◼️Authur Conan Doyle
"The Adventure of
the Golden Pince-Nez"
「金縁の鼻眼鏡」
ホームズ短編原文読み45作め。第3短編集「シャーロック・ホームズの帰還」より。
「帰還」の作品は私的にドイルの筆が充実期を迎えていると考えています。「金縁の鼻眼鏡」はまずタイトルがなんとなく興味を惹きますね。違いを感じるというか。これが事件に深く関わってくる、という予感。しかもなにかレトロで意味深そう。その通り、すこうし異質な物語。捜査範囲は狭くスケールは小さいものの、ホームズの観察力が活かされていて、ストーリーとして独特の印象を放ちます。では始まりはじまり。
1894年はホームズがスイスはライヘンバッハの滝に、宿敵モリアーティ教授とともに落ちて亡くなったと思われた状況からベイカー街に生還した年。その11月下旬ある日の夜、嵐をついてホームズとワトスンの部屋にやってきたのは、スコットランド・ヤードのpromising、将来有望なホプキンズ警部でした。自分を尊敬する生徒のような若き俊英にはホームズも優しく接します。晩秋の雨に打たれたホプキンズに暖炉のそばの椅子を勧め、飲み物を用意します。
ケント州南方のヨクスリー・オールドプレイスで殺人。若い男が殺された。
"So far as I can see, it is just as tangled a business as ever I handled,"
「調べたら限りでは、これまで扱った事件のうちでいちばん複雑じゃないかってくらいなんです」
"There's no motive, Mr. Holmes. That's what bothers me"
「動機がない、そこが悩みどころなんです」
"Let us hear about it,"「話を聞こう」
ヨクスリー・オールド・プレイスという屋敷の主人はコーラム教授と名乗る老人。1日の大半は寝たきりで、散歩には杖をついて歩いたり、車椅子を庭師モーティマーに押してもらったりしている。学者だということで近在にも評判がいい。ほかに気立のいい家政婦とメイド、そして近年、学術書を書きたいとのことで秘書を雇った。最初の2人は長く続かず、その次に来た、大学を出てすぐのウイロビー・スミスが教授の眼鏡に適った。
スミスの仕事は、午前中が教授の口述筆記、午後から夜が参考文献や引用部分を探すこと。子供の頃からずっと敵のいないタイプで、礼儀正しく、物静か、勤勉。欠点がない。
屋敷は自己充足的というか、まる何週間も、誰も庭の外には出ないような暮らしだった。幹線道路から100yards、90m小くらい引っ込んでいて、庭へ入る扉は鍵がかかっておらず誰でも出入りできる。
お昼前、11時と12時の間のこと。メイドのスーザン・タールトンは上の階正面の寝室でカーテンを掛けていた。教授はベッドで寝ていた。午前中はめったに起きてこない。年配の家政婦・マーカー夫人は屋敷の裏で何か作業をしていた。スミス青年は自分の寝室兼居間にいて、その時階下の書斎に降りて行く足音をスーザンが耳にした。姿は見てないけれども間違いないと彼女は言っている。
その1分くらい後に下の部屋から恐ろしい叫び声がした。荒くしわがれた不自然な声、男女どちらの声とも分からない。同時にドサっという衝撃が家全体を震わせ、静かになった。
少しの間メイドは固まっていたものの階段を降り書斎へ急ぐ。スミス青年が床に横たわり、助け起こそうとした時、首の後ろ側から血が流れ出ているのが見えた。小さいが深い刺し傷で、頸動脈が切断されていた。凶器となった封蝋ナイフがカーペットに落ちていた。この部屋の教授のデスクにいつも置いてあったものだった。
スーザンが水差しから顔に水をかけると、スミス青年は目を開け、
"The professor,it was she."
「教授、あの女です」
と呟き、のけぞって死に至った。
その直後、叫び声を聞いたマーカー夫人も書斎に到着した。現場をスーザンに任せて年配の家政婦は階段を昇り教授の部屋へと急ぐ。叫びを聞いた教授は興奮してベッドの上にいた。寝る時の格好のままだった。教授はモーティマーの手伝いなしには着替えができず、庭師は12時に来るよう言われていた。
教授はスミス青年には1人の敵もいないと信じており、いまわのきわの言葉も意味が分からず、うわごとではないかと言っている。警察が呼ばれたー。
ここでホプキンズは現場の簡単な見取り図を出します。私も当然見ていますがここに出すことは出来ません。スンマセン。言葉でできる限り。
書斎は1階で、犯人は庭の小道を通って裏のドアから邸内に入った。廊下をまっすぐ行って書斎に着いた。他のルートだとかなり困難になるとのこと。廊下は書斎の部屋のところで直角に右に折れるよう分岐していて、この2つめの廊下は階段を昇って教授の寝室に直接つながっている。
先ほどの、裏口から来るルートで入った書斎の対角線上にもドアがあり、向こう側の廊下に出るようになっている。しかしそこは2階からスーザンが降りてきていた。
つまり、脱出も入ってきたルートを辿ったに違いない。ホプキンズはすぐ調べたが、小道の上には足跡が無かった。小道に沿って草の上を歩いた跡があった。足跡を残さないように行動したようだ。手だれの犯罪者か。門のところはタイル張り、幹線道路は雨でぐちゃぐちゃで、結局足跡らしきものは見つけられなかった。この嵐でよけい見えにくくなってるだろう。さらに屋内の廊下には椰子の木の繊維で編んだマットが敷かれていて足跡は残らない。
書斎はほとんど家具がなく、作り付けの書棚がついた書き物机があるくらい。書棚には2列の抽斗があってこれは開いていたが、その真ん中にある小さな戸棚にはもともと鍵が掛かっていた。金目のものはなく、戸棚の中の重要な書類も盗まれていなかった。
そしてホプキンズは死体を見聞しました。傷は首の右側を後ろから前へ刺していた。自殺にしては不自然に過ぎる。
さらにホプキンズは死体が手に握っていた証拠を入手していました。
それは両端の紐がちぎれた金縁の鼻眼鏡。スミス青年の手に握られていたと。
"There can be no question that this was snatched from the face or the person of the assassin."
「犯人の顔からもぎ取られた、疑問の余地はありません」
ホームズは鼻眼鏡を手に取り観察した、自分でもかけて窓の外を見てみた。含み笑いをしながら紙に数行書きつけ、ホプキンズに渡す。
Wanted,a woman of good address,attired like a lady.
「尋ね人 物腰の柔らかく淑女風の婦人」
She has a remarkably thick nose, with eyes which are set close upon either side of it.
「鼻が目立って大きく、眼は鼻に寄っている」
She has a puckered forehead, a peering expression, and probably rounded shoulders.
「額にしわ、目を凝らすような顔つきをしており、おそらく猫背」
There are indications that she has had recourse to an optician at least twice during the last few months.
「この数か月で少なくとも2回眼鏡の修理に行った」
As her glasses are of remarkable strength, and as opticians are not very numerous, there should be no difficulty in tracing her.
「並はずれて度の強いレンズで、眼鏡技師はさほど多くないから彼女を突き止めるのは難しくないはず」
びっくりするホプキンズ。眼鏡のフォルムとスミス青年の最期の言葉から女性のものと見て間違いなく、金縁という贅沢さから身なりもきちんとしている、鼻当てから鼻が大きいことが分かる、しかしホームズがかけた場合、レンズの中心が鼻に寄りすぎていて、焦点が合わせられなかった。つまりこの女性の瞳は極端に鼻の近くにある。度の強い眼鏡をかけている人は身体的にその特徴が現れる。さらに鼻当ての2つのコルク部分はまったく同質で、すり減り方に差はあるものの両方ともそれほど古くなく、眼鏡屋のもとを2回訪ねたと分かる、と解説するホームズ。
"By George, it's marvellous!"
あまりの感嘆に叫ぶ生徒ホプキンズ。明朝6時の列車に乗ることにして警部はベイカー街泊。嵐は収まり寒か募る朝出発。8時から9時と間には現地着。大阪からだったら和歌山くらいかな・・。
庭の小道沿い、小道と花壇に挟まれた細い草地を通った犯人はそうとう慎重を期したようです。草を踏み倒した跡は消えていました。犯人は来たルートを辿り直して逃走したーホームズは意味ありげに、とんでもない離れ業だ、と評します。
さらにホームズは推理の一端を披露します。この女性には殺意はなかった。凶器はその場にある、手近なものだったからだ。ヤシのマットに足跡を残さず、書斎に侵入、15分前まで家政婦が書斎にいたため、滞在したのは数分と思われるー。
小さな戸棚の鍵穴近くに、ホームズは新しい引っかき傷を発見します。この錠は短時間でこじ開けられるものではなく、鍵は教授が時計の鎖につけて持っているー。
つまり犯人が鍵を開けたか開けようとしていたところにスミス青年が入ってきて、慌てて鍵を抜いたところで傷が残る、青年は女性を捕まえ、ふりほどくために彼女は手近なものをつかみ彼を刺す。被害者は倒れ、犯人は逃走した。書斎に入って来た所と対角線の出口の扉は開かなかったとスーザンが証言、確認。ホームズたちは教授の部屋へ向かいます。
"Hopkins! this is very important, very important indeed. The professor's corridor is also lined with cocoanut matting."
「ホプキンズ!教授の部屋へ向かう廊下にもヤシの敷物がある。これは重要だぞ」
"Well, sir, what of that?"
「それがどうかしたんすか?」
ホームズの頭の中でだけ大事なリンクがありそうな。まあいいやと庭へ出る廊下と同じくらいの長さの廊下を進み、上階へ昇り、教授の部屋へ。後で明らかになりますが、ホームズは暗示的だ、としています。
部屋は広く、本棚から溢れた本が床に積み上げられていました。中央のベッドに老人がいました。鷲のような顔、貫くような視線を放つ黒い瞳。もじゃもじゃの白髪に顔中の髭。ベビースモーカーでアレキサンドリア産の煙草を客に勧めます。教授はシリアやエジプトのコプト僧院から発見された文書の分析などをしていると話し、今回の惨事で有能な秘書が失われたのを嘆き、あなたが来てくれたからには安心だ、と洗練された英語でまくしたてます。その最中、ホームズは猛烈に煙草をふかしながら行ったり来たりしていました。
ホームズの質問は、青年が最後に発した言葉に心当たりはあるか、悲劇の原因に心当たりはあるか、でした。教授はうわごとをスーザンが聞き間違えた、スミス青年は自殺したのだ、と主張します。
鍵をかけた戸棚の中身は不幸な妻からの手紙や大学の卒業証書で、確かめるべく鍵を渡します。ホームズは一瞬観察し、すぐ返します。そして午後2時に再訪することを告げ、部屋を出ました。
庭の小道をぶつぶつ言いながらうろうろしていたホームズは家政婦マーカー夫人を見つけ話しかけます。女性を信用せず、女嫌いとも評されるホームズはこの短編集にある「恐喝王ミルヴァートン」でミルヴァートン宅のメイドと婚約してみせたように、必要とあらばあっという間に女性と信頼関係を築く能力を持ち合わせていました。マーカーさんとも然りて何年も知っているかのようなおしゃべりを楽しみます。
そうなのよ、教授はめっちゃ煙草を吸うからあなた、お部屋でロンドンの霧かと思うかも知れないわよ、なんて打ち解けているマーカー夫人。
んじゃ、食欲もないでしょうね、さっき行ってきたあんばいでは、朝食なんて食べてない方に賭けますね、とホームズ。ブッブーはずれ、という感じで返す(想像です笑)マーカーさん。
"he ate a remarkable big breakfast this morning. I don't know when I've known him make a better one, and he's ordered a good dish of cutlets for his lunch. I'm surprised myself,"
「それが、びっくりするほどたくさん召し上がったのよ、今朝。あんなに食べたのは見たことなかったわ。ランチには大きなカツレツまでご注文になったし、ホントに驚いちゃったわ」
前日の朝、街道で何人かの子どもが見知らぬ女性を見かけていたと、ホームズの人相着衣に合う人だったという情報をホプキンズが聞かせてもうわの空のホームズ。昼食の世話をしてくれたスーザンが問わず語りで話した、スミス青年は昨日の朝散歩に出掛け、悲劇の30分くらい前に戻っていたというには食いつき気味な様子を見せました。
2時に教授の部屋へ入った時、教授は昼食が終わったところで、皿は空、食欲旺盛な様子でした。
"Well, Mr. Holmes, have you solved this mystery yet?"
「さて、ホームズくん。謎は解決しましたかな?」
彼はまた煙草を勧めてくれましたが、手を伸ばしたホームズは缶ごとひっくり返してしまいます。さて、他の話でも例があるので、ホームズが似合わぬそそうをした時は、たいてい何か仕掛けが?とほくそ笑むシャーロッキアン。
皆で膝をついて散らばった煙草を拾い終わった後、ホームズの眼は輝いていました。
"Yes,I have solved it."
「謎は、すべて解けた」とは名探偵コナンですね。
ともかく、ホプキンズとワトスンは驚いてホームズを見つめます。教授はひきつった顔で、表情にはやや嘲りの色も浮かんでいました。
庭でかね?
いいえ、ここで。
いつ分かった?
たったいまです。
冗談をおっしゃる、という態度の老人に、間違いないと確信しています、と応酬するホームズ。あなたの目的と、果たした役割はまだ分かりませんが、と条件を付けた上で、語り始めました。
昨日教授の書斎に1人の女性が、戸棚の中の文書を盗み出すべくやってきた。彼女は自分の鍵を持っていた、先ほど見た教授の鍵には傷をつけた跡がなかった。教授は共犯者ではなく、女性は老人に知られることなく盗もうとした。
彼女は秘書のスミス青年に取り押さえられた。逃げようとして彼を刺した。予想外のことで、秘書が死んだのは不幸な事故に近い状況だった。慌てて彼女は逃走を図った。ヤシの木の敷物に沿って。しかし眼鏡がなかったため、同じ敷物が敷いてある別の道を選んだと気づいた時には書斎にスーザンがやって来ていた。引き返せば見つけられる、退路はない、廊下に隠れる場所はない。彼女はやむなく教授の部屋へ入った。
驚きと恐れをないまぜにした表情を浮かべて、ホームズを睨んでいた教授は、演技のような大笑いをしてみせます。
私はこの部屋にいたが、気づかなかったというのかね?
あなたは彼女と話をして、逃亡を手助けした。
"You are mad!"
"You are talking insanely. I helped her to escape? Where is she now?"
教授はついに激昂します。
「正気じゃない、じゃあその女性はどこにいるというんだ!」
そこに、とホームズは部屋の角にある背の高い本棚を指差しました。その時でしたー
"You are right!I'm here"
その本棚が回転し、外国訛りの言葉とともに、女性が部屋に飛び出てきたのです。
ホームズの指摘した通りの人相、着衣の夫人は明るい所へ突然出て来たこともあり、目をしばたたいていました。埃と蜘蛛の巣まで被った風体、しかしその物腰や顔には気高さがはっきりと伺えました。
ホプキンズは彼女の腕に手をかけ、逮捕する旨宣言しました。優しく、しかし毅然としてその手を払った女性は、スミス青年を殺したのは自分であること、でも手に握っているのがナイフだということすら気がつかなかったと話します。
体調が悪いらしく、恐ろしいほど青ざめた女性はベッドの端に座って話を続けました。
"I have only a little time here,"
"but I would have you to know the whole truth. I am this man's wife. He is not an Englishman.He is a Russian. His name I will not tell."
「あまり時間がない、でも全ての真実を知っていただきたい。私はこの男の妻です。彼はイギリス人ではありません。ロシア人です。名前までは言おうと思いませんが」
"God bless you, Anna!"
"God bless you!"
「なんてことを、アンナ!なんということを!」
初めて見る教授の狼狽。アナは軽蔑しきった目つきで教授にセルギウス、と呼びかけ、なぜ汚れた人生にしがみつこうとするのかと咎めます。そして身の上話を始めました。
かなり以前、50歳のセルギウスと20歳のアンナはロシアのある大学街で結婚した。2人は改革のための反政府結社に属していた。セルギウスは自分の保身と巨額の報奨金を得るために裏切り、彼の証言で仲間は全員逮捕され、絞首刑、流刑。アナもまたシベリア送りとなった。ただ終身刑ではなかった。夫はイギリスに潜伏していた。
アンナは当時、親友と言える男がいて文通していた。彼は暴力を嫌い、思いとどまるように手紙に綴っていた。アンナは日記に彼への気持ちと互いのものの見方を記していた。セルギウスは怒り、手紙と日記を取りあげた上、彼を亡き者にしようと考え、おそらくは罪をでっち上げ、その男、アレクシスはシベリアへ送られた。彼はいまも岩塩坑で働かされている。
you villain, you villain! 悪党、悪党!とアンナは老人を罵ります。教授はなだめようと言葉をかけますが、彼女の態度はゆるぎません。
刑期を終え、アンナは手紙と日記を取り返そうと思った。ロシア政府に提出すれば、アレクシスは釈放されるかもしれない。何か月もかけて夫の行方を捜した。夫はシベリアに手紙を送ってきたことがあり、妻を非難した内容で、日記からの引用があった。アレクシスとの手紙とアナの日記はまだ夫の手元にあると確信していた。
アンナが雇った探偵は、秘書として教授宅に入り込んだ。書簡は書斎の戸棚にあり、鍵の型を取り、家の見取り図を渡してくれた。そして秘書は午前中仕事にかかりきりで教授の書斎には誰もいないと報告した。
"So at last I took my courage in both hands, and I came down to get the papers for myself. I succeeded; but at what a cost!"
「ついに私は勇気を振り絞り、手紙や日記を入手するためやってきた。そして、手にできた。しかし・・なんという代償を払ったことでしょう!」
アンナを取り押さえたスミス青年が教授の秘書とは知らず、朝、彼女は散歩に出ていたスミスに教授宅への道を尋ねていた。
ここでホームズが割り込みます。秘書は帰って教授に話をする。だから、あの女です、と最期に口にした、伝えようとしたんだ。アンナはホームズを制し、話を続けます。
"He spoke of giving me up. I showed him that if he did so, his life was in my hands. If he gave me to the law, I could give him to the Brotherhood."
「夫は私を警察に引き渡すと言いました。私はもしそんなことをしたらどうなるか、彼の命は私が握っている、と言いました。私を官憲に渡すのなら、私はかつての同志たちに彼を渡すと」
道を間違えて入ってしまった部屋ではシビアな会話がありました。かくしてコーラム教授は朝ごはんと昼ごはんを大量に発注し、アンナに食べさせたのです。日が暮れて警察が引き揚げたら夜陰に乗じて姿を消し、二度と戻ってこない約束でした。ところが、ホームズによって見つけられてしまった。
アンナは懐から小さな包みを出しました。印象的ですのでこの場面の会話は多めにお届けします。
"These are my last words,"
"here is the packet which will save Alexis. I confide it to your honour and to your love of justice. Take it! You will deliver it at the Russian Embassy.Now, I have done my duty,"
「最後にお願いがあります。この包みの中身でアレクシスは救われます。あなた方を信じ、その正義を愛する心に委ねます。受け取ってください!そしてロシア大使館に送ってください。
もはや私は役目を果たしました」
「やめろ!」ホームズが跳ぶように部屋を横切り、彼女の手から薬瓶をもぎ取る。
"Too late! I took the poison before I left my hiding-place. My head swims! I am going! I charge you, sir, to remember the packet."
「手遅れです!隠れ家から出てくる前にこの毒を飲みました。ああ目が回る!さようなら!頼みましたよ、どうか包みを忘れないで・・」
全ては終わり、事件の振り返りです。
"It hinged from the outset upon the pince-nez. But for the fortunate chance of the dying man having seized these, I am not sure that we could ever have reached our solution."
「最初から金縁の鼻眼鏡がすべてを解く鍵だったんだ。もし死んだ青年が眼鏡をつかむという幸運がなければ、事件が解決したかどうか定かじゃない」
犯人は入って来たルートを通って出て行った、という仮説に立てば、目がほとんど見えない状態で小道と花壇の間の細い草地の上を通っていったことになる。だからホームズは、犯人はまだ家の中にいると考えたのですね。
庭の小道へ通じる廊下、教授の部屋へつながる廊下、どちらもヤシの敷物だった。ホームズの指摘にホプキンズが「それが何か?」と言ったやつですね。眼鏡のない犯人にこの2つの廊下は間違えやすく、犯人の女性が教授の部屋に入ったのは明白でした。
ホームズは隠れ場所がないか捜し、かの本棚の前だけ積まれた本がないのを見てとりました。そして煙草を次から次へと吸い、灰を本棚の周囲に撒き散らしたのでした。
さらに階下ではコーラムの食事の量が増えていることを聞き出すー部屋に潜む誰かにも与えられるように。再び上がっていった時、煙草の箱をひっくり返して床に這いつくばり、灰を落としておいたカーペットに足跡が残っているのを確かめた。ホームズたちがいない間に、誰かが本棚の隠れ家から出て来ていた。
"Well, Hopkins, here we are at Charing Cross, and I congratulate you on having brought your case to a successful conclusion. You are going to headquarters, no doubt. I think, Watson, you and I will drive together to the Russian Embassy."
「さあ、チャリングクロスに着いたよ、ホプキンズ。君の事件はみごとに解決したよ、おめでとう。警察本部に行くんだろうね。ワトスン、君と僕は馬車で一緒にロシア大使館に行くとしよう」
いかがでしたでしょうか。これまでも何度か触れてきた通り、ホームズシリーズはイギリス帝国主義時代の作品で、オーストラリア、南アフリカ、インドといった植民地や新大陸アメリカ、中米がらみなど国際色豊かな面が特徴として挙げられます。メディアも時代に合ったニュースを提供していたでしょうし、まだ見ぬ土地に思いを馳せるのはSNSが発達した現代よりもっと想像力を刺激したでしょう。
今回は、「海軍条約文書」のようになにやらきな臭さも孕んでいますね。反政府活動、革命結社の女性とホームズシリーズの中でも異質です。この話は1894年の出来事とされています。発表されたのは1904年。ロシアでは革命集団が組織され、騒乱が頻発していたようです。翌1905年、血の日曜日事件をきっかけにロシア第一革命が起こります。日露戦争の時期でもありますね。
もひとつ。今回も構成のことを考えました。
この短編ミステリではコーラム教授がロシア人、ということが大きな要素になっています。読み手は解決まで知らされることがありません。
ホームズは次々と、明快な論理を披露し効果的で、捜査をパンパンと打っていきます。加えてその手法が奇妙で面白い。また事件発生から解決まで1日半。物語はホームズが相談を受けた深夜から翌日昼下がりまでという短いスパンの捜査です。ムダのなさ、スピード感が短編にマッチしていて、なおかつ、背景を気にするヒマを感じさせない。教授のタバコと研究内容で外国的な雰囲気は感じさせつつ、ですね。
ホームズが初登場した長編「緋色の研究」や最後の長編「恐怖の谷」も大きな2部構成でした。短編「グロリア・スコット号」他にも同様の構成は見てとれます。ホームズものだけでなく、実は、と原因となった背景を見せずに後で説明するのはミステリ、いや小説の常道といえるかも知れません。
ただ今作には、都合よさをテクニカルに上塗りする、そんな小気味良さをも感じます。
長々と背景を語ることなく、コンパクトな仕上がりの一篇。テンポ良く、おそらく当時の時流に即していて、ほどよくエキゾチック、クライマックスは劇的です。男女関係がリアルでもありますね。そして計略がうまくいけば、シャーロック・ホームズさえ乗り出して来なければアンナはまだ生きていて、すべてが上手く転がったかも、なんていう哀愁さえ抱かせます。
様々な要素をギュッと詰め込んだ秀作、タイトルからしてイケている。お気に入りの作品です。
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