2022年3月8日火曜日

3月書評の1

映画はアッバス・キアロスタミ特集で「友だちの家はどこ?」を観た。大人たちに翻弄される8歳の男の子。思ったほど感動を呼ぶものではないけも、ラストが小憎らしい。先にチケットを買ってミナミの天狼院書店に行ってランチした。

◼️泉鏡花「龍潭譚」

鏡の向こうを覗いているかのような異界。

文学史の本で異界の話として知り、読んでみた。泉鏡花はやはり「高野聖」の怪しく美しいイメージが強い。今回は倒錯的なテイストのある異界。神隠しの物語と言われているようだ。

少年・ちさとは1人で山へ出かける。一面に夥しい躑躅またツツジが紅に咲き誇っていた。すれ違いざま薪を担いだ男が「危ないぞ」と言う。ちさとは羽虫を見つけ追ううちに道に迷う。

ふと子どもの声が聞こえてそちらに行ったちさとは神社の境内でかくれんぼに誘われ、鬼になる。目をつぶっているうちに子どもたちはいなくなる。女が来て、社の裏の穴ぐらへ案内する。やがて四つ足の魔物の気配を感じ、穴へ隠れ震える。外では家の下男や、優しい姉が探しに来たような声がしているが、ちさとは魔物の誘いだと思い出て行かない。しかしやはり姉を恋しく思い後を追いかけるが行ってしまった。

神社の手洗いで水に映した自分の顔に驚くちさと。顔は異形となっていた。姉が来て、人違いだった、と言って去る。

泣きながら追いかけたちさとは大きな沼に突き当たり、気を失う。

気がついてみると、女がいる家で布団に寝ていた。大変な毒虫、ハンミョウに触れて顔が変わっていたのだ、姉が間違えるのも無理はない、じっと寝ておいでと言う女は、添い寝をして乳房をちさとに含ませる。かつて姉は許してくれなかった。ちさとが外の暴風の音に怖気付くと、女は胸の上に短刀を置いて寝た。

ちさとは添い寝している女に幼い頃亡くした母の面影を見て触ろうとするが幻かのように女にさわることがでにない。短刀を手で引くと刃が女を傷つけ夥しい血の海に。しかし押さえたちさとの手に血の色はつかず、よく見ると赤い絹の着物だった。

目が覚めると女の家の爺に背負われていた。あの沼へ来て、爺はちさとを舟に乗せて漕ぎ出す。岸で見送る女の顔がくるくる廻る。爺はちさとを家のそばに置いて帰った。

いきなり叔父に捕えられ、家の中で柱に縛られたちさと。悪魔に憑かれたような異形となり、医者にも診てもらったがまともに扱われず、親しかった友だちにさえ、さらわれものの、狐つきとののしられ、石を投げられる。優しい姉も憎らしく思えて暴れるちさと。寺で多くの層に誦経してもらう。嵐の中、姉は襟を開いてちさとを胸にかき抱くー。


古語の中、話し言葉のセリフにハッとする。よく解読できないせいか、泉鏡花の作品は、まるで湯気で曇ったガラスを通してようやく見える光景のようで、なおかつ異様にきれいで印象的だったりする。

異界はすでに一面のツツジの紅から始まっている。光沢のあるハンミョウ、毒、不思議な稲荷の社、消える子ども、四つ足の魔物、現れたり消えたりする姉、異形、不思議な女の肉体、刃、流れる血と真紅の着物。妙によそよそしく敵意のあるふるさと、嵐・・。

これでもかとばかり異界を作り出し倒錯的なニュアンスを散りばめる。終わりだけあっさりめ。鏡花ワールド全開の一篇を楽しんだ。


◼️「日本文学の見取り図 
    宮崎駿から古事記まで」

読みながら作家・作品の流れと相似点、相違点に感応する。ふくらみを実感した。

前半は日本文学で表現されてきた概念、モチーフについてジャンル別、総括的に述べていく。時代を超えたメディア、異界、ジェンダー、戦争、旅について、続いて古典の和歌、物語、芸能、国学、近現代では恋愛、子ども、探偵小説・・なにせ日本文学の見取り図である。切り口はたくさんある。前半だけでも上下巻くらいの研究書になりそうな雰囲気である。

「メディア」には作家にとっての貧困期、逆に売り手市場としての時代の変遷が描かれる。ふむふむ。「異界」とても惹かれる。泉鏡花「龍潭譚」チェック。「楢山節考」「砂の女」「猫町」読んだなあ。

「絵画」では17世紀末、日本初の女性絵本作家・居初(いそめ)つなの紹介がある。作品を見てみたくなる。

そしてタイトル通り宮崎駿、村上春樹、多和田葉子、川上弘美といった現代作家、文豪時代の近代作家、そして江戸時代から古事記の古典文学作品75項目、特徴と最新の研究情報がずらりと並んでいる後半。楽しめましたねー。

後半は現代から古代へ、歴史教科書、文学史とは逆に並んでいて斬新。ゲームでいうとラスボスが古事記。これはこれで、古典の重みがさらに増す雰囲気でおもしろい。

現代作家は深く探求したことはない。最近興味を持っている多和田葉子やなじみの薄い作家さんたちの捉え方、情報は興味深い。文学史的に人で区切って解説してあるのは新鮮だった。

文豪たちはここ数年手を伸ばして読んでいる。既読作品についての再評価、未読作品の興味喚起などなかなかワクワクするが、明治期から昭和期からの流れを改めて眺めると、それぞれの特質もまた見えて来る。俳句の正岡子規の客観写生に興味が湧く。たまたま本友が孫弟子とも言える高野素十の俳句に感銘を受けた、とLINEで言ってきたりして楽しい。私も万葉集好きだよシキさん。

・リービ英雄「星条旗の聞こえない部屋」
「千々にくだけて」
「模範郷」
・多和田葉子
「エクソフォニー 母語の外へ出る旅」
「地球にちりばめられて」
「星に仄めかされて」
・坂口安吾「道鏡」
「明治開化 安吾捕物」

などなどメモする。

いわゆる古典。江戸期から遡っていく。まだそんなに触れていないから近松、西鶴にも詳しくなりたい。雨月物語、記憶を探る、いいですねー。能の謡曲には興味があっていくつか読んだ。「風姿花伝」。芸能事始め。聖徳太子と秦河勝。まあ疑義はあるだろうけれど。太子が秦氏に与えたという日本最古とされる仏像を観に行ったなあ。

さらに遡る。古今和歌集、やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなりにける。
その後の文の解説が詳しい。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ・・浸ります。礼楽思想、詩は口にするもの。論語かなにかで読んだ覚えがある。祖母がよく百人一首を独特の節をつけて詠じていた。


平安末期、最近読んだ大鏡。源氏物語、枕草子。中宮定子と彰子、きぱっとした有能な清少納言と紫式部、和泉式部、赤染衛門といったそうそうたるメンバーが思い浮かぶ。さらに金字塔ともいえる伊勢物語、在原業平は永遠のヒーロー。そして竹取物語。ノータッチだった和漢朗詠集、菅家文草にも興味。

万葉集、日本書紀、古事記で大団円を迎えると「読み切った」意識が高揚して満足感が。

やはり学者さんの論なので難解なところもある。しかし研究視点も参考になった。

通常の文学史の本では1人の作家に深堀りがなされてないケースが多いけれども、がっちりと網羅的に並ぶと作家個人の理解とは別に、時代や、書くもののテイストの流れが見える。また断片的に得てきた知識がつながり、心がふくらむような感覚にとらわれる。

文学史、勉強しました!

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