美術館でもらってきた京都国立近代美術館の岸田劉生展のチラシでブックカバー。チラシはなかなかイケるな。
三宮のバスケショップ行ってきた。そこまで広くはないけれど大人気。楽しかった。バッソクとTシャツ買いましたー。
◼️ 橋本治 宮下規久朗
「モディリアーニの恋人」
アメデオとジャンヌ。モディリアーニの絵って、そっけないけど、忘れられない個性と暖かさがあるよね。ヘタウマにも見えるけど^_^
先日新しくオープンした大阪・中之島美術館のオープニング・コレクション展に行ってきた。ここはモディリアーニのヌード作品「髪をほどいた横たわる裸婦」を所蔵している。そして春にはモディリアーニ展を開催する。
興味を持っていたところ、先に読んだ川端康成の本に、モディリアーニの恋人ジャンヌ・エビュテルヌのことが出てきて、調べたらジャンヌは刺してくるような目ヂカラの強い美少女、そして画家と悲劇のカップルだという。図書館検索で引っかかったこの本を借りてきた。川端先生さま、ありがとうございます。
さて、100ページ少しと厚くはない本だけれど、モディリアーニの入門編としては大変充実していた。満足。
ジャンヌ・エビュテルヌのことは後半に出てくる。多くは専門家の学者さんによるモディリアーニの特徴と、変遷の手ほどきだ。
イタリアのトスカ地方に生まれたアメデオ・モディリアーニは大病を患った後、16歳の時に転地療養として、母とイタリア各地を旅行する。ローマ、ナポリ、フィレンツェ、ヴェネツィアなどの教会、美術館で多くの古典作品に触れた。
1906年、21歳でパリに出たモディリアーニはピカソ、スーチン、キスリング、ユトリロ、さらにコクトーなどエコール・ド・パリの時期に集ったほとんどの芸術家、文人らと知り合いになった。セザンヌや、ピカソのブルーピリオド(青の時代)の特徴が初期の作品には見られる。アフリカのプリミティブ・アートにもインパクトを受け、一時期は絵を描かずに彫刻でカリアティード(女像柱)を造った。
やがて絵画に復帰したモディリアーニはキュビズムの影響も受けつつ、誰もが知るスタイルに近づいていった。人物像にこだわるモディリアーニに画商が裸体画を勧め、1916年からヌードを描く。
実際観てきたけれど、モディリアーニのヌード作品は、我々が認識している彼の作風とはまた別で、曲線は魅惑的で表情、身体ともに力強く肉感的、何かのパワーを強く放射する。
そしてこの年、画学生ジャンヌ・エビュテルヌと出会う。18歳だったジャンヌは14歳も年上の画家と恋に落ちた。モディリアーニの有名な女性像の多くはジャンヌがモデルのようだ。
ジャンヌはモディリアーニの娘を生む。しかし2人の幸せな時間は短く、1920年1月、体調を崩していたアメデオ・モディリアーニは急に35歳の生涯を閉じ、その2日後、2人めの子どもを身籠もっていたジャンヌは飛び降り自殺したー。
モディリアーニの死後、作品の価値は急騰した。ロマンスと悲劇、ハンサムな画家と美少女、退廃したエコール・ド・パリの生活、などが強調されたのは画商の戦術とも言われる。解説では、太宰治によく似ている現象となぞらえているのが興味深い。
モディリアーニといえば、首が長くて瓜実顔の婦人の肖像が思い浮かぶ。瞳が無いのは、実はモディリアーニだけに特徴的なのではないし、瞳のある作品もたくさん描いているそうだ。
瞳のあるジャンヌの絵はそれはそれでまたすごく魅力的である。
モディリアーニの全作品を鑑定しカタログ・レゾネを作成した、人呼んで「ミスター・モディリアーニ」さんのインタビューも掲載されている。アフリカ、アジア、オセアニアのプリミティブ・アートと西洋美術の伝統を融合し作品には昇華させたのだそうだ。本作を読み進めた上でこの言葉を咀嚼すると腑に落ちる気がする。
たくさんいる画家の中で、ひと目で分かる個性を備えている者は本当にすばらしいと思う。クリムトやローランサン、もちろんピカソ。マティスも好きだ。モディリアーニにもさまざまな背景があると分かったけれど、モディリアーニのそれは最終的に天才が得た啓示のようなものかとも思う。
モディリアーニはモディリアーニ、という他には無いブランドなのだと納得したい自分がいる。
多少知識がつくと、作家と作品がぐっと身近に感じられる。ボッティチェリのヴィーナスを髣髴とさせるという、ゆるやかな曲線の「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」は倉敷の大原美術館で観ているはずだが覚えてない泣。大山崎の山荘美術館にある「少女の肖像(ユゲット)」をすぐにでも観に行きたい気になってきた。
1歳2カ月で両親に先立たれたアメデオとジャンヌの娘、ジャンヌ・モディリアーニは父の姉マルゲリータのもとで育てられ、成長して美術の研究に携わり「モディリアニ」という本を上梓している。日本でも翻訳出版されているから、ぜひ読んでみたいなあ。古本屋を探そうかな。
◼️ 富岡幸一郎「川端康成 魔界の文学」
川端の作品に浸る、幸せな時間。
川端康成やシェイクスピアはどこかで触れていたい創作者さん。去年の年始に研究したりしたのもあり、全集以外はおおかた読んで、点数も多かった所蔵品のコレクション展にも行って、少し川端にはブランクがあった。
タイトル通り、「魔界」をキーワードに各年代の代表作をひもといていく。敗戦と戦時中に読んでいた「源氏物語」、生い立ちと「十六歳の日記」そして「伊豆の踊子」、新感覚派と呼ばれた頃の「浅草紅団」、戦前から戦中戦後の「雪国」、戦後文学事始め、人により近代最高の文学作品とも評価される「山の音」、茶道の茶碗がポイントともなる「千羽鶴」「波千鳥」の連作。さらに、主人公が下卑ているようにも見える作品で、ヒステリックな批評の声さえあったという「みづうみ」、「眠れる美女」、「片腕」、絶筆の「たんぽぽ」まで。
こうして見ると、特に戦後からかなり魔界と呼ぶにふさわしく、妖しくなっていくように思えるな。
ところどころで1つの中心を成しているのは、ノーベル文学賞の受賞講演を収録した「美しい日本の私」である。
先に書くと、書評にはこれまでの評論をなぞっただけとか、厳しめの意見もあった。まあ私も、言い切りの多さ、やや大げさな表現には違和感もあった。やはり評論より川端の文章そのものを見つめている方が楽しいなと。
しかし、ほとんど既読の代表作の文章引用や捉え方、背景などを順に追っていき、執筆時はどのような時代で作風はこうで、随筆にはこのように書いている、などという展開を読んでいると読んだ作品の内容とその際の心持ちを思い出して楽しくなった。
また「無」の捉え方、おそらくは西洋的価値観を信用しない姿勢など敗戦時、日本古来のかなしみにかえっていくばかりと書いた川端の考えが垣間見えてふむ・・と考え込む。
はっきりと書かない、ということもあり、煙に巻くような表現もあり、ストーリーの組み立て方の性質もあり、川端康成の作品には川端でしか味わえないような、不思議な世界が描かれる。ただ研究者というわけでもない私にとっては、何が魔界かと言えば、結婚直前まで行っていながら破綻した元女給初代との経緯であり、「伊豆の踊子」の清々しさとラストの不思議さ加減であり、「雪国」の恐ろしいほどの冴えであり、「古都」の刹那的な美しさだ。
「山の音」には本当に感服した。あの唐突な能面のシーンや新宿公園の菊子の描写は本当に素晴らしい。
戦後の作品はやはり敗戦により流入してくる文化的な変動に対して人外のところでうごめいている因縁のようなイメージの創作が多いと思う。それはやはり「源氏物語」に連なるものだと思う。
文章の美しさ、そして独特のなにか言葉で表し難いもの、頭で考えたように思えるのにどこか湧き上がってきたように感じられる巧みな設定など、川端はやはり特別だ。
個人的には「美しさと哀しみと」などにあるようなしっとりとした女の恋心の描写も抜群だと思ってしまう。
西洋の虚無とは違う日本の「無」、日本古来のかなしみ・・まだ川端康成で実感として掴んでみたいキーワードは多い。
一方で「美しい日本の私」で川端は、中国の文化を受け入れこなして平安王朝の美を生み出した日本人は明治百年で西洋文化を受け入れ、王朝に比べられるような美、文化を果たして世界に向けて生み出せるのか、期待感をも表している。新しい日本の文学とは何か?
まだまだ川端シンドローム。大好きやね。また未読のもの探して読みたいな。
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