐の夜に、訪問を告げるベルの音が聞こえます。
入って来たのは20代前半と目される、洗練された着こなしをした若い男、不安に押しつぶされそうな表情をしていました。
ともかく暖炉の前に案内し、話を聞くことにしました。この青年、イングランド南西部のホーシャムに住むジョン・オープンショーはホームズに、ホームズがかつて解決した事件の当事者からあなたは決して負かされないと聞いたと話します。ここで、シャーロッキアンをくすぐるセリフがホームズの口から出ます。
I have been beaten four times – three times by men, and once by a woman.
「4回やられてます。3回は男に、そして1回は女性に出し抜かれました」
この「女性」というのは「ボヘミアの醜聞」のアイリーン・アドラーだと、普通に考えてしまいます。しかし、「ボヘミア」はワトスンの記述によれば1888年の発生です。今回の「オレンジの種」事件は、これも本文に1887年に起きたと強く示唆されています。
さらに、この後で「四つの署名」以外にこんな奇妙な事件はなかったな、というセリフもあり、ワトスンは奥さんが実家に帰っているからこの当夜はベイカー街で過ごしていた、とも書いています。この奥さんは「署名」で出逢い結婚したメアリ・モースタンだと考えられます。
「署名」は1888年ごろの事件と推測されていることから、「オレンジの種」事件が1888年もしくは1889年だったとする意見もあり、他の観点から「ボヘミアの醜聞」が実は1887年の事件だったとする研究者もいます。
ドイル=ワトスンは時制にルーズ、というのはシャーロッキアン的にもはや定番です。作家も学者もお医者さんも、多くのええ大人がこの時制の問題を大まじめに捉え、独自の解釈を打ち出しています。逆に、ワトスンがその点完璧でなくてよかったねーと思ったりします笑
話が進みませんね(泣)。ここから事件の長い説明がありますが、出来るだけ詰めて書きます。
オープンショーの父は自転車のタイヤ事業で成功し、かなりの資産を持って隠退しました。伯父のエリアスは若い頃アメリカに渡り、フロリダの農場主となりました。事業の才能ある兄弟だったんですね。エリアスは南北戦争で南軍の連隊長となり、敗戦後農場に戻り、3〜4年後に多くの富とともにイギリスへ帰還、オープンショー親子の近くに小さな屋敷を構えました。
エリアスがアメリカを離れたのは、黒人に反感があり、参政権付与に反発したからでした。彼は変わり者でイギリスに帰ってからも怒った時にはひどく口汚く、また人嫌い、外出嫌いで何週間も部屋に引きこもることがあり、酒を飲み、ヘビースモーカーでした。しかし、甥っ子ジョンだけは気に入っていて、兄弟であるジョンの父に頼み、自分の家に引き取りました。
ジョンは16歳の時には伯父の代理人として屋敷を切り回していました。しかし屋根裏にある物置部屋にだけは入るな、と強く言われていました。
1883年の3月、インド・ポンディシェリの消印のある手紙がエリアス伯父に届き、開封すると、乾いたオレンジの種が5つ転がり出ました。
K.K.K!
My God, my God, my sins have overtaken me!
「ケイ、ケイ、ケイ!」
「ああ、なんてことだ。罪の報いがやってきたか!」
「伯父さん、どうしたの?」「死だ」
封筒の折り返しには赤いインクでKの文字が3つ走り書きされていました。エリアス伯父は屋根裏の物置小屋から真鍮の金庫を取り出し、自分の部屋で、同じKの文字が記された文書を焼却したようでした。箱の蓋にも、3つのKの文字がありました。そして、伯父は自分の財産を弟、つまりジョンの父に譲るという遺言書に立会人として署名してほしい、とジョンに話します。
それはいずれ、お前のものになる、利益不利益ともに、と不吉なことをいうエリアス伯父。
I am sorry to give you such a two-edged thing, but I can't say what turn things are going to take.
「お前に善にも悪にもなるものを遺すのはすまないが、事態がどう転ぶか分からないのだ。」
それからしばらく、時にエリアス伯父は度を失い荒れることはあったものの、日常生活を脅かすことは起きませんでした。しかしある夜、エリアス伯父は酔って出かけ、帰ってきませんでした。そして、庭の小さな池に顔を入れ、うつ伏せた状態で死んでいるのが見つかりました。手紙が着いてから約2カ月後、1883年5月のことでした。
暴行の形跡はなく、普段の奇行を知っていた陪審団the juryは、自殺の評決verdictを下しました。
財産とホーシャムの屋敷を受け継いだとき、ジョンは父と一緒に屋根裏の物置部屋、そこにあった真鍮の箱を調べましたが、箱は空で、日記のようなノートが部屋にあった以外、めぼしいものはありませんでした。
オープンショー父子がホーシャムに移ってしばらくは穏やかに過ぎ、1885年の年明け、なんと父親宛てに五つのオレンジの種が届きました。消印はスコットランドのダンディー、封筒にはKKKの文字、その上にメッセージが記されていました。
Put the papers on the sundial
「書類を日時計の上に置け」
これはなんやねん!父親に、長く屋敷に住んでいたジョンは、庭に日時計があること、書類はエリアス伯父が焼き捨てたことを告げます。
We are in a civilized land here, and we can't have tomfoolery of this kind.
「ここは文明社会だ。こんな馬鹿げた行為は許されん」
警察に届けようと言ったジョンに、激昂した父親はNo, I forbid you許さん、何もせんでいい!と命じます。
その4日後、父親は友人の家からの帰り道、辺りに多くある白亜坑の1つに落ちているのが見つかり、頭蓋骨骨折が元で亡くなりました。
暴行の跡はなく、盗まれたものもなく、足跡も目撃者もなし。陪審員は不慮の事故死と評決を下しました。
それから2年8カ月、財産を相続したジョンのもとに昨日、五つのオレンジの種が送られてきたのです。メッセージは同じ。消印はロンドン東地区でした。すぐ警察に相談したものの、笑われるばかり。ホームズは警察の怠慢と不見識に叫びます。
Incredible imbecility!
「信じられん馬鹿さかげんだ!」
しかし警察はホーシャムの家に1人警官はつけてくれました。その後知り合いに話を聞いてもらい、やっとホームズに辿り着いたのでした。
さらに手掛かりはないかと訊かれてオープンショーは青みがかった紙を取り出します。エリアス伯父が焼却した時燃え残ったもののようだとのことでした。
4th. Hudson came. Same old platform.
7th. Set the pips on McCauley, Paramore, and John Swain, of St. Augustine.
9th. McCauley cleared.
10th. John Swain cleared.
12th. Visited Paramore. All well.
「4日、ハドソンが来た。同じ古い信条。
7日、オーガスティン通りのマッコリー、パラモア、ジョン・スウェインに種を送る。
9日、マッコリー去る
10日、ジョン・スウェイン去る。
12日、パラモアを訪問、全て順調」
この紙をくだんの真鍮の箱に入れ、他の書類はすべて伯父が燃やしたという説得力のあるメッセージを添えて日時計の上に置きなさい、とホームズは指示し、まだ9時前だから駅までの道に人は多く安全だと思うが気をつけるように、と念を押します。
I shall take your advice in every particular.
「あなたの指示は全て正確に行います」
銃を持っているというジョン・オープンショーは、ホームズに話を信じてもらい、励まされて、嵐の中を帰途に着きました。
ホームズはポンディシェリからの手紙の後、エリアスが死ぬまで2カ月、ダンディーの消印の手紙から4日後にジョン・オープンショーの父の死があったことから、殺人者たちは帆船で港から港へと移動しているのではと推理します。つまりロンドン東地区からの手紙を昨日受け取ったオープンショーには差し迫った危険があると。
百科事典にはK.K.Kの事が載っていました。Ku Klux Klanクー・クラックス・クラン。南北戦争後南軍の兵士により結成され、急速に勢力を伸ばした。黒人の投票を脅かしたり、反対勢力を追い出したりするのに暴力を使う。通常は先に警告が送られる。オークの小枝、メロンやオレンジの種。勇敢に立ち向かった者には死を免れないー。1869年に突如組織は崩壊したが、散発的に同種の事件の発生が見られる。
エリアス・オープンショーがアメリカを離れた時期はK.K.K崩壊の時期と重なっていました。そして焼却した書類は、追手にとってあっては困るものだと。ジョン・オープンショーは過酷な運命を背負ったのでした。
翌朝には嵐が去っていました。ホームズが調査に出ようとしていた矢先、新聞記事がー。
Holmes,you are too late.
ワトスンはうめきます。
オープンショーは昨夜の帰り道、テムズ河に落ちて死亡したー。見出しはウォータールー橋近くの悲劇、でした。
Holmes more depressed and shaken than I had ever seen him.
「ホームズがこれほど落胆し、動揺したのは見たことがない」
ホームズが口を開きます。
That hurts my pride, Watson,
「僕はプライドを傷つけられたよ、ワトスン」
That he should come to me for help, and that I should send him away to his death– –!
「助けを求めて僕のところに来たのに、死に追いやってしまった・・!」
運命に睨まれた子うさぎのように消沈してベイカー街を訪れた若者。ホームズの叱咤で生気が戻り、あなたの指示どおりやります、と握手して帰っていった姿が2人の脳裏に浮かんだでしょう。あからさまな失敗でした。
Well, Watson, we shall see who will win in the long run.
「ワトスン、最後に誰が勝つか見ていろってとこだ」
ホームズは単独で調査に出かけ、夜遅く帰ってきました。朝から何も食べてない、とガツガツとパンを頬張ります。その後、戸棚のオレンジを裂き、種を五つ取り出して封筒に突っ込みました。折り返しには
S.H. for J.O. 「J.Oに代わりS.H.」
と書き入れます。そして宛名にー
Captain James Calhoun, Bark Lone Star, Savannah, Georgia.
「サバナ、ジョージア州、ローンスター号、ジェイムズ・カルホーン船長」
ホームズはこのカルホーン船長に、オープンショー一族に送られたのと同じオレンジの種を送りつけようというのです。なぜ分かったのでしょうか。
船舶の情報が集まるロイズの事務所で記録を調べて、1883年の1月から2月にインド・ポンディシェリに接岸した船の記録を調べ、おおむねのトン数で絞り込む。その時点でローンスター号は目を引いていた。次にダンディーに1885年1月に入港した船を見ると、ローンスター号の名があった。この船は先週ロンドンに着いたことが分かり、ホームズが波止場に行ってみると、すでにアメリカのサバナに向けて出港していた。
ホームズはローンスター号の船長と2人の船員だけがアメリカ生まれで、昨夜船を離れたことを突き止め、オープンショー一族を襲った者たちだと断定し、先のような手紙を送ることにしたわけです。さらに現地の警察へ、殺人の重要指名手配犯だと電報を打っていました。
しかしー物語はこの後、たった一段落で終わっています。犯人が逮捕された、などの朗報は遂にありませんでした。
We did at last hear that somewhere far out in the Atlantic a shattered stern-post of the boat was seen swinging in the trough of a wave, with the letters "L. S." carved upon it
「最後に聞いたところでは、大西洋のはるかかなたで船尾材の破片が波間に揺れていた。その破片には「L.S.」と刻まれていたとのことだった」
・・いかがだったでしょうか。依頼人が来て、そして帰途に殺された日の秋分の嵐が、犯人たちの船を沈没させました。ストーリーとしての因果応報の使い方が上手だと思います。
対処を焦るあまり、雨の夜道の危険を読み違えた。明らかな失敗譚ですね。鮮烈な印象を残し、キレが早い分余韻が深い。
ホームズものは最初の長編「緋色の研究」はアメリカ大陸が発端、次の「四つの署名」はインドに謎を解くカギがありました。今回の物語はアメリカの、恐ろしく無慈悲な、実在の結社の話です。イギリスの、アメリカに対する意識のしかたも垣間見えますね。このように、イギリスの国際関係をネタにするというのもホームズシリーズの特徴です。
見えない、怖しい敵の存在は明らかにされないまま、というあり方は、私的には効果的だと思います。シリーズ中の短編のひとつとして黒めの異彩を放っています。
オレンジがないので自宅近くの渋柿で😆
青空に渋柿、後ろに色づいた山、すすき。
◼️Authur Conan Doyle
「The Five Orange Pips」(オレンジの種五つ)」
新世界とロンドン、大西洋をはさんだ恐怖。
ホームズ原文読み26作め。おおもうすぐ半分だ。第1短編集「The Adventures of Sherlock Holmes(シャーロック・ホームズの冒険)」より 「The Five Orange Pips」(オレンジの種五つ)」です。
シャーロック・ホームズは先に「A Study in Scarlet(緋色の研究)」「The Sign of Four(四つの署名)」という2つの長編が発表され、ストランド・マガジンの1891年7月号に掲載された初めての短編「A Scandal in Bohemia(ボヘミアの醜聞)」で人気が爆発しました。今回の作品は短編5つめ、1891年11月号に載った初期作品の1つです。
「ボヘミアの醜聞」でホームズは、オペラのプリマドンナ、アイリーン・アドラーに出し抜かれます。今回も、ホームズの失敗談の1つ。5回の短編連載のうち、2つもやられた話があるのにはどこか違和感もありますが、それでも人気を博したということは、コナン・ドイルのストーリーテリングの上手さを表しているのかもしれません。
さて、物語。出だしはさわりだけが述べられている「語られざる事件」がいくつか出ますが割愛します。
9月の終わり、equinoctial gales、彼岸ごろ、秋分付近の嵐、でしょうか、ひどい嵐の夜に、訪問を告げるベルの音が聞こえます。
入って来たのは20代前半と目される、洗練された着こなしをした若い男、不安に押しつぶされそうな表情をしていました。
ともかく暖炉の前に案内し、話を聞くことにしました。この青年、イングランド南西部のホーシャムに住むジョン・オープンショーはホームズに、ホームズがかつて解決した事件の当事者からあなたは決して負かされないと聞いたと話します。ここで、シャーロッキアンをくすぐるセリフがホームズの口から出ます。
I have been beaten four times – three times by men, and once by a woman.
「4回やられてます。3回は男に、そして1回は女性に出し抜かれました」
この「女性」というのは「ボヘミアの醜聞」のアイリーン・アドラーだと、普通に考えてしまいます。しかし、「ボヘミア」はワトスンの記述によれば1888年の発生です。今回の「オレンジの種」事件は、これも本文に1887年に起きたと強く示唆されています。
さらに、この後で「四つの署名」以外にこんな奇妙な事件はなかったな、というセリフもあり、ワトスンは奥さんが実家に帰っているからこの当夜はベイカー街で過ごしていた、とも書いています。この奥さんは「署名」で出逢い結婚したメアリ・モースタンだと考えられます。
「署名」は1888年ごろの事件と推測されていることから、「オレンジの種」事件が1888年もしくは1889年だったとする意見もあり、他の観点から「ボヘミアの醜聞」が実は1887年の事件だったとする研究者もいます。
ドイル=ワトスンは時制にルーズ、というのはシャーロッキアン的にもはや定番です。作家も学者もお医者さんも、多くのええ大人がこの時制の問題を大まじめに捉え、独自の解釈を打ち出しています。逆に、ワトスンがその点完璧でなくてよかったねーと思ったりします笑
話が進みませんね(泣)。ここから事件の長い説明がありますが、出来るだけ詰めて書きます。
オープンショーの父は自転車のタイヤ事業で成功し、かなりの資産を持って隠退しました。伯父のエリアスは若い頃アメリカに渡り、フロリダの農場主となりました。事業の才能ある兄弟だったんですね。エリアスは南北戦争で南軍の連隊長となり、敗戦後農場に戻り、3〜4年後に多くの富とともにイギリスへ帰還、オープンショー親子の近くに小さな屋敷を構えました。
エリアスがアメリカを離れたのは、黒人に反感があり、参政権付与に反発したからでした。彼は変わり者でイギリスに帰ってからも怒った時にはひどく口汚く、また人嫌い、外出嫌いで何週間も部屋に引きこもることがあり、酒を飲み、ヘビースモーカーでした。しかし、甥っ子ジョンだけは気に入っていて、兄弟であるジョンの父に頼み、自分の家に引き取りました。
ジョンは16歳の時には伯父の代理人として屋敷を切り回していました。しかし屋根裏にある物置部屋にだけは入るな、と強く言われていました。
1883年の3月、インド・ポンディシェリの消印のある手紙がエリアス伯父に届き、開封すると、乾いたオレンジの種が5つ転がり出ました。
K.K.K!
My God, my God, my sins have overtaken me!
「ケイ、ケイ、ケイ!」
「ああ、なんてことだ。罪の報いがやってきたか!」
「伯父さん、どうしたの?」「死だ」
封筒の折り返しには赤いインクでKの文字が3つ走り書きされていました。エリアス伯父は屋根裏の物置小屋から真鍮の金庫を取り出し、自分の部屋で、同じKの文字が記された文書を焼却したようでした。箱の蓋にも、3つのKの文字がありました。そして、伯父は自分の財産を弟、つまりジョンの父に譲るという遺言書に立会人として署名してほしい、とジョンに話します。
それはいずれ、お前のものになる、利益不利益ともに、と不吉なことをいうエリアス伯父。
I am sorry to give you such a two-edged thing, but I can't say what turn things are going to take.
「お前に善にも悪にもなるものを遺すのはすまないが、事態がどう転ぶか分からないのだ。」
それからしばらく、時にエリアス伯父は度を失い荒れることはあったものの、日常生活を脅かすことは起きませんでした。しかしある夜、エリアス伯父は酔って出かけ、帰ってきませんでした。そして、庭の小さな池に顔を入れ、うつ伏せた状態で死んでいるのが見つかりました。手紙が着いてから約2カ月後、1883年5月のことでした。
暴行の形跡はなく、普段の奇行を知っていた陪審団the juryは、自殺の評決verdictを下しました。
財産とホーシャムの屋敷を受け継いだとき、ジョンは父と一緒に屋根裏の物置部屋、そこにあった真鍮の箱を調べましたが、箱は空で、日記のようなノートが部屋にあった以外、めぼしいものはありませんでした。
オープンショー父子がホーシャムに移ってしばらくは穏やかに過ぎ、1885年の年明け、なんと父親宛てに五つのオレンジの種が届きました。消印はスコットランドのダンディー、封筒にはKKKの文字、その上にメッセージが記されていました。
Put the papers on the sundial
「書類を日時計の上に置け」
これはなんやねん!父親に、長く屋敷に住んでいたジョンは、庭に日時計があること、書類はエリアス伯父が焼き捨てたことを告げます。
We are in a civilized land here, and we can't have tomfoolery of this kind.
「ここは文明社会だ。こんな馬鹿げた行為は許されん」
警察に届けようと言ったジョンに、激昂した父親はNo, I forbid you許さん、何もせんでいい!と命じます。
その4日後、父親は友人の家からの帰り道、辺りに多くある白亜坑の1つに落ちているのが見つかり、頭蓋骨骨折が元で亡くなりました。
暴行の跡はなく、盗まれたものもなく、足跡も目撃者もなし。陪審員は不慮の事故死と評決を下しました。
それから2年8カ月、財産を相続したジョンのもとに昨日、五つのオレンジの種が送られてきたのです。メッセージは同じ。消印はロンドン東地区でした。すぐ警察に相談したものの、笑われるばかり。ホームズは警察の怠慢と不見識に叫びます。
Incredible imbecility!
「信じられん馬鹿さかげんだ!」
しかし警察はホーシャムの家に1人警官はつけてくれました。その後知り合いに話を聞いてもらい、やっとホームズに辿り着いたのでした。
さらに手掛かりはないかと訊かれてオープンショーは青みがかった紙を取り出します。エリアス伯父が焼却した時燃え残ったもののようだとのことでした。
4th. Hudson came. Same old platform.
7th. Set the pips on McCauley, Paramore, and John Swain, of St. Augustine.
9th. McCauley cleared.
10th. John Swain cleared.
12th. Visited Paramore. All well.
「4日、ハドソンが来た。同じ古い信条。
7日、オーガスティン通りのマッコリー、パラモア、ジョン・スウェインに種を送る。
9日、マッコリー去る
10日、ジョン・スウェイン去る。
12日、パラモアを訪問、全て順調」
この紙をくだんの真鍮の箱に入れ、他の書類はすべて伯父が燃やしたという説得力のあるメッセージを添えて日時計の上に置きなさい、とホームズは指示し、まだ9時前だから駅までの道に人は多く安全だと思うが気をつけるように、と念を押します。
I shall take your advice in every particular.
「あなたの指示は全て正確に行います」
銃を持っているというジョン・オープンショーは、ホームズに話を信じてもらい、励まされて、嵐の中を帰途に着きました。
ホームズはポンディシェリからの手紙の後、エリアスが死ぬまで2カ月、ダンディーの消印の手紙から4日後にジョン・オープンショーの父の死があったことから、殺人者たちは帆船で港から港へと移動しているのではと推理します。つまりロンドン東地区からの手紙を昨日受け取ったオープンショーには差し迫った危険があると。
百科事典にはK.K.Kの事が載っていました。Ku Klux Klanクー・クラックス・クラン。南北戦争後南軍の兵士により結成され、急速に勢力を伸ばした。黒人の投票を脅かしたり、反対勢力を追い出したりするのに暴力を使う。通常は先に警告が送られる。オークの小枝、メロンやオレンジの種。勇敢に立ち向かった者には死を免れないー。1869年に突如組織は崩壊したが、散発的に同種の事件の発生が見られる。
エリアス・オープンショーがアメリカを離れた時期はK.K.K崩壊の時期と重なっていました。そして焼却した書類は、追手にとってあっては困るものだと。ジョン・オープンショーは過酷な運命を背負ったのでした。
翌朝には嵐が去っていました。ホームズが調査に出ようとしていた矢先、新聞記事がー。
Holmes,you are too late.
ワトスンはうめきます。
オープンショーは昨夜の帰り道、テムズ河に落ちて死亡したー。見出しはウォータールー橋近くの悲劇、でした。
Holmes more depressed and shaken than I had ever seen him.
「ホームズがこれほど落胆し、動揺したのは見たことがない」
ホームズが口を開きます。
That hurts my pride, Watson,
「僕はプライドを傷つけられたよ、ワトスン」
That he should come to me for help, and that I should send him away to his death– –!
「助けを求めて僕のところに来たのに、死に追いやってしまった・・!」
運命に睨まれた子うさぎのように消沈してベイカー街を訪れた若者。ホームズの叱咤で生気が戻り、あなたの指示どおりやります、と握手して帰っていった姿が2人の脳裏に浮かんだでしょう。あからさまな失敗でした。
Well, Watson, we shall see who will win in the long run.
「ワトスン、最後に誰が勝つか見ていろってとこだ」
ホームズは単独で調査に出かけ、夜遅く帰ってきました。朝から何も食べてない、とガツガツとパンを頬張ります。その後、戸棚のオレンジを裂き、種を五つ取り出して封筒に突っ込みました。折り返しには
S.H. for J.O. 「J.Oに代わりS.H.」
と書き入れます。そして宛名にー
Captain James Calhoun, Bark Lone Star, Savannah, Georgia.
「サバナ、ジョージア州、ローンスター号、ジェイムズ・カルホーン船長」
ホームズはこのカルホーン船長に、オープンショー一族に送られたのと同じオレンジの種を送りつけようというのです。なぜ分かったのでしょうか。
船舶の情報が集まるロイズの事務所で記録を調べて、1883年の1月から2月にインド・ポンディシェリに接岸した船の記録を調べ、おおむねのトン数で絞り込む。その時点でローンスター号は目を引いていた。次にダンディーに1885年1月に入港した船を見ると、ローンスター号の名があった。この船は先週ロンドンに着いたことが分かり、ホームズが波止場に行ってみると、すでにアメリカのサバナに向けて出港していた。
ホームズはローンスター号の船長と2人の船員だけがアメリカ生まれで、昨夜船を離れたことを突き止め、オープンショー一族を襲った者たちだと断定し、先のような手紙を送ることにしたわけです。さらに現地の警察へ、殺人の重要指名手配犯だと電報を打っていました。
しかしー物語はこの後、たった一段落で終わっています。犯人が逮捕された、などの朗報は遂にありませんでした。
We did at last hear that somewhere far out in the Atlantic a shattered stern-post of the boat was seen swinging in the trough of a wave, with the letters "L. S." carved upon it
「最後に聞いたところでは、大西洋のはるかかなたで船尾材の破片が波間に揺れていた。その破片には「L.S.」と刻まれていたとのことだった」
・・いかがだったでしょうか。依頼人が来て、そして帰途に殺された日の秋分の嵐が、犯人たちの船を沈没させました。ストーリーとしての因果応報の使い方が上手だと思います。
対処を焦るあまり、雨の夜道の危険を読み違えた。明らかな失敗譚ですね。鮮烈な印象を残し、キレが早い分余韻が深い。
ホームズものは最初の長編「緋色の研究」はアメリカ大陸が発端、次の「四つの署名」はインドに謎を解くカギがありました。今回の物語はアメリカの、恐ろしく無慈悲な、実在の結社の話です。イギリスの、アメリカに対する意識のしかたも垣間見えますね。このように、イギリスの国際関係をネタにするというのもホームズシリーズの特徴です。
見えない、怖しい敵の存在は明らかにされないまま、というあり方は、私的には効果的だと思います。シリーズ中の短編のひとつとして黒めの異彩を放っています。
11月書評の5
日曜日は本屋に行ったらシャーロック・ホームズのパスティーシュが文庫で出てたので購入、中心地から西の湊川にある名画座で2本立て1300円。フィンランド🇫🇮の名監督アキ・カウリスマキ特集をやってて、観ていない「街のあかり」と2本めはアメリカ=西ドイツ映画「バグダッド・カフェ」だった。ミニシアターをちょっと広くしたような名画座は満席ではなかったものの席を探して潜り込む、くらいの混みよう。カウリスマキも「バグダッド・カフェ」も大人気。
「街のあかり」はバッド・エンドというか、芥川龍之介「芋粥」、ゴーゴリ「外套」の流れを汲むのか、負け組の男が負けっぱなしで、救いなく終わる。同監督の作品では最新作「希望のかなた」もバッドエンドではあったが最後に事件と救いはあった。しかし今回は負けて、ボコボコにされて、そのまま終わり。
「あれ、どういう意味があったん?」終演後、おじいさんに話しかけられた。たぶんではあるが、負け組を描く文化はあること、「浮き雲」や「過去のない男」は光が見えて終わるいい作品ですよ、と話した。「バグダッド・カフェ」は何の予備知識もなく、最初の30分は意味ある?まさかこのまま終わらんよね、と思っていたけども、とても明るい展開で、観る順番が逆じゃなくてよかったと思ったのでした。
アンケートや職員の作品説明では、コロナ等で苦しさがにじむ。また来るよう心がけることにした。名画座はホンマ貴重になってしまった。大毎地下が懐かしい。
夕方、三宮に戻り、最近オープンしたオシャレなケーキショップ「CONE(コーヌ)」さんのイートインでウィークエンドシトロン、という土日限定のケーキをエスプレッソでいただく。時間が遅くケーキはもう少なかった。次は人気だというカヌレやケーキのバリエーションを食べたいな。
しばらく三宮、居留地、トアロード界隈を歩き回る神戸ホームの私。陽が落ちてから時間に余裕を持って行動することが珍しく、ウロウロする。神戸もレトロ建築はすごく多い。大阪みたく建築のイベントやって欲しい。
金土日で映画4本。すでに劇場で月1本ペースを超え、今年中にあと観たいのが3本。TVや録画してみてないのを入れればもっと。
楽しい週末でした。
◼️ ティム・メジャー
「新シャーロック・ホームズの冒険」
がんばれパスティーシュ。現代と正典との距離感。ちなみに短編集ではなく長編です。
年間いくつも発表されているホームズのパスティーシュ、パロディ。読むたびに原作との距離を測る。この心の動きはなんだろう。後でまた触れます。
アビゲイル・ムーンという女性がホームズのもとを訪ねる。彼女はダミアン・コリンボーンというペンネームで売れっ子のミステリ作家だった。小説の被害者と見立てて観察していた初老の男、ロナルド・バイスウッドが、構想と同じように毒殺されてしまったという。やがてアビゲイルの創作ノートが盗まれて新聞社に送り付けられる。警察に追われるようになったアビゲイルを、ホームズとワトスンはベイカー街の部屋に匿うー。
ありえない状況の殺人。アビゲイル・ムーンというエキセントリックで頭脳明晰な女性作家が登場し、興味深い展開になる。つかみは刺激的で上々だ。
しばらく同居するようになったアビゲイルは、自分の方がホームズのボズウェル役にふさわしいんじゃなくて?とワトスンをいじめ苛む。切れ者で犯罪に詳しい女性推理作家ならば・・言われてみればそれもおもしろい、なんて想像してしまう。
アビゲイルの存在と謎の行方は・・どちらもはしごを外されたというか、肩透かしの感は正直あった。それとは別に、たぶんホームズ好きさんは、この種の作品を読むたびに、原作、正典との距離を考えると思う。
まあまず、売れっ子女性作家という異色の存在は正典ではありえず、解説にもあるように、この時代の女性の立場をも考えた意義深い付加というものだろうと思う。成り行きで同居することにもなり、ホームズは不自然なほどよりクールになり、アビゲイルが切れ者だからか、伝記作者のライバルが現れて発奮したからか、ワトスンはより引き立て役的要素が強く、これも不自然なほど、全般的によくしゃべる。
パスティーシュの面白みとして、正典に出てきた要素をどれだけ取り込むか、どれだけシャーロッキアンをふふっと微笑ませられるか、はもちろんいくつもある。パイプ三服分の問題、とか、構成が長編に似ているとか。他にもありそうだ。
パスティーシュ、パロディというのは、正典とそっくりなホームズ&ワトスンの冒険を描く、というばかりではなく、いかにもっと現代的、発展的におもしろくするか、ということに力点が置かれていることが多い。人気の高い長編「バスカヴィル家の犬」事件の年に同じロンドンで切り裂きジャック事件が発生するなど時代状況的に、ネタには事欠かない。ホームズ物語のサブキャラクター、政府で大きな権力を持つシャーロックの兄のマイクロフト、ホームズが唯一愛したと目されるアイリーン・アドラーらに魅力的な者たちに加え、出演させたら楽しいかも、という同時代の偉人たちも実に多い。
すでに様々な作品があまりにも多く存在する。個人的には、まあはっきり言うとミステリとして、たとえ物語としてややしょぼくても、パスティーシュやパロディは総体として、そのバリエーションを楽しむべきかなというスタンスだ。
今回は後で出てくるバイスウッドの趣味や、同時代の絵画にこだわった点が特徴的でこれもまた趣向のひとつだった。
私はホームズ短編の原文読みをしていて、いま26個めの「オレンジの種五つ」を読み終えたところ。ドイル=ワトスンは時制にルーズで、作中に「四つの署名」事件や「ボヘミアの醜聞」のアイリーン・アドラーを示唆する記述に関し矛盾がうかがわれることから、それぞれの事件の発生年の検討がシャーロッキアンの間でなされている。
パロディ・パスティーシュについて考える事が多いのも、学者、医者、有名作家を含む大の大人が時間をかけて架空の物語をずーーっと研究しているからこそ。また正典の世界観がしっかりしてるから。
世界を巻き込んだシャーロッキアン遊びを、私もまた、深く愛しているのです^_^
「街のあかり」はバッド・エンドというか、芥川龍之介「芋粥」、ゴーゴリ「外套」の流れを汲むのか、負け組の男が負けっぱなしで、救いなく終わる。同監督の作品では最新作「希望のかなた」もバッドエンドではあったが最後に事件と救いはあった。しかし今回は負けて、ボコボコにされて、そのまま終わり。
「あれ、どういう意味があったん?」終演後、おじいさんに話しかけられた。たぶんではあるが、負け組を描く文化はあること、「浮き雲」や「過去のない男」は光が見えて終わるいい作品ですよ、と話した。「バグダッド・カフェ」は何の予備知識もなく、最初の30分は意味ある?まさかこのまま終わらんよね、と思っていたけども、とても明るい展開で、観る順番が逆じゃなくてよかったと思ったのでした。
アンケートや職員の作品説明では、コロナ等で苦しさがにじむ。また来るよう心がけることにした。名画座はホンマ貴重になってしまった。大毎地下が懐かしい。
夕方、三宮に戻り、最近オープンしたオシャレなケーキショップ「CONE(コーヌ)」さんのイートインでウィークエンドシトロン、という土日限定のケーキをエスプレッソでいただく。時間が遅くケーキはもう少なかった。次は人気だというカヌレやケーキのバリエーションを食べたいな。
しばらく三宮、居留地、トアロード界隈を歩き回る神戸ホームの私。陽が落ちてから時間に余裕を持って行動することが珍しく、ウロウロする。神戸もレトロ建築はすごく多い。大阪みたく建築のイベントやって欲しい。
金土日で映画4本。すでに劇場で月1本ペースを超え、今年中にあと観たいのが3本。TVや録画してみてないのを入れればもっと。
楽しい週末でした。
◼️ ティム・メジャー
「新シャーロック・ホームズの冒険」
がんばれパスティーシュ。現代と正典との距離感。ちなみに短編集ではなく長編です。
年間いくつも発表されているホームズのパスティーシュ、パロディ。読むたびに原作との距離を測る。この心の動きはなんだろう。後でまた触れます。
アビゲイル・ムーンという女性がホームズのもとを訪ねる。彼女はダミアン・コリンボーンというペンネームで売れっ子のミステリ作家だった。小説の被害者と見立てて観察していた初老の男、ロナルド・バイスウッドが、構想と同じように毒殺されてしまったという。やがてアビゲイルの創作ノートが盗まれて新聞社に送り付けられる。警察に追われるようになったアビゲイルを、ホームズとワトスンはベイカー街の部屋に匿うー。
ありえない状況の殺人。アビゲイル・ムーンというエキセントリックで頭脳明晰な女性作家が登場し、興味深い展開になる。つかみは刺激的で上々だ。
しばらく同居するようになったアビゲイルは、自分の方がホームズのボズウェル役にふさわしいんじゃなくて?とワトスンをいじめ苛む。切れ者で犯罪に詳しい女性推理作家ならば・・言われてみればそれもおもしろい、なんて想像してしまう。
アビゲイルの存在と謎の行方は・・どちらもはしごを外されたというか、肩透かしの感は正直あった。それとは別に、たぶんホームズ好きさんは、この種の作品を読むたびに、原作、正典との距離を考えると思う。
まあまず、売れっ子女性作家という異色の存在は正典ではありえず、解説にもあるように、この時代の女性の立場をも考えた意義深い付加というものだろうと思う。成り行きで同居することにもなり、ホームズは不自然なほどよりクールになり、アビゲイルが切れ者だからか、伝記作者のライバルが現れて発奮したからか、ワトスンはより引き立て役的要素が強く、これも不自然なほど、全般的によくしゃべる。
パスティーシュの面白みとして、正典に出てきた要素をどれだけ取り込むか、どれだけシャーロッキアンをふふっと微笑ませられるか、はもちろんいくつもある。パイプ三服分の問題、とか、構成が長編に似ているとか。他にもありそうだ。
パスティーシュ、パロディというのは、正典とそっくりなホームズ&ワトスンの冒険を描く、というばかりではなく、いかにもっと現代的、発展的におもしろくするか、ということに力点が置かれていることが多い。人気の高い長編「バスカヴィル家の犬」事件の年に同じロンドンで切り裂きジャック事件が発生するなど時代状況的に、ネタには事欠かない。ホームズ物語のサブキャラクター、政府で大きな権力を持つシャーロックの兄のマイクロフト、ホームズが唯一愛したと目されるアイリーン・アドラーらに魅力的な者たちに加え、出演させたら楽しいかも、という同時代の偉人たちも実に多い。
すでに様々な作品があまりにも多く存在する。個人的には、まあはっきり言うとミステリとして、たとえ物語としてややしょぼくても、パスティーシュやパロディは総体として、そのバリエーションを楽しむべきかなというスタンスだ。
今回は後で出てくるバイスウッドの趣味や、同時代の絵画にこだわった点が特徴的でこれもまた趣向のひとつだった。
私はホームズ短編の原文読みをしていて、いま26個めの「オレンジの種五つ」を読み終えたところ。ドイル=ワトスンは時制にルーズで、作中に「四つの署名」事件や「ボヘミアの醜聞」のアイリーン・アドラーを示唆する記述に関し矛盾がうかがわれることから、それぞれの事件の発生年の検討がシャーロッキアンの間でなされている。
パロディ・パスティーシュについて考える事が多いのも、学者、医者、有名作家を含む大の大人が時間をかけて架空の物語をずーーっと研究しているからこそ。また正典の世界観がしっかりしてるから。
世界を巻き込んだシャーロッキアン遊びを、私もまた、深く愛しているのです^_^
11月書評の5
この土日は3/4くらい神戸の街にいたような気がする。神戸の中心は三宮(さんのみや)、とその西隣の元町、もひとつ先のJR神戸駅付近まで。
金曜日は、TVで本屋大賞作品が原作の「そして、バトンは渡された」を観て、深夜バスケット🏀日本代表vsバーレーンのLIVEを観た。河村勇輝は20得点の活躍で快勝。
翌日土曜日は三宮のブックオフに行って長野まゆみの本を買って、前から食べたかったシンガポール🇸🇬チキンライスを美味しくいただいて、元町映画館で舞台挨拶つき「やまぶき」初回を観て気持ちよく帰った。
竹馬の友が神戸に来てて、もてなしは大丸近くの「蛸の壺」で明石焼き。たまご焼きと五目焼きに大餅ターピンや包餅パオピン。たこわさ、南京町という中華街もあり、神戸でも名物の餃子などなど。頼みすぎて蛸飯おにぎりは見送り。やあっぱ、たまには蛸の壺で明石焼き食べないかんなぁ〜、大好き。福岡話、互いの受験話などに花が咲きました。友だちはいいものです。
◼️ 武光誠「名字と日本人」
日本人の名字は、中世以来の伝統を背負っている。雑学として興味あるテーマですね。
きっかけは友人と、この名字はどの地方に多い、と話していたことだった。たまたまこの本が目に入り、パラパラとめくったところ、話していた相手の、ちょっと変わった名字が目に入って、ほう、と読むことにした。
名字というものの起こり、姓、苗字、日本人に多い鈴木さんの由来、その他さまざまな名字の歴史的な成り立ち、海外の名字の捉え方から自分の系図作りまで、名字に関する解説が詰まっている。
本の芯の1つは、現代の名字への誤解を解くこと。名字をつけなさい、という明治政府の命令が出て、その時に名字がなかった農民が、アレコレ考えたり名主さんにつけてもらったりしたテキトーな名字が大半なのでは、と思う向きが強いかも知れないが、そうではない、大半の名字は中世以来の伝統がある、というもの。
著者は、現在の日本人の約七、八割がもつ名字は鎌倉時代の武士がもっていたものと同じ名称だと言い切っている。
名字のオリジンを明確にするのは難しい。天智天皇の時代に与えられたの姓(かばね)を元とする名字もある、平安時代は源平藤橘などの姓がおおもとで、一族の中で区別をつけるために通称をつけることは多かった。佐藤、伊藤、などは藤原氏から分かれたもの。また土地などから自然発生した名字のようなものもあった。名字は鎌倉時代から全国へ広まっていく。御家人は領地を与えられて全国へと散って行った。名字は室町時代には農民層にまで広がったという。
記録を調べると、実は農民の大半も通常使う名字を持っていたことが分かるとのこと。細かい身分があり、下層の農民は名字を名乗らせてもらえなかったなどの例はあるが、通称でもある名字を持っていたことの方が普通のようだ。もちろん明治の初めに農民の一部や僧などが考え出した珍名を名乗ったことはあるが、この段階で名字がなかった者の割合は一割ていどだったのでは、と推測している。
本名はあるものの、名字への意識は絶対ではなく、歴史的には名字を変えるというのは頻繁に出てくるし、幕末の志士のように、安全のためもあってか、たくさんの変名を使い分けた者も多い。しかしながら名字がない、ということは少なかったとのこと。
海外の名字の例も面白い。そもそも日本は29万種類もの名字がある。それに比して海外は少ない。キリスト教関連の限られた名前から選んだり、オリエントでは自分の名前に続けて父親、祖父の名前を名乗るのが習慣だったりする。ヨーロッパでは貴族のように立派すぎない名字、例えばピーターの息子、からピーターソン(ジョンソンもその系統らしい)、職業、例えばカーター(大工)などいう名字が発生したとか。
ブラジルでは名字の数が少ないからサッカー選手はジーコやドゥンガなどサッカーネームが多い、ということは知ってたが、なるほど、と思いを新たにした。
ちょっと情報量が多くてすべてを消化できたわけではなかったし、読むのに時間がかかったかな。
友人の珍しい名字は、七世紀末、天智天皇の時に定められた姓から来ているとか。
私の名字は総人口の22%に当たるという上位100位にも入っておらず、たくさんの名字が出てくるこの本にいっこも出てこず。だいたい学校に1人はいるけど2人まではあんまりいないよね、というものなのでした。。ちょっと寂しい笑。
金曜日は、TVで本屋大賞作品が原作の「そして、バトンは渡された」を観て、深夜バスケット🏀日本代表vsバーレーンのLIVEを観た。河村勇輝は20得点の活躍で快勝。
翌日土曜日は三宮のブックオフに行って長野まゆみの本を買って、前から食べたかったシンガポール🇸🇬チキンライスを美味しくいただいて、元町映画館で舞台挨拶つき「やまぶき」初回を観て気持ちよく帰った。
竹馬の友が神戸に来てて、もてなしは大丸近くの「蛸の壺」で明石焼き。たまご焼きと五目焼きに大餅ターピンや包餅パオピン。たこわさ、南京町という中華街もあり、神戸でも名物の餃子などなど。頼みすぎて蛸飯おにぎりは見送り。やあっぱ、たまには蛸の壺で明石焼き食べないかんなぁ〜、大好き。福岡話、互いの受験話などに花が咲きました。友だちはいいものです。
◼️ 武光誠「名字と日本人」
日本人の名字は、中世以来の伝統を背負っている。雑学として興味あるテーマですね。
きっかけは友人と、この名字はどの地方に多い、と話していたことだった。たまたまこの本が目に入り、パラパラとめくったところ、話していた相手の、ちょっと変わった名字が目に入って、ほう、と読むことにした。
名字というものの起こり、姓、苗字、日本人に多い鈴木さんの由来、その他さまざまな名字の歴史的な成り立ち、海外の名字の捉え方から自分の系図作りまで、名字に関する解説が詰まっている。
本の芯の1つは、現代の名字への誤解を解くこと。名字をつけなさい、という明治政府の命令が出て、その時に名字がなかった農民が、アレコレ考えたり名主さんにつけてもらったりしたテキトーな名字が大半なのでは、と思う向きが強いかも知れないが、そうではない、大半の名字は中世以来の伝統がある、というもの。
著者は、現在の日本人の約七、八割がもつ名字は鎌倉時代の武士がもっていたものと同じ名称だと言い切っている。
名字のオリジンを明確にするのは難しい。天智天皇の時代に与えられたの姓(かばね)を元とする名字もある、平安時代は源平藤橘などの姓がおおもとで、一族の中で区別をつけるために通称をつけることは多かった。佐藤、伊藤、などは藤原氏から分かれたもの。また土地などから自然発生した名字のようなものもあった。名字は鎌倉時代から全国へ広まっていく。御家人は領地を与えられて全国へと散って行った。名字は室町時代には農民層にまで広がったという。
記録を調べると、実は農民の大半も通常使う名字を持っていたことが分かるとのこと。細かい身分があり、下層の農民は名字を名乗らせてもらえなかったなどの例はあるが、通称でもある名字を持っていたことの方が普通のようだ。もちろん明治の初めに農民の一部や僧などが考え出した珍名を名乗ったことはあるが、この段階で名字がなかった者の割合は一割ていどだったのでは、と推測している。
本名はあるものの、名字への意識は絶対ではなく、歴史的には名字を変えるというのは頻繁に出てくるし、幕末の志士のように、安全のためもあってか、たくさんの変名を使い分けた者も多い。しかしながら名字がない、ということは少なかったとのこと。
海外の名字の例も面白い。そもそも日本は29万種類もの名字がある。それに比して海外は少ない。キリスト教関連の限られた名前から選んだり、オリエントでは自分の名前に続けて父親、祖父の名前を名乗るのが習慣だったりする。ヨーロッパでは貴族のように立派すぎない名字、例えばピーターの息子、からピーターソン(ジョンソンもその系統らしい)、職業、例えばカーター(大工)などいう名字が発生したとか。
ブラジルでは名字の数が少ないからサッカー選手はジーコやドゥンガなどサッカーネームが多い、ということは知ってたが、なるほど、と思いを新たにした。
ちょっと情報量が多くてすべてを消化できたわけではなかったし、読むのに時間がかかったかな。
友人の珍しい名字は、七世紀末、天智天皇の時に定められた姓から来ているとか。
私の名字は総人口の22%に当たるという上位100位にも入っておらず、たくさんの名字が出てくるこの本にいっこも出てこず。だいたい学校に1人はいるけど2人まではあんまりいないよね、というものなのでした。。ちょっと寂しい笑。
2022年11月13日日曜日
11月書評の4
山吹の立ちよそひたる山清水
くみに行かめど 道の知らなく 高市皇子 万葉集
やまぶきは裏山の方へ犬の散歩に行った時初めて見つけた。1本だけのつる、リアル山吹色の花には感じるものがあった。たしかに地味ではある。
映画「やまぶき」を観に行ってきました。
カンヌ国際映画祭の、先鋭的な作品を紹介するACID部門に日本映画で初めて出品を果たした。このことと、やまぶきのイメージ、チラシのビジュアルに惹かれました。
舞台は岡山県の郊外。かつて乗馬のエリート選手で不運に見舞われ続ける男、ユン・チャンスと戦争反対のプラカードを持って立つ、サイレントスタンディングに参加し続ける女子高校生、やまぶき。2つの物語が薄く交差します。
先鋭的と言いつつも、分からないところはほぼないです。まったく別のストーリーには社会的、政治的な要素をにじませていますが強くはありません。ユーモラスな場面も散りばめられています。
2つのお話しには、噛み合いがいいというか、1本として観た時にすっと落ちるものがあり、またノイズのように響いてくるものがいい深みとなっています。カメラワークも好ましい凝り方でギリシャのテオ・アンゲロプロスや、ウッディ・アレンを思い出しました。何というか、撮るものから暗示が立ち上るというか、チャンスの働く採石場の撮り方からもうイヤな予感しかしないし😎
チラシのシーンはなかなかしびれました!マレーネ・ディートリッヒ「モロッコ」を思い起こすような絵。映画らしい、映画愛あふれる作品でした。
上映後舞台挨拶があり、山﨑樹一郎監督、ヒロインの祷(いのり)キララさん、ヒロインの彼氏役の黒住尚生さんが登壇しました。
実を言うと、舞台挨拶はかなり久しぶりで、距離の近いミニシアターなのでテンション上がりました。劇中では憂いのある表情が多いキララさんはニコニコしていて、ギャップにやられてしまいました。
パンフを買ってサイン会にも参加。監督には、思ったこと、若いころ単館系の映画はぜんぶ楽しかったけど、最近は感覚的なズレを感じていた。でもきょうは、通じたよ、と思い切って伝えました。キララさんにはあのチラシの場面良かったよーと話しました。映画の主演女優さんとこんな至近距離で話すなんて、舞い上がったのなんのって。黒住さんからはパンフ絶対読んでください!と。はい、今から読みます。
楽しい映画行でした。ヒロインさんに頼まれたからには、大いにPRしなきゃ😆😆
ぜひ「やまぶき」観ましょうd(^_^o)
「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督が評している通り、「どうにも解きほぐせない現実を前にして、できることは極めて少ない。行動や言葉の実効性には疑問符がつく」ことを実感し、最後に光も見える作品です。
感性を全開にして、観てみませんか。
◼️ デイヴィッド・グーディス
「ピアニストを撃て」
哀切、人間の本性・・激しく虚しいトリュフォー映画の原作。
かなり昔、谷村新司が「ピアニストは撃たないで」という曲を歌っていた。耳慣れないフレーズが唐突に出て来たから、これは多分映画か舞台のタイトルかセリフにでもあるのかな・・と思ってそのままにしていた。やっと長い間の謎に踏み込んだ思い。不思議なもんです。
フィラデルフィア、ポート・リッチモンド地区にある場末の酒場、そこでピアノを弾いているエディのもとに、兄のターリーが転がり込む。ターリーは強面の男たちに追われていた。ターリーはエディに、なぜ正装をして、満席のコンサートホールにいない、と大声で問い、逃亡する。エディはターリーを助けようと思わず追手の2人組の邪魔をして、巻き込まれていくー。
エディは故郷のサウス・ジャージーで音楽の才能を見込まれ、苦労の末華々しくデビューしたクラシックピアニストだった。しかし妻をめぐるトラブルで落ちぶれ、酒場にたどり着いて、人生の目的もなく日々を過ごしていた。長兄クリフトンと次兄ターリーの2人は悪童が長じてヤバい商売に手を出していた。
酒場のハリエットとその夫で元プロレスラーのプライン、エディを助けるウェイトレスのレナ、どこか間抜けでかけ合いを繰り広げる追手のフェザーとモーリス、エディと同じ下宿の娼婦クラリスら、激しく闘うエディを取り巻く者たちもキャラが立ち、物語を盛り上げる。
グーディスは本国での評価はそれほどでもないが、フランスで大変な人気を博したそうだ。そのガラスのような心のうちと、家系的な暴力を好む本性、やさぐれてクールな他者との関係性を丁寧に描写している筆致には、何となく感じるものがある。虚無に近い哀愁、転落した英雄の再生、ハードなバイオンスはアメリカっぽい感じもするけども。
開拓時代、アメリカ西部の酒場には「どうかピアニストを撃たないでください」という貼り紙があったそうだ。原題「Down There」がフランスで翻訳刊行される時、このエピソードをひっくり返してシャレでつけられたタイトルだとか。トリュフォーは「大人はわかってくれない」に続く長編第2作として映画化したらしい。
このタイトルはなぜか刺さるものがある。大きなホールでピアノを弾いているところをスナイパーが狙っている場面を想像していたので物語はかなり違った。でも心に残るものがある作品だった。
映画も、いつか観ようかな。
くみに行かめど 道の知らなく 高市皇子 万葉集
やまぶきは裏山の方へ犬の散歩に行った時初めて見つけた。1本だけのつる、リアル山吹色の花には感じるものがあった。たしかに地味ではある。
映画「やまぶき」を観に行ってきました。
カンヌ国際映画祭の、先鋭的な作品を紹介するACID部門に日本映画で初めて出品を果たした。このことと、やまぶきのイメージ、チラシのビジュアルに惹かれました。
舞台は岡山県の郊外。かつて乗馬のエリート選手で不運に見舞われ続ける男、ユン・チャンスと戦争反対のプラカードを持って立つ、サイレントスタンディングに参加し続ける女子高校生、やまぶき。2つの物語が薄く交差します。
先鋭的と言いつつも、分からないところはほぼないです。まったく別のストーリーには社会的、政治的な要素をにじませていますが強くはありません。ユーモラスな場面も散りばめられています。
2つのお話しには、噛み合いがいいというか、1本として観た時にすっと落ちるものがあり、またノイズのように響いてくるものがいい深みとなっています。カメラワークも好ましい凝り方でギリシャのテオ・アンゲロプロスや、ウッディ・アレンを思い出しました。何というか、撮るものから暗示が立ち上るというか、チャンスの働く採石場の撮り方からもうイヤな予感しかしないし😎
チラシのシーンはなかなかしびれました!マレーネ・ディートリッヒ「モロッコ」を思い起こすような絵。映画らしい、映画愛あふれる作品でした。
上映後舞台挨拶があり、山﨑樹一郎監督、ヒロインの祷(いのり)キララさん、ヒロインの彼氏役の黒住尚生さんが登壇しました。
実を言うと、舞台挨拶はかなり久しぶりで、距離の近いミニシアターなのでテンション上がりました。劇中では憂いのある表情が多いキララさんはニコニコしていて、ギャップにやられてしまいました。
パンフを買ってサイン会にも参加。監督には、思ったこと、若いころ単館系の映画はぜんぶ楽しかったけど、最近は感覚的なズレを感じていた。でもきょうは、通じたよ、と思い切って伝えました。キララさんにはあのチラシの場面良かったよーと話しました。映画の主演女優さんとこんな至近距離で話すなんて、舞い上がったのなんのって。黒住さんからはパンフ絶対読んでください!と。はい、今から読みます。
楽しい映画行でした。ヒロインさんに頼まれたからには、大いにPRしなきゃ😆😆
ぜひ「やまぶき」観ましょうd(^_^o)
「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督が評している通り、「どうにも解きほぐせない現実を前にして、できることは極めて少ない。行動や言葉の実効性には疑問符がつく」ことを実感し、最後に光も見える作品です。
感性を全開にして、観てみませんか。
◼️ デイヴィッド・グーディス
「ピアニストを撃て」
哀切、人間の本性・・激しく虚しいトリュフォー映画の原作。
かなり昔、谷村新司が「ピアニストは撃たないで」という曲を歌っていた。耳慣れないフレーズが唐突に出て来たから、これは多分映画か舞台のタイトルかセリフにでもあるのかな・・と思ってそのままにしていた。やっと長い間の謎に踏み込んだ思い。不思議なもんです。
フィラデルフィア、ポート・リッチモンド地区にある場末の酒場、そこでピアノを弾いているエディのもとに、兄のターリーが転がり込む。ターリーは強面の男たちに追われていた。ターリーはエディに、なぜ正装をして、満席のコンサートホールにいない、と大声で問い、逃亡する。エディはターリーを助けようと思わず追手の2人組の邪魔をして、巻き込まれていくー。
エディは故郷のサウス・ジャージーで音楽の才能を見込まれ、苦労の末華々しくデビューしたクラシックピアニストだった。しかし妻をめぐるトラブルで落ちぶれ、酒場にたどり着いて、人生の目的もなく日々を過ごしていた。長兄クリフトンと次兄ターリーの2人は悪童が長じてヤバい商売に手を出していた。
酒場のハリエットとその夫で元プロレスラーのプライン、エディを助けるウェイトレスのレナ、どこか間抜けでかけ合いを繰り広げる追手のフェザーとモーリス、エディと同じ下宿の娼婦クラリスら、激しく闘うエディを取り巻く者たちもキャラが立ち、物語を盛り上げる。
グーディスは本国での評価はそれほどでもないが、フランスで大変な人気を博したそうだ。そのガラスのような心のうちと、家系的な暴力を好む本性、やさぐれてクールな他者との関係性を丁寧に描写している筆致には、何となく感じるものがある。虚無に近い哀愁、転落した英雄の再生、ハードなバイオンスはアメリカっぽい感じもするけども。
開拓時代、アメリカ西部の酒場には「どうかピアニストを撃たないでください」という貼り紙があったそうだ。原題「Down There」がフランスで翻訳刊行される時、このエピソードをひっくり返してシャレでつけられたタイトルだとか。トリュフォーは「大人はわかってくれない」に続く長編第2作として映画化したらしい。
このタイトルはなぜか刺さるものがある。大きなホールでピアノを弾いているところをスナイパーが狙っている場面を想像していたので物語はかなり違った。でも心に残るものがある作品だった。
映画も、いつか観ようかな。
11月書評の3
皆既月食は、この上ないコンディションで観ることができた。赤暗い月は月食の時にしか観られない。気温が低く空気が冴えて、きれい。
西から斜めに木星、赤黒い皆既食中の月、赤い火星の並びは壮観。もう2度と観られないだろう。
大昔まだ可愛かった姉が月食を実家の2階から観ていて、心を奪われたように
「きれいー・・」と呟いた、その声を月食のたびに想い出す。
夜に浮かぶ、丸く、隠された光を持った赤。熾火のような色形、あわいのおぼろな点線の輪郭は写真やテレビでは撮れない。人間の眼で観る方が、今夜は神秘的。じっと観てると不思議な力を授かりそうやね。
◼️ 幸田文「木」
稀代のエッセイスト、幸田文の遺著。木にまつわる味わい深い文章たち。
1971年から1984年まで「學鎧」に飛び飛びに掲載された15のエッセイ。いやーほんと幸田文のことば、文は日本語の勉強になり、独特の調子、テンポが心地よい。
えぞ松、想い出の藤、ひのき、そして屋久杉。各地で取材を行なっている。その1つひとつに心に生まれるものがあり、またこだわりがあり、おもしろい。
冒頭の、富良野の、東大演習林を見学し、倒木の上に育つえぞ松、その若木をさわり、唐木の湿りにも手をやり、腐食した木肌をむしってみる。そして生死の継ぎ目と数百年の森の移り変わりに思いを馳せる。ここは、星野道夫がアラスカの森について描写したくだりを思い出させる。
2話めの藤には、父・幸田露伴にさんざんに叱られた想い出が述べられる。露伴は子どもたち1人1人に木を与えたという。蜜柑、柿、桜や椿をそれぞれが持ち、関心を向けるように仕向け、花も実も持ち主が自由にしてよかった。また、葉を取ってきて何の木か当てさせたり、いぬえんじゅ、猫やなぎ、ねずみもちの名前の理由を話したり、蓮の花は咲くときに本当にポンと音がするのか試してみる気はないかと誘いかけたりしたそうだ。そりゃ詳しくもなろうというものだ。
で、露伴は文に金を持たせて娘、いまのエッセイストの青木玉を連れて縁日で好きな花でも木でも買ってやれ、と行かせたのだが、とてもいい藤が欲しいと言ったのに高級品だからと買ってやらなかった。帰ってきて露伴はさあ怒ったー。
3話めはひのき。よき木材となる檜で育ちが悪いものはアテと呼ばれ、最も悪い木とされている、というのに反発する。
さんざ辛い目を我慢して頑張ってきたというのに、そんなにけなしつけるとはあんまりひどい、そんならアテがどんなに役立たずの厄介ものか、見せてもらえまいか、と頼み込む。
同行の人はこりゃ珍しいことを聞くものだ、とこの無理押しを、半分はおもしろい、半分は興味深く受け止めて手配をし、ついに製材所で著者はアテが電気ノコギリで切断される、挽かれるところを見る。その、たちの悪さの描写は、生々しいエネルギーにあふれていて、まるでヘミングウェイが「陽はまた昇る」で牛追い祭りを生命感の象徴としたことと同じような躍動をもを感じさせる。こだわりが生んだ猛々しさ。面白い、おもしろい。
そして幸田文は念願の、屋久島の縄文杉を見に行く。樹齢7200年の杉を見た時、どう感じたか、どう表現したか?ぜひ読んでみてください。
藤波、さくら紅葉、ばさけた、ひよひよと、などならではの味わい深い、語感の良いことばも多い。幸田文のエッセイはまた、マイフェイバリットだ。次はきものを、また読みたいな。
西から斜めに木星、赤黒い皆既食中の月、赤い火星の並びは壮観。もう2度と観られないだろう。
大昔まだ可愛かった姉が月食を実家の2階から観ていて、心を奪われたように
「きれいー・・」と呟いた、その声を月食のたびに想い出す。
夜に浮かぶ、丸く、隠された光を持った赤。熾火のような色形、あわいのおぼろな点線の輪郭は写真やテレビでは撮れない。人間の眼で観る方が、今夜は神秘的。じっと観てると不思議な力を授かりそうやね。
◼️ 幸田文「木」
稀代のエッセイスト、幸田文の遺著。木にまつわる味わい深い文章たち。
1971年から1984年まで「學鎧」に飛び飛びに掲載された15のエッセイ。いやーほんと幸田文のことば、文は日本語の勉強になり、独特の調子、テンポが心地よい。
えぞ松、想い出の藤、ひのき、そして屋久杉。各地で取材を行なっている。その1つひとつに心に生まれるものがあり、またこだわりがあり、おもしろい。
冒頭の、富良野の、東大演習林を見学し、倒木の上に育つえぞ松、その若木をさわり、唐木の湿りにも手をやり、腐食した木肌をむしってみる。そして生死の継ぎ目と数百年の森の移り変わりに思いを馳せる。ここは、星野道夫がアラスカの森について描写したくだりを思い出させる。
2話めの藤には、父・幸田露伴にさんざんに叱られた想い出が述べられる。露伴は子どもたち1人1人に木を与えたという。蜜柑、柿、桜や椿をそれぞれが持ち、関心を向けるように仕向け、花も実も持ち主が自由にしてよかった。また、葉を取ってきて何の木か当てさせたり、いぬえんじゅ、猫やなぎ、ねずみもちの名前の理由を話したり、蓮の花は咲くときに本当にポンと音がするのか試してみる気はないかと誘いかけたりしたそうだ。そりゃ詳しくもなろうというものだ。
で、露伴は文に金を持たせて娘、いまのエッセイストの青木玉を連れて縁日で好きな花でも木でも買ってやれ、と行かせたのだが、とてもいい藤が欲しいと言ったのに高級品だからと買ってやらなかった。帰ってきて露伴はさあ怒ったー。
3話めはひのき。よき木材となる檜で育ちが悪いものはアテと呼ばれ、最も悪い木とされている、というのに反発する。
さんざ辛い目を我慢して頑張ってきたというのに、そんなにけなしつけるとはあんまりひどい、そんならアテがどんなに役立たずの厄介ものか、見せてもらえまいか、と頼み込む。
同行の人はこりゃ珍しいことを聞くものだ、とこの無理押しを、半分はおもしろい、半分は興味深く受け止めて手配をし、ついに製材所で著者はアテが電気ノコギリで切断される、挽かれるところを見る。その、たちの悪さの描写は、生々しいエネルギーにあふれていて、まるでヘミングウェイが「陽はまた昇る」で牛追い祭りを生命感の象徴としたことと同じような躍動をもを感じさせる。こだわりが生んだ猛々しさ。面白い、おもしろい。
そして幸田文は念願の、屋久島の縄文杉を見に行く。樹齢7200年の杉を見た時、どう感じたか、どう表現したか?ぜひ読んでみてください。
藤波、さくら紅葉、ばさけた、ひよひよと、などならではの味わい深い、語感の良いことばも多い。幸田文のエッセイはまた、マイフェイバリットだ。次はきものを、また読みたいな。
2022年11月7日月曜日
11月書評の2
このページのプロフのクッキー画像を変えようとしたのだが、昔のメアドで登録して、いまはGoogleのメールを使っているからか、変なふうになってうまくいかない笑。誰かなんとかしてっ。
上弦の半月と木星の接近。あさって皆既月食 lunar eclipse 曇りませんように。
天気良かったけどどこも行ってないっす。前週まで歩き回りすぎてかかとが痛いし。
地元には支線の鉄橋をくぐる河川公園ロードがあり、柵らしきものすらなく、すぐ目の前を3両電車が走っていく。いつもジブリみたいだなあと思ったりする。久しぶりにの〜んびり、かかとに負担がかからないよう歩いた。
先にノーベル文学賞をとったアニー・エルノーの代表作とやらを購入。不倫。赤裸々な記述で反響を呼んだ衝撃作らしい。どれどれ。でもね、この分野は大人として思うけど、小説と現実とはかなり違う部分かな。でも日本の一部の作家が試みているような赤裸々のしかたもどうもね、と思ったりする。まあいいや。
先日観た映画のテーマを歌っていたyamaという仮面アーティストをテレビで観て検索。J-POPは先日もタレントの誰かがいいと言っていたamazarashiを聴いたり、ベリーグッドマンを聴いてみたり。探す作業が楽しい。若い才能は観たいよね。同じ番組では稲垣潤一がまだドラム叩きながらドラマティック・レイン歌ってはりました。
⚾️早慶戦を観る。ライオンズドラ1の蛭間を見とかなだし。で、モーツァルトのピアノ協奏曲20番を、内田光子→ラドゥ・ルプー→リリー・クラウス→マルタ・アルゲリッチの順に聴き比べる。
ピアノ🎹の入りのところ、内田光子は、独特の丸い音で、緊張感をみなぎらせて、これ以上なくデリケートに入る。しかし他の奏者は違って、けっこうフレーズで訴える、突き刺すように入るのでふうむ、となる。ルプーは強いところは強く、しかし音に深みがあり、決して急がず思索的。
20番は、モーツァルトには珍しくデモーニッシュな曲調だ。リリー・クラウスは明るい部分を持ち前のチャーミングさで立て、暗く妖しいメロディーとのギャップを際立たせている。アルゲリッチさんは、ダイナミズムと繊細さ、甘さを組み合わせて聴かせる演奏。しかも聴かせようとしているのではなくて、ピアニズムを強く発信している感じがする。
堀辰雄の短編集を読んだりするとまた、なんか感性のたがを外して、見るもの聴くものを更地の心に感じたくなることがある。
なあんて、読み飛ばしてください。でも、誰しも、一瞬感じたことの膨大な積み重ねがあって、大部分は通り過ぎてしまう。そのうち少しでも書いておきたいな、と思うのです。秋のもの想い😎
◼️ 堀辰雄「羽ばたき」
有名作以外の堀辰雄。新鮮な印象の短編集。
堀辰雄と言えば「風立ちぬ」「聖家族」「美しい村」「菜穂子」といったところだろうか。表現も物語もどこか西洋風な色彩感の強い、秋がよく似合うような筆致のイメージだ。さらりとした文調が特徴でもある。
今回は大正15年、1926年から昭和11年、1936年の短編、堀辰雄が22歳から32歳まで書いた、ごく短いものを集めた作品集。水、母親、子ども、妖精、死などをキーワードにしたファンタジー、また師匠芥川龍之介と恋人片山廣子、堀が恋した廣子の娘・総子との交遊を匂わせる作品も入っている。
どれも興味深い。5つ歳上の川端康成とも交友をよくしたとのことだが、似ているな、と思わないこともない。川端も浅草を舞台とした作品があり、堀の作品たちにも頻繁に浅草は出てくるが、綿密な取材を窺わせ、その時代の今を切り取る川端よりもやっぱり堀の文章の方がモダンに映る。
特に印象に残ったのは、思い出も消せる舶来のゴム消しを入手して上向きになる男の話「夕暮」。浅草公園にいるジュゴンを気に入る男「ジゴンと僕」、有名作につながっているような雰囲気を持つ、少女ザザの小さな話「魔法のかかった丘」だろうか。会話が初々しいカップルの「あいびき」もなかなか。
表題作「羽ばたき」はジジとキキという少年が出てくる、鮮烈な破滅の小説という感じ。スタジオジブリの「魔女の宅急便」の、主人公の少女キキとその相棒の黒猫ジジ、というのはこの作品にちなんでいるとのこと。
ふむふむ。ジブリの「風立ちぬ」は、主軸の戦闘機設計の話と並行した、主人公と恋人のストーリーに、堀辰雄のエッセンスが大いに取り込まれている。やっぱり女の名前は菜穂子なんだな、絵を描くんだなとかなり宮崎駿の傾倒ぶりを感じたが、今回でさらに強まった。
収録された22篇と解説は、私の堀辰雄の理解に大きく役立った。後期、と言っていいのか分からないが、名作群につながる洗練されたタッチ、実際泥くささ、人間くささをあまり感じない描き方で行間に人の情や異常性と理性、その中間をにじませたりする。その萌芽を眼にした気がする。
堀辰雄はおもしろい。まだあるならもっと読みたい。
◼️いせひでこ「ルリユールおじさん」
パリの小さな物語。大事な本の、修復のお話。
いせひでこさんにはインスパイアされることが多い。バランスと、閃きを見るというのか、この作品も、愛せる題材を取材し、ゆっくりとムリなく創っている。
パリ、ある日、小さな女の子ソフィーの大事な木の図鑑、そのページがバラけてしまう。ソフィーは街に出て、直してくれるところを探す。ルリユールにいってごらん。露店のマダムの言葉に、ルリユール、ルリユール、と探すと、それらしき小さな店に行き当たる。ルリユールおじさんは製本職人。ソフィーの本を見てさっそく直してくれるー。
好奇心が強く物怖じしないソフィーはあれこれと作業中のおじさんに話しかけます。多くの工程を丁寧に進めて、ソフィーがアカシアが好き、と言ったことから、スペシャルな仕掛けを施しますー。
美しいお話です。本読みは、もちろん製本のことに興味を持っていますので、その知的好奇心も満たしてくれます。ソフィーと、おじさんというよりおじいさんとの穏やかな交流。おじさんは父親から仕事のことを聞いていた遠い日を思い出します。
「わたしも、魔法の手をもてただろうか」
回想シーンには、さりげなく他の職人さんの姿も描き込んであります。手で製本をする職人はこの数十年で少なくなった、時の移り変わりを感じさせます。
ストーリーの、言葉のないページにはパリの街並みが彩り豊かに、少し枯れて、人間臭さまで感じるタッチで描かれています。そして街を行き来するソフィーの青い服、ルリユールおじさんの青いセーター。青はキーポイントのようです。回想シーンは茶色。そして出来上がったわたしだけの本、その色も目を柔らかに惹きつけます。
チェロを弾き、スペインなどを旅する絵本作家のいせさんはもう少し感覚的なイメージがありました。しかしモチーフをつかみ、展開させていく絵とセリフには考え抜かれた技術、それも感覚なのかも知れませんが、が窺えました。
いせひでこさんの数多い絵本は少しずつ読んでいきたく思ってます。マイフェバリットですね。
上弦の半月と木星の接近。あさって皆既月食 lunar eclipse 曇りませんように。
天気良かったけどどこも行ってないっす。前週まで歩き回りすぎてかかとが痛いし。
地元には支線の鉄橋をくぐる河川公園ロードがあり、柵らしきものすらなく、すぐ目の前を3両電車が走っていく。いつもジブリみたいだなあと思ったりする。久しぶりにの〜んびり、かかとに負担がかからないよう歩いた。
先にノーベル文学賞をとったアニー・エルノーの代表作とやらを購入。不倫。赤裸々な記述で反響を呼んだ衝撃作らしい。どれどれ。でもね、この分野は大人として思うけど、小説と現実とはかなり違う部分かな。でも日本の一部の作家が試みているような赤裸々のしかたもどうもね、と思ったりする。まあいいや。
先日観た映画のテーマを歌っていたyamaという仮面アーティストをテレビで観て検索。J-POPは先日もタレントの誰かがいいと言っていたamazarashiを聴いたり、ベリーグッドマンを聴いてみたり。探す作業が楽しい。若い才能は観たいよね。同じ番組では稲垣潤一がまだドラム叩きながらドラマティック・レイン歌ってはりました。
⚾️早慶戦を観る。ライオンズドラ1の蛭間を見とかなだし。で、モーツァルトのピアノ協奏曲20番を、内田光子→ラドゥ・ルプー→リリー・クラウス→マルタ・アルゲリッチの順に聴き比べる。
ピアノ🎹の入りのところ、内田光子は、独特の丸い音で、緊張感をみなぎらせて、これ以上なくデリケートに入る。しかし他の奏者は違って、けっこうフレーズで訴える、突き刺すように入るのでふうむ、となる。ルプーは強いところは強く、しかし音に深みがあり、決して急がず思索的。
20番は、モーツァルトには珍しくデモーニッシュな曲調だ。リリー・クラウスは明るい部分を持ち前のチャーミングさで立て、暗く妖しいメロディーとのギャップを際立たせている。アルゲリッチさんは、ダイナミズムと繊細さ、甘さを組み合わせて聴かせる演奏。しかも聴かせようとしているのではなくて、ピアニズムを強く発信している感じがする。
堀辰雄の短編集を読んだりするとまた、なんか感性のたがを外して、見るもの聴くものを更地の心に感じたくなることがある。
なあんて、読み飛ばしてください。でも、誰しも、一瞬感じたことの膨大な積み重ねがあって、大部分は通り過ぎてしまう。そのうち少しでも書いておきたいな、と思うのです。秋のもの想い😎
◼️ 堀辰雄「羽ばたき」
有名作以外の堀辰雄。新鮮な印象の短編集。
堀辰雄と言えば「風立ちぬ」「聖家族」「美しい村」「菜穂子」といったところだろうか。表現も物語もどこか西洋風な色彩感の強い、秋がよく似合うような筆致のイメージだ。さらりとした文調が特徴でもある。
今回は大正15年、1926年から昭和11年、1936年の短編、堀辰雄が22歳から32歳まで書いた、ごく短いものを集めた作品集。水、母親、子ども、妖精、死などをキーワードにしたファンタジー、また師匠芥川龍之介と恋人片山廣子、堀が恋した廣子の娘・総子との交遊を匂わせる作品も入っている。
どれも興味深い。5つ歳上の川端康成とも交友をよくしたとのことだが、似ているな、と思わないこともない。川端も浅草を舞台とした作品があり、堀の作品たちにも頻繁に浅草は出てくるが、綿密な取材を窺わせ、その時代の今を切り取る川端よりもやっぱり堀の文章の方がモダンに映る。
特に印象に残ったのは、思い出も消せる舶来のゴム消しを入手して上向きになる男の話「夕暮」。浅草公園にいるジュゴンを気に入る男「ジゴンと僕」、有名作につながっているような雰囲気を持つ、少女ザザの小さな話「魔法のかかった丘」だろうか。会話が初々しいカップルの「あいびき」もなかなか。
表題作「羽ばたき」はジジとキキという少年が出てくる、鮮烈な破滅の小説という感じ。スタジオジブリの「魔女の宅急便」の、主人公の少女キキとその相棒の黒猫ジジ、というのはこの作品にちなんでいるとのこと。
ふむふむ。ジブリの「風立ちぬ」は、主軸の戦闘機設計の話と並行した、主人公と恋人のストーリーに、堀辰雄のエッセンスが大いに取り込まれている。やっぱり女の名前は菜穂子なんだな、絵を描くんだなとかなり宮崎駿の傾倒ぶりを感じたが、今回でさらに強まった。
収録された22篇と解説は、私の堀辰雄の理解に大きく役立った。後期、と言っていいのか分からないが、名作群につながる洗練されたタッチ、実際泥くささ、人間くささをあまり感じない描き方で行間に人の情や異常性と理性、その中間をにじませたりする。その萌芽を眼にした気がする。
堀辰雄はおもしろい。まだあるならもっと読みたい。
◼️いせひでこ「ルリユールおじさん」
パリの小さな物語。大事な本の、修復のお話。
いせひでこさんにはインスパイアされることが多い。バランスと、閃きを見るというのか、この作品も、愛せる題材を取材し、ゆっくりとムリなく創っている。
パリ、ある日、小さな女の子ソフィーの大事な木の図鑑、そのページがバラけてしまう。ソフィーは街に出て、直してくれるところを探す。ルリユールにいってごらん。露店のマダムの言葉に、ルリユール、ルリユール、と探すと、それらしき小さな店に行き当たる。ルリユールおじさんは製本職人。ソフィーの本を見てさっそく直してくれるー。
好奇心が強く物怖じしないソフィーはあれこれと作業中のおじさんに話しかけます。多くの工程を丁寧に進めて、ソフィーがアカシアが好き、と言ったことから、スペシャルな仕掛けを施しますー。
美しいお話です。本読みは、もちろん製本のことに興味を持っていますので、その知的好奇心も満たしてくれます。ソフィーと、おじさんというよりおじいさんとの穏やかな交流。おじさんは父親から仕事のことを聞いていた遠い日を思い出します。
「わたしも、魔法の手をもてただろうか」
回想シーンには、さりげなく他の職人さんの姿も描き込んであります。手で製本をする職人はこの数十年で少なくなった、時の移り変わりを感じさせます。
ストーリーの、言葉のないページにはパリの街並みが彩り豊かに、少し枯れて、人間臭さまで感じるタッチで描かれています。そして街を行き来するソフィーの青い服、ルリユールおじさんの青いセーター。青はキーポイントのようです。回想シーンは茶色。そして出来上がったわたしだけの本、その色も目を柔らかに惹きつけます。
チェロを弾き、スペインなどを旅する絵本作家のいせさんはもう少し感覚的なイメージがありました。しかしモチーフをつかみ、展開させていく絵とセリフには考え抜かれた技術、それも感覚なのかも知れませんが、が窺えました。
いせひでこさんの数多い絵本は少しずつ読んでいきたく思ってます。マイフェバリットですね。
2022年11月5日土曜日
11月書評の1
神戸編。メリケンパーク。地元よね。
いろんなとこの自己画像からついにクッキーを外した。かわいいクッキー。レオンが死んだ時、私はひと晩遺骸の隣で寝た。その時クッキーは悲しそうにレオンに寄り添っていた。
犬は群れる動物。でもこの2頭はホントに仲が良かった。もともとクッシング症候群で毛が抜け落ちていたクッキーはみるみるうちに体力が落ち、4カ月後に旅立った。
レオンは大往生。長く胃捻転の発作があったから、もう苦しまないでいいと、同志が去った感覚だったけど、クッキーは可愛かったし、いまだに信じられない。でももう思い切らなきゃいけない。
天国で、レオンと走り回っていますように。あ、運動苦手で走るのキライだった😅
◼️ 板垣千佳子編「ラドゥ・ルプーは語らない」
読み終わりたくない気持ちにかられる。生で聴いてみたかったピアニスト、ラドゥ・ルプー。
クラシックを気にするようになってそれなりの年数が経つ。しかしラドゥ・ルプーのことは最近まで知らなかった。はっきりと認識したのは昨年のショパン・コンクール。ファイナリストに色々質問する恒例のコーナーがあり、幾人かがルプーの名前を挙げていた。5年間隔のコンクールの間、2019年に引退した、というのも理由かと思う。検索しても映像は少なかった印象だった。ほどなくこの本の出版を知り、そして今年、ルプー死去の報を聞いた。
ルプーは、録音、収録が嫌い、インタビューも絶対といっていいほどNG。日本の音楽事務所にいて長年ルプーの日本でのマネージャーをしていた方が取材、編集した作品。ルツェルンでの引退コンサートに駆けつけ、ルプーに関する本を出したいと直接打診したところ、
「君がそうしたいなら、すべてまかせるよ。実り多いことを祈っている」
との返事をもらったという。
多くの奏者、関係者にリモートでインタビューしたもの、また寄稿をまとめてある。先日も日本で公演したピアニスト、アントラーシュ・シフ、チェロのミッシャ・マイスキー、指揮者・ピアニストのダニエル・バレンボイム、引退コンサートで共演したチェリスト、スティーヴン・イッサーリスといった大物から2010年ショパンコンクールの覇者ユリアンナ・アヴデーエワ、2015年大会優勝のチョ・ソンジンなどの若手まで。
以前に比べて増えたように感じる演奏の動画でルプーのピアノを聴きながら読む。読んでまた聴く。曲調を大事にしつつ、テンポはゆっくり、丸みのある音で、全体の中の部分ぶぶんを最適な音量と強さで。多くのマエストロ、ヴィルトゥオーソが語っている通りだ。
演奏について、心に訴える部分は、最初の夫人、エリザベス・ウィルソンの表現がシューベルトの演奏を聴いた時の回想の言葉が核心かと思った。
「ルプーの演奏を聴いていると、抒情的で、喜びに充ち、また悲劇的な側面も含めて、シューベルトのパーソナルな世界と切実に、心から、熱烈にコミュニケーションを交わすという、音楽がまさにその根源において創りあげられていくさまを体験していることをまざまざと感じるのです」
編者の取材により、謎に包まれていた青年時代が分かってきたという。ルーマニアで生まれ、8歳で作曲で賞をもらい、天才を示す。作曲を勉強し、指揮者を志す。モスクワ音楽院へ留学、当時すでに多くのピアノ曲、協奏曲の知識があったという。ピアニストとしてヴァン・クライバーン国際コンクールやリーズ国際コンクールで優勝。順調なキャリアを築き、友人も多かった。本の中で複数の口から内田光子も友人の1人だったと語られている。内田光子のインタビュー読みたかったな。
ピアノ曲を弾くときも、曲の構成、全体を考えたような演奏が特徴だったという。それは天性にり作曲や指揮の習得が志向されたことに繋がる。長年の友人だったシフの章は、手紙のようにルプーに呼びかける形となっている。
「まるで作曲家のように演奏し思考するあなたは、楽曲の形式と構造を理解し、その主たる構成要素のヒエラルキーを把握しており、どんなに小さな細部をあつかうときにも迷いがありません」
特別なピアニストだったのだろう。友人、関係者たちからの賛辞は故人の演奏、人柄に対して至高の言葉が並ぶ。クラシックではあらゆる表現が尽くされるが、特に食傷気味にもならず、ただ美しい。
訪れた若いピアニストの悩みを聞いてやり、何時間もかけて、心に寄り添うようなレッスンをしている。チョ・ソンジンも知遇を得て親しくし、ルプーの家でレッスンを受けている。ルプーのレパートリーはモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスなどドイツ系が中心。コンサートでは弾かないものの、ショパンも熟知していたとか。
それにしても自己に厳しく、録音、録画、インタビュー嫌いである反面、暖かくユーモアのある姿が醸し出される。冒頭、編者の依頼への返事といい、人情に厚いのだろう。
賛辞ばかりの本ではある、でも、いつまでも読んでいたい気分になる。ただ想い出話を連ねただけのものではなく、確かになにかが浮かび上がって、心を動かす。私はルプーのコンサートを聴くことは出来なかった。いまはもう少し、動画で聴きたくなっている。シューベルトの幻想曲や、ブラームスのソナタを、聴こう。
いい本だった。ルプーのなじみのピアノ調律師、ミシェル・ブランジェスの話は視点という意味でも興味深い。それは読んでいただくとして、彼の言葉でこの稿を締めたいと思う。
「パリのサル・プレイエルでのシューベルト『楽興の時』の第2曲のアンダンティーノといったら、この『楽興の時』を聴くためだけに飛行機で大西洋を横断する価値があると思いました」
ブラボー。。
いろんなとこの自己画像からついにクッキーを外した。かわいいクッキー。レオンが死んだ時、私はひと晩遺骸の隣で寝た。その時クッキーは悲しそうにレオンに寄り添っていた。
犬は群れる動物。でもこの2頭はホントに仲が良かった。もともとクッシング症候群で毛が抜け落ちていたクッキーはみるみるうちに体力が落ち、4カ月後に旅立った。
レオンは大往生。長く胃捻転の発作があったから、もう苦しまないでいいと、同志が去った感覚だったけど、クッキーは可愛かったし、いまだに信じられない。でももう思い切らなきゃいけない。
天国で、レオンと走り回っていますように。あ、運動苦手で走るのキライだった😅
◼️ 板垣千佳子編「ラドゥ・ルプーは語らない」
読み終わりたくない気持ちにかられる。生で聴いてみたかったピアニスト、ラドゥ・ルプー。
クラシックを気にするようになってそれなりの年数が経つ。しかしラドゥ・ルプーのことは最近まで知らなかった。はっきりと認識したのは昨年のショパン・コンクール。ファイナリストに色々質問する恒例のコーナーがあり、幾人かがルプーの名前を挙げていた。5年間隔のコンクールの間、2019年に引退した、というのも理由かと思う。検索しても映像は少なかった印象だった。ほどなくこの本の出版を知り、そして今年、ルプー死去の報を聞いた。
ルプーは、録音、収録が嫌い、インタビューも絶対といっていいほどNG。日本の音楽事務所にいて長年ルプーの日本でのマネージャーをしていた方が取材、編集した作品。ルツェルンでの引退コンサートに駆けつけ、ルプーに関する本を出したいと直接打診したところ、
「君がそうしたいなら、すべてまかせるよ。実り多いことを祈っている」
との返事をもらったという。
多くの奏者、関係者にリモートでインタビューしたもの、また寄稿をまとめてある。先日も日本で公演したピアニスト、アントラーシュ・シフ、チェロのミッシャ・マイスキー、指揮者・ピアニストのダニエル・バレンボイム、引退コンサートで共演したチェリスト、スティーヴン・イッサーリスといった大物から2010年ショパンコンクールの覇者ユリアンナ・アヴデーエワ、2015年大会優勝のチョ・ソンジンなどの若手まで。
以前に比べて増えたように感じる演奏の動画でルプーのピアノを聴きながら読む。読んでまた聴く。曲調を大事にしつつ、テンポはゆっくり、丸みのある音で、全体の中の部分ぶぶんを最適な音量と強さで。多くのマエストロ、ヴィルトゥオーソが語っている通りだ。
演奏について、心に訴える部分は、最初の夫人、エリザベス・ウィルソンの表現がシューベルトの演奏を聴いた時の回想の言葉が核心かと思った。
「ルプーの演奏を聴いていると、抒情的で、喜びに充ち、また悲劇的な側面も含めて、シューベルトのパーソナルな世界と切実に、心から、熱烈にコミュニケーションを交わすという、音楽がまさにその根源において創りあげられていくさまを体験していることをまざまざと感じるのです」
編者の取材により、謎に包まれていた青年時代が分かってきたという。ルーマニアで生まれ、8歳で作曲で賞をもらい、天才を示す。作曲を勉強し、指揮者を志す。モスクワ音楽院へ留学、当時すでに多くのピアノ曲、協奏曲の知識があったという。ピアニストとしてヴァン・クライバーン国際コンクールやリーズ国際コンクールで優勝。順調なキャリアを築き、友人も多かった。本の中で複数の口から内田光子も友人の1人だったと語られている。内田光子のインタビュー読みたかったな。
ピアノ曲を弾くときも、曲の構成、全体を考えたような演奏が特徴だったという。それは天性にり作曲や指揮の習得が志向されたことに繋がる。長年の友人だったシフの章は、手紙のようにルプーに呼びかける形となっている。
「まるで作曲家のように演奏し思考するあなたは、楽曲の形式と構造を理解し、その主たる構成要素のヒエラルキーを把握しており、どんなに小さな細部をあつかうときにも迷いがありません」
特別なピアニストだったのだろう。友人、関係者たちからの賛辞は故人の演奏、人柄に対して至高の言葉が並ぶ。クラシックではあらゆる表現が尽くされるが、特に食傷気味にもならず、ただ美しい。
訪れた若いピアニストの悩みを聞いてやり、何時間もかけて、心に寄り添うようなレッスンをしている。チョ・ソンジンも知遇を得て親しくし、ルプーの家でレッスンを受けている。ルプーのレパートリーはモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスなどドイツ系が中心。コンサートでは弾かないものの、ショパンも熟知していたとか。
それにしても自己に厳しく、録音、録画、インタビュー嫌いである反面、暖かくユーモアのある姿が醸し出される。冒頭、編者の依頼への返事といい、人情に厚いのだろう。
賛辞ばかりの本ではある、でも、いつまでも読んでいたい気分になる。ただ想い出話を連ねただけのものではなく、確かになにかが浮かび上がって、心を動かす。私はルプーのコンサートを聴くことは出来なかった。いまはもう少し、動画で聴きたくなっている。シューベルトの幻想曲や、ブラームスのソナタを、聴こう。
いい本だった。ルプーのなじみのピアノ調律師、ミシェル・ブランジェスの話は視点という意味でも興味深い。それは読んでいただくとして、彼の言葉でこの稿を締めたいと思う。
「パリのサル・プレイエルでのシューベルト『楽興の時』の第2曲のアンダンティーノといったら、この『楽興の時』を聴くためだけに飛行機で大西洋を横断する価値があると思いました」
ブラボー。。
10月書評の10
10月は14作品13冊。読書速度の低下を感じる笑。
昨年神戸に出来たアートな水族館、atoaへ友人たちと大人の遠足。なかなかおもしろかった。演出がたくさんしてあって、意外に観るとこ多くて。また、フードコートが広くてイケていて、1時間半で回って美味しくランチできました。
そこから歩いてメリケンパーク。いま鼓スタイルの赤いポートタワーは改修中、その上部に付いていたKOBEの文字盤が展示してあって、長年神戸ホームの身としてはエモかった。
オシャレな乙仲通りを歩いて南京町へ。角煮バーガーとごま団子を食べ、元町商店街散策にシメ呑み。
よく歩き、よく食べ、たくさん話して笑った半日。ホンマ楽しかった。大人の遠足、また行きたいもんです😆
写真オムライスはその前日、大阪市中央公会堂で食べた名物オムライス。
◼️ 西村京太郎「西日本鉄道殺人事件」
うーん、そうきたか、という・・西鉄ライオンズの話は嬉しかったかな。
福岡生まれ福岡育ち。西日本鉄道、いわゆる西鉄は福岡市中心部の天神から福岡県南部へと南北に延びる、県民の大動脈。昔は西鉄沿いにベッドタウンが広がっていった。東西方向の地下鉄が開業してからはまた違う様相を見せている。
自分が日常的に利用していた西鉄がついに西村氏の鉄道ミステリに、という想いがあり、最近亡くなった西村氏の追悼の意味も込めて手に取った。最近の作品である。うむむ、西鉄車内で殺人は起こる。しかしながら、物語の趣旨の大半は戦中の特攻に関することだったのでふうむ、となった。
東京の小さな会社の創業者、91歳の坂西勝利は、若い頃から西鉄ライオンズのファンだった。社長を継いだ娘とともに西鉄に乗り、途中で九州新幹線に乗り換えて鹿児島の知覧に行くという旅行に出発、しかし西鉄の特急車に乗車中、携帯電話に着信があり、席を立った後、戻ってこなかった。やがて車内で殴打されてぐったりとしているところを発見され、搬送されたが死亡する。
坂西の家を捜索したところ、安田太郎という少年の古い写真が見つかる。安田は少年特攻兵として沖縄で散華していた。知覧の記念館では安田と同じ隊にいたはずの坂西の名前は名簿になかった。しかし調べていくに従い、真実と思われる要素が明らかになっていく。なぜ坂西の名前は名簿から消されたのか、西鉄ライオンズは関係があるのか、そして、誰が殺したのかー。
先に書いたように、大半は特攻に絡む史実や当時の考え方、日本軍の歪み、現代での捉え方などを十津川警部が突き詰めて考えていく。捜査会議も観念的な部分が多いと思った。テレビドラマ的?
いよいよとなった時、犯人はあっさり殺害を認めるが、動機と犯行方法はかなり茫洋としたままラストを迎える。うーんなんでここで終わるかな。
西鉄ライオンズについては、母が高校生だった時に全盛期を迎えたらしく、当時の思い出話でよく選手の名前を聞いた。若い母も周囲と一緒に盛り上がっていたのだろう。昭和31年から33年、1956年〜1958年、巨人に打ち勝ち日本シリーズ3連覇。優勝パレードには当時の福岡市民の大半となる数のファンが詰めかけたと経験者から聞いたことがある。中西、高倉、大下、そして鉄腕稲尾。
郷愁を誘いつつ、ライオンズの選手を、こだわって事件に絡ませつつの進行は好ましかったと思う。西鉄にも乗りたくなってきた。
昨年神戸に出来たアートな水族館、atoaへ友人たちと大人の遠足。なかなかおもしろかった。演出がたくさんしてあって、意外に観るとこ多くて。また、フードコートが広くてイケていて、1時間半で回って美味しくランチできました。
そこから歩いてメリケンパーク。いま鼓スタイルの赤いポートタワーは改修中、その上部に付いていたKOBEの文字盤が展示してあって、長年神戸ホームの身としてはエモかった。
オシャレな乙仲通りを歩いて南京町へ。角煮バーガーとごま団子を食べ、元町商店街散策にシメ呑み。
よく歩き、よく食べ、たくさん話して笑った半日。ホンマ楽しかった。大人の遠足、また行きたいもんです😆
写真オムライスはその前日、大阪市中央公会堂で食べた名物オムライス。
◼️ 西村京太郎「西日本鉄道殺人事件」
うーん、そうきたか、という・・西鉄ライオンズの話は嬉しかったかな。
福岡生まれ福岡育ち。西日本鉄道、いわゆる西鉄は福岡市中心部の天神から福岡県南部へと南北に延びる、県民の大動脈。昔は西鉄沿いにベッドタウンが広がっていった。東西方向の地下鉄が開業してからはまた違う様相を見せている。
自分が日常的に利用していた西鉄がついに西村氏の鉄道ミステリに、という想いがあり、最近亡くなった西村氏の追悼の意味も込めて手に取った。最近の作品である。うむむ、西鉄車内で殺人は起こる。しかしながら、物語の趣旨の大半は戦中の特攻に関することだったのでふうむ、となった。
東京の小さな会社の創業者、91歳の坂西勝利は、若い頃から西鉄ライオンズのファンだった。社長を継いだ娘とともに西鉄に乗り、途中で九州新幹線に乗り換えて鹿児島の知覧に行くという旅行に出発、しかし西鉄の特急車に乗車中、携帯電話に着信があり、席を立った後、戻ってこなかった。やがて車内で殴打されてぐったりとしているところを発見され、搬送されたが死亡する。
坂西の家を捜索したところ、安田太郎という少年の古い写真が見つかる。安田は少年特攻兵として沖縄で散華していた。知覧の記念館では安田と同じ隊にいたはずの坂西の名前は名簿になかった。しかし調べていくに従い、真実と思われる要素が明らかになっていく。なぜ坂西の名前は名簿から消されたのか、西鉄ライオンズは関係があるのか、そして、誰が殺したのかー。
先に書いたように、大半は特攻に絡む史実や当時の考え方、日本軍の歪み、現代での捉え方などを十津川警部が突き詰めて考えていく。捜査会議も観念的な部分が多いと思った。テレビドラマ的?
いよいよとなった時、犯人はあっさり殺害を認めるが、動機と犯行方法はかなり茫洋としたままラストを迎える。うーんなんでここで終わるかな。
西鉄ライオンズについては、母が高校生だった時に全盛期を迎えたらしく、当時の思い出話でよく選手の名前を聞いた。若い母も周囲と一緒に盛り上がっていたのだろう。昭和31年から33年、1956年〜1958年、巨人に打ち勝ち日本シリーズ3連覇。優勝パレードには当時の福岡市民の大半となる数のファンが詰めかけたと経験者から聞いたことがある。中西、高倉、大下、そして鉄腕稲尾。
郷愁を誘いつつ、ライオンズの選手を、こだわって事件に絡ませつつの進行は好ましかったと思う。西鉄にも乗りたくなってきた。
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