2022年3月8日火曜日

3月書評の2


クラシックも1年ぶりくらいかな。ギターの村治佳織でアランフェス協奏曲、メンデルスゾーン「イタリア」を挟んでショパンコンクール2位の反田恭平はもちろんショパンのコンチェルト1番。

webでは100回以上は聴いたけど、ショパンのピアノ協奏曲の生演奏は初めて。ホールの一角と専門的な集音が施されたメディアを通すものとは違うな、というのが最初の感覚。オケの熱演にここでホルン、ここはピチカートか、なんて反応する。やっぱりライブは楽しい!

息を呑んで見つめていたショパンコンクール、いまいるのはその近似空間なんだなと意識する。

第1楽章途中で涙ぐんで、2楽章でたゆたう感覚に浸って、3楽章では、弾けないけれども指が勝手に動く。弾き切りでもうどんだけテンション上がったか。アンコールではショパンコンクールでおそらく初めて演奏されたという、ラルゴ「神よ、ポーランドをお守りください」。たまりません。

反田恭平、マイクを持って出て来た。あいさつかな、いや、なんかステージ前方に椅子が用意されている。最後は、村治佳織と指揮者(ヴァイオリン)と反田恭平でピアソラ「アヴェ・マリア」のコラボ。大サービス、大満足。

村治佳織と反田恭平、両方のオケつきの協奏曲を1回のコンサートで観られるっていうのがそもそもホントぜいたく。アランフェス協奏曲はとても好きな曲で、赤基調の衣装がよく似合っていた村治さんのステージも情緒たっぷり。有名な第2楽章の、イングリッシュホルンとギターが織りなすパートは心の弦をも振るわせる、なんちって。イタリアはやっぱり第1楽章好きだなあ。

ホールを出て駅までたそがれ時の帰り道、高校生と思しき女性たちや若い男性2人連れが、ショパンのコンチェルトのメロディーを楽しそうに口ずさんでいる。こちらもテンション上がりすぎて、寒さの中頭がぼうっと。帰ってグッタリしちゃったのでした。

翌日は映画「ナイル殺人事件」。アガサ・クリスティーの映画はケネス・ブラナーが前回「オリエント急行の殺人」を作り、今回は「ナイルに死す」。富豪の若い女性のエジプトでの新婚旅行、招待客たちはそれぞれクセがある者たち。そして殺人が起きる。要素が多すぎて、サスペンスドラマに近いかな。アガサのエンタテインメント性が出ている作品。ふむふむと見た。

友人にもイベントが多かったりして、にぎやかめな週末。チーズケーキはよく行く大型書店のカフェで。本を読む人が多い店、90分の時間制。

日曜帰り道はいきなりの雪。いまは晴れている。春の空、やね。


◼️ Authur Conan Doyle
「A Case Of Identity(花婿失踪事件)」

ホームズ原文読み16作め。今回は存在感のある、メアリ・サザーランド嬢登場!

ホームズものには英語の原タイトルとよく知られている邦訳タイトルが直訳でないものもあります。「アイデンティティ」「アイデンティティの事件」とかいうのも映画とか本格小説みたいで悪くない気もしますが、タイトルの大仰さに話の内容ががついていかないので正直(笑)分かりやすいこれまでのものでよかろうという感想ですね。

さて、第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険」の3つめという初期の作品です。「ボヘミアの醜聞」で人気沸騰し、誰もが知る「赤毛組合」と力作が続いた後はちょっと社会派?でコンパクトな事件。巨軀で派手で一途、シリーズの中でも異彩を放つメアリ・サザーランド嬢が舞台に上がります。

序盤は長くホームズとワトスンが議論しているというパターン。

life is infinitely stranger than anything which the mind of man could invent.
「日常生活とは人間の頭で考え得るすべてのものよりずっと奇妙だ」

there is nothing so unnatural as the commonplace.
「平凡よりも不自然なものはない」

そういうテーマです。ホームズは同様のことを他の短編中でも言っています。このくつろぎの時間で、ホームズは中央に大きなアメジストがついた金の嗅ぎタバコ入れを取り出し「ボヘミアの醜聞」の依頼人、ボヘミア王からの贈り物であると明かします。この事件が「ボヘミア」からあまり時をおかずに起きたことが分かりますね。

またホームズはやはりとても大きなダイヤモンドのついた指輪をも見せびらかします。こちらはワトスンにも話すことのできない事件でオランダ王家からのものだと。事件で宝石はいくつも取り扱っているものの、ホームズの持ち物としては珍しい宝石に囲まれた光景。質素なベイカー街の部屋でもちょっと異様です。

さてそんな話をしていると、ホームズが窓の下に依頼人らしき女性を発見します。

I saw that on the pavement opposite there stood a large woman with a heavy fur boa round her neck, and a large curling red feather in a broad-brimmed hat which was tilted in a coquettish Duchess of Devonshire fashion over her ear.

「通りの反対側に大きな女性が立っているのが見えた。立派な毛皮の襟巻きを首に巻き、大きな巻いた赤い羽根のついたつば広帽は、コケティッシュなデボンシャー公爵夫人風に片耳を覆っていた」

デボンシャー公爵夫人とは、18世紀後半に社交界の花形で政治活動にも関わったジョージアナ・キャベンディッシュさんのようです。伝記映画もあります。肖像画を見ると、なるほど帽子を極端に傾けてますね。

しばらく逡巡している様子、その神経質な仕草を見て、ホームズはaffaire de coeur、恋愛事件だと目星をつけます。

ようやく階段を上がってボーイの後ろにぬっと立っていたメアリ・サザーランド嬢、ホームズは優しく招き入れます。そしてさっそく近視であること、タイプライターの仕事をしていること、ひどく慌てて出てきたことを見抜き、メアリ嬢をびっくりさせます。

メアリは母が若い男・ウィンディバンクと再婚し、3人家族。stepfatherつまり継父はメアリより5歳歳上なだけです。ウィンディバンクは商社の外交員だとのこと。メアリは叔父が遺してくれた債権があり、年に100ポンドの収入になります。タイプライターの収入もあるので、一緒に暮らしている間はその100ポンドを両親に渡していると話します。

ウィンディバンクは娘が外出するのをあまり好みませんでしたが、継父が仕事でよく行くフランス出張の折、メアリは亡き父親関係のガス配管業者のball、舞踏会に出かけ、そこでホズマー・エンジェルという紳士と恋に落ちました。ホズマーはメアリの家にも来て、メアリの母もたいそう彼のことを気に入りました。しかし継父がそういうことを嫌うため、彼がまたフランスに行っている間に会いました。

ホズマーは出納係をしている事務員で、会社に寝泊まりしており、メアリは手紙も会社管轄の郵便局留めで出しているとのこと、ホズマーからの手紙はタイプライターで打ったものでした。

恥ずかしがり屋で昼より夜出歩くことを好み、弱々しい声、いつも色のついた眼鏡をしていました。さらにもじゃもじゃのもみ上げに口髭を生やしていました。

ついにホズマーは継父が帰ってくる前に結婚すべきだと言い出しました。ものすごい熱心さで、

whatever happened I would always be true to him

何があってもかれに忠誠を尽くすと誓わせました。

先週の金曜日、結婚式の朝、教会へと別々の馬車に乗った2人。ホズマーはfour-wheeler四輪馬車に乗り込みました。そして教会についた馬車の中に、新郎はいませんでした。忽然と消え失せ、それからメアリはホズマーと会っておらず、ホームズに相談に来たというわけでした。


どうでしょう、かなり思わせぶりですね。当日の朝ホズマーは

even if something quite unforeseen occurred to separate us, I was always to remember that I was pledged to him

もし本当に予測できないことが自分達を引き裂いても、いつも、私、メアリが彼に誓ったことを、忘れてはならない

と念を押していました。メアリは彼には何かが起きた、それを予期していたからあんなことを言った。彼はとても親切であんな風に置き去りにはしない人だ、と必死です。

メアリの母親は怒り、このことはもう口にするなと言い、継父は、仮に故意に消息を絶ったとして、メアリから金を借りていたわけでもないし、彼に利益はない、いつかまた消息が聞けるだろうとのんきです。

メアリはろくに眠れず心配していると言い、ついにはハンカチに顔を埋めて泣き出してしまいました。

ホームズは調査を請け負い、きっと決定的な証拠が出るだろう、この件は私に任せなさい、と取りなします。そして

try to let Mr. Hosmer Angel vanish from your memory, as he has done from your life.
「ホズマー・エンジェル氏のことは、あなたの人生から去ったものとして、記憶から消し去りなさい」

とアドバイスします。彼にはもう会えない、と。

人相書きと彼からの手紙を預かり、メアリの家と継父の会社の住所をもらい、ホームズは重ねて全ての出来事は封印しなさい、と言います。しかし

You are very kind, Mr. Holmes, but I cannot do that. I shall be true to Hosmer. He shall find me ready when he comes back.
「ご親切にありがとうございます、ホームズさん。でもできません。私はホズマーに忠誠を尽くします。彼は帰ってきたとき、私がすぐにでも結婚できる用意ができていると知るでしょう」

思い詰めたら一途なところを見せて去ります。
このシーンをワトスンは

For all the preposterous hat and the vacuous face, there was something noble
「妙ちきりんな帽子とぼんやりとした顔にもかかわらず、若干の気品があった」

と表現しています。ホームズも

I found her more interesting than her little problem
「彼女の小さな問題よりも、彼女自身の方が興味があった」

と漏らしています。もちろん女性を信用しないというホームズのことだから、女性としてではなく、人間観察という意味で、でしょうが笑

ホームズにとって、事件じたいは
rather a trite one
ちょっとありふれたもの、らしく

1877年(この事件は1888年)、さらには去年にも「この手の事件がヘーグであった」とのこと。

それからメアリについてのワトスンの間違った見立てを正しつつ、ブーツは片方ずつ別々のものだった、だから慌てて出てきたと分かった、などとワトスンが気づかなかったことを並べます。

そしてシティの会社と、継父とに手紙を書き、継父とは明日の6時にここで会えないから尋ねる、そしたら事件はしばらく棚上げだ、と。ワトスンはベイカー街の部屋から出ます。「ボヘミアの醜聞」「四つの署名」そして「緋色の研究」事件でホームズが見せた推理力と行動力を思い起こしながら、きっと解決するだろうという期待と確信をを胸に。この時は結婚してて、同居はしてなかったんですね。

仕事が忙しかったワトスンが翌日息せき切ってベイカー街へ着くと、ホームズは椅子に丸くなってうたた寝していました。一日中化学実験をやってたと見えてテーブルにはフラスコや試験管がずらりと並び、塩酸の刺激臭が漂っていました。

Well, have you solved it?「解決したのか?」
Yes. It was the bisulphate of baryta.
「ああ、硫酸バリウムだった」
No, no, the mystery!
「ちがうちがう!謎、じけん!」

なんておマヌケな会話があった後すぐに継父、ミスターウィンディバンクが到着しました。

髭を剃り上げ、ホームズものにはこの
clean-shavenという表現がよく出てきます、30歳くらいのがっしりした体格、鋭く目つきでいぶかしげな視線を投げ、椅子に座りました。

ホームズは6時に会うことを応諾したタイプ打ちの手紙を受け取っていました。

ウィンディバンクは、私の意に反してご迷惑をお掛けして、あれは興奮しやすく衝動的でして、こうと思い込んだらコントロールするのは難しいのです、と父親らしい弁解をします。が、次のひと言はホームズをカチンとさせました。

how could you possibly find this Hosmer Angel?
「どうやってあなたにこのホズマー・エンジェルを見つけられるというのでしょう?」

On the contrary「それは違いますね」
I have every reason to believe that I will succeed in discovering Mr. Hosmer Angel.
「私はホズマー・エンジェルを見つけられると確信するに足る全ての証拠を押さえています。」

即座に応じるホームズ。ウィンディバンクは激しく驚いて手袋を取り落とします。そ、それは喜ばしい、とおざなりのひと言を添えて。

ホームズはまずタイプライターのことに言及します。それぞれに個性があるものだ、と。ウィンディバンクからホームズ宛ての手紙に例をとり、eにかすれ、rに小さい欠損がある、他にも14カ所特徴がある、と。

そして、失踪した男からメアリに宛てた手紙にもすべて同じ特徴があると断じます。

ウィンディバンクは椅子から跳び上がり、その男を捕まえられるのならその時は知らせてください、と慌てて帰ろうとします。

ホームズは逃しませんでした。

Certainly「いいでしょう」ホームズは出入り口のドアに鍵をガチャリとかけ、

I let you know, then, that I have caught him!
「お知らせしましょう。彼を捕まえました!」

え、どこだ、としらを切るウィンディバンクに

Oh, it won't do – really it won't
「無駄ですな、まったくもって無駄だ」

There is no possible getting out of it, Mr. Windibank. It is quite too transparent, and it was a very bad compliment when you said that it was impossible for me to solve so simple a question. That's right! Sit down and let us talk it over.
「逃げるところはどこにもない。ウィンディバンクさん、あまりにも明白だ。それにしてもひどい挨拶でしたな。私にこんな単純な謎を解くのが不可能だとは。よかろう!座って話そうじゃないか」

「こ、これは起訴できない」
ウィンディバンクは声を詰まらせます。

残念ながらそうだ。しかし見たことがないくらい残酷で利己的で無情な企みだ。

ホームズは事件のあらましを語ります。ウィンディバンクは金目当てで歳の離れた婦人と結婚した。娘には年に100ポンドもの収入があり、継父はこれを自由にできた。しかし娘・メアリがもし結婚して独立したら入ってこなくなる。

そのため奸計を企てる。妻であるメアリの母親を言いくるめ、色付き眼鏡をかけ、もみ上げに口髭で変装し、声を変えてメアリに近づき夢中にさせた。

メアリは予想以上に夢中になる。しかしいつまでも続けることはできない。だから、結婚式の当日、貞節の誓いをさせ、劇的に姿を消した。彼女に永遠の印象を与え、別の求婚者を近づけないために。

ウィンディバンクはホームズの説明が終わる頃には落ち着きを取り戻していました。悪びれもせずあざ笑いながらこう言い返します。

It may be so, or it may not, Mr. Holmes,
「そうかもしれないし、そうでないかもしれないよ、ホームズさん」

but if you are so very sharp you ought to be sharp enough to know that it is you who are breaking the law now, and not me. I have done nothing actionable from the first, but as long as you keep that door locked you lay yourself open to an action for assault and illegal constraint.

「しかし鋭いあんたなら、いま違法行為をしているのは私でなくあんただと分かるだろうよ。おれは起訴されるようなことは最初から何もしちゃいない。あんたがそのドアに鍵をかけている限り、監禁と脅迫で起訴される立場に身を置いているってことなんだぜ」

ホームズはその通りだと認め、鍵を開けます。しかし負けてる名探偵ではありません。

「これほど罰を受けるのにふさわしい男はかつていなかった。もしこの若い女性に兄弟か男の友人がいたら、鞭で打ち据えたはずだ、この野郎!」

さらにあざけりの表情をするウィンディバンクにムカついたホームズ、

it is not part of my duties to my client, but here's a hunting crop handy, and I think I shall just treat myself to– –
「依頼人に対する職務には含まれんが、ここに狩猟用の鞭がある。いっそ月に代わっておしおきを!」

最後の方は意訳ですが笑、ホームズが素早く鞭に歩み寄ると、ウィンディバンクは必死で逃げ出します。

ホームズは解説をします。ホズマー・エンジェルなる人物は、その奇妙なふるまいから、強い動機を持っていることは明白だった。この件で利を得るのは継父、そして2人の男は一緒にいたことがない。色付き眼鏡に奇妙な声、もじもじゃのヒゲ、タイプで手紙を打つのは筆跡を隠すためでは?

ホームズはホズマー・エンジェルの人相書きから変装を思わせるものを取り除いた顔を、おそらく自分で描き、ウィンディバンクが勤める会社に封書で送って誰が似てる人いない?と聞いた。おそらくホームズの名声を知っていたであろう会社からは、それは当社のジェームズ・ウィンディバンクだと返事が来た。タイプライターの特徴を確かめるためウィンディバンク本人に手紙を出し、タイプで打った返事を入手した。

ちなみに新郎のホズマー・エンジェルが消えたのは、両側に扉のある四輪馬車に片方の入り口から乗って、こっそり逆側へ降りたというわけでした。

彼女、メアリ・サザーランド嬢にはどうするんだ?とワトスンが訊くと、たぶんいくら言っても信じないだろう、と見通しをこぼし、

There is danger for him who taketh the tiger cub, and danger also for whoso snatches a delusion from a woman.
「虎子を得ようとする者に危険あり、女から思い込みを奪おうとする者も同じ危険あり」

という古いペルシャの詩を口にします。これでエンド。果たして依頼人になんて言ったのでしょうね。

さて、前回読んだ「白面の兵士」もそうでしたが、このお話は、通常の短編の3分の2くらいの長さです。なぜかというと、どちらもホームズの捜査活動がなく、事件にも進展がないからです。今回はほぼ安楽椅子探偵、ロッキングチェアーデテクティブでしたね。

それゆえ読み応えはもうひとつで、小悪党の立ち回りを鞭で脅すだけなので迫力もありません。なんか酷評してますね笑。

しかしそこは絶好調時のドイル、メアリ・サザーランド嬢という、いくらでもデフォルメして描けそうな存在感のある女性を印象付けます。

ホームズ・シリーズには、多くの印象深い女性が登場します。「四つの署名」のメアリ・モースタン、ワトソン妻ですね。パスティーシュ、パロディでも大人気の不二子ちゃん的存在「ボヘミアの醜聞」のアイリーン・アドラー、「まだらの紐」のヘレン・ストーナー、こちらも継父が娘の財産を狙う話でした。「ぶな屋敷」のヴァイオレット・ハンター、「孤独な自転車乗り」のヴァイオレット・スミス、「ソア橋」のグレイス・ダンバーその他たくさん。

私的には行方不明の夫の捜索でホームズの世話をする「唇のねじれた男」のセント・クレア夫人も、聡明で、愛嬌があって感じがいいと思ってます。

その中でも巨体でハデハデしく純粋なワーキングウーマン、メアリ・サザーランドは異彩を放っていますね。ホームズ・シリーズの出演者としていないと困る、みたいな。パロディにぜひ出演して欲しいですね。

この話はスケールこそ小さいものの、ドイルの細かい仕掛け、設定も見えて、良き一篇の物語、といった色合いがありますね。

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