2024年6月16日日曜日

6月書評の3

◼️ 朝倉かすみ「平場の月」

らしさ、がにじむ。青砥と須藤、過ぎた人生と恋の果て。山本周五郎賞。

著者の「田村はまだか」で、独特の既視感で昭和を濃厚に思い出させる作風を知った。同作で吉川英治文学新人賞を取り、この作品は山本周五郎賞を受賞、また直木賞候補作に上がったこともあり気にはなっていた。映画化されるんだっけ。興味はあるかな。

50歳、青砥健将。妻と離婚し息子たちは成長してそれぞれ自活、父は亡く母は認知症で施設に入っている。中学の同級生たちは青砥と同じく地元に残っている者も多い。検査に訪れた病院の売店で、かつて告白したことのある須藤葉子に再会する。青砥、須藤とお互いを呼びながら付き合いが深まっていく。しかしー。

べったりとした地元感、生活感。そのベースの上で、2人は淡い恋心をおとぎ話のように成就させる。しかしー。味付けとして、謎めいた風の須藤の、うまくはいかなかった人生が語られる。

最初にネタバラシしていることもあり、成り行きは分かる。たぶんしてなくても分かる作り。そこへ向かって、青砥目線で見た須藤が、日常の口調、表情、仕草、なんということもない言動にわたってとても細やかに描写される。

恋愛ものの常道といえばそうかもだが、すでに人生ひと回りしてしまった年齢とそれに伴う現状に、妙に可愛らしい風情が漂う。数十年の年月を経て、過去を見てまた自分を見つめること、変わったのか、変わらないのか、揺れる中でだから新鮮だ、とハッとしたりする。

人は何に感じるのか、大人の割り切った頭で思考すれば、どれもこれも馬鹿らしい、と思える時もある。でもこだわってしまう、その葛藤と、一歩引いた、他人から見れば少々ヘンな、言い換えれば超越したような行動。

章のタイトルは須藤のセリフ仕立てにしてあり、「痛恨だなぁ」がやっぱり好きだなと。

優等生だった須藤のキャラは女言葉を使わず中性的。自分の考えでそれなりに社会的に上手に行動するタイプ。青砥にもきっぱりとした面をたびたび見せる。

名前を聞くようになった作家さんは自然同年代より若いと思ってしまう最近。著者さん私よりそれなりに年上でちょっとびっくりで、この昭和テイストの既視感も納得。若い時に年配の方の話を聞く時は、失礼ながらセピア色、モノクロの風味がしていたものだが、自分がいざそうなると数十年の昔でもカラーそのもの。

おっかなびっくりで触ると、意外な想いにしばし浸ったりする。空想を、物語で可視化された気分というとこかな。

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