◼️ 門井慶喜「東京、はじまる」
東京駅を設計した辰野金吾の一代記。考えさせられるものもあった。
辰野金吾という名前は、昨今の建築ブームで以前に増してよく聞くようになった気がする。かつて日本は江戸時代から明治時代へ、武士の時代から近代へと極度に劇的な転換を迎え、加速度的に西欧化した。洋風大建築がそれこそ雨後の筍のようにボコボコと建てられた。その中で辰野の建築の軌跡はそのまま日本近代史につながる。日銀は各地方都市の支店まで手掛けているし、旧国技館、大阪市中央公会堂、奈良ホテルなども辰野の手による。
辰野金吾は鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルを師に学び、イギリス留学を終えて帰国、やがて建築事務所を開業する。日本銀行本店をコンドルが担当すると聞くと、師匠・コンドルは本国で一流というわけではない、などと伊藤博文らを前に強く意見し、仕事を奪い取るー。
物語は日本銀行と東京駅それぞれ落成、開業までのパートに大きく分かれていて、その合間に辰野の生い立ちから家族生活、教科書に出てくるような偉人たちとの関わりなども織り込まれる。
建設される土地、つまり江戸から維新となってしばらくの東京の一等地の様子や、当時の建築素材、デザイン、機材の導入や工法なども紹介されていて、時代感がにじんでいて興味深い。
辰野金吾を取り巻く時代、人々。読む中で考えてしまったことがあった。
私はニワカな建築ファンで、去年は京阪神それぞれの建築祭にも行ったし、東京でもいくつも観に出かけた。
やはり明治期の建築は赤煉瓦にドーム型屋根が多い気がする。もちろんいかめしく構えた西洋建築も大いに楽しめる。ただ、どれかというと以降の時代、石の素材を活かした建築がしっくりきて好みに合ってたりする。商業の地・大阪にはあまり高層ではない石造りのビルが多い。
戦後はコンクリートを使った大規模建築が相次いだ。それから本書の中でも触れられている高層化。フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルも時代の波の中では古くなっていった。
現代はまた違って引き締めの時代の残滓を残しつつ、当時とは芸術性、オシャレ度、都会的センスが違う局面に達している気がする。SNSの"映え"や昨今の建築ブームも大いに関係しているだろう。一般のビルには機能性重視が目立つものの、ちょっとだけでも特徴を持たせる、カッコよくする、気持ちが見える。レディメイドにプラス@、のような感じだ。近未来的なフォルム、知恵を使った工夫、が別の形を取って新たに出てきているのではないか。木材を使った特徴的なデザインのものもある。
本書の中ではコンドルの建築を古いと断罪した辰野金吾が、やがて弟子に考え方が古いと厳しく意見される。いわく将来的には効率が大事となるため、コンクリートを使った高層ビルの必要性を辰野に訴える場面がある。
そのコンクリ時代も華やかだったがやがて批判派が現れる。時代は移る。新しいものには反発も起こる。聖徳太子の時代、仏教は外国の宗教で受け入れるのにハレーションが起こり、大和国を二分する戦があった、なんてことも考える。辰野が初期のコンクリート製の倉庫を見て気持ち悪さとでもいうような違和感を覚える場面にはふうむ、となってしまった。
そもそも、なぜ人は今の時代、名建築に惹かれるのか、明治維新、直後の文明開花に生まれた東京モダンとも言うべき雰囲気は確かにオシャレである。ドラマで見た、まさに日本を拓かん、とする人々の雰囲気に触れられるからかもしれない。
私的には、実は小さい頃には戦前のモダン建築は、気づかないだけで身近のあちこちにあったのではないか、当時の建築は取り壊され建て替えられたものも多く、残っている名建築に、当時のなにがしかの感覚を思い出し、世代的にえもいわれぬノスタルジーを感じるから、というのもあり得る説ではないかと思っている。
建築はいろいろと考えさせられる。なぜ惹かれるんだろう?という問いの答えを考えるのは楽しくもある。そもそも、という掘り下げ方は今後もしていきたい。
ところで、1月に慶應大学の図書館旧館を訪ねた。設計を担当した事務所共同経営者の1人が辰野金吾の親友・曾禰達蔵。詳しい人物像を知ることができて嬉しいと同時に、少し不思議な感覚もした。
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