失礼、前回と前々回、「3月書評の・・」と書いてしまってるようだ。まあ誰も読まないからいいけどね。
8月は17作品15冊。本屋大賞から人気ミステリ、ヨシタケシンスケ、シェイクスピアに宮沢賢治とバリエーション豊かな月だったかな。
北浜から淀屋橋のモダン建築をプチ散歩。いまやってる大阪の近代建築物をテーマにしたドラマを観て触発され即行動。
芝川ビルはオール見学可能。しぶいスタイルと異国情緒あふれるデザイン。屋上テラスも半円形の出口がトルコあたりのイメージ。中も白亜の壁に風格ある階段と通用口のようなとこの上が角ばってたり細部に工夫があって楽しい。
蔦に覆われた青山ビルの北極星でオムライス食べたい。生駒ビルヂングは残念ながらコロナ対策のため見学は1Fのみ可能で、大阪の街に時を告げたという時計版の近くへは行けず。残念!
北浜は久しぶりに行ったけどやはりカッチョいいですね。秋が深まったころなどまた行きたい。
◼️ 伊与原新「月まで三キロ」
ひさびさに物語を超えた感慨に打たれた。傑作の部類に入るかも。
著者については、書評を見てピンと来るものがあり、図書館で調べたら当時貸出中の本が多かった。東大大学院博士課程修了で地球惑星物理学が専門というふれこみだ。
人気作家、借りることのできた短編集「八月の銀の雪」を読み、いわゆる理系小説、科学ネタを絡ませた、人の心にほわっと迫る話のバランスの良さ、加えて1話は挿入される関西弁の篇で会話のテンポの良さが際立つ。著者は大阪出身だ。今回は「八月」の2年前に出た同様の短編集。
「月まで三キロ」
「星六花」
「アンモナイトの探し方」
「天王寺ハイエイタス」
「エイリアンの食堂」
「山を刻む」
が収録されている。なあんか学問の良い匂いがしますわね。
おおむね科学のベースがあって、その脇にいる主人公が、自分の人生上での大きな問題を見つめ直していく。いい話系のもの。
「月まで三キロ」
運転手が自殺志願の客をえる場所に連れて行く話。夜と月光と絶望と希望。ともかく月の光の表現が効く。むかし息子の寝かしつけに「月は窓から 銀の光を そそぐこの夜」と歌ってやってた歌詞を思い出す。
「星六花」
気象、雪とコンプレックスと恋愛。途中、意外ででもよくあるオチが入る。どの篇も「八月」よりも専門性のある説明が多く、その道に熱中している人が強く描かれる。これくらいでなくっちゃあ、と感じる。専門性を入れるほうが、読む方のバランスが良くなるような不思議な感覚。幕切れは爽やか。
「アンモナイトの探し方」
中学受験を控えた少年の話。キン、キン、キン、夏休み、田舎、山川、石たたき。暗い理由に突っ込みすぎず意地を描く。なぜそんなに好きなのか、人生の大きな流れ。このへんで確信。いい本だ。
「天王寺ハイエイタス」
関西のブルースのおっちゃん、いやもうおじいさん。昔は腕の良いギター弾きでブルースが人生で。しかし今は貧乏で身内からも評判はよろしくない。しかし・・。大阪の土地柄、会話が地の人ならではだと、実感をもって思わせる。昔上司が、関西弁はな、ほんまにええ言葉なんや、と九州出の若い私に向かい控えめに力説していたことを思い出す。科学ネタはおとなしめ。しかし実に良いアクセントの話。エルモア・ジェームス「ダスト・マイ・ブルーム」探して聴いてしまった。
「エイリアンの食堂」
つくばの食堂でいつもノートパソコンを開きながら定食を食べる女史。小学生の娘は宇宙人のプレアさん、と呼び興味を募らせていたこの人についに話しかける。
私も「きぼう」の時間帯を調べてよく見ている。劇中でプレアさんはおーい、と呼びかけているが、条件がいい時など、本当にきれいで、なぜか手を振ってしまう笑。いいことがあったような気になる。筑波というところに著者の経験を見つつ、泣けてしまう一篇。だけでなく、文章から物語を超えた何かがにじみ出る。
「山を刻む」
お母さんが家出?さらに怪しい雰囲気をも匂わせる。古いニコンを持ち高山植物を撮影する主婦。子育ても卒業しているが忸怩たる思いを抱える。山で火山学者と大学院生に出逢い、行動を共にする。
スケールの大きい話で締めくくり爽快な気分にさせる。いいラストだと思う。
秀作、佳作、力作、と言い方はいろいろあるけれど基本的には読む際に、突き放して、というか、漂ってくるイメージを受け止めつつ、感情移入はあまりしないで読んでいる。だから悲しい話でも前向きな書評を書いたりする。ただごくまれに歯止めのきかないこともやっぱりある。
一歩離れて見ると、同パターンの話が多い。でも今回は科学と人情、少々の怪しさ、仕掛け、というもののマッチングが、物語を超えた良さ、何か大きなものの存在を感じさせたと思う。久しぶりに行き当たった感触。
傑作だ。
◼️ ヨシタケシンスケ「ころべばいいのに」
いやあ、ラストに至って、やっぱりヨシタケシンスケってすごいなあ、と感心して終わる。
ヨシタケシンスケ展に行ってから、書店でも気になる人になり、また折よく又吉との共著「その本は」が出ていて、興味を持つ本友もいたりする。
「ころべばいいのに」はもともと興味があったところにそんな本友が読んだというので私も・・立ち読みした笑。展覧会でも原画でストーリーの流れを見たはずが半分忘れている。
どうしてあんなこというんだろう。
じぶんがされたらイヤなことを、どうして、ひとに、できるんだろう。
主人公、赤いランドセルを背負った小学生の女の子は考えます。
ころべばいいのに。
イヤなことがあったとき、嫌いな人がいるとき、人は思い煩います。この悩む時間をなくすには?耐えるとポイントが貯まったり、実はいやなことがあるのは、劇中の一場面だと考える、などなど、著者らしい発想の豊かさで対処法を考え、さらにはどうしてもイヤなことはあるし、嫌いな人はいる、と分析を深めていきます。
ちょっとドラえもんに似てるとこもあるかな、中間まででも完結してしまえそうだな、と思いきや、さすがのコペルニクス的転回とでもいおうか、ただの寓話で終わらせないところに天才性をも感じてしまいます。
幼児的にはおもしろく、大人にとってはナンセンスで、でもクスッと笑ってしまう変化を入れつつ、もとの教訓的な流れをもうまくミックスする。そしてお子さま的な絵本であることと、大人には自分ごととして納得すること、が結果的に見事な両立を見ます。絵本としては長いし、シンプルな絵ながら内容も濃いので、読後に充実感を味わえる作品です。
でもそんなに構えないで基本楽しみましょう、というのがヨシタケシンスケのいいところ。まだまだ読みたいですね。「その本は」も気になる〜。
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