2024年7月7日日曜日

7月書評の2

◼️ 遠野遥「破局」

最初から漂う違和感。現実から浮遊したものを感じながら、破局が訪れるのを待つ。芥川賞。

芥川賞はいわゆる純文学。少し奥深いものを感じさせて、迂回、遠回りしているような、それでいて剥き出しのものを生で突きつけられているような感覚を、時折持つ。そういうテイストは嫌いではないし、総じて短いのでたまに読むぶんには嫌いではない。

主人公の男は高校の時県の準々決勝まで行ったラガーマンで熱心に母校の後輩を指導している。著者出身校であろう大学の4年生、公務員試験を目指して勉強に励んでいる。政治家を目指す彼女もいて、常識、気遣いの基準も自分の中に持っている。

一方、うまく行き過ぎている現実から来る自信、頑健な肉体へのナルシズム、後輩への過剰ぎみな指導、ちょっとした生活描写の生の部分からは、違和感や不穏な空気が立ち昇る。誰も指摘しない、厳しく突かれることのないプライベートや内なる考え方。会社に入る直前の期間特有の状態、周囲の見方も含めた、子どもと大人の中間、そんな雰囲気もする。

新しい彼女に乗り換え、日々セックスに耽る。違和感を持ちつつ、読みながら破局を待つ、いつどれくらいの大きさを持って、どんな意外性を携えて、それは訪れるのかー。

敷かれたレール、ふむふむ、だった。哀しい滑稽さが際立つ。

主人公に対して、マイナスの感情を持って眺めていく印象だけどもまた、若者ならありがちな、いやいい大人にもたぶんにカン違いなところはやはりある。自分では常識人、と思っても他者から冷静に見た時、本人には認識しえないところで、クセがあるのも人間。

そういった人間味っぽいところを多少考えさせる、そういう仕込みまでしてる?などとアンビバレントな感慨を抱いてしまうのも純文学ならではなのかな。

主人公とは対照的に、お笑い芸人を目指し、皆に敬遠されているような友人の存在も面白い。も少し入って来たらいいのにな、と思わないこともない。

この作品と同時に芥川賞を受賞した高山羽根子「首里の馬」も読んだ。何を出そうとしているのか、考えさせるという点では知的遊びにも似ている。たまに芥川賞を読むのもなかなか楽しい。

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