2022年8月28日日曜日

3月書評の9

この日曜日は風があり、一気に涼しくなって寒いくらい。もう全部窓閉めてあるし。天気も良かった。結局この金土日は買い物にいったくらいで、そんなに動かなかった。まあ先週まであちこ小さい行きまくったしね。


◼️ 草山万兎「宮沢賢治の心を読む」

たまに読み返すと、星屑のような感銘がよみがえる宮沢賢治。動物という切り口で見た児童本。

宮沢賢治の作品たち、今回読み返して、その良さを何度目かの再認識。児童本だけれども、たまに触れなおす機会を持つのは愉しいこと。

草山万兎というのは、河合隼雄さんのお兄さんで世界的な霊長類学者の河合雅雄さんのペンネームだそうだ。まえがきによれば賢治の童話と劇127編には158種類の動物が登場するとか。サルの研究が専門の学者さんが、動物という切り口で読み解く宮沢賢治。

取り上げるのはやはり動物がからむもの。

「雪渡り」
「なめとこ山の熊」
「注文の多い料理店」
「セロ弾きのゴーシュ」

物語が全文掲載してあり、その後著者が児童に話しかけるかのように解説をしている。解説自体はあまり長くない。

「雪渡り」は狐たちとの心温まる交流。

「凍(し)み雪しんこ 堅雪かんこ」
「キック、キック、トントン」

といった言葉がリズムを与える。幻燈会は大盛況。狐を誤解しないで、と。

著者がまず取り上げているように

「雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、空も冷たい滑らかな青い石の板で出来ているらしいのです」

他にも見られるように、宮沢賢治の情景描写というのは一瞬ハッとさせるくらい抜群だと思う。

「なめとこ山の熊」

熊の胆は高価な良薬とされる。なめとこ山には小十郎という腕のいい猟師がいて熊を殺し、毛皮と胆を捕っている。でもなめとこ山の熊は小十郎のことが好きだという。家族を養うためにこれしかできないという、小十郎の想いや、せっかく取って帰ってきても、荒物屋の主人にぺこぺこした上、買い叩かれているのをまるで解っているかのように。

「木がいっぱい生えている空谷(からだに)を遡っているとまるで青黒いトンネルを行くようで、時にはぱっと緑と黄金いろに明るくなることもあればそこら中が花が咲いたように日光が落ちているところもある」

いつか登った奈良は大神(おおみわ)神社のご神体の山、三輪山を思い出す。風景は見えず、木漏れ陽が神秘的だった。

「月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこが丁度銀の鎧のように光っているのだった」

その光を雪だ、霜だ、いや花だ、と母子の熊が話している。小十郎はその光景を見て、会話を聞いて、何かに打たれたかのようにそっと引き返す。結末も神々しさが漂う。

「注文の多い料理店」

どう見ても金持ちで奢っている、イギリス兵の格好をした若者たちを懲らしめるの図。秀作と言われ非常に研究論文が多く、様々な暗喩が示されているようだ。著者はもっと素直に受け取ってよいのでは、と解いてゆく。

「セロ弾きのゴーシュ」

金星音楽団のゴーシュは、町の音楽会に備え第六交響曲を練習している皆の脚を引っ張っていた。楽長に叱られ、家で猛練習をするゴーシュを猫、かっこう、たぬき、野ねずみが訪う。邪険に扱うゴーシュだったが、彼らのおかげで・・

やっぱりチェロという楽器じたい、強く郷愁をそそるところがある。宮沢賢治が実際にチェロを弾き、ベートーヴェンの交響曲6番を愛したことが滲み出る。誰しも、ああそういうことだったのか、悪いことしたなあ、という後悔の経験はある。最後のひと言、ですね。とても効いてます。動物たちにひどいことをしてしまう、そのやりとりもどこか滑稽で、心に残る。

読み返して賢治の物語に集中し浸り、著者の、かんで含めるかのような、穏やかで、まさに先生のような語りを読むと、ストンとまとまりがついて、よい感慨に包まれます。

4巻のシリーズらしいので、ぜひまた読もう。



◼️ ヨシタケシンスケ「ころべばいいのに」

いやあ、ラストに至って、やっぱりヨシタケシンスケってすごいなあ、と感心して終わる。

ヨシタケシンスケ展に行ってから、書店行っても気になる人になり、また折よく又吉との共著「その本は」が出たりして興味を持つ本友もいたりする。

「ころべばいいのに」はもともと興味があったところにそんな本友が読んだというので私も・・立ち読みした笑。展覧会でも原画でストーリーの流れを見たはずが半分忘れている。

どうしてあんなこというんだろう。
じぶんがされたらイヤなことを、どうして、ひとに、できるんだろう。

主人公、赤いランドセルを背負った小学生の女の子は考えます。

ころべばいいのに。

イヤなことがあったとき、嫌いな人がいるとき、人は思い煩います。この悩む時間をなくすには?耐えるとポイントが貯まったり、実はいやなことがあるのは、劇中の一場面だと考える、などなど、著者らしい発想の豊かさで対処法を考え、さらにはどうしてもイヤなことはあるし、嫌いな人はいる、と分析を深めていきます。

と、実は中間まででも完結してしまえるな、ちょっとドラえもんに似てるとこもあるかな、と思いきや、さすがのコペルニクス的転回とでもいおうか、ただの寓話で終わらせないところに天才性をも感じてしまう。

結果的に、この、幼児的にはおもしろく、大人にとってはナンセンスで、でもクスッと笑ってしまう変化を入れつつ、もとの教訓的な流れをもうまくミックスして、お子さま的な絵本であることと、大人には自分ごととして納得すること、いう結果の見事な両立を見ます。絵本としては長いし、シンプルな絵ながら内容も濃いので、読後に充実感を味わえる作品です。

でもそんなに構えないで基本楽しみましょう、というのがヨシタケシンスケのいいところ。まだまだ読みたいですね。「その本は」も気になる〜。

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