2021年8月29日日曜日

8月書評の6

◼️ 幸田文「きもの」

ラストで幸田文の美的感覚を再認識。少女の成長物語。るつ子は感受性が強く、大正の世にあってはみだしぎみ。時間と災難がふりかかるー。

没後に刊行された幸田文の自伝的作品とのこと。幸田文はエッセイできものについての愛着を再々綴っているし、娘の青木玉も「幸田文の箪笥の引き出し」で、母・文の着物に対するスタンスやその好みなどを詳しく書いている。

で、タイトルがそのものずばり「きもの」。序盤、主人公の末っ子・るつ子が持つ資質、小さい頃から着るものの肌ざわりや見目にこだわるなみなみならぬ感性や、気に入らないものはガンとして拒絶する気性が描かれる。これはきものの天性の話かというと、ちょっと違う。

楽とは言えない暮らし、田舎出の母、気位が高く、やたらとるつ子を使おうとする2人の姉、姉たちが嫁いだ後に存在感が増す兄、聡明な祖母に頑固ものの父、そして父の愛人。友人は上流階級階級のお嬢さま、おっとりしたゆう子と、貧乏と自称し芯が強くばりばりと働く和子という対照的な2人を登場させている。

姉たちの結婚、母の病気と死、関東大震災で焼け出され、娘盛りとなり縁談が引きも切らない中、恋をするー。

折にふれきものについては詳しく描写されるが、酷な巡り合わせの中で、自分でも制御できないほどのるつ子の感受性を描く、成長物語だ。

解説によれば、幸田文は未完という意識であったようだ。確かに、人生ここから、家族や友人たちの因果を反映して続けられるとも思う。

幸田文の特徴のひとつは、江戸っ子下町らしい、庶民的な言葉が端々に出てくること。太宰治などに出てくる会話文にもたまにあるが、特に女性が使うはすっぱな言葉に惹かれるものがあるなと思う。

常の裕福でない生活、また関東大震災では家が焼けてしまい、バラックからの建て直しとなる。きれいなことはない生き様。あっちにぶつかり、なにかと嫌味を言われ、うまく対処できない心の動き、きれいではないストーリーの流れが、リアリティを持って読み込ませる。

「おとうと」にしろ「流れる」でも描かれているのは地の生活と、そこに浮かび上がる心模様だ。幸田文だなあ、としみじみ思う。るつ子は明治37年生まれ、日露戦争の子ー。幸田文本人も明治37年、1904年の生まれで、実感がこもる。そう呼ばれてたのか、当時。

着物にそれとなく興味を惹かれる昨今、私の生活圏によく目立つ和服の店があり、ポスターでは華々しい晴れ着、振り袖を着た女性たちが写っている。けれどもやはり、文芸に出てくるような普段着、ちょっとしたおしゃれ着、季節によって着る物、雨の日用、などのベースがあっての晴れの着物かなと思う。

好きな人ができて、父の反対を押し切って結婚、式のシーンは鮮明で印象的だ。そのと相談して、出来るだけ廉価に、自分の好みで、あつらえた衣装に包まれる。白羽二重で、紅を刷かず、母親譲りの雪国の肌はお白粉の下で、きものに負けない微妙な白い光沢を放つ。

「白一色に装ったるつ子は、雪のようにふんわりと花嫁の座にいた。(中略)清浄に真っ白なるつ子は、目をふせてただふわりと椅子にいた。」

ごつごつしたような人生を過ごし、周囲に危なっかしい恋心ととられた末の結婚。そしてお色直しでは赤を基調に鮮やかに変身してみせる。

すばらしい表現だと思う。幸田文の美的感覚にあらためて打たれた感慨を持った。


◼️ 柳広司「ゴーストタウン 冥界のホームズ」

ホームズは骸骨に、ワトスンは犬に?モリアーティは8本足のナニに、そしてメアリの正体は?

こういうパロディも楽しいかも。もとはアニメのシナリオらしい。うん、合うかも。

ワトスンがベイカー街の部屋で気がつくと、犬になっていた。まるでカフカ「変身」のようなオープニング。しかし世界、ワールドは常識的でなく、ホームズは全身が骸骨の姿になり、異形の者がホームズに前世での謎の解決を求めて部屋の外に行列をなしていた。案内兼整理係はネコでバリツの達人の日本人・イトーだという。

街中に出かけたホームズとワトスンは出現したモリアーティの化け物と遭遇、その強力さに追い詰められるが、ワトスンの妻・メアリのいる大英博物館に逃げ込むー。

ゲームのシナリオだけあって、思い切ったジャンプをしているなと笑笑。異形の世界。超能力、アクション、崩壊と再生、神聖な場所、象徴的なビッグ・ベン。いずれもエンターテインメント要素十分でコンパクト。ある意味言うことないww

ここで、ドイルの原作、いわゆる聖典をひもといてみよう。

シャーロック・ホームズはロンドンの犯罪組織を牛耳るモリアーティ教授を逮捕するため警察と連携して組織を追い詰める。モリアーティは当時ホームズが1人で住んでいたベイカー街の部屋へ現れ警告する。ホームズははねつけた。それからレンガは降ってくるわ馬車は猛スピードで突っ込んでくるわ、暴漢は殴りかかってくるわ、ベイカー街の部屋は放火されるわと息つく暇のない襲撃が。大陸に逃げたホームズだったが、スイスのマイリンゲンの滝で教授と1対1の対決をして、滝壺へと転落するー。(最後の事件)

コナン・ドイルはホームズの短編の人気が爆発し、大きな飛躍を果たした。しかし彼は歴史小説こそが自分の天命と信じていたらしく、わずか24話でホームズを殺してしまい、いったん連載を終える。

ところが10年後、読者の熱望に応える形でホームズは「空き家の冒険」で実は滝には落ちてませんでしたー、と復活を果たす。状況を利用してしばらく身を隠すため外国に行っていた、という流れだった。

そもそも、ドイルはホームズを亡き者にするのがおそらく第一目的だったから、それまで出て来たこともないモリアーティ教授なる大物が突然出てきて、なぜか助けが少なく目立ちやすい田舎の方へ逃げ、計略に気付いていながら、いかにも危ない場所で最後の対決に臨む、といった不自然な展開になってしまっている。不満に思うシャーロッキアンも多い。実は死んでませんでした、はファンとして嬉しいながらもやはり巧みとは言い難い。同様にシャーロッキアンたちの議論のネタである。

ちなみにホームズの死体が見つからなかった事について、当のドイルは「ただの偶然だ」と書いている。

私的には全ての要素がホームズの物語性を増し、多少あざとくとも、後年シャーロッキアンたちが楽しくにぎやかに議論できるんだから、ドイルの志向も含めてまさに天の配剤だなと思ってしまう。

その点をついて、マイリンゲンの滝に落ちた後を、時間が止まっているらしい異世界を創作し再現したのが本作。序盤にテンポよくシャーロッキアン的要素が入り、長編「四人の署名」のヒロインにしてワトスンの妻、メアリを異質な形で登場させている。

2021年8月28日土曜日

8月書評の5


◼️ 柏葉幸子「霧のむこうのふしぎな町」

魔法使いの末裔たちの町で働く少女。児童ファンタジー小説です。

「千と千尋の神隠し」に関連しているというフレーズを読みかじって読んでみた。1974年の講談社児童文学新人賞作品。これは2004年の新装版。

静岡の小学6年生のリナは、お父さんに言われて、東北地方の山村に入口のある「霧の谷」へとやってくる。魔法使いの末裔たちが暮らす小さな町。外国人はおろか、小鬼やケンタウロスが普通にいる町。滞在する屋敷の厳しい主人、ピコットばあさんに命じられたリナは、町の店で働くことになる。

お店は、ナータという早口で食の好みが少々おかしな女性が営む本屋では、人間の言葉を口汚くしゃべるオウムがいる船具屋にお使いに行き、シッカというおじいさんのせともの屋でシッカが魔法を使うのを目の当たりにし、マンデーとサンデーという父子がいるおもちゃ屋では、隣のトケの店のお菓子を食べ過ぎている2人を心配する。

屋敷には発明家で話し相手のイッちゃん、抜群のコックのジョン、家事をするキヌさん、そしてふしぎな猫のジェントルマンがいて楽しく過ごすがやがて・・

たしかに「千と千尋の神隠し」に似ていなくもない。映画企画の話もあったようだ。

ピコットばあさんのきびしさと命令形、働かせることとか。こっちは小柄でどこかかわいらしいイメージ笑。全体にあまりおどろおどろしさもない。エピソードのそれぞれの立ち方に独特の魅力を感じるかな。

しっかり者のリナがそれぞれ特徴がある人たちと触れ合い、不思議な体験をする夏のひととき。なかなか微笑ましく面白い。

児童ファンタジーの原点のようなストーリーに癒されました。

◼️ 北村雄一「ダイオウイカvsマッコウクジラ」

タイトルからのそそられ度No.1ですね〜

なんて面白そうなタイトルなんでしょ。最初の方だけ、あとは別の深海生物を紹介する内容、と情報は見てた。まあそんなものかと。

船乗りによくあるオオウミヘビ伝説の正体はダイオウイカを見間違えたもの?ということはかつて目撃されたという、オオウミヘビがクジラに巻きついて海に引きずりこもうとしていた場面はつまり?ダイオウイカとマッコウクジラの関係性は?

なるほど、これはこれでそこそこ面白い。30ページ足らずだけれども。他の深海生物もなかなかに知的好奇心をそそる。

サメの仲間だけれども蛇のような頭と身体を持つラブカ、古代ザメのミツクリザメ、かつて日本のトロール船が引き上げた10メートルあまりの大型動物、ニューネッシーと騒がれたその正体は?紛れもない新種なのにクジラに似ていたため騒がれもしなかったメガマウス。極め付けはリュウグウのツカイで、銀色に輝く細長い身体、頭には赤いたてがみ、異形で最大7.6mにものる巨体・・そりゃオオウミヘビに間違われるわ、と思う。

見たいでしょう。この本には写真はないのです。webで調べてみましょう。

さて、いくつか読み手としてのマイナスポイントを。わがままかも知れないが。

タイトルの内容を書いてはあるし、こちらもそんなものかと了解しかけてしまうが、当該コーナーには、もひとつ熱意のなさと、この短さでも当然といったような印象を受けてしまった。

終盤ダーウィンの進化論に関連して、特定の人、考え方にさして説明的、論理的といえない攻撃をしている。学者が書くものにはたまにある。私は全面的にやめて欲しいと思っている。読む方には関係ないし、明らかに感情的。

タイトルにはそそられる。内容も半分くらいまではたしかに面白い。しかし、どうもテンポの悪さとあいまって、あとこんだけ書くなら写真くらい載せましょうという気持ちもあって、どうも後味の悪い読書となったのでした。

8月書評の4

◼️ ブレイディみかこ
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

イギリスもいろいろあるなあと。日本帰省時の話もには唖然。

ベストセラー。ウワサは聞いてたし、書店にしばらく単行本が平積みにされていた。手に取ってみると、同郷の名門公立校出身だとか。帰省時の話も言葉も映像と音が浮かんだ。

アイルランド系の方と結婚して、イギリス南方のブライトンに暮らす著者が綴ったノンフィクションのエッセイ様文章。

息子さんはクリスチャン系で裕福な家庭の子が多い小学校から中学校に上がる際、「元底辺」の学校を選ぶ。

知らないことが多く、は〜と思いつつ読み進む。学校はランキングが公表されていること、息子さんが通う底辺の中学校は文化活動に力を入れてランキングを上げようとしていること、その分予算を貧困家庭対策に費やさないため、教員に持ち出しと労力的な負担がかかっていること等々。

イギリスは移民が多く、白人の子供たちと東欧系、アフリカ系、アジア系の子達が一緒に教育を受けていて、公立中学校間の貧富の格差も大きい。

ヨーロッパに行ったことはほとんどないが、その短い滞在でも、人種差別的なものは感じたしあるんだろうな、といううすぼんやりした想像を現実として追体験した思いだ。日本では想像できない。


著者の実家は福岡市の西の方かと思われる。帰省時、英語がさっぱりなお祖父さんと日本語かが分からない孫との気があって、著者が東京へ行ったりしてても平気、海で遊んだり釣りをしたり、ドームで野球を観たりして楽しむ、というのはシチュエーションもさることながら風景と博多弁が浮かんでよりいっそう微笑ましくなった。

しかしながら親子に対する酔っ払ったおっさんの物言いはヒドい。レンタルビデオ屋の店員もなんで?という感じ。息子と英語で話しているだけで、いきなり故郷が安住の地でなくなっている現実に唖然とする。福岡の恥です。

イギリスの差別的世界もは〜、またEU離脱の大論争でナショナリズムという言葉にかなり敏感になっていたり、どこかアイデンティティ・クライシスを感じるほどの社会状況、というのもかなり、「は〜」。スコットランド離脱などの論争と相まって、かなり煮詰まっている様相も醸し出されている。

ハーフ、オリエンタル、というのが使用を憚られるという風潮もびっくり、当地ではMIXEDにも論争があるとか。LGBTと合わせ、今後は世の中さらに混沌としてくるのではと予感させる。

それにしても・・若い頃から女性に対する言葉、態度の暴力は聞いていた。我々が経験したことのない、信じられない態度も弱者には向かう。生きにくさの現実。息子さんがたくましく面倒見が良いのは明るい光だ。本書の魅力の一つだろう。


◼️ 伊坂幸太郎「首折り男のための協奏曲」

消化できないのが個性。不思議なのが持ち味。

伊坂幸太郎はたまに読みたくなる。この世界から独特の距離感がある異常な世界への跳躍、オチがあるのかないのか微妙な会話。その中で際立つ妙なぬくもり。予測のできないストーリー展開の面白さ。奇妙なタイトルで気になっていたこの作品もまた、ああ、伊坂だなあ、と思わせる本だった。

本書は冒頭作「首折り男の周辺」から始まり、伊坂作品ではおなじみのヘンな空き巣・黒澤が活躍する短編を挟み、またラスト近くで首折り男が出てくる作品に戻る。

それぞれの短編は、直接的な関連もあり、もっと目を凝らせば発見できるかもしれない薄い繋がりもあるかも、という様相を帯びている。

そう思わせたまま放置することが著者の大きな特徴なのも確か。ふつうの、まあこの言葉も定義もあいまいだけれど、私が読む作家は伏線を敷いて散らして、ちゃんと回収する。その手際の見事さは作品の評価に直結することも多い。

ところが、伊坂幸太郎は、上手に書いていながらも、おそらくはさらに巧妙に、この常識を外れた書き方をする。意味があるのかないのか、伏線をあからさまに回収しないイメージも強い。

最初は正直、うわっと思った。周囲に苦手なんですわ、という者もいたりした。でも今や慣れてしまって、また独特の面白さもなじんできて、これこれ、という気になってしまっている。

首折り殺人は最初多発して、生々しい事後の現場もあり、後段も出てくる。犯人も出てくる。でも総じてユーモラスな物語集で、やっぱり伊坂はエンターテイナーだなあと思ってしまうのでした。

8月書評の3

◼️ 角田光代 松尾たいこ

「なくしたものたちの国」


ダメだよね、こんなにしんみりとツンツンされたら。


本との出会いはいつもながら不思議なもの。大雨が止んだ日、図書館に行ったらなんと警報がまだ出ていたため閉館。あまり時間もなくて本屋にゆっくりは行けないし、諦めて短い時間で買い物をしようと入った地元のショッピングビルの、いらない文庫本を置いてって可、持って行くのは150円、という棚でこの本と目が合った。タイトルもまったく知らないな、まあ久しぶりに角田光代読んでみるかという気になった。


幼い頃の雉田成子は、動物や鳥や野菜の言葉が聞こえ、話をしていた。小学校入学の日に動物舎を見つけ、やぎのゆきちゃんと友だちになる。ゆきちゃんは音楽の先生に恋していた。成子はお母さんのティアラを持ち出し、ゆきちゃんに貸してあげる。そして、先生とゆきちゃんがデートしたかどうか聞こうとした夏休み明け、なんと成子はー。

(晴れた日のデートと、ゆきちゃんのこと)


高校生の成子は、年下の中学生、童顔の銃一郎と電車の終点の駅にある海辺の街へ行く。この初恋の相手は、なんとはるか昔成子の家にいた猫のミケの生まれ変わりで、成子の母をよく覚えていた。海に行った日に成子の祖母が急死、遅くに帰った成子は取り乱した母に一緒に行ってた相手を連れてきなさい、と命じられる。ミケこと銃一郎は、久しぶりに、雉田家を訪れる。(キスとミケ、それから海のこと)


3話ではついに生き霊が出現。第4話はなにやら私的に安部公房か星新一の世界。第5話で多くの話がつながる連作短編だ。ほのぼのとした不思議な話たち、である。


話と話の間に、原色を駆使するイラストレーター松尾たいこの絵が数点カラーで入っている。あとがきで、先に絵が出来てそこから話を書き始めた、とある。イラストと話の中身が折り合っているように見えたのは話の方が後付けなのか、と少々びっくり。


全部スラスラ読める。さすが角田光代だな〜と安心して読み進める。とりわけあらすじを書いた2篇は心に染み入るし、どこか恥ずかしげで、心地よく遠い。


だんだんとシュールになっていくような、大人のわけわからなさに入っていくのか、終盤はそんな感じ。でもどこかひと昔前のSF、ライトホラーっぽい感触は硬質で、前半のやわらかい不思議さと対照的だ。


子供のころ、若い頃は自分の想像のみがカラーで、周りの年配の方の想い出話はモノクロなりセピア色であるような気がしていた。大変失礼なことである笑。


でも自分が馬鈴を積み重ねてみると、過去はそれなりの彩りを持っていて、時間的に横たわる長い歳月は意外と簡単に飛び越せるような気分になって、だからいっそう遠さを実感する。色褪せていることにも気づく。


生まれ変わりのミケ。創作としてはよくあるとは思うけど、可愛がっていたあの犬は、口がきけたらなんて言うだろう、なんて、いつも思う。その遠さとファンタジックさに、一瞬の心地よさを味わった。


◼️ Authur  Conan  Doyle 

The Adventure of the Red Circle(赤い輪)


月イチ原文ホームズ読み9作め。ドイルの特徴がよく出ている一篇。


まだまだ分からない単語フレーズは多いけれどもだいぶ読めるようになってきたかな。少なくとも忌避感はなくなった。今回は慣用句的な言い方が多くて調べるのに時間を要した感じ。


物語は女家主(landlady)をホームズが説き付けている場面から始まります。


WELL, Mrs. Warren, I cannot see that you have any particular cause for uneasiness


「いいですか、ウォーレンさん、僕にはあなたが不安に思う理由が分かりません」


しかしlandladyは引き下がりません。以下意訳。


「だって以前、私の下宿人の事件を調停してくれましたよね?彼はあなたの親切さ、やり方の見事さをそりゃずっと話してましたよ。その気になってくれれば、きっと解決しますよ。」


ほめ言葉に弱いホームズはしょうがない、と話を聞くことにします。ウォーレン夫人は新しい下宿人が、ずっと部屋にこもって会うことができない、朝から晩までせかせかと歩き回る足音が聞こえる、ちょっと怖い、と言うのです。肝の座ってそうなlandladyは、理屈を超えた直感に何かしら響くものを感じているようでした。


よく話を聞いてみると、男は10日前に来て、2週間分の下宿料を払い、自分の条件を呑んでくれれば追加で5ポンド支払う、と。条件とは、どんな場合でも決して部屋に入らないこと。食事はベルを鳴らしたら部屋の外にある椅子の上に置くこと。なにか用があれば椅子の上に紙で置いておく。紙には活字体で、「SOAP」「MATCH」「GAZETTE(新聞名)」とシンプルに書いてある、と。


ホームズはホームズらしく引っ掛かりを覚えます。


Seclusion I can understand; but why print? Printing is a clumsy process. Why not write? 

「人に会わないのは理解できる。しかしなぜ活字体だ?活字体は面倒な書体だ。なぜ筆記体で書かない?」


ノッてきたホームズ、男は中背、黒髪、あごひげ、口ひげ、身なりはよく、きれいな英語を話すが外国訛りがある。非常に少食。ウォーレンさんが持ってきた煙草の吸いさしを見て、これは口ひげのある男は焦がしてしまう、と観察します。つまり、口ひげのある人が吸っているのではない、と示唆されています。


手がかりを求めて、新聞の身の上相談欄を探すホームズ、これもお得意です。ありました。


The path is clearing. If I find chance signal message remember code agreed – one A, two B, and so on. You will hear soon. G.


「邪魔ものはなくなった。機会があれば打ち合わせておいたコード信号を送る。1つはA2つはB、以下同様。すぐに連絡する。Gより」


さらに翌日、白い上塗りをした背の高い家、2つめの窓、夕暮れ後、G、という言葉を発見して張り切るホームズの元へウォーレン夫人が駆け込んできます。なんと、夫人の旦那さんがいきなり馬車に押し込まれ、連れ回され、しまいに放り出されたというのです。もうあの下宿人には出てってもらいます、と息巻く夫人をホームズは早まったことをしてはいけない、となだめます。


明らかに下宿人には危険が迫っているということ、これは最初思ったよりもずっと重要な事件です、と。夫人の旦那さんは人違いで拉致されたんですね。あなたの下宿人を見に行きましょう、と。


夕方、ホームズとワトスンはウォーレンさんの下宿屋へ出向きます。近くに白塗りの背の高い家があるのを確認してほくそ笑むホームズ。謎の下宿人の廊下の端にある納戸に潜みます。ウォーレン夫人はホームズ達から下宿人がよく見えるように、それとなく大きな鏡を置いてくれていました。すぐにベルが鳴り、夫人は食事のトレーを椅子の上に置きます。見ていると、出てきたのはなんと若い女性でした!美しく、怯えた顔をしていました。


活字体の文字は筆跡で男女を判らせないようにするためだったんですね。ホームズはアウトラインを説明します。ある男女がロンドンで差し迫った危険に直面した。男はやることがあり、女を隠れ場所に住まわせ、直接接触できないから、新聞で連絡を取った。そしてもうすぐあの背の高い家の窓から信号を送るー。


しかし根本の理由は謎のまま。ワトスンくんは問いかけます。


Why should you go further in it? 

「なぜ君がこれ以上首を突っ込まなければならんのだ?」


それに対してホームズ。


It is art for art's sake, Watson.

「これは芸術のための芸術だよ、ワトスン。」Education never ends, Watson.

「勉強は決して終わらないんだ。」


だいぶ最初とは違ってきましたね^_^


さて、夕暮れ、下宿屋の窓から見ていると、背の高い家の窓から光が点滅しているのが見えます。1回がA2回がB。受け取ったメッセージは「ATTENTA3回繰り返されます。暗号?ちなみに暗号はcipherです。ハテナ顔だったホームズは突然得心します。


イタリア語でした。英語に直すと


Beware! Beware! Beware!

「気をつけろ!気をつけろ!気をつけろ!」



今度は「PERICOLO」。danger、危険、という意味でした。しかし、光は突然途切れます。送り手に何かが起こったのは明白でした。


ホームズ達は背の高い家に急ぎます。すると、なんと家の前でスコットランドヤードのグレグスン警部とばったり。


Journeys end with lovers' meetings.

「旅路の果ては、恋する者の巡り逢い」


「空き家の冒険」でも出てきたシェイクスピア「十二夜」のセリフ。なんか差し迫ってる事態なのにのんびりしてます。さらにホームズは


But since it is safe in your hands I see no object in continuing the business.


「しかし君に任せて大丈夫なら、僕がこの事件を続ける理由はないな」


なんてのたまいます。すかさずグレグスン、


Wait a bit

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」


そりゃそうですわね、芸術のための芸術とか言っといて、しかもヤバそうな瞬間なのにこんなこと言うなんて。


ホームズさん何か知ってるでしょうよ、それはないでしょう、と。しかしホームズにはそもそも事態は分かりません。君たちが追ってるのは誰なの?と訊かれてグレグスン、ちょっと得意満面。そこでアメリカはピンカートン探偵社のレバートン氏をホームズに紹介します。


で、ターゲットはゴルジアーノと言ったところであの赤い輪のゴルジアーノか!とホームズも反応します。アメリカで少なくとも50件の殺人事件の黒幕とか。ヨーロッパでも有名でしたか、とレバートン氏。


レバートン氏はアメリカからゴルジアーノを追いかけてきて、ロンドンではグレグスンとともに張り付いて、ついに背の高い建物に追い込んだとこだった、とか。彼は入ってまだ出てきていない、と。


ちょっとそれ、ヤバくない?だって中には信号を送ってた男がいるはず、でも、レバートンくん、事の次第を話すと、


くそっ、ゴルジアーノが我々に気付いて、仲間に暗号で知らせたんだ!と思い込む。


とにかく行ってみることだ!と背の高い建物の階段を駆け上がるロンドン警視庁とアメリカの探偵とホームズとワトスンの団体さん。真っ暗な部屋でランタンを点けて半開きのドアから中へ入るとー


巨体の男が、喉に深くナイフを刺し通されて、倒れていました。


By George! it's Black Gorgiano himself


「どういうわけだ!これは黒ゴルジアーノだ!」


ルバートンくん、わけわからず、誰かに先を越されたか!とうなります。By George!というのは私も初めて知りました。


ローソクがあるのを見て取ったホームズは冷静に、火を点けて窓際で揺らします。そしてルバートン氏に、出てきた人の中に、30歳くらい、中背、黒いあごひげの男はいたか尋ねます。確かに出て行っていました。そう、下宿を借りに来た男です。それが犯人だ、とホームズはアメリカの探偵に告げます。


そこへ、背の高い、美しい女性が現れます。ホームズ&ワトスンが下宿屋の部屋から出てきたのを目撃した、あの女性でした。最初は怪訝な顔をしていた彼女は


Oh, Dio mio, you have killed him!

「ああ、神様!あなた方は彼を殺したのね!」と口走ると、


暗い、殺害された死体のある部屋で、なんと歓喜の言葉を呟きながら、手を打ってダンスし始めたのでした。シュールな光景です。

Oh, Dio mio,は英語のOh, my godですね。とゆーか、調べたらmio dioなのでは?と思っちゃったりして。


「ジェナーロはどこ?」女性は、ジェナーロ・ルッカは夫で、自分は自分はエミリア・ルッカだと名乗ります。


ホームズは先ほど信号を送り、エミリアを呼び寄せていたのでした。ともあれ、このままでは事情が分かりません。


隣の部屋で事情を聞くことになりました。


2人はナポリの近くに住むイタリア人でした。エミリアの夫、ジェナーロは若気の過ちで恐ろしい秘密結社「赤い輪」に入っていたのでした。エミリアとジェナーロは愛し合うようになり、裕福でなかったジェナーロとのエミリアの結婚は父親に認められませんでした。2人はニューヨークへと駆け落ちします。そこで、最悪の相手、よりによってジェナーロをイタリアで赤い輪に入会させたゴルジアーノと再会してしまったのでした。


イタリアの官憲から逃れるためアメリカに来たゴルジアーノはその悪才をフルに発揮し、当地に支部を作って、金持ちのイタリア移民を脅して資金を得ていました。強制的に集会へ動員されたジェナーロは、言うことをきかない者を見せしめにダイナマイトで爆殺する実行犯に選ばれてしまいます。脅しに屈しないイタリア系の人は、大恩のある、ジェナーロの会社の社長でした。実行犯はくじびきでしたが、明らかに仕組まれていました。しかもゴルジアーノはエミリアに横恋慕していてはねつけられたのでした。


ことここに至って、ジェナーロは恩人の社長に危機を伝え、当地の警察にも届けて、エミリアとともにロンドンへと逃げます。もちろんゴルジアーノはしつこく追ってきました。そしてジェナーロがロンドンとイタリアの警察に手配をしている間、エミリアは隠れていたというわけです。


ジェナーロを見張っていたゴルジアーノは信号を送る場所に殺意を持って踏み込んで来ましたが、ジェナーロにも備えが出来ていて、返り討ちにしたということですね。しかも真っ暗な建物の中は、ジェナーロに一日の長がありました。


物語は、全てを説明したエミリアが、


And now, gentlemen, I would ask you whether we have anything to fear from the law, or whether any judge upon earth would condemn my Gennaro for what he has done?


「そして今、私は皆さんにお伺いしたい。私達が法律を恐れるようなことがあるのか、それともこの世のどんな裁判官が私のジェナーロを彼の行為のために罰そうとするのか?」


と問い、アメリカの探偵は、イギリスのことは知らないが、ニューヨークなら感謝決議ものですよ、と言い、グレグスンも、裏付けがちゃんと取れさえすれば、彼女も、彼女の夫も、そんなに怯えることはないと思います、と応じます。


オチは、ところでホームズさん、私はなんであなたがこの件に関与したのかさっぱり分からないんですが?とグレグスンがおとぼけ気味に訊くことで締めへ向かいます。


ホームズは、勉強だよ、グレグスン、とチャーミングに返した後、ワトスンに向かい、


By the way, it is not eight o'clock, and a Wagner night at Covent Garden! If we hurry, we might be in time for the second act.

「ところで、まだ8時前だ。コベントガーデンでワーグナーをやってるよ。急げば、第2幕に間に合うかもしれないぞ。」


この最後の形は、いくつかのホームズものに見られますが、私は大好きです。私も、


「ところで、きょうは神戸の元町映画館でイスラーム映画祭の最終日だ。急いで阪急に乗ればラストの上映に間に合うかもしれないよ、その後で美味しい明石焼きでも食おう!」


なんて言ってみたく思っています。どうでもいいか笑。


さて、この物語にも、ドイルの特徴が顕著に現れています。


1800年代終盤から1900年代序盤は帝国主義の時代で、世界は広がっていました。イギリスは世界各地に多くの植民地を持っていて、ヨーロッパは大陸鉄道でつながり、アメリカはまだ新大陸というイメージだった。そして紛争が後を立たなかった。


ホームズものはこのような世相をよく反映していると言われます。アメリカはもちろん、インド、アフガニスタン、オーストラリア、南アフリカなどの国名が出てきます。今作はアメリカのイタリア移民、というアメリカの民族構成に踏み込んでいるように見えるところが興味深い。


外国に因縁を作り、ロンドンで解決するのは、不思議度が増して効果あり。この物語も「緋色の研究」によく似てますね。


なぜ活字体を使うか、から始まって事件はどんどんと深刻さを増します。些細なことが大事につながるのもホームズらしい。さらに光を使った暗号信号、これはどこか「バスカヴィル家の犬」を思い起こさせますね。


ゴルジアーノがぽっかりと浮かんだ光の輪の中に倒れていたり、エミリアが悲惨な死体を前にして踊り出したり、ことさら最初をマンガ的にしたり、この作品は演出にもかなり腐心のあとが見えます。


ただあまり人気作品と言えないのは、ちょっとシュールすぎ、演劇的すぎるのかな、と思ったりもしています。


それぞれキャラが確立されている短編。事件を持ってきたlandladyMrs.Warrenに個人的助演女優賞!^_^




iPhoneから送信

8月書評の2

️ ◼️後藤武士
「読むだけですっきりわかる日本地理 令和版」

地図は好きだが、久しぶりに読んだ教科書的地理。

そもそも地図帳は見るのが好きで、子どもの小学校時代の日本、世界の地図帳を自分の本棚にいまだ入れている。住宅地図なんかは苦手なんだけど、地図帳は眺めていて飽きないタチ。

教科書的地理というには砕けててしゃべり言葉のように早い。けれども、地理を文章でまとめて読むのはやっぱり中学、いや小学校以来かな。ギャップがあり過ぎて楽しい。

日本一の工業地帯はとうの昔に京浜ではなくいまや中京工業地帯。京浜の交通の便が良い土地は住宅、商業用となり、順位が変わった。阪神工業地帯は変わらず2位である。

わが兵庫県は近畿で1番面積が広い・・まあ悪いよりはいい感じかな笑。九州は筑紫山地と九州山地・・あれ脊振山地ってなかったっけ。中国地方ってなんで中国地方?のトリビアにふ〜ん。長崎県の海岸線の長さは日本第2位、北方領土を除けば1位だそうだ。たしかに島は多い。へ〜。

とりわけ眼を瞠ってしまうのは、やはり交通網の発達、充実だ。山陽自動車道はたしか1990年代に開通したよな、とか、愛知の地球博とか、東北新幹線、九州新幹線、北陸新幹線の開通なんてもう歴史になってしまってるし。昔あれほど高速道路が少なかった九州にめっちゃいっぱい高速できてるし。

早く大阪まで北陸新幹線来ないかな、とか東京にいる間に東北新幹線のはやぶさででも宮沢賢治旅行しとけば良かったな、とか。しまなみ海道行ってみたいなとか。なんかゆっくり旅したい感覚にもなる。

テンポの良い、サクサク読める地理の本、私みたいに、久々に地理の説明読んで知的好奇心を満足させつつ、昔小学校で習った地理とのギャップに驚きたい人がターゲットなんだろうね。

8月の3連休、オリンピックと台風で外出ほとんどせず、本に困って近在のコンビニで買った本でした。

◼️髙田郁「あきない世傳金と銀 八 瀑布篇」

良きこと悪しき事。出来事が入り乱れる。

だいぶ長くなってきて、課題もたくさん、動きも多い。呉服太物屋の五鈴屋江戸店、主人公の七代目、幸は女名前の主人の期限が迫り、跡目問題にさまざまな考えを巡らす。手代の賢輔どんは、女性だけでなく男性にも買ってもらえる柄をと悩み、跡目問題にも心を痛める。そして幸の妹、世間知らずの結を本両替商の音羽屋が後添いにとしつこく望む。さらに小紋染のヒットからお上に目をつけられて巨額の上納金を求められ、加えて行方不明だった元店主、惣次が本両替商井筒屋の主人として現れる。

「悪い奴ほど、阿呆な振りが上手いよってに、気をつけなはれ」

惣次のこの言葉はこの巻のキーワードのようだ。新たな図案はひょんなことから突破口を得、うまく行きかけたところへ、キーウーマンである唯がびっくりするような行動を起こして終わり、となる。

うーん、長いこと読んでる身にしてもちょっとお腹いっぱいで冗長感があるかなあ。月日は確実に過ぎている。人情も、考えも姿勢も立派。それだけにどうもどうも、もひとつ足りない感があるかな。

鳥の鳴き声や着物の色の種類なぞは相変わらずピタピタと来るのだが、肝心の物語が・・などと思ってしまうこの頃だ。

8月書評の1

◼️ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」

暑い夜にはゴシックホラ〜♪涼は気分で。

毎年真夏はなぜか読書が進む。ホラーとか長編ミステリーを読み込むことが多いというのも関係している。やっぱ暑い時期にはヒヤッとするような物語を、と思う。「フランケンシュタイン」は読んだけどもこちらは手付かずだった。

吸血鬼は昔から映画で観てたし、マンガでも読んだしで普通に知識はあった。小説としてはやっぱりホームズで「サセックスの吸血鬼」という短編と、パロディの「シャーロック・ホームズvsドラキュラ」かなと。「vsドラキュラ」は本格対決がなく終わる短いものだけど、私は傑作の部類に入れている。今回船の難破の経緯やドラキュラの狼、コウモリ、霧への変身など、かなり原典に忠実だったのが改めてわかった。もう1回読もうかな^_^

筋をおおまかに。弁理士ジョナサン・ハーカーは、ルーマニア・ トランシルヴァニアの城に住むドラキュラ伯爵からの、ロンドンに家を買いたいという依頼に答え現地へ赴く。ジョナサンは囚われの身となり、脱出する際に激しい恐怖体験に遭い正気を失う。

ホイットビーの岬では、嵐の中、デメテル号という船が岩礁を避けたものの砂浜に座礁した。その船から犬のようなものが素早く逃げ去ったという。船員はおらず、操舵していた船長は死んでおり、腕を操舵輪に括り付けられていた。


一方ジョナサンの婚約者ミナは幼友だちルーシーの、ホイットビーの家に遊びに来ていた。ルーシーは夢遊病で夜出歩く癖があった。やがて衰弱しだし、近くの精神病院長でかつてルーシーにプロポーズしたジャック・セワードが診察する。ルーシーの症状に不審を抱いた彼は恩師のオランダ人医師、ヴァン・ヘルシング教授を呼び寄せる。

ルーシーの身体からは大量の血が失われており、婚約者アーサー・ホルムウッド、セワード、教授は代わる代わる輸血する。教授は研究の末、ニンニクの花の首飾りを作ったりと魔除けの方法を施すが、ことごとく裏目に出てやがてルーシーは息を引き取る。しかし、ドラキュラの同族となった彼女はー。

吸血鬼伝説というのはそもそもかなり昔から見られ、ホメロスのオデュッセイアにも言及があるとか。

フランケンシュタインは、閨秀作家のメアリー・シェリーが、詩人バイロンのスイスの別荘で過ごした時に作り出され、同じ晩にドラキュラもポリドリという人が着想を得たという話になっている。ポリドリの吸血鬼物語は大変な評判だったとか。そこから「吸血鬼カーミラ」という女吸血鬼が生まれ、それから四半世紀後の1897年、劇の批評などを行っていたブラム・ストーカーが書き上げたのが本作とのこと。

バイロンが怪奇小説をそれぞれ書こう、と企画を持ちかけた、そのお遊びの心が後世に残るゴシック・ホラーの名作を生み出したのだから、バイロンの思いつきは偉大な価値があったことになるよね。

1992年の「ドラキュラ」という映画では、ウィノナ・ライダーがミナ役をしていた。今観たらたぶん感慨も違うだろう。

血を吸う怪物、犬歯が尖る、目が血走って真っ赤になる、美女の血を欲する、噛み付く時の迫力ある顔、噛まれたものはゾンビ的吸血鬼となる、無双の怪力、コウモリ、狼、霧に姿を変える。昼は活動できず棺に寝ていて、夜になると動き出す、極めて残虐な滅する方法、などなど魅力があまりに充分だと思う。バツグンだ。

今回実は意外に弱いなヴァンパイヤ、とかも読みながら思っていた。弱点ははっきりしてて、けっこう腰が弱そうだ。それも面白い。

出演人数が多く性格の割り振りについては、
間口が広くなりすぎた感もあるかな?と思う。

ゴシック・ホラーという甘い響き。やはり名作には、生き残る理由がある。GOODでした。

◼️ 西東三鬼「神戸・続神戸」

戦時中の、神戸らしい、熱気とザラッと感。

西東三鬼は俳人で歯科医師、しかし時代と人の縁に流され、自由に生きる。兄がいた当時英領のシンガポールに渡って医師として働き、中東出身の友を得たらしい。

私的にはホームとも言える神戸。当時こんなに雑多な人種がいて、その生きるエネルギーが渦巻いているのを垣間見ると、現代のスマートでありつつ、どこか猥雑で熱気ある空気へつながっている不思議を感じてしまう。

1975年の出版で、およそ昭和17、18年から終戦までの神戸の中心街近くが舞台。山から海へ一直線に降りるトアロード、新神戸近くの山の手、北野の今はオシャレな山本通りとなじみのある舞台。

トアロードの中途にある朱塗りのホテル、そこは長期滞在客の巣だった。日本人12人、多くはバーのマダムと娼婦、トルコはタタール人の夫婦一組、白系ロシア女、エジプト男、台湾人男は、朝鮮女、各1。

エジプトのホラ吹きエルバと中近東の音楽を聴く話、著者が同棲している波子は目を離すと娼婦として稼ぎ始める女、模範的日本人の態度をみせる掃除好き、20歳の台湾人・基隆(キールン)、八頭身の美貌の持ち主、マダムたちの反感買いまくりの葉子と彼女をドイツ兵に売るロシア女、マイペースな娼婦で外国語堪能、イケメン好みの原井さん、一次大戦の飛行機乗りで、ガソリン不足の折に東京から博多まで車をぶっ飛ばし著者を付き合わせる白井氏と、バラエティ豊かな人たちとのエピソードが合わせて15話収録されている。

冷徹さに情がちょっぴり入ったような、文調の向こうにある視点、また書いてるだけでコミカルに見えるような人々。波子は直接関係はないがゾルゲ事件で運命が変わるし、港には、水路をアメリカの潜水艦に押さえられ、やることがないドイツ兵やイタリア兵の姿が描かれる。


皆それぞれ貧しく、特に女は、身体を売らなければ生きていけないと割り切っている。外国人の恋人がいる者も多い。神戸へも空襲があるのは時間の問題だという焦燥感。

これはいまにヤバいことになると山手の山本通りのだだっ広い洋館に引っ越す著者。空襲の時はマダムたちが避難に来て去っていった。

激しく動く時代、著者はまた、まあはっきり言って女に弱く、子どもが欲しいという女の気持ちに応えて隠し子を作って、長崎の女の両親の元へ挨拶に行ったりする。

おもろかしいエピソード集に見える本、しかし、熱く忙しく動く日々のボトムには氷が敷いてあるような哀しさが冷気のように漂う。ために、ザラッとした感覚が心に残る。

「続神戸」は英語を喋る著者が戦後進駐軍の仕事を請け負い、俳句に回帰するまでのさまざまが描かれている。

現代の神戸には、多く外国人が住んだ港町、環境のもと育まれた風土が感じられる。いまと歴史のつながりは、まるでないようで、しんとした中にじわっと来る。これが積み重ねなのかなと思う。私も長いこと触れているけれど、元は九州の田舎育ち。いまだ新鮮だ。

水をあける

7月書評の5


7月は10作品10冊だった。実に久々の更新となった。この間出来ることをやってました。


◼️ 高樹のぶ子「業平」


伊勢物語は味わい深さが落葉として心に落ちる。雅やかな平安の時が淡く感じられる。


図書館予約してから9か月、やっと回って来た。「100de名著」のインパクトばかりでなく、伊勢物語がいかに愛されているか、稀代の色男であり抜群の歌人であり、謎の多い在原業平を、クッキリと見える主人公として、この物語を小説化する、というのがいかに人々の心に刺さったか、推し量れるというものだ。


在原業平は825年に生まれた、平城天皇、桓武天皇の孫。父の阿保親王が後継争いに巻き込まれることを嫌い、臣籍降下させ在原性を名乗ることとなった。世は藤原良房、基経の権力が強まり、伴善男、源融らが対立勢力となる。業平は、歌人としては一流だが政治の世界では表に立てず、惟喬親王、紀有常ら負け組ともっぱら付き合いが深かった。


「初冠」の姉妹たちとの明るく初々しい出逢いとやり取り、若く傷つきやすい心根の業平を優しく受け止める大人の、右京の女から始まり、数々の恋を描いている。そして業平の官位、立場や交友する人々、また政治的な成り行きなどが織り込まれている。


伊勢物語には数々の名歌と儚い恋、失脚、人生の道行、また筒井筒のような若く青く溌剌とした恋のエピソードなども盛り込まれている。全体として感じるのは在原業平の遠さ、薄さとでもいおうか、平安時代の貴族の典雅さとは対局にあるようなファンタジックな部分でもある。


この小説は、短い章を積み重ねながら、基経の妹、藤原高子(たかいこ)との恋愛譚、その昇華点、「芥川」へ向かって緊張感を高めていく。背負って、大雨の中逃げて、鬼に遭うー。


そして今一つのクライマックスは、惟喬親王の妹であり、権力争いの波紋で伊勢神宮の斎王となる恬子(やすこ)内親王との恋。役目として伊勢へと出張した業平は、斎王の暮らす神秘的な館でついに一夜を共にするー。


清らかでなければならない斎王が男と契る、あってはならない過激なストーリーに伊勢物語が書かれた当時は騒然となったとか。


高子、恬子、両方の話とも、業平にとっての存在感と、片や天皇の妻となり、片や1人で意に沿わぬ伊勢行き、というそれぞれの境遇、運命を構築し、そのはざまで揺れる業平の心持ちを描き出している。


古典を読むだけでもドラマチックな要素を、古文と現代語訳の中間のような文体で、活き活きと、華麗で幻想的で人間らしく彩っている作品。微笑みながら読んでしまう。


劇中、業平が源融や兄行平と訪れたいまの兵庫・芦屋は住まいに近く、またその際観に行った神戸の布引の滝の部分にも親近感が湧く。布引の滝を見ての歌。


ぬき乱る人こそあるらし白玉の

間なくも散るか袖のせばきに


白玉の緒を引き抜き、このように散らせる人がいるにちがいない。美しい白玉が間を置かず散り落ちることよ。それを受けとめ包むには、私の袖はこわなに狭く小さいのですが。



晴るる夜の星か河辺の蛍かも

わが住む方の海人のたく火か


あれは晴れた夜空の星でしょうか。それとも河の近くを飛ぶ蛍でありましょうか。さもなくば、わたしの邸がある芦屋の灘の海人が焚く篝火でありましょうか


この2首はおぼえておこうと思った。


まだまだ有名な話と名歌は多く盛り沢山。とても全部は書き尽くせない。


ちはやぶる神代もきかず竜田川

からくれないに水くくるとは


の竜田川や、筒井筒の井戸は毎年のように行きたく思うがまだ訪ねていない。作中にも出てくる、嵯峨野の源融の屋敷の後に立ったという嵐山の清涼寺は昨年行ってきた。


古典作品に正面から取り組み、新解釈を芳醇な文体と巧みな構成、流れで小説化した著者に拍手と御礼を。業平は光源氏に比べるとやはり地味なんだけれど、人間的でありつつ、どこか超越したところにいるような業平の淡さを強く残している部分に好感が持てた。



◼️ Authur  Conan  Doyle 

The Norwood Builder

(ノーウッドの建築業者)


追い込まれるホームズ、しかし決定的な手がかりが・・!


3短編集「シャーロック・ホームズの生還」より。モリアーティと決闘し、死地から生還したホームズがベイカー街へ戻る「空き家の冒険」の次のお話。「生還」は劇的要素が強く、その流れを成している一篇だと思います。


「モリアーティ教授の死以来、ロンドンは妙に面白くない街になってしまった」

London has become a singularly uninteresting city since the death of the late lamented Professor Moriarty.


との言葉から始まる物語。


ホームズとワトスンの部屋に、目をギラギラさせて身なりも乱れた若い男が駆け込んできます。事務弁護士のマクファーレンでした。


I am the most unfortunate man at this moment in London. For heaven's sake, don't abandon me, Mr. Holmes! 


「私はこの瞬間、ロンドンで最も不幸な男です。どうか私を見捨てないで下さい、お願いです、ホームズさん!」


とのたまいます。そして、もし私が警察に逮捕されたら・・と口走ります。


Arrest you!  said Holmes. This is really most grati–most interesting. On what charge do you expect to be arrested?


「逮捕されると!これは実にありがた、いやいやとても興味深い。なんの嫌疑で逮捕されると予想しているのですか?」


面白い事件に飢えてたんですね笑。ワトスンは


My companion's expressive face showed a sympathy which was not, I am afraid, entirely unmixed with satisfaction.


「ホームズの顔には同情の色が見えたが、残念なことに、満足げなものが完全に混じっていなかったわけではない」


なんか少女マンガ的な可笑しさというか。


マクファーレンくんの事件は、朝刊に載っていました。ノーウッドの高名な建築業者、オウルデイカー氏家の材木置き場が燃え、その日から資産家オウルデイカーは行方不明になった。彼の部屋では金庫が開けられており、重要な書類が散乱していた。氏はベッドに寝た形跡がなく、部屋には格闘の跡があり、薄く血痕も見つかった。そして、部屋にあったオーク材の杖の握りにも血が付いていた。


焼け跡から遺骸が見つかった。昨夜事務弁護士マクファーレン氏がオウルデイカー氏を訪ねており、逮捕令状が出ているー。


杖はマクファーレンくんのものでした。ここへ来るまで、ずっと後をつけられていたと彼は怯えきっています。


そこへスコットランドヤードのレストレイド警部が登場。


I arrest you for the wilful murder of Mr. Jonas Oldacre, of Lower Norwood.


「ロウワー・ノーウッドのオウルデイカー殺害容疑で逮捕する。」


まあ待て、本人の弁を聞いてみようよ、とのホームズの頼みを聞き入れたレストレイド。マクファーレンの話を聞きます。


昨日3時ごろ、オウルデイカーがマクファーリンの事務所に入ってきました。なんと、マクファーレンに全財産を遺すという遺言状を仕立ててくれというのです。自分は独身で、近しい親族もいない。マクファーレンの両親とは昔知り合い、いつも話をよく聞いており、ふさわしい青年と確信したと。


こう書くと、いかにも胡散臭い、過ぎる話ですよね。


で、オウルデイカーは権利書等々を見て理解してくれ、ついては今夜遅くにノーウッドの自分の屋敷に来るように言います。加えて、君の両親には内緒にしてて驚かそう、と固く約束させられます。マクファーレンはオウルデイカーの屋敷を訪問し、深夜に辞去、近くのホテルに泊まりました。そして朝刊を見て驚天動地、これはヤバい!と動転してホームズのところに来たのでした。現場で見つかった血のついた杖はマクファーレンのものでした。


マクファーレンは話を終え、連れて行かれます。


自分に巨額の遺産が入ると分かったマクファーレンが殺したのですよ、というレストレイド。でもさー、まさにその日に殺すなんてするー?揃いすぎてる気もするしー、とホームズ。ホームズには確信があるようでした。


翌日、ホームズはマクファーリンが両親と住むブラックヒース、そしてノーウッドのオウルデイカー邸を回ります。ブラックヒースのマクファーレンママに言わせると、オウルデイカーとは婚約していたことがあるが酷いやつだと分かって別れた。そしたら今の夫との結婚式の朝に、切り刻んだ私の写真を送りつけてきたんだ、と。


さらにノーウッドの調査では、どうも思ったほど経済状況は良くなさそうで、コーネリアスという人物に多額の小切手を振り出していたことが分かりました。


しかしマクファーレンの有罪を覆す有力な証拠は出ず。落胆したホームズに、レストレイドからの電報が届きます。


Important fresh evidence to hand. McFarlane's guilt definitely established. Advise you to abandon case.

LESTRADE.


「新しく重要な証拠を入手しましたで。マクファーリンの有罪は確定ですわ。手を引かれたほうがよろしいんちゃいますぅ?」


ともかくもホームズとワトスンは出かけます。得意絶頂のレストレイド。


その決定的な証拠というのは、帽子掛けのある壁についていた、


well-marked print of a thumb


親指の指紋でした。準備のいいことにレストレイドはマクファーレンの指紋の蝋型を持って来ていて、2つは同じでしょ、決定的でしょ、とチョー上機嫌。ふだんさんざんやり込められているホームズを見返すチャンスなのですね。


ワトスンくんも思わず「決定的だ・・」と呟きます。続いてホームズも


It is final

「決定的だ」


しかしその時、ワトスンはピンときます。


Something in his tone caught my ear.

彼の口調の何かが私を捉えた。


ホームズは目を輝かせ、必死に笑いを堪えていたのです。


ホームズはワトスンを連れて散歩に出かけ、邸の周りを調べます。そして帰って来て、調書を書いてたレストレイドくんの所へ行き、持ちかけます。


重要な証人を連れて来るから、巡査何人か貸して、と。ホームズは3人のゴツくて声の大きそうな巡査に2束の藁を運ばせ、バケツに水を用意して、最上階の廊下の突き当たりへ。


藁に火をつけて煙を出して「火事だ!」


すると!奥の壁がパッと開いて、そこから小柄な老人が逃げ出してきました。


Capital!「すばらしい!」


Lestrade, allow me to present you with your principal missing witness, Mr. Jonas Oldacre.


「レストレイド、重要な見逃された証人を紹介させていただきたい。ジョナス・オウルデイカー氏です。」


オウルデイカーは殺されたのではなかったのです。偽装でした。


経済的に行き詰まったオウルデイカーは、自分の別名であるコーネリアス氏に多額の小切手を振り出していました。殺されたフリをして債権者から存在を消し、小切手を換金した原資をもとにどこかで別人として生きようとしたのです。


おまけに、昔自分をフッた憎い女の息子を絞首台に送ることができる。


It was a masterpiece of villainy.


「極悪の名人芸だよ」とホームズが評価した通り、いくつかの目的を同時に達成できる、よくできた最悪の計画でした。


しかしなぜ看破できたのか?


But how in the world did you know that he was in the house at all?


「しかしいったいどうやって彼が家にいると知ったのです?」


レストレイドの(へりくだった態度で先ほどまでとは全然違う)の問いに


The thumb-mark, Lestrade


「あの指紋だよ、レストレイド」


I knew it had not been there the day before.


「僕はあれが前日に無かったことを知っていた」


だから、夜の間に誰かが付けた痕だと確信を抱いたのです。散歩の途中で邸のぐるりを観察し、歩測し、最上階の間取りの不自然さを見抜いていたのです。加えてオウルデイカーは建築業者。隠し部屋1つの設置くらいわけないのでした。ちなみに火事の遺骸は動物の死体だと思われました。



名人芸の陰謀も、勇み足から露見してしまった。チャンスを逃さず、見事にクリアな解決。罪なき若いプリズナーを救い、警察の威信とレ自分個人の評判を守った、とホームズに大感謝のレストレイド。最後の方はこの警部に横柄さなんてまったくありませんでした笑。後に「六つのナポレオン」でも出て来ますが、基本的にやり込められる役のレストレイドはホームズに対して大変な褒め上手のようです。


まあもちろん、遺骸の骨が人間か動物かくらい分からないのか、とか、時間がないからといってマクファーレンの母親くらい話を聞いてないのか、などなどの疑問は残ります。犠牲者が犯人、というのもおそらく当時では斬新だったのでしょう。


顔のない死体は身代わり殺人を疑え、というミステリーの鉄則を踏んだ話でもありますね。オウルデイカーが建築業者だから隠し部屋、というトリックも見事ですし、劇的な解決も、ユーモアも良いかと思います。しかしなぜか、全作品中のインパクトはもう1つ。「火事だ!」が「ボヘミアの醜聞」のニ番煎じっぽいこと、高名な建築業者を犯人にしたのはいいけれど、悪役として決して魅力的ではなかったこと、なんかが理由でしょうか?



うさんくさい話にはウラがある、という教訓でありました。




iPhoneから送信

7月書評の4

◼️ 川淵三郎「独裁力」

バスケ好き。Bリーグ発足のリーダーが川淵さんで良かったと心から思う。

偉大な方である。Jリーグ発足当時から注目していた。日本プロサッカーリーグの形を見事に整えて、大々的にスタートさせたこと、大規模スタジアムを整備したこと、ネーミング「Jリーグ」は以降どれだけのスポーツリーグに真似されたか。そして、チーム名から企業名を外す大胆な改革を成し遂げた。

バスケットボール界は、長い間内紛が絶えなかった。協会の会長がもめて長いこと決まらなかったり、というのは新聞ネタにもなった。また企業チーム主体でプロ化の必要なしという姿勢も見えたJBLと、そこに業を煮やして起ち上がったbjリーグの並立状態だった。

FIBAは2つのトップリーグのある日本バスケ界のガバナンス不足を理由に制裁を下した。女子を含めた国際資格停止処分。FIBAが主催する大会、リオオリンピック予選にも出ることが出来ない。川淵さんは強く請われて改善のためのタスクフォースのチェアマンに就任、私案として新リーグ構想を示し、長年にわたって降り積もって固まっていた様々な課題を解決し、プロリーグ発足へこぎつけた。おまけにソフトバンク孫会長と話して大型契約を取り付けた。もはやJリーグと同じ健全なスポーツビジネスだ。

日本がリオデジャネイロオリンピックの予選に間に合うようにと短期間での勝負、作業となったが・・やはり成功させてしまう。Bリーグは成功した。今年つぶさに観ていた。どの会場も熱いブースター(サッカーでいうサポーター)がたくさん入っている。理念を確立し、ホームアリーナを決め、地域に密着する。地方の体育館を回っていた、当地の教員が試合を運営していた頃とは隔世の感がある。その素朴な時代も好きではあったんだけどね^_^

なにより、プレーのレベルが上がっていると思う。情報量もかつてに比べて格段に多い。全試合のweb生中継も観ることができる。今年のリーグ戦、プレーオフは本当に楽しませてもらった。サッカーはJリーグ発足から25年の歳月をかけて、その間エキサイティングな旅を重ね、2018年のワールドカップでは最もベスト8に近づいた。

バスケットボールはまだ継続的な代表強化、選手の多様性、そのマネジメントなどはサッカーに比べると質量ともに経験不足、でもだから、これから楽しみな旅が始まる。東京オリンピックもホントに楽しみだ。

もしも川淵さんでなかったら、長年の停滞から抜け出せていただろうか。川淵さんで良かった、ホントに。


本書の後半はほとんどJリーグ時代に経験したことだ。社会のためになにが出来るかを考えて協賛社を募るなどの事業につなげる。その構想、パワーと推進力は本当に素晴らしい。

Jリーガーが学校を訪問し、自身の挫折や抱えていた悩みを話す「夢先生」のエピソード、1人だけ上手くて孤立してしまう、という部分に共感を覚えた子、自殺を考えたけど夢先生の話を聞いて思い止まった子などの話には本当にホロリとしてしまう。人生に訪れる、あえかな、でもしっかり覚えている拠り所。意外にその支えが大きい、というのは誰しも実感するところだろう。

80歳にして誰もに頼られる川淵さん。すごい、独裁者、だと思います笑


◼️ 志村ふくみ「色を奏でる」

染色家・志村ふくみさんのエッセイ。自然の色への目線が細やかで表現も多彩。浸れます。

私は、色好き。体系的には覚えてないけれども、日本の伝統色である縹色とか薄鼠とか蘇芳、鴇色なんて言葉にはワクワクする。

最近着物の小説を読み感想を綴った際、読書友が薦めてくれた本。いやー良かったです。

まずもって、桜染め、梅染めなどは花ではなくて樹木を煮出して染める、というのにびっくり。そうだったのか!草木染め、は例えば草の色をそのまま付けることはないそうだ。ちなみに緑は唯一直接染めることが出来ない、色なんだそうだ。

志村さんが色、にそそぐ眼差しは緻密だ。思い立って琵琶湖をめぐる湖西線に乗り、エリアによって変わりゆく湖面の色を表現している章には唸ってしまった。こんな小旅行も憧れる。琵琶湖はゆっくり巡ってみたく、思い切ればすぐ行けるのにまだその機会がなくて、刺激される。

もちろん、色を得る自然への深い憧憬と感謝、糸、織への思い入れ、着物への造詣の深さと色の組み合わせに対する感慨など豊かな本。また文章表現も巧みすぎて、これが本当の文章家だよ、なんて勝手に思い込んで独りごちたくなる。

志村さんは30代で一から織物、染色を習い始めた。現在96歳、人間国宝だそうだ。琵琶湖からほど近い近江八幡のご出身で、京都に工房がある。この本にも数々の京都の話が盛り込まれている。紫式部と源氏物語についての短い一篇にはもう沈潜してしまった。

「うす紫に、茶と鼠をふりまぜた♭の諧調はげんのしょうこ」
「青いトロンボーンの音色の裂(きれ)
しもつけ」
「色にはそれぞれの運命がある。くちなしは無言、そして無地がいちばん美しい。」

植物のこともたくさん、色感の筆致にもエッジが立っていて心をくすぐる。

緑と紫を混ぜるとねむい灰色にしかならないが、この補色どうしを隣り合わせに並べると「視覚混合」の効果で美しい真珠母色を得る、

そうなんだ、と。この組み合わせの美しい真珠母色って心から見てみたい。緑と紫が?柔らかく美しい、淡いピンク色?どんな色?

芸術に関する知識も豊富、流れるような、気持ちよく引っかかるようなことばと深みのある内容。

ダメだ。やられた。志村ふくみさんの本はまた読もう。楽しかった。

7月書評の3

◼️ 斉藤倫「ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集」

爽やかで、詩が持つ大きななにかを感じさせる作品。イケてます。

先日今年上半期のランキング各賞をまとめたとき、後輩女子が「私の『タイトル賞』です」と紹介してくれた本。児童書だけれど、心にナチュラルに染み込むような連作短編です。

活字中毒で詩をよく知る「ぼく」と小学生の男の子「きみ」の心温まる交流がベース。「きみ」のお母さんと「ぼく」はどうやらよく知る間柄らしい。

一篇に2つの詩が挟まれる。自然あり、抒情的なものあり、戦争ものもある。1つも知らなかったけれども新鮮で、ことばの使い方も琴線に触れてくる感覚がある。

「いみの、手まえで」で「ぼく」は「それぞれのことばには、それぞれのひびきやリズムがある。」と語り、まど・みちおの「きりん」を「きみ」に読ませる。

きょうも空においた
小さなその耳に
地球のうらがわから
しんきろうのくにから
ふるさとの風がひびいてくるの?

きりん
きりん
きりりりん
(抜粋)

また「くりかえし、くりかえし」では
デジャブの話をした後で、松岡政則「痛点まで」へ導く。

子供の自分は
八月の底力を信じていた
いいや八月の底力に何度も助けられた

何を謝りたいというのではない
草まで戻って
ただ深深と叩頭がしたい
夜がくるまでじっと動かずにそこに立って
青い青い歩くを見てみたい
(抜粋)

「きりん」のことばの響きには爽やかさ、遠大さと活力を感じ、「八月の底力」には懐かしい夏の日々を一瞬で思い出す。「青い青い歩くだ」という文法にかなってない部分に何ともいえない魅力を感じる。若さ、幼さ、憧憬、もどかしさ、月日が進む無常さと懐慕。

表現できない想いや一瞬のうちに消えてしまう情景、書けないオノマトペ的な音。詩と、その前のことば。心地よい関係性に浸ることができる。

「ぼく」と「きみ」の微笑ましい交流と、なにやら文豪の青春のような雰囲気と謎めいたひと味。そのベースに厳選された現代詩が小粋に散らされる。

いやーこういう本いいね。興味を持ってた児童本。楽しく気持ちよい読書でした。


◼️ 井手口孝「走らんか!-福岡第一高校・男子バスケットボール部の流儀-」

福岡県高校バスケットの話です。思い出す青春と感じる時代の変化。

前置き長くなりますが、福岡県は男子バスケットが強く、福岡第一高校は2018年、2019年と河村勇輝を擁しウィンターカップ連覇、2019年の決勝戦は福岡大学大濠高校との同県対決でした。大濠はかつて八村塁のいた宮城の明成高校とウィンターカップの決勝で接戦を繰り広げました。

んで、福岡第一と大濠のいる福岡県中部地区で、私は高校バスケットをしていました。当時の福岡は強豪校はあったものの、優勝は大濠が県内絶対王者状態。背の高い、うまい選手を集め、もう超人たちの次元としか言いようのないバスケットを展開してました。その頃、我が校に近いところにあった、チャゲ&飛鳥らの母校・福岡第一高校には、男子バスケット部はなかったのです。


女子はよく練習試合に来てましたし、後に全国大会にも行ったようですが、男子バスケ部が立ち上がったのは1994年でした。立ち上げたのが、著者の井手口孝先生です。いまも監督です。

福岡中部地区のバスケはずっとそうなのですが、走るバスケです。大濠も、そうでした。福岡第一はマンツーマンディフェンス、ファーストブレイク、つまりカウンター的速攻が得意で武器です。走らんか!はもはや福岡第一のバスケットを表す言葉なのですね。

日体大バスケ部3軍出身の井手口先生は最初女子を指導していたものの、福岡第一で男子バスケ部を作って創部5年目には絶対王者、大濠に勝ってしまう。インターハイにも出場した。

やはりものすごい熱量だと思う。確かな指導を求めて、部員たちを連れてロサンゼルスのクリニックに行ったり、多くの有力な指導者に教えを乞うたり・・日本代表ポイントガードの富樫勇樹のお父さんで強豪開志国際高校の富樫監督とは大学の同期だそうだ。

リクルートにも励み、強くなってくると頼られることも多くなってたくさんの選手の面倒を見た。なかにはやんちゃなキャラや評判のワルもいた。そんな選手を含め、多くの部員と向き合い、観察し、頭を働かせて人間教育をも施す。

福岡第一は2004年、インターハイで初優勝したが、後にセネガルからの留学生に年齢詐称疑惑が持ち上がる。インターハイの優勝は抹消された。その騒動が起きたのは2011年。ほんの10年ほど前には、留学生には批判的な雰囲気が強かったということだ。短い期間で強くなったチームにはなおさら風当たりが強かっただろう。いまでは男女問わず強豪校に留学生は珍しくないのだが。

この件については詳しく書いてある。福岡第一はどういう主張をしたのか、どういった土壌があったのか、そして反対勢力は、などなど。気になっていただけに興味深く読んだ。

「ハイキュー!!」や「ダイヤのA」などは強豪校の設備などを取材してモデルにしている。強豪としての、私学としての矜持は読んでいて面白い。

琉球の並里成、宇都宮の鵤(いかるが)誠司といった強いBリーグチームのPGについて、数々の指導者についても取り上げてある。Bリーグ、高校バスケットの現状、指導者層への危機感など直言しているのも印象的。

「バスケ沼にハマる」という言い方をNHKさんがしてはるが、われわれ高校バスケット部の同期男女でグループを作り、ウィンターカップやBリーグなどことあるごとにライブを観ながら盛り上がっている。福岡出身の選手推しだ。

まったく沼にハマっている。この週末は日本代表戦に加え、U-19ワールドカップ、河村のいる東海大なとが参加する関東大学バスケットスプリングトーナメント、1日試合観てみんな集まってわやわや言ってた。応援すべき福岡出身の選手たち。U19の選手にもウィンターカップで活躍した選手もいる。その子たちを観ながらわやわや言う。愛すべし沼の住人たち。本書もそのグループで話題に上ったもの。

福岡第一は去年のウィンターカップ、準々決勝でゾーンディフェンスの明成に敗れた。伝統と流儀のマンツーマンで挑み勝つことが出来るのか。オリンピックも本当に楽しみだ。

7月書評の2

◼️ 髙田郁「あきない世傳 金と銀 碧流編」

シリーズ第7弾。想像するだに美しい、新たな衣。あてられる。熱が出そうだ笑

久々に読んだシリーズの続きもの。幼少の頃奉公で入った呉服の「五十鈴屋」で5代目、6代目の妻となり、やがて女名前で7代目と認められた主人公・幸は新規出店した江戸店で、新たな売り物を作り出す。恍惚と不安が同居する、快作の巻。

念願の江戸店を出してしばらく、如月にはパタリと客足が途絶えた。時期的なものとはいえ、軌道に乗っているとは言えない商売に、なんとか看板商品をと考える五十鈴屋の面々。

幸は顔なじみになったお才の夫力造の生業が染め物で、かつては小紋染もしていた型付師だと知る。また、大阪本店に居た時、かつての夫で故人の智蔵の縁で知り合った人形遣いの亀三に会いに行くよう勧められた歌舞伎役者の菊次郎を訪ねる。やがて人気役者の富五郎が五十鈴屋に来訪するようになる。

いろんな仕事と人の縁、アイディアを少しずつ積み重ねて、大きなものが産み出される前夜。

希望を胸に保ちつつも、女名前の期限が迫り、これというヒット商品もない現状をゆっくりと進めるのは冗長な感覚に囚われなくもない。

しかし、特に今巻は、想像力を掻き立てられた。染め、型紙、小紋、色・・最後に仕上がった品に神々しいまでの輝きを感じ、お披露目の時、その後の注文殺到はあるのか、恍惚と不安を味わった。

品ができるまでの過程もそうだが、最後に、富五郎のこだわりとその理由が仕掛けとして本当に良いと思う。しかもことさら取り上げすぎないのも好みだ。

反物や帯を扱う五十鈴屋。いつも肌触りや組合せの妙とともに惹かれるのがその、色。日本の伝統色はさまざまあり、着物だと特有の呼び方が多くある。それを知るのがとても楽しい。

この巻だけでも

江戸紫、仙斎茶、白群(びゃくぐん)、承和色(そがいろ)、薄花色、青白橡(つるばみ)などなど。調べるのが楽しい。

江戸の特徴の一つとして、奢侈を禁じる法で厳しく取り締まられる、ということがある。先日観た映画「HOKUSAI」でもそんな場面があった。そうか、だから江戸は渋好みで、町人が多くともすれば治外法権エリアだった大阪はいまでも派手な色好きなのか、と思ったりするが、巻中には、そういった理由だけではない、との記述もあった。

たしかに、お上と近かったのは現実だけれど、もっとなにか味わいがなければ感性的ではないよね。

次の巻もすでに持っている。他の本を挟んで、すこうし間を置いて、また新鮮な感動を感じ取れたらと思っている。次はどうなる?^_^



◼️ 中島京子「花桃実桃」

和歌やことわざの言葉と四十路の想い。コミカルで軽い。結構好きです。

読書友から買った、と聞かされた直後に見かけ、購入。あ、借りればよかった、なんて半分くらい読んだころ思った^_^

43歳の花村茜は父の遺産のアパート「花桃館」を譲り受け、会社で肩たたきに遭ったここともあり、管理人として住み込むことにする。

早くに妻、つまり茜の母を亡くした父は、子供たちに構うなと言い、ずっと1人暮らしだった。築20年の花桃館で茜は、父の元愛人で歳のわりに韋駄天走りをする李華、探偵の槌田、雑誌記者の父に3人の男の子の妙蓮寺家、整形好きの高岡日名子、ウクレレを弾く失恋小僧のハルオら個性的な住人と知り合う。

高校の同級生でバーを営むことわざ好きの尾木や、新しい居住者で日本の和歌を愛するクロアチア人のイヴァン、住人たちが巻き起こすさまざまな騒ぎに巻き込まれつつ、折々に自分の来し方行く先を考えるー。

ことわざに百人一首。茜は決して頭が切れるキャラではなく、とんでもなく面白い誤訳やイメージを連発しながら日々を過ごす。幽霊ありどろぼうありとにぎやかだ。

コミカルでありながらも、肩の力の抜けた軽やかな40代、という色彩も漂うし、茜がそこそこ感情的なのもなんかリアルだな、と思ったりする。

直木賞を取った「小さいおうち」に近い時期に執筆されたそうで、サラサラと流れるような筆致に、教養と、自ら想うところも混ぜているような作品。

微笑ましく軽く読み切った。たまにはこんなのもいいなと。

7月書評の1

◼️辻村深月「かがみの孤城」

予感があって、その通りのことが出てきて、感動する。これも読書の醍醐味か、など考えた。サイン本!

本屋大賞、人に薦められたこともあり、読みたいと思っていた。ひさびさにブックオフでのんびり選んでいたら入っていたので迷いなく文庫上下巻買ってきた。パラっと開けてびっくり、なんと著者のサイン本。やっぱりテンション上がるな^_^サイン本をブックオフする人もいるんだね。


辻村深月はデビュー作「冷たい校舎の時は止まる」で興味を抱き、佳作「凍りのくじら」、「太陽の坐る場所」、直木賞「鍵のない夢を見る」、「島はぼくらと」、「朝が来る」と読んできて、最近は間遠になっていた。さて本屋大賞、どんな仕上がりになってるのかー。

中学1年生のこころは、クラスの中心的な存在の美織に目をつけられていじめられ、不登校となった。ある日、自宅の鏡が光りだし、手をふれてみると吸い込まれ、異世界の城に出る。そこには見ず知らずの男女の中学生、7人が集められていた。

城では狼の面を被った小学生のような女の子がこころたちに城の掟を伝える。城のどこかに1つだけ隠されている「鍵」を見つけたら願いを叶えることができること、城は3月末までの間開いていること、17時までに鏡を通って家に帰ること。帰らなければオオカミに食べられることなどなど。

城にはそれぞれの個室もあり、こころたちはこの孤城へと通うようになる。やがて少しずつ互いへの理解が進み、特別なものを憶えるようになるー。

ゲーム好きでぶっきらぼうなマサムネ、背が高くて穏やか、ハリポタのロン似のスバル、小太りで惚れっぽいウレシノ、イケメンでサッカー選手のリオンといった男子たち。ポニーテールで活発なタイプのアキ、眼鏡でアニメ声、そっけないフウカに、こころの女子たち。

集まっているのは、どうやら不登校の子たちらしい。物語が進むにつれ、彼らの関係性が進み、破綻し、修復される。そして元の世界でのこころの進歩、進展。フリースクールの先生との出会い。

ファンタジーであり、それぞれ事情を抱えた7人もの子どもたち。主人公の2つの世界。解かれるべき謎はたくさん。上巻での仕込みは面白かったが下巻の解決編が萎み気味、という小説はいくつも読んだ。さて果たして、と下巻へ。

構築は巧妙にして細大漏らさず。クライマックスはある童話をキーにして一気に動く。私も子どもが好きで、繰り返し読み聞かせした話だったこともあり、かなりの吸引力を感じた。

ここまでいくと、残りの謎と先ざきの展開もどこか予想がつく。先読みができるのはどちらかというと良くないことと思ってきた。ただ今回は、なんとなく考えていた手品のタネが文章の形になり眼を通して意味が認識された時、ああ、やっぱりだ、良かったなあ、という感慨に貫かれた。児童小説だからだろうか。


正直、少々絶対悪の作り方がどこか甘い気もする。ただ、そもそも本格推理小説に造詣の深い著者により精密に組み上げられた謎の骨組み、魔性を感じさせる鏡を出入り口とするゴシックホラーのようなファンタジー世界のマッチングが見事。自分が2つの世界をもつという本能的な甘美さ、その憧れを揺り起こされる感覚に陥る。

大人でも日常にどこか逃避というかホッとできる場所、会社でも自宅でもない人々の輪が求められる気がしている。それは私が知っているもので言えば同窓会のLINEグループだったり、子どもの学校の親たちの会がサークル化したものであったりだ。親戚の付き合いが薄くなったせいもあるのか、どうもそういう風潮を意識したのではないかとも勘ぐってしまう。

読み手にとってはたいへん魅力的な作品でした。

◼️ あさのあつこ「雲の果(はたて)」

相変わらず黒くてアダルト。関係者が近すぎるのも面白い。

あさのあつこの「弥勒シリーズ」も8作め。これねえ、ハマるんです。「バッテリー」等々、少年青春グリーンエイジのイメージがのっけからガラガラと気持ちよく崩れます。


口が悪く性格は歪んでいるが抜群の探偵力を持つ同心・小暮信次郎。ワトソン役は先代からの岡っ引にして常識人の町人・伊佐治。さらに元は武家の殺し屋で、今は小間物問屋・遠野屋の若き主、清之介。この3人が絡み合い、謎を追っていく話。


女の死体が焼け跡から見つかった。殺されてから放火されたと思われた。女は仕舞屋にいたらしいが、周囲の誰も女のことを知らない。仕舞屋の持ち主は最近亡くなった米問屋・阿波屋の先代で、惣領息子はなにも知らされていなかった。清之介は死んだ女がしていた帯の手触りに何かを感じる。信次郎と伊佐治は阿波屋を訪れ、惣領息子の内儀で、美貌のやり手、お芳と出会う。

時代劇らしく、大きな陰謀が裏に潜む。

それにしても、信次郎のハナの良さで次々と関係者が繋がっていく。いつもながら闇は深く、人と人との関係性は一筋縄ではいかず、つやのある蠱惑的な黒さを放っている。

もちろんノワールという前提ではある。

「弥勒」シリーズでは繰り返し主演3人の間、特に伊佐治と清之介が、小暮との関係性を再定義する場面が描かれる。

どこか甘くて、非現実的。しかし正直さ、きれいなばかりではない人間っぽさも垣間見えるこの述懐が、シリーズの根幹のような気がしてならない。今作で言えば、殺される女の心のうち、さらに信次郎の愛人、おしのの心情も生々しい。

いややねえ、信次郎。ワトソンは「最後の事件」でホームズの死に際し、

「私がこの世で知る最も善良で最も賢明な人間」

とホームズを評しているが、伊佐治の親分は、清之介はどんな言葉を思い浮かべるのか、なんて想像してしまった。

人間性の告白、最近で言えば藤沢周「武曲(むこく)」にも自分に潜む残忍な獣性に悩み苦しむ剣道の剣士の姿が描かれていて、どこか共通点を感じたりした。

殺害方法も実行犯も華麗にして残忍。あさのあつこ絶好調!次もホントに楽しみだ。