2022年3月21日月曜日

3月書評の6

3連休初日、病院と図書館、買い物
2日め 買い物
3日め 神戸を朝散歩

ひんやりとした寒の戻り。3日めは曇りがちで最高気温14度、冷え冷えとしている。春のアタマには神戸港にポートタワーを見に行く。今年は整備工事中で白い幕に覆われていた。

最近新しい水族館ができたのはメリケンパークの向かいの第一突堤。ここはやがてBリーグ現西宮ストークスが2024〜25シーズンから本拠地を移す新アリーナができる予定なのでなんとなく視察。

三宮からまっすぐ海へ下りてたぶん歩いて20分、もう少しくらいはかかるけれども、許容範囲の近さかなと。未来はすぐ来る。さてさて。


◼️ 河井寛次郎「立春開門」ほか

陶芸作家・河井寛次郎の随筆。2月とはどういう季節か。風物に宿ったもの。

前に読んだ原田マハの著書で取り上げてあった河井寛次郎に興味を持ち読んでみました。青空文庫には4つの文章が掲載されてます。
「雑草雑語」
「社日桜」
「蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ」
「立春開門」

1つひとつは短く、一気に読んでしまいました。

◇「雑草雑語」には罌粟(けし)、柿、矢車草、南瓜、山百合、烏瓜、コスモス、柘榴・・主に土着の雑草の花がどのように野に育っているか、人間、子どもたちとの関わりがどうだったか、というのを散文的に表している。

品種改良や新しい外来種にはやや批判的だが、古くからの帰化草はまた、なじみ深いものとしている。

「柿は驚くべき誠実な彫刻家だ。自分を挙げて丹念に刻つた同じ花を惜げもなく地べたへ一面にばらまいてしまふ。こんな仇花にさへ一様に精魂を尽してゐる柿。」

原田マハも特にこのくだりをとりあげて称賛していた。

◇「社日桜」
昔この一本で丘中が埋まったと言われた立派で大きな雲のような桜。いまはなく、染井吉野が賑々しく取って代わっている。しかしまだ丘の向こうや山の麓の農家に山桜がひっそりと咲いて静かに行く春を惜しんでいるのは変わらない、という篇。

◇「蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ」
戦争が終わりに近づいた頃、京都の清水寺近くに住んでいた著者は、東京、大阪、神戸が空襲で焼き尽くされた時分、いずれは京都もそうなると怖れ、毎日東山に登って、明日は再び見ることが出来ないかもしれない町を見つめていた。しかし、そんなある日、著者は突然ある悟ったように安らかな思いが湧きあがったー。

この実感は、諦念とも言えるし、前向きな心象とも捉えられる。実感であることには間違いはない。

◇「立春開門」
2月はどういう季節か。炬燵の愛おしい存在感から始める。炬燵ってたしか太宰治も短編の中で不思議な箱と言ってたけども、現代の我々にとっても当時の人々にとっても形が違うとはいえ心のふるさと的なものなのかなと。

節分が済むと立春、とはいえまだ寒い。子どもたちはハゼの煮物や網蝦を蕪や大根や赤貝の煮たもの、蔬菜に舐め味噌、そして湯煎餅(あべかわもち)をほくほくと食べていたー。

能の演目「鉢木」なども取り上げて、2月の風物と考察を論じてある。勝手な推論ではあるが、何を描くときには、その対象について、背景について、研究し考える。よく知ろうとする。植物に宿るもの、物言わぬ静かな、はるかな歴史と宿っているもの、そんなことを著そうとしているように思える。人の心は深く考えていることは夥しい。すべてが自分、作品にこもるもの、ということだろうか。

2月の金沢に行ったらちょうどお祭り中で、雪の中露店で売っていた熱々の粕汁のようなものを食べたことを思い出す。あとはお餅に砂糖醤油とか。まだ寒い中、春の兆しと準備がほの見える2月は私も大好きだ。

河井寛次郎は若い頃学校や研究所で釉薬の研究をした後陶工となる。1920年代にバーナード・リーチ、濱田庄司らとともに民藝運動に参加した。見る限りその作風、デザインは暖かにして小粋で心をくすぐられる。

京都の清水五条に記念館があるのは知らなかった。ひさびさに清水寺行って、寄ってみようか。彼の文章は本にもなっている。作品を生で観てから、また読もう。



◼️ 原田マハ「20 CONTACTS
消えない星々との短い接触」

いい読み物ですっかり「星」たちに浸った。

たまたま地元ショッピングセンターの安売り書棚で見かけたもの。持って帰って開けてみたらサイン本だった。原田マハ、これでサイン本2冊め。まさか実はすべての本に印刷されたものなのだろうか?今度本屋で確かめてみよう、なんて。ちなみに辻村深月のサイン本も持ってます。

さて、原田マハへ自分から指令が下る。2019年にICOM・国際博物館会議が京都で開催されるのに合わせ、清水寺で「CONTACT つなぐ・むすぶ 日本と世界のアート」という展覧会が催される。ついては、展示予定のアーティストのうち物故者、つまり亡くなっている20人の方たちに会って話を聞いて、掌編を書け、というもの。興味深い20人。

猪熊弦一郎
ポール・セザンヌ
ルーシー・リー
黒澤明
アルベルト・ジャコメッティ
アンリ・マティス
川端康成
司馬江漢
シャルロット・ペリアン
バーナード・リーチ
濱田庄司
河井寛次郎
棟方志功
手塚治虫
オーブリー・ビアズリー
ヨーゼフ・ボイス
小津安二郎
東山魁夷
宮沢賢治
フィンセント・ファン・ゴッホ

知らない人もいるけれど、逆に好奇心が湧く。洋画家はマティス大好き、ほかはマハ作品でおなじみって感じ。世界のクロサワに、シンドロームの川端先生に手塚治虫に、東山魁夷に宮沢賢治ときた。

バーナード・リーチに関してはよく知らなかった。なるほど、「リーチ先生」という著作その関係だったのかと。

軽妙な感じでアーティストゆかりの家などを訪問する原田マハ本人。そして、1人ひとりに持っていくおみやげがめっちゃ気になる。

四国名産の一六タルトを三越の包み紙をデザインした猪熊弦一郎に、九段下・一口坂「さかぐち」の色とりどりのおかきとあられの詰め合わせはルーシー・リーに。ル・コルビュジェと共同デザインを行った女流建築家・デザイナーのシャルロット・ペリアンには京都・和久傳のれんこん菓子「西湖」。

スーパーにたまたま一六タルトあったからきょうのおやつに買って食した。

彫刻家ジャコメッティは先日大阪・中之島美術館のオープニングコレクション展で「鼻」を観てきたばかりだ。陶芸家ルーシー・リーは妻が好きだけどまだよく見てないので本貸してもらおう。ビアズリーも最近美術展でよく出ている。棟方志功は大原美術館で観たなあ。手塚治虫は趣味で記念館が近くにあるし、川端先生は言うに及ばず、東山魁夷は大規模な展覧会で心酔した。宮沢賢治も関連書籍含めてよく読んでいる。

こう、美術に興味ある人なら誰しも触れたことがあるような巨匠たちを軽いタッチで紐解いてゆく。それは柔らかく無駄のない表現で、短くも核心を突き、思わず微笑んだり、その人が持つ背景や雰囲気に浸ったりできて、気持ちよく仕上げている。原田マハ・マジックですね。

最も興味を惹かれたのは河井寛次郎という陶芸作家で、調べてみると作品の色とデザインが独特のほどよい優美さを醸し出していて、ピキピキと自分の感覚が鳴る音がした。京都・の清水寺近くに記念館があるとのことで、これは行かなければリストに入ってしまった。また文筆家だそうなので、作品を観た後に読もうと思う。

原田マハはこの展覧会の総合ディレクターで、時間のない中、ものすごい熱意で美術館長やコレクターとの直接交渉を自らやったとか。


原田マハはキュレーターという経験を生かした美術小説という新しいジャンルを切り拓き、破竹の勢いで突き進んでいるトップランナーだと思う。しかし告白すれば私はその小説に部分的な難を感じ、もっとこうすればよくなったのになどと思ったりしてきた。

ただそういう人は男女の作家問わずたまにいる。この本の解説にもあるように一旦はその手練手管に呑まれてしまうからこそ少し悔しく思うのだ。

それにしても見識の深さ、なのに堂に入っているおちゃらけさ笑には特に今回感心した。巨匠たちは、まぎれもなく「星」なのだ。われわれはその人生が放つ光を浴びているのだ、と思えた。

だんだん原田マハが自分の中で大物化してきた。感応いたしました。

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